2017年10月 4日 (水)

『単純な脳、複雑な「私」』

20171003  ずいぶん時間がかかってしまいましたが、先日ようやく、『単純な脳、複雑な「私」』を読了。個人的には、前作の『進化しすぎた脳』のインパクトに引きずられて、本書の後半はややダレて読んでしまいました(汗)。
 こういうのが脳科学なのかな~?という素朴な印象。どちらかと言うと、心理学とか認知科学とか社会学とかコンピュータ・シミュレーションとか哲学の分野にも感じられ、まぁ、脳の話は分野横断的にならざるをえないのかもなぁ…と思ったり。倫理的にも、人間の脳で行える実験には限りがあるでしょうし。。。
 ひと昔前、「1/f のゆらぎ」なんてのが流行ったのをなつかしみつつ、“何かしらの規則性がベキ則として現れる”とか、“機能と構造の相互作用を通じて生物は環境に適応していく”という言葉が、印象的でした。最近流行りのメディテーションは、「1/f のゆらぎ」(ノイズ)の自主的コントロールと言えそうです。また、フィードフォワードとフィードバックの重要性も語られていましたが、フィードバックはいわば、昨今の“見える化”とも言えそう。
 先日のNHKスペシャル「腎臓が寿命を決める」と併せて考えると、“自律神経”の“自律”が、「意志とは無関係に独立して作動している」ことを意味するとしても、腎臓の働きをフィードバックする仕組みが作れれば、ある程度は制御可能になるかも…という期待を抱けます。
 著者によると、「心」は、ニューロンのフィードバック回路によって生じる「創発」の産物だとのこと。そうなると、“豊かな心”のためには、フィードバック回路をたくさん回す方がいいのかな?
 最終部分には、脳科学とは、”脳を脳で考える学問”だから、その論理構造上(入れ子構造≒リカージョン)、そもそも「解けない謎」に挑む学問ではないか、と書かれていました。
 読後感としては、なんというかこう、自分が見ているもの、感じていること、思っていることなどが、かなりの部分、錯覚や幻覚なんじゃないかと思えてしまい、不安な心持ちにさせられました。一方、人類は“言葉”を手にしたことで、リカージョンが可能になり、「無限」や「有限」を意識できるようになったのだとしたら、本当に言葉という発明品は、エデンの園の知恵の実のようだな…とも感じました。
 まだ当面、認知症と対面する中で、“脳”の不思議と対峙する日々が続きそうです。

ノーベル物理学賞】 脳の中で重要な役割を果たす“ノイズ”ですが、重力波観測では慎重に取り除くべき存在。昨日のノーベル物理学賞には、残念ながら日本人は含まれませんでしたが、精密観測でノイズと闘う人は数知れず。素人的には、この世のノイズなんて、除ききれるもんじゃないような気がしてしまいますが、日夜そういう仕事に取り組む人もいるんですねぇ。次なる読書は久々に、重力波関係の初歩の本でも探してみる??

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2017年9月 3日 (日)

『進化しすぎた脳』

20170902  ブルーバックス版『進化しすぎた脳』読了。
 認知症の症状を間近に見て、その不思議さに触れたり、AI と脳の差や、脳の存在意義について思いを馳せることが増えているため、とても興味深く読みました。
 率直に言って、まだまだ脳や心については、ほとんど何もわかっていないのかもしれないな…と思いました。脳の神経細胞が、シナプスを通してどんな風に情報を伝えているのかの解説は、とても勉強になりました。また、“視る”ということがいかにフィルターのかかったものか、“同時”と思っていることが実はそうでないか、“記憶”があやふやなものか、“ヒトの進化”は“環境の進化”になりつつあるか、“脳”がどれほど身体に規定されているか等々、ある意味、哲学のような問答が続くのが、エキサイティングでした。
 私が圧倒されてしまったのは、「脳神経の回路のシナプス状態の組み合わせ数は2の1000兆乗で、宇宙全体の原子の数をはるかに超えており、それらが絶えず時間と共に変化していくのだから、脳には“再現性”があるとは言えず、そういう意味では“科学”も個々人の解釈に委ねられた“文化”である」というニュアンスの記述。“客観的”とか“エビデンス”とかいう科学的と言われてきたことが、実は大した根拠とはなりえず、単なる一部の相関を表すに過ぎないのかもしれないと考えると、何人もの偉大な科学者が、最終的には「心」や「意識」の思索に耽りゆくのも無理からぬことだなぁ…と感じました。
 学生時代に物理の基礎を学んだ際、「相互作用」の重要性を痛感しましたが、脳科学の話を読んでもやはり、「相互作用」が大事なんだなぁ…と思いました。人生長くやってみても、同じく「相互作用」が大切だと感じています(笑)。
 次は、同じ著者の『単純な脳、複雑な「私」』にシフト~!!!
(池谷先生のおかげで、私の介護ヘルプ生活は、ずいぶん彩深いものになっています、ありがとうございます)

