2009年10月17日 (土)

『こども論語塾』

Rongo20091015  数日前の夕刊に、安岡定子さんの「文の京 こども論語塾」というのが盛況で、本も出ていると書かれていた。木曜の午後、久しぶりにOAZOの丸善をブラブラしたので、試しに買ってみた。幼稚園や保育園児向けで、絵本以上に大きな字の本だったが、慣れない人が素読するには丁度よいようだ。
 著名な二十章が収録されており、この年になって読んでみても、なかなか胸に迫るものがある。人間って、孔子の頃から精神的には全然進歩してないような…という気にさえなる。
 孔子様からは、是非「仁」や「恕」(思いやりの心)を学んで欲しい息子に、早速見せてみた。どのへんに食いつくかなぁ…と興味深く待っていたら、
「あのさぁ、どうして孔子のセリフだけ“のたまわく”で、他の人は“いわく”なの? これって差別じゃない?」ときた!!! ぎょえぇ~予想外の反応。
「そりゃぁ孔子に敬意を表してそう読み下してるんだよ~。“おっしゃった”ってこと」と言ってはみたが自信がない。――― 中国では、親族の上下関係にものすごく厳しく、親族呼称もバラエティに富んでおり、年配の人を非常に敬うとは聞いているけれど、言語的な尊敬語みたいのはないんだっけ…?――― まさか息子に論語を読ませて、尊敬語について考えさせられるとは思ってもいなかった(汗)。
「“子曰”のとこはいいからさ、中身読んでよ、中身」と言ってお茶を濁す。
 まぁ、尊敬語やら謙譲語やらの充実している日本語だけれど、心がこもっていなければ「巧言令色、鮮矣仁」(こうげんれいしょく、すくなしじん)かもね~。

| | コメント (0)

2009年9月19日 (土)

『新参者』

Newface20090918  いやはやお恥ずかしい。金曜日、10時きっかりにブックスPISMOという本屋さんに駆けつけ、東野圭吾さんの新刊『新参者』をいの一番に買い、その日のうちに読みきったのだけれど、この作品、2004年8月から「小説現代」でスローペースで書きためられたものだった。しかも、私がタイトルの『新参者』から予想した“人と人との心のすれ違い”を描いたものどころか、180度正反対の“人と人との心のつながり”が描かれていて舌を巻いた。ネタバレしてはいけないので詳しいことは書けないが、読後感はスッキリと気持ちよい上、人形町という街を知る人にはひときわ楽しいと思う。以前から、散歩しているとフツフツといろいろな物語が湧き出てくる街だと思ってはいたが、明日からはきっと、加賀刑事の眼で眺めなおすことだろう。
 つまらないことだが一箇所だけ、第一章に書かれていた“甘酒横丁の先は都営浅草線の人形町駅”という部分は、“営団日比谷線の人形町駅”の間違いなのだけれど、担当編集者さんが裏取りし損ねたか? 編集者の大事な仕事の一つに“裏取り”がある。著者の書いた内容に間違いがないかを調べる作業だ。もちろん全部が全部調べきれるはずもなく、いつでも漏れの出るものだし、そもそもフィクションたる小説で裏取り作業がどのくらい必要かは不明なのだが、これはある意味、刑事さんの仕事に似ていなくもない。一見本筋には関係なさそうなつまらないことでも、きちんと裏取りされた本というのは信頼性がグンと増すものだ。本書全九章のうち、七章ほどは本筋とはあまり係わりないことなのだが、そんな些細な糸も細かく解きほぐしていった加賀刑事の丁寧な仕事が、作品の最大の面白みになっている。
 腰巻裏面に「こんなことが出来ればと思った。でも出来るとは思わなかった」という東野さんの言葉があったが、私自身「こんな作品も出来るんだぁ!」と新鮮なオムニバス形式に感嘆したのだった。それにつけても、シュリンクを解かれたばかりの新刊本の紙とインクの匂いは、何度嗅いでもいいもんだなぁ~♪

| | コメント (0)

2009年8月31日 (月)

『母』(三浦綾子 著)