【手を握る】 土曜日、夫が父を連れて、ショートステイ先の母を訪問。食が細っていた母が、その日は、朝食は完食、昼も半分は食べられたと聞いて胸をなでおろしました。母は、長い時間、父の手を握り続けて、その訪問をとても喜んでいたということです。なんだか、心温まる光景が目に浮かぶ、夫からの報告でした。
(それにしても、この前の日に、ほぼ一日がかりで受診した血液検査のことは、もう一切覚えていなかったそうで、短期記憶は相当欠落してしまっています)

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2017年8月22日 (火)

『できない脳ほど自信過剰』

20170814  先週月曜日に、標題の本を読了。まず、コラムをまとめた本にありがちな通り、タイトルと内容はほぼ整合していません。全63個のコラム中の、3番目のコラムの内容から捻りだされたキャッチーなタイトルのようです。というわけで、読み始めた動機の、「我が家で見受けられる自信過剰脳は“どう”できない脳なのか?」という疑問は、なんら解決を見ないままです(苦笑)。
 また、「脳の可塑性を研究」しておられる著者の独自見解や研究内容が開陳されるというコラムでもありませんでした。むしろ、日々のルーチンとして目を通しておられる「ネイチャー」「サイエンス」「セル」その他の学術雑誌から、一般の人が興味を持ちそうで、比較的易しく解説できそうなテーマを拾ってきては、日常のレベルに押し下げて検討し、池谷先生独特の感想を交えて紹介する、というスタイルが踏襲されています。日常の小さな描写→それに関連する最新知見の紹介→著者なりの検討→身に引き寄せた感想…といった感じの流れが、62回繰り返され、最後に「人工知能が活躍する時代に」と題して、これからの時代の、深層学習との付き合い方を指南してくださっています。日々これだけの量の論文に目を通すのは、さぞかし大変なことだろう…と想像しながら拝読しました。

 もはや、自己書換が実装された人工シナプスなんてものまで出来、MITからは「人工芸術はヒトの創作性に疑問を投じる」なんてレビューが出てしまう時代。ヒトの脳って、今後はどんな風に使っていくのが最適なのか? 本書を読んで、これからはそんなことをツラツラと考えながら日々を過ごすことになりそうです。

 例によって付箋だらけになったページの中でも、特に印象深かった記載をいくつかメモ。
・「自分の思考について、その参照元を示せるのが一流。二流は借用であることを忘れている」(p.28)
・「食欲がないのに食べると健康を損なうように、興味がないのに勉強しても記憶にとどまらない」(p.74)
・二足歩行を実行する精巧な神経メカニズムは未だ未解明。ただ、答えは脳でなく、脚にあった(p.87)
・ヒトだけが持っている大切なもの。それは笑顔(p.135)
・ヒトは遺伝子と文化という二つの情報を後世に「二重継承」する(p.137)
・美食とは、さしずめ「舌の性感マッサージ」といって語弊はない(p.151)
・脳は「プロアクティブ(先を読んで行動すること)な組織」(p.167)
・後悔は落胆よりも高度な感情(p.178)
・ミクロビオーム(腸内にどんな細菌が住んでいるか)研究が、自閉症や肥満や嗜好解明にも貢献(p.193)
・iPS由来の再生脳に「心」は宿るか?(p.214)
・デザイナーベビーの特許がアメリカで登録に(p.216)
・「京」は1千万ワットの電力を消費するが、「脳」はわずか20ワット(p.226)

【シンクロ?!】 本書を読み終え、次の『進化しすぎた脳』を読み始めた日の晩、たまたま付けたTBSの番組「人間とは何だ…!?」を見ていたら、なんと、本書著者の池谷先生が出演されていました!!

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2017年8月 9日 (水)

『九十歳。何がめでたい』

20170807_6  一昨日、佐藤愛子さんの『九十歳。何がめでたい』を速読。去年の8月刊行の本ですが、今年の6月で18刷になっていました。多くの人の口の端にのぼり、共感が広がっているのかもしれません。それにしても、1200円を2~3時間で読んでしまうのは、ちょっともったいなかったなぁ~coldsweats01
 まず、何はさておき、90歳を過ぎても、文章を書く仕事ができる佐藤さんの幸せを想像するだけで、何ともうらやましくて、そんな老後をウットリと想像してしまいました。内容は、まるで実家の母の主観満載の言い草を聴いているようでしたが、だからこそ親密感も説得力もあって、どれも正論に感じてしまうのでした。
 題材の多くを、新聞に掲載された「人生相談」から拾い、“私ならこう考える”と斬ってくれていますが、そういう頭の体操もアリだなぁ~と、私も老後の楽しみが1つ増えました(笑)。
 読み始める前は、老後の生活がどんなに滑稽で悲惨で、周囲を巻き込んで苦労しているか…という話に終始するのだと想像していたのですが、とんでもない! 介護者の参考になるような話は、何一つありませんでした!! 同居する娘さん一家とすら一定の距離を置き、週2回のヘルパーさん頼みで自律して生活しているご様子には、ただただ「アッパレ!」と叫ぶしかありません。
 先日亡くなった日野原先生を、NHKのクローズアップ現代が特集していた際、晩年お世話をしていたのが、“次男嫁”として紹介されており、ショックを覚えた自分が蘇りました。あの超人のような日野原先生ですら、最期の日々は誰かの手を借りざるを得ない……当然と言えば当然なのに、妙にガックリ来てしまったのです。佐藤さんには、そんな気配すらなく、どうしたらそのようにいられるのか、生活リズムとか食生活とか通院状況とか、そういった諸々を伺ってみたい気持ちでいっぱいです。
 1923年生まれの佐藤さんは、あと6年で百寿。どうかどうか、その時にまた、『百歳。何とめでたい』を拝読させていただきたいです!

【進歩とは?】 知財人視点で印象的だったのは、本書の随所に、「進歩とは何ぞや?」という疑問が散りばめられていたこと。ここ90年の技術進歩を目の当たりにしてきた人だからこその感慨でもあるのでしょうが、目新しくさえあれば進歩なのか?という佐藤さんの疑念からは、(まぁスマホとかトイレの進歩はともかく)“進歩性”ってもっと多面的に見ないといけないのかも…と思わされました。。。

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2017年6月22日 (木)

『デジタル著作権』

20170616  2002年に刊行された書籍。なのに、すごく面白かった! 一般書の体裁ではありながら、かなりハイエンドな内容。たぶん、刊行当時の私では、今ほどには読みこなせなかったんじゃないかと思います。この当時、よくこれだけの著者に、これだけの事を書いてもらえたなぁ…と感心しきりだったもので、本書の版元の知り合いの編集者さんに、企画した担当者を調べてもらったら…。私も少~しだけ知っている人でした! 当時から、すごく知的な雰囲気を醸す緻密な感じの方でしたが、なんと今は、成蹊大学の教授になられているとのこと! 仕事しながら、大学院に通われてたんですね~!! あっぱれ!