Mother20090830  先日の里帰りで母が貸してくれた一冊の本。
 泣けて泣けて……。途中まで読んで用事で家の外に出たら、知り合いの人に「なんか疲れてるね」と言われるほど。ティッシュで鼻をかみながらも読み続けていたら、息子が「そんなに悲しいなら読まなきゃいいのに」と言うくらい。私自身、悲しい本や映画は、その後頭痛に襲われるので敬遠したいのはやまやまなのだが、読み出したら止まらなくなり、日曜日一日で一気に読んだ。
 『母』とは、昨今人気が再燃している『蟹工船』の著者 小林多喜二さんのお母さんのこと。このお母さんが自分の人生を三浦さんに語って聴かせるという設定で描かれた本書、いろんな視点で読めるものだった。一人の母親として、市民として、キリスト者として、思想活動家として、多喜二として、多喜二の恋人として、人間として……。どういう立場で読んだとしても、胸打たれる内容だと思う。私はまだ、『蟹工船』も含め小林多喜二氏の本を読んだことがないのだが、本書から窺い知った彼には強く共感する。昭和一桁時代の日本では、政治的弾圧などもあからさまに行われ、多喜二氏のような悲劇もそこここにあったのかと思うと、たとえ混迷を極めるにせよ、今の日本は平和に見える。ただ、悪の根源が目に見えない形で格差が広がるという状態は、あの時代よりむしろ根が深いのでは、とも思えたり。
 読み書きなどできず、働き者でただひたすらに人のいい小林セキさんという『母』や、彼女を取り巻く家族や親戚やご近所の当時の暮らしぶりは、大館や小樽といった北国であることも相まって、それはそれは過酷で貧しいものなのだが、お互いを思いやる心の温かさや日々の営みは、とても豊かにも感じられた。このご時世、“家族で支えあう”といっても高が知れたイメージしか湧かないが、この本の中では本当に、名実共に“支えあう”様が如実にわかるのだ。
 私にとってとても意外だったのは、多喜二が一時は拓殖銀行の行員という高給取りであったことだが、そんな立場を投げ打っても自分の信念のために活動を続けたことが、彼のゆるぎなさを象徴してもいたのだろうか。「世の中っていうのは、いっときだって同じままでいることはないんだよ。世の中は必ず変わっていくもんだ。悪く変わるか、よく変わるかはわからんけど、変わるもんだよ母さん。そう思うとおれは、よく変わるようにと思って、体張ってでも小説書かにゃあと思うんだ」という多喜二の言葉。全面的に息子を信じて励まし支える母。泣ける泣ける……。私は、自分たちの子どもたちが少しでも今よりいい世界に生きられるように、一体何ができるんだろう……?
 総選挙の一日が明け、現代日本にも新しい風―――

| | コメント (0)

2009年8月29日 (土)

『日本人の知らない日本語』

Japanese  もうずいぶん前だが、『日本人の知らない日本語』という本を家族で読んで大ウケした。日本語学校の先生が、日本語を学ぶ外国人の人と接する中で遭遇した意外な疑問・質問を紹介している本だ。『ダーリンは外国人』で大ヒットを飛ばしたメディアファクトリーさんが、またしても語学モノで人気を博す形となった。この手のコミックエッセイで、メディアファクトリーさんの右に出るのはなかなか難しい。ネタはどこにでも転がっていそうだけれど、それを万人にウケる形に仕上げる技が素晴らしい。個人的には「“ばつが悪い”の意味は?」との先生の質問への答えやら、アメリカと日本の○×問題の話が印象に残っている。サラリと読めてしまうので、“内容がない”という批判もあるが、単純に笑えるので機会があれば是非ご一読を。
 以前は仕事柄、毎朝毎晩のようにamazonのベストセラーリストをチェックしたものだが、最近は一ヶ月に一度くらい。先日たまたま眺めていたら、高城剛さんの『サバイバル時代の海外旅行術』という新書が目に留まった。本書自体にも興味が出たが、著者の高城さんのブログページを見て嬉しくなった。今見ると「AFRICA」というタイトルの直近記事が見られると思うのだが、その写真が素敵! 野生動物の表情を実に自然におおらかに捕らえていて圧巻。こういう写真が撮れる旅をしたいもんだ、と常々思っているから、『サバイバル時代の海外旅行術』を読めば、そういう旅が出来るようになるかも……と淡い期待を抱いた。いつ読めるかなぁ~?