 で、中身はと言うと…、11人の各方面の専門家が、情報技術とインターネットの発展下での著作権制度について物申しておられるのですが、中でも、名和小太郎先生のパートには、ウンウンとひたすら頷いてしまいました。なんというか、軽妙かつ論理的な語り口が、モロに私の好みで、ツボにハマりました(笑)♪ 名和氏の関心や問題意識にすごく共感したわけですが、特に、「ユーザー不在の議論」を問題視されている姿勢にシンパシーを感じました。名和氏が、ある審議会に参加した際、「議論がユーザー不在ではないか?」と質問したそうですが、そのとき事務局は名和氏を指して、「あなたがユーザーである」と言ったのだとか(p.115)。以来、名和先生は、ユーザーの勝手連を通すことにしたそうです。
 誰しもが、著作権法と無関係では生きられない今、“法の不知は守られない”なんて原則に恐れをなさずとも、普通の人が普通にのびのびと、創作や発信が行える世の中がイイな~、、、取り扱い説明書なんて読まずとも、UI に触れるうちに自然と正道を歩めるような世の中がイイな~、、、というのが、法律をかじった私の率直な思い。今後ますます、現今の著作権法について議論されることになると思いますが、私も、この先生の姿勢を忘れずにウォッチしたいものだと思います。

 後半に、当時日本ペンクラブ理事だった秦恒平さんの寄稿もあるのですが、コレがなかなか、旧来の著作者の率直な“著作権考察”として面白かったです。
 そしてまた、“鋼錬”の実写化で気になる映画監督の曽利文彦さんの考察は、前記の秦さんのものとはまた次元の違う、ボーダレス・マーケットを模索するチャレンジングな印象でした。特に、以下の文章は、私の初心を思い出させてくれるものでもあり、読んだ甲斐がありました!
――(p.317-318より) 日本のアニメーターというのは、あれだけ優秀なものを作っているにもかかわらず、非常に低賃金である。たとえば、ある知人のデザイナーは、アニメのメカ系で優秀なデザインをたくさん制作していて、その出版物などがどんどん世に出ている。彼が本を見せてくれたときに、「この本に君のデザインが出ているけれど、印税はいくらもらっているの?」と聞くと、「いや、知らない」と言う。もちろん最初に作品を作った際に、買い取りというかたちなのだろうが、それ以降はお金など一切入ってこないのだ。本になっていることさえ知らなかったり、あるいは本人が自分で本屋で買っていたりするくらいだ。――

 いやぁ~、本書は、もう15年も前の本ではありますが、これから著作権を勉強しようかという人には、是非読んで欲しいなぁ~!

イマジン】 想像してみて、、、著作権の保護期間が5年になった世界を…^^;;;

応用美術の著作権保護】 TRIPP TRAPP事件の判決に共感した後、ふと読んだ「応用美術の著作権保護 ―「段階理論」を越えて ―」という論文に感銘を受けていた私ですが、明後日、その著者である上野先生の公開講座が!
演奏権】 7/14午後の公開講座で“演奏権”について、橋本・福井両先生の講演…聴きたいけどどうしよう。
確認訴訟提起】 JASRACに対する演奏権をめぐる請求権不存在確認訴訟がついに提起されました。。。音楽教室に限らず、公立学校関係者の方々にも、JASRACの利用規程に一度お目通しいただきたいところ(冷や汗が出るケース、結構あるんじゃないでしょうか…?)。

 

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2017年6月13日 (火)

『アキラとあきら』

20170608_220170608_1  池井戸潤さんの『アキラとあきら』を、先週末に読了。
 バンカーの存在意義を、ストーリー仕立てで教えられたような読後感。一度でいいから、バンカーがしたためた渾身の稟議書というのを読んでみたいと思いました。損益計算書や貸借対照表の数字から、企業の来し方・行く末までを全方位的に読み取る術、できるものなら身に付けたい…(笑)。
 また、「人の目を曇らせるのは、無意味な“劣等感”や“自己顕示欲”なんだなぁ…」というのが、しみじみ痛感される一冊でもありました。ダブル主人公の「アキラとあきら」は、いずれ劣らぬ優秀な二人。優秀だから目が曇らないのか、目が澄んでいるから優秀なのか、そこは“鶏と卵”のようですが、事に当たる場合に、いかに余計な雑念を交えずに熟慮できるかの大切さを教えられます。(普通に考えたら、このタイトルで、同期の超優秀なこの二人の間に、何かしら確執めいたものを想像しますが、嫉妬らしきものすら微塵の描写もないところが不思議なほどでした)

 WOWOWオンラインで7月9日からドラマが始まるようですが、上述の“数字を読む”面白さを、ドラマではどうやって再現するんだろう…? 同じテーマでも、書く編集者により全然様相を異にする企画書になるように、同じストーリー展開でも、書く作家によって全然様相を異にする小説になるように、同じ発明でも、書く特許技術者によって全然様相を異にする明細書になるように、同じ罪状でも、書く弁護士によって全然様相を異にする訴状になるように、同じ融資額でも、書くバンカーによって全然様相を異にする稟議書になるらしい。。。その醍醐味こそが、本当は本書の最大の見せ場なんだと思うんですが、素人にはその違いがわからないのがなんとも残念!
 “粉飾”という言葉も何度か登場し、そのたびに、目下行われているであろう某電機メーカーの決算処理に思いを馳せました。世間のそこここで、“チョイと鉛筆をなめる”程度のことは見過ごされているのでは…と感じてしまいますが、巧妙な粉飾も、見る人が見て、然るべく追及すれば、案外見抜けるような印象を本書からは受けました。監査の能力もピンキリなんだろうか…と感じつつ、金策の綱渡り感もまた、ある種のドラマなんだなぁ…と痛感。
 今や、多くの人が会社勤めをし、サラリーをもらって生活しているわけですが、その陰では、社員やその家族の生活を担う経営者と銀行との、丁々発止の資金繰りが必ずや行われている――そういう意味では、様々な人の人生の縮図を見るようで、途中、繁華街の交差点にある喫茶店でマン・ウォッチングしながら読み進めたりしました。お金の問題は、日々の暮らしと切っても切れない現代人の日常――銀行にドラマあり!…と、つくづく感じます。
 人のお金で商売する銀行や証券会社等に対して、なんとなく割り切れないものを感じることも多いのですが、本書に出てくるような「お金を“人”に貸す」人たちになら、手数料や利子を払っても惜しくないかも…と思いました(笑)。池井戸作品を読むといつも、現役時代にきっと、いろいろ悩み苦しみあがいてきたであろう池井戸さんご本人の仕事ぶりが感じられ、等身大の迫真・切迫感を味わいます。今回も、一気に2日で読ませていただきました。力作を、ありがとうございました!

PS:p.623と624に、「彬」であるべきところが「瑛」になってしまっている誤植を2か所発見。あとは前半に1か所、文字抜けがあったかな…?

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2017年6月 6日 (火)

『何があっても大丈夫』

20170530  昨日のブログに書いた、『何があっても大丈夫』――ゆるりゆるりと読み進めるつもりが、あっという間に2日で読んでしまいました。長い長い旅を、走馬燈のように振り返る、ジャーナリスト 櫻井よしこさんの若き日の自伝。ベトナムで生まれ、九州・新潟で幼少期を過ごした後、ハワイ大学に進学し、帰国後にジャーナリストの道へ。。。TVで時折見掛けただけで、“なんとなく古風な考え方の人”という雑駁な印象を漠と持っていたに過ぎなかった彼女の認識が、本書によってガラリと変わりました。こんなにも苦労人で、波乱万丈の人生だったとは露知らず。。。
 女性が、自分の仕事を確立していく、いわゆる今で言う“キャリア形成”の本として読めなくもないですが、一方で、家族の歴史、母・以志さんの限りなく前向きなお人柄が輝いてみえる本でした。

 〔印象的な以志さんの言葉〕
「しっかり物を見なさい。よく考えなさい。そうすれば、どこにいても人間は向上することが出来るんですからね」
「幸せはね、みんなの前にあるの。見つけることが出来るかどうか、それは気持次第なの。大事なことは、神様はどんな人にも幸せになってほしいと思っていらっしゃること」
「誰も見ていないと思っても、神様が見ていらっしゃる。神様が見ていらっしゃらなくても、自分が見ているでしょう。だから、自分に恥ずかしくないように生きなさい」
「寂しさを、未来の可能性につなげてくれるのが、大きな夢ですよ。人間は前向きになってさえいれば、本当に何があっても大丈夫なのですから」
「お母さんはいま、自分をもっと中身のある人間にしなくてはいけない、そのためにはどんなことをしたら良いか考えているの」
「人間はね、一番厳しいことを言ってくれる人がいることを感謝しなくちゃいけないの。一番厳しいことを言われたときに、その言葉に耳を傾けることが、とても大事なの」
「どうしてもその仕事がいやだったら別だけれど、いやかどうかは、実際に仕事をしてみなければ分からないものよ。新しい可能性は挑戦から生まれてくるのよ」