| | コメント (0)

2009年4月 3日 (金)

『不実な美女か 貞淑な醜女か』

Yonehara  ロシア語同時通訳者として、そして優れたエッセイストとして、その有能さを各界に轟かせた米原万里さんの代表作。本書はある意味、ロシア語通訳協会がクライアントに最初に手渡す留意事項を並べた小冊子のデラックス版ともいえるのではなかろうか。これを一冊読んでから通訳を依頼すれば、クライアントは、言葉に対して注意深くならざるをえないだろう。
 それにしても、“エ勝手リーナ”とも呼ばれる米原さんは、大胆不敵な豪傑のイメージが強いけれど、その文章からは、ものすごく慎重で細やかな精神を感じる。そして、通訳業に対する誇りと、弛まない仕事のクオリティアップを追及する彼女の、いわば懺悔録のようにも読めた。どんな仕事でも、OJTで失敗を重ねて成長するものだと思うけれど、それらの失敗を忘れず活かすための、そして世界中の人とのコミュニケーションに関して、あらゆる人たちに配慮を促すための、格好の教科書と言えるかもしれない。
 なかでも、1990年12月のシュワルナゼ外務大臣の辞任演説を訳したときの米原さんの回顧部分と、アンドレイ・サハロフ氏のパレスチナ問題に関する発言を訳したときの回顧部分には、彼女の徹底したプロ意識が如実に表現されていて涙が出た。「おまえの母ちゃんデベソ」考も、おもしろかったなぁ! 処女作的な初期の作品なので、簡潔・明瞭・大胆な米原さんの文章にしては冗長な箇所もあるにはあった気がするが、ともかく、“言葉”について考えてみたい人には、エリツィンもびっくりの素敵な本。是非ご一読を!

 巻末の「あとがき」に、本書を企画したのが、現スタジオジブリ出版部長となられた柳沢因さんだとあって、驚きとともに嬉しくなった。今は“田居”さんとなられているこの方とは、私も一度だけお話させていただいたことがあるけれど、本当に“美女”な上、米原さん同様、ご自身のお仕事に誇りをもって凛として取り組んでおられる素敵な方だった。尊敬する編集者の一人だ。彼女が米原さんに声をかけなければ、素晴らしい書き手が本書をものすることもなかったのかもしれないと思うと、編集者の黒子魂にも誇りをもてるというものだ。

| | コメント (0)

2009年3月24日 (火)

『シモネッタの 本能三昧 イタリア紀行』

Simonetta20090323  ナポリで「反マフィア」のデモ行進があったというニュースを横目に、新刊の『シモネッタの 本能三昧 イタリア紀行』を読んだ。紀行文の類を読むのはとても久し振りで、泣けたところや笑ったところや自分も行ってみたいところに付箋を貼っていたら、付箋だらけになってしまった。
 本書は、イタリア語通訳歴40年という田丸公美子さんが、70回近く訪問したイタリアの思い出をネタに執筆された「月刊現代」の連載に加筆してまとめられたものだ。私の渡伊経験はというと、中学時代に一度、大学生時代に一度、そして新婚旅行で一度の計3回。目次には、ローマ・ルガーノ・ヴェネツィア・シチリアといったなつかしい地名が並んでいて、ワクワクしながらページを繰った。
 この本には、善人やら悪人やらエロ助やら子どもやら、いろんな人が登場する。そしてまた、おいしいモノや楽しいことや美しい景色だけでなく、薄汚れた生活風景や色恋沙汰や犯罪話にも及ぶ。そんな全部をひっくるめて、田丸さんがイタリアという国を愛していること、そしてこんな田丸さんだからこそ、クセの強いイタリア人相手の通訳が務まるのだなぁ、と感じた。“シモネッタ”の二つ名に恥じない数々の抱腹絶倒話に身をよじりつつ、歴史的な景観を大切に守るお国柄や、人生を楽しむことにかけては天賦の才を見せ付ける小市民のたくましさが、明るい陽光とともにうらやましく感じられた。
 「こういう人との出会いが旅を思い出深くするんだよなぁ」と思わされたのは、ヴェネツィア・ガイドのジョルジョおじさんや、ベネトン社勤務の建築家ヴィエッリ氏、パレルモ貴族の使用人サルバトーレ、マテーラのしたたか少年などなど。自分の住む世界からはかけ離れた遠い空の下でも、何か大切なことに気付かせてくれる温かな存在って、いるよねぇ~。
1988album  私も思わず、なつかしいアルバムを取り出して眺め直してしまった。
「1988年 冬のヨーロッパ旅行――フランス、フォンテーニュブローの森で知り合ったシチリア島出身のアントニオとステファノ。パリの夜は最高にエキサイティングでした」とある。この二人がまさに、パレルモからパリに遊びに来ていたのだが、私と友人はこのイタリア人男性と半日をともに過ごしたのだったsign03 最初にシチリア島出身と聞き、「マフィアがたくさんいるんでしょ?」と尋ねたら、「そんなにいない」と笑っていた。二人は漁師の家の子だったようだが、ホントにイタリア人sign02と思うほどに奥ゆかしく紳士的だったな。「“ブリオッシュ”って知ってる? ほんのり甘いパンなんだけど、これにアイスクリームを挟んで食べると最高だよ」と教えてもらった。その当時は“ブリオッシュ”なんて知りもしなかったが、マリー・アントワネットの「パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない」で有名なフランスのお菓子で、シチリアでもよく食べられているのだと後で知った。田丸さんの本の9章は、この二人が住むパレルモに割かれており、どんな土地柄なのかと夢中で読んだ。
 そしてまた、最終章で紹介されていた田丸さんのご友人、“由緒正しい”清貧の家の娘エリさんとのエピソードを読んで嬉しくなった。私の印象では最初、田丸さんという方はいつもゴージャスな旅ばかりされているのでは…と思っていたのだが、その田丸さんが、若いうちの貧乏旅行もまた楽しいと書いてくれていたからだ。私は年甲斐もなく、いまだにできるものならバックパック一つで宿も決めずにフラリと出かける旅の方が性に合っていると感じるから。(もちろん、いつかはクイーン・エリザベスにも乗ってみたいことはみたいけどsweat01) そして無性に、田丸さんの記録アルバムというのを拝見したくなってしまったのだった。

| | コメント (2)

2009年3月 5日 (木)

『津波 ~アンダマンの涙』

Tsunami20090305  タイ在住のデザイナーさんからメールをいただいた。以前、彼から紹介してもらって2004年12月のタイの津波に関する本を企画したことがあったのだが、会社の方針に合わずに断念したのだけれど、このたび(株)めこんという出版社から無事刊行される運びとなったというご連絡だった。とても切実な内容のお原稿だったので、書籍として世に出ることになって本当によかったぁ~と思うと同時に、フットワークの軽い出版社の姿勢をうらやましく感じた。
 過日の「エルサレム賞」授賞式での村上春樹さんの講演内容を、毎日新聞紙上で佐藤由紀さんの翻訳で読んだけれど、“卵と壁”の相似形は世の中の至るところに転がってるなぁ…と実感する。私が転職した当時の出版社は、とても弱小な分フットワークも軽く、採算度外視企画にも賭けてみられる冒険心があった。それが次第に大きくなって、実績保証を優先するようになると、マジョリティに売れる企画しか通らないようになってくる。あたかも卵たる個人が壁たる体制側に取り込まれていくように、内部にいると、体制の論理が致し方なく思えてくる。
 先日のニュースで、小さな製薬会社が、数少ない白血病患者のための薬を開発して実績をあげてきていると紹介していたけれど、大手製薬メーカーでは手が出せないニーズの少ない薬でも、「必要としている人がいるのだから意味があるし、まさにニッチな市場に参入できることこそ我々の強み」と言っていた社長さんの言葉が力強かった。
 出版社も、小さいところの方が面白い本を作れるのかもしれないな、と今だから思う。『津波 ~アンダマンの涙』、機会を見つけて拝読させていただきたいです。

| | コメント (0)