 母親の励ましが、こんなにも子どもに良い影響を与えるものなのか…と自戒させられるとともに、母・以志さんの幼少期を知りたくなりました。また、私のこれまでの人生にはあまりいなかったタイプの、櫻井さんのお父様のような男性(3人の女性を虜にするとともに、それぞれとの間に2人ずつも子どもを作る人)を父に持つことの苦労にも思いを馳せたり。。。あとは、櫻井さんのご出身の長岡高校のように、入学と同時に大学受験を意識させるような教育をする学校もあるんだ…という驚き。受験に対する自身の暢気さを反省してみたり。。。
 大学卒業後も、特にジャーナリストになることなど考えもしなかった彼女が、ひょんなことから仕事の取っ掛かりを掴み、記者という仕事に魅了されていくくだりは、なかなかやりたいことが見つからなくても大丈夫なのかも…と思わされました。彼女を、ジャーナリストの道へと引き込んだ記者さんとの出会いとご縁も大きかったのでしょう。。。
 1・2章の、自立前の時代と、3章の自立後のジャーナリストとしての修行時代とでは、ガラリと趣が変わりますが、どちらも別の意味で勉強になりました。
 ご近所さんが、どうして本書を私に勧めてくれたのかはわかりませんが、「何があっても大丈夫」というメッセージはしっかり受け取りました。私も、以志さんを見習って、もっと中身のある人間になれるようにしないとな~!
(彼女の近著『迷わない。』も、時間を見つけて読んでみようかな?)

【自動芯出し機構】 ぺんてるの3000円のシャーペン“オレンズネロ”がバカ売れだそうで。使ってみた~い!

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2017年5月15日 (月)

『火花』

20170510_8  先週、又吉さんの『火花』の文庫版を、義母のショートステイ先の最寄り駅近くのTSUTAYAで見掛けたので、思わず買って一気読みしました。又吉さんの朴訥とした語り口が好きな私としては、芥川賞の選考基準とか、好きな人の“いらん内面”とか、考えたくないことを考えさせられる気がして、ずっと読むのを避けていたのですが。。。
 「主人公(著者?)はしごくまっとうな人だった…」というのと、「天然のあほんだらって、私のこれまでの人生ではまだお目にかかっていないかも…」という、不思議な読後感でした。スパークスというお笑いコンビが、芸人の道をあきらめて別の道に進むことを決めた後の、最後の漫才の中でのセリフ――
「世界の常識を覆すような漫才をやるために、この道に入りました。僕達が覆せたのは、努力は必ず報われる、という素敵な言葉だけです」というのを電車の中で読んだ私は、不覚にもウルウルしてしまいました。あほんだらに生きたくて、夢中で走り続けたけれど、どうにもあほんだらにはなり切れず、夢破れて常識的に歩むしか道がなかった若者の哀しさ――。昔は、生粋の“あほんだら”こそが芸術家だったような気もするのですが、最近の芸術家は“まっとう”になりすぎているかも…と思わされる一冊でした。文芸賞とかも含め、狂気の芸術家…みたいなのって、最近は見掛けなくなった気がします。そういう人は、現代の資本主義社会では生き残れず、昨今のSNS社会では抹殺されてしまうのか…。
 太宰治や芥川龍之介に心酔する又吉さんにとって、この“まっとうな人”の物語が芥川賞を受賞したことも、自分が芸人として大成していることも、実は複雑な心境なのかもしれないな…と思いながら、本を閉じました。でも、人の評価を気にするより、自分の好きなことを好きなようにやれる幸せを尊重するなら、もらえるものは何だってもらっておくべきだよね。多くの人が、“あほんだら”に生きたい!と思うものでしょうが、人間弱いもんで、やっぱり“まっとう”に生きる道を選んじゃうんですよね~。人生って、切ないのぉ。(巻末の、又吉さんから芥川への手紙文を読んだら、『劇場』より先に、『戯作三昧』をポチっとな、してしまいました)

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2017年5月10日 (水)

かいけつゾロリ30周年!