2009年2月19日 (木)

『一日一生』

Onedayonelife  元の会社の先輩編集者から、「今度作る本の資料本なんだけど、ちょっと読んでみて」と一冊の新書を渡された。天台宗大阿闍梨(あじゃり)の酒井雄哉(ゆうさい)さんの『一日一生』という本だった。大阿闍梨というのは、天台宗では「千日回峰行」という荒行を遂げた高僧に与えられる称号だそうで、およそ地球一周分ほども歩くのだそうだ。酒井さんはこの荒行を2回も満行したとのこと。
 今はやりの聞き書きによる構成で、インタビュアーは友澤和子さんという方だった。酒井さんの語り口は知らないが、本文はざっくばらんで、すごい事も悲惨なことも淡々と短い言葉で記してあり、酒井さんの人生と、修行から得たさまざまな知恵が、押し付けがましくなく受け止められるようにまとめられていた。全5章に各7~10ほどの節があるが、各節3~4ページというリズムも小気味よかった。
 43節のうちで私が感じ入ったタイトルは「仏はいったいどこにいるのか」。拝察するに、これがある種、酒井さんの悟りの瞬間だったのかもしれないけれど、別の意味ではこういう人は、日々開眼しているのかもしれない。大正時代に生まれ、10人きょうだいの長男という立場で戦争をくぐり抜けた人生は、今の若い人が読んでもピンとくるものではないだろう。それでも、何かに心を痛めたりしている人にとっては、宇宙の悠久を感じさせてくれる清涼剤になる。ただただ、人間の卑小さ、時の流れの悠大さを感じ、なおかつ一個人の奥深さや可能性に眼をむく気付きの連続なのだった。宗教って、そういうものかもな。随所に挿入された酒井さんの写真の人相が、味があってありがたかった。
 村上春樹さんが先日、エルサレムでイスラエル文学賞の受賞講演をしている様子をニュースで見た。かつて私が知っていた村上さんとは別人が、そこにいるような気がして不思議だった。敢えてガザ攻撃を批判しに乗り込んだ心意気に敬意を表しつつも「なんか、インテリになっちゃったな」という淡い失望を抱える自分を笑った。宗教者も小説家も、所詮は未踏の人生の修行途中。かつての村上さんなら、小説という手段で、個々人の心の根っこを揺さぶる方法を選んだんじゃなかろうか。その点、酒井さんは大阿闍梨になった今でも「大したもんじゃございませんが…」という立ち位置を貫いておられるところ、好感をもって読み終えた次第だ。

| | コメント (0)

2009年1月28日 (水)

『シモネッタの ドラゴン姥桜』

Ubazakura  火曜日の午前中は、2時間ほどのパソコンボランティアがあって、どうせ集中的に勉強できないな、と諦観していたため、月曜夜、息子を寝かしつけた10時半過ぎから2時までの3時間半で、田丸公美子さんの『シモネッタの ドラゴン姥桜』を一気読みした。
 田丸さんの性格も、その息子さんの性格も、我が家とは180度異なると思っていたのだが、田丸さんが故・米原万理さんのご友人であったことと、一人息子を育て上げたお母さんの実録エッセイということで手に取ったのだった。帯のキャッチには「息子は開成→東大→弁護士 オモローな母の子育て満載」とあった。
 読後感は爽快。別に、開成・東大・弁護士なんてブランドがなくても、十分面白い内容だったのではないかと思う。全編、ちょっと斜に構えてウィットを効かせた調子で書かれているけれど、初めて読む田丸さんという女性の文章に触れ、何とキメ細やかに肝心な部分で愛情を注いでいるお母さんだろう!と頭が下がった。そもそも、すでに独立した息子のことを書くのに、誕生から保育園時代・小学校時代など、とうの昔に忘れ去っていてもおかしくないコマゴマとした事柄を、なんと詳細に覚えていて、瑞々しく書いていることか。私も相当なメモ魔で、息子が生まれてからしばらくのミルク量やら食事内容やら事件などは記録してあるけれど、今その当時のことを書こうと思っても、ここまで緻密に感情豊かに振り返ることは難しい。16章以降の大学生より先の部分では、ずいぶんアバウトな感じになっているが、それさえ、徐々に上手に子離れしている田丸さん自身を見るようで、私の子離れもかくありたい、と思わされた。
 私が拍手喝采したのは、開成での授業中、他の生徒が私語をしてうるさい中、ユウタ君が「静かにしてくれ!オレは塾に行ってないんだから、集中して授業を聴きたいんだ!」と訴えたシーン! そうだそうだ!やんややんや! 入学と同時に東大に向けた塾に行くのが当たり前のようになっているらしいが、学校の授業も集中して聞けないで、何が塾だ!! また、ユウタ君が、学校での自治活動やアルバイトでの経験から、多くのことを学んでいる様子も微笑ましく読んだ。人間はどんな場面からも何かを学び取ることができる生き物だ。朝から晩まで勉強漬けになるより、少なくとも色彩豊かな世界を楽しめる人間になってほしいと、私も思っている。

 開成時代に見知ったお母様方の中には、常識的に見てトンデモな方々も多々登場するけれど、本書を読んで、開成中高のイメージは私の中でずいぶん脈動するようになった。結局、田丸さんご自身が息子さんの中学受験を決意したそうだが、ある種、経歴のブランド獲得合戦のようにもなってしまう教育方針決定の最中でも、常に客観的でいられる様子に好感を持った。繰り返し、“子育ては百人百様”と書かれているのも、二十数年の育児実人生からの実感なのだろう。試行錯誤の真っ最中の私は、まだそこまで開き直ることもできないが、自分なりによくよく考えて暗中模索していくしかないんだな、と腹が据わった感じがする。
 ユウタ君は実によくできたお子さんなので、実際の場面で役立つことはあまりない気がするが、放任しつつ締めるところは締める見事な手綱さばきには、あやかりたいなぁ~と思った。参考にしたいのは、“あとがき”にあった一文。
―――「いつもお前のことを見ているよ」「お前のことを大事に思っているよ」というメッセージだけは、折にふれ、伝えるよう努力してきたつもりだ。―――
私も、この2点だけはいつでも自信をもって言えるように、おおらかに構えていたい。

| | コメント (2)

2008年12月18日 (木)

『彼女について』

Banana20081215  夫が珍しく吉本ばななさんの本を買ってきたので、私も拝借して読んだ。前半半分くらいまでは「どうしてこんな悲しい話を書くの~??」と思いながら読んでいたけれど、後半は離すに離せずに一気読み。彼女の本は『キッチン』以来かもしれないのだが、切なくて気味悪いながらも、不思議な読後感。死後の魂の漂いとか、魔性の取扱いとか、成仏することとか、そんなオドロオドロしい非日常的な世界を前に、現実を淡々と丁寧に生き、何かを大切にしながら慈しみ続けることの幸福感が強調され、人の弱さとか強さとか混沌とした内面に対峙させられる感覚。最近こういう小説は読んでなかったなぁ。揺れる青春時代なら、もっと感じるところがあるのだろうけれど、現実どっぷりの今、吉本ばななさんの物語は私には幻想的に過ぎる。むしろ「こんな話をよくここまでキレイに書けたな」というのが率直なところだ。きっと、世の中をとても優しい眼差しで見つめている人なんだろう。批判とか非難ばかりが頭をもたげがちな最近の自分を反省させられもする。
 おいしい珈琲が飲みたくなった。

| | コメント (0)

2008年12月14日 (日)

『戸塚教授の「科学入門」――E=mc^2は美しい!』

Totuka  2008年のノーベル賞授賞式が行われた10日翌日、『戸塚教授の「科学入門」』を読了。小柴先生のお弟子さんであり、小柴→小林・益川というノーベル賞受賞の流れの本流にいた人だと思う。
 私がおもしろく読んだのは、巻頭の「最後のインタビュー」と、巻末の「宇宙と素粒子」。恐れながら、肝心要の、戸塚先生がブログで書き溜めた「科学入門」は、“おもしろい”というよりも、「科学者って世界をここまで系統的・数量的に見ているものかなぁ」という印象の、“戸塚教授の世界観”のようなものだった。
 それにしても、19世紀末から20世紀というのが本当に科学にとって華やかな時代だったこと、今後に残された課題というのはどれもあまりに壮大希有だということ、そんなことを実感させられた。また、宇宙の星々やら地上の生物やらという“物質”は、もしかしたら、宇宙膨張の過程で消滅すべきところでのCP対称性の破れによる“残りカス”みたいなものなのか??とも思えた。戸塚先生の残された言葉に感化されて、若い人がたくさん、この流れに乗り込んできてくれるといいなぁ。

| | コメント (0)

2008年11月23日 (日)

『CODE ver2.0』

V2code  とても難しい本だったので、ずいぶんと時間がかかってしまったが、ようやく読み終えた『CODE version2.0』。感想自体もひどく堅苦しい書きっぷりになってしまうけれど、せっかく読破したのだから、書くだけは書いておこう。。。
 突貫工事で作られたんだなぁ、とタイトな制作期間が気の毒に感じられる本書。かなりの数の校正漏れがあるが、興味深い内容がそれを補って余りある!
 法律の門外漢である私だが、法を“作り出す”ことは、数学の公理を“見つけ出す”よりももしかしたら厄介な仕事かも、と思わされるほど、“規制”をめぐる根本的な議論がなされた本だった。レッシグ氏の言う4つの規制――“法”“規範”“市場”“アーキテクチャ(コード)”――アメリカの憲法起草者たちの並々ならぬ公正さと想像力をもってしても、現代のこの4つの“規制”力の変化は予期できるものではなかったらしい。確かに今、サイバー空間を含めた世界の在り方を見据え、社会のさまざまな規制を“翻訳”し直す時期かもしれない。著作権を含む知的財産権、プライバシー、言論の自由――これらが皆、ネットというグロ-バルメディアの力で在り方を変えている。これからの世代が、この変化に対応する翻訳を選択していかなければならない。
 レッシグ氏は言う。サイバー空間にいるとき、人はいつも実空間にもいる。法にとっての今後の問題は、規範が適用される人物が同時に二ヵ所にいるとき、両方のコミュニティの規範をどう適用するかを考えることだと。なんだか量子力学っぽい。量子力学では、“光は粒子でもあり、波でもある”という風に受け入れているけれど、現実世界でのこの「再審理主義」のような類は、“どっちつかず”の価値観としてなかなか受け入れられない。言語的な孤島に住む日本人には実感が薄いが、フランスでは非合法なナチスグッズをヤフオクで競り落とすフランス人や、アメリカでは非合法なテレビ番組のストリーミングサービスを提供するカナダのiCreativeTVの例を見れば、この難しさは一目瞭然。これまであった国際法の組織間紛争の観点では解決できない個人レベルでの主権争い。
 また、サイバー空間に限らず、現代は規制構造をあれこれいじる力がかつてないほど高まった時代に突入しつつあるという。にもかかわらず、多くのリバータリアンは“傍観する”“何もしない”道を選びがちだと。レッシグ氏は夢想する。真に民主主義がうまく機能すれば、理性が理性を導けるはずだと。
 上記の主権争いや、今後巻き起こるであろうサイバー空間をめぐる各種係争についての具体的な解決策は何も示されていないが、それらの問題の土俵と、語るべきポイントの枠組みのようなものを、随所で与えられた本だった。「規制」とか「民主主義」ってものを、もっと真面目に考えなくちゃな、と思わされた。

| | コメント (0)

2008年11月 1日 (土)

『言葉を育てる』

Yonehara20081031  本屋をブラブラしていてふと手にとった今は亡き米原万里さんの対談集『言葉を育てる』を一気読みした。いつから彼女のファンになったかは覚えていない。傍若無人、抱腹絶倒、八面六臂、博覧強記、それでいてとても生真面目。文章でしか触れたことのない人なのに、不埒なことをしたり考えたりすると、万里さんに一喝されそうな気がしている。
 本書は、小森陽一氏、林真理子氏、児玉清氏、西木正明氏、神津十月氏、養老孟司氏、多田富雄氏、辻本清美氏、星野博美氏、田丸公美子氏、糸井重里氏との各種媒体での対談を一冊にまとめたもの。あちこちからの再録のため、繰り返しも多いけれど、面白く読んだ。「樵(きこり)のような男が好き」と書いてあったけれど、具体的にどんなタイプかがいまひとつわからない。万里さんのお父様がどんな方だったのかに興味津々だ。
 亡くなってからもこの勢いで本が出続けるというのはスゴイことだが、それだけ彼女のエネルギーが半端でなかったということだろう。巻末の「素顔の万里さん」では涙がこぼれたが、本文中では笑ったり吹き出したり神妙になったり怒ったり驚いたり……何より「日本の教育はこのままじゃあかん!」と思わされた。『言葉を育てる』というタイトルだったけれど、私の中では『インタープリッタはタタカッタ』ってなイメージだったな。どなたか知己のある方による『万里の武勇伝』に期待したい!

Ginger20081030  万里さんのボルシチは相当おいしかったらしいが、私は料理はからっきし。それでも最近は時間があるせいか、夫にも息子にも「ママ、料理うまくなったんじゃない?」とか言われる。(そりゃ~、心の余裕と時間があれば誰だってこれくらいはできるんだい!)――ということで、本書を読みながら、友人に教わった生姜の佃煮をグツグツ煮ていた。なんのことはない、薄切り生姜をしょうゆと砂糖で煮込み、鰹節とむきゴマとプルーンで和えるだけ。カンタンだけれど身体がものすごく喜ぶ一品。
 この連休は、中学の文化祭を一つ見学した後、実家で過ごす予定。事故ったプラドは修理完了したが、下取りに出すことにしたらしく、この連休が乗り収めとなるらしい。

| | コメント (0)

2008年10月30日 (木)

『経済ってそういうことだったのか会議』

Oikonomikos  単行本の刊行時から面白そうだと思っていたのだけれど、このほどその文庫本が平積みになっていたので早速手に取ってみた。アメリカ経済がこんなことになって、ポール・クルーグマンがノーベル経済学賞を受賞した今読むと、なんとも考えさせられる。このタイミングで大増刷したらしき日本経済新聞社に拍手!
 私は基本的に、本書の著者の一人である佐藤雅彦氏と同じく、“経済”なんてものはどこか胡散臭い…という思いで眺めているド素人だけれど、economics(経済学)という言葉がギリシャ語のoikonomikos(共同体のあり方)という言葉から来ていると聴いて、フム、と思った。全10章からなるこの本、どの章を取っても、それだけで十分いろいろ勉強になる。竹中平蔵氏はこれまで、私の中ではどうも小泉政権と一緒くたになって、経済至上主義の世の中を作った悪しき政策者のように映っていたのだけれど、佐藤氏の素朴な質問に丁寧にわかりやすく応えている紙面からは、そんな思いを払拭させる研究者魂を感じた。大学生の頃、こんな先生に経済について説いてもらっていたら、ちょっと世界を見る眼が違っていたような気がしたし、終章で竹中氏がどうして経済学者になったかというエピソードを読んだら、単純に彼が好きになった。
 とはいえ、やはり不確実性に色濃く支配された経済の動きは、私にとってはわからないことだらけ。各章ごとに、質問山積みだったが、中でも一番気になったのは、“グローバル化された社会で、通貨主権はきちんと温存されているのか?”ということ。一国が通貨を持つ最大の意義は、政府が市場に介入してコントロールを利かせられるからだ、と書いてあったけれど、これだけ経済取引が電子化・グローバル化された昨今、その意義はちゃんと機能しているのかが疑問だ。
 今現在のグローバリゼーションについて、佐藤氏はやや悲観的、竹中氏は前向きに見ているように読めたが、私も最近は、人が世界を知ってしまった以上、もうこの動きを逆に動かすのは無理なんだろうな、とは思っている。ただ、だからこそ、それこそ世界中で「共同体のあり方」についてきちんと議論しなくちゃならないんだろうな。世界に出ていって議論できる政治家や官僚って、どのくらいいるんだろう?
 竹中氏の老後の楽しみの一つが、今回の本のような易しさで、小学生や主婦に対して“世の中”について語っていきたい