 なんと?! 原ゆたか先生の『かいけつゾロリ』シリーズは、今年で30周年だそうですね!! 我が家の息子もずいぶんお世話になりました。数年前に、息子の母校の文化祭古本市用に、すべて寄附してしまいましたが、いつもケラケラと笑いながら読んでいた姿を思い出します。“真面目に不真面目”というキャッチコピーが、本当にぴったりだったなぁ~。子どもたちの本離れを、辛うじて止めてくれているシリーズの一つだと思っています。
 次は、目指せ35周年!、ですね!!

【『ネット・バカ』】 本といえば、ある方のブログに、『ネット・バカ』という本の書評がアップされていました。文字や本という、ある種のテクノロジーの発明が、人間の脳にもたらした進化とこの先の展望。本離れが進む中、個人の“思考力”は退化しているのかもしれませんが、集団知の“思考力”はどうなんだろう…?。時間があれば読みたいなぁ~!

【de beer is dood】 ママ友さんのFB記事で知りましたが、故ディック・ブルーナさんが、未発表の絵本を遺していたのだとか。読書好きだったクマくん…天国でもきっと読書に明け暮れていることでしょう。。。

声優起用の目論見?】 今週の朝のNHKニュース中で放送されている「朝ごはんの現場」というコーナー。1日目のナレーションは梶さん、2日目のナレーションは宮野さんでした。。。声優ヲタの心をゆさぶってどうする~?!

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2017年5月 3日 (水)

『死すべき定め ―― 死にゆく人に何ができるか』

 縁起でもない!と、親戚からは叱られそうですが、『死すべき定め』(Being Mortal)という本のKindle版を、月曜の晩に読み終えました。アルフォンス・デーケン先生の「死の哲学」が、もう何年も前から注目されていますが、その外科医版といった趣。全編、死にゆく人に対し、医者や介護者や周囲の人は、何ができるのか?何をするのが本人のために最も良いのか?を考えるためのヒントで貫かれています。後半は、著者のお父様の闘病ドキュメンタリーとなっていますが、涙なくしては読み進められません。著者が、医者として患者と向き合う姿勢と、子どもとして親と向き合う姿勢には、同じ闘病であっても対処の仕方が異なるという時点で、現代医療の未成熟さが露わになっている気がします。
 著者は、本書を書くことで、「高齢者介護の再発明」「現代の往生術」を模索しています。個人的に私が最も興奮したのは、巻頭から40%あたり、ビル・トーマスという医師が、ナーシング・ホームの改革に乗り出す場面でした。無味乾燥だったナーシング・ホームに、100羽の鳥や犬や猫や観葉植物を持ち込んで、命の息吹を吹き込もうと試行錯誤する様は、映画の1シーンのように明るくウキウキする試みでした(継続性はともかくとして…)。
 本書の内容を一言で表すのはあまりに難しいので、ご興味ある方は、PBSの「Frontline」という1時間近くある動画をご覧ください→ココ(途中何度かCMが入ります)。意味が取れなくても、登場人物の表情だけでもずいぶん伝わるものがあります。

 日本においても、現状、以下のような施設があるようですが、どのように使い分けたらよいのか、私にはまだよくわかっていません。
〔老人福祉法に基づく施設〕
・老人デイサービスセンター
・老人短期入所施設
・養護老人ホーム
・特別養護老人ホーム
・軽費老人ホーム
・老人福祉センター
・老人介護支援センター
〔介護保険法に基づく施設〕
・介護老人保健施設

 本人の希望に沿い、周囲も安心でき、よい思い出がきちんと守られる方法とは。。。? ケースバイケースで、本当に難しい問題ですが、我々の今回直面しているケースでは、子どもたち一丸となって、介護付有料老人ホームを勧める方向で話し合っています。。。

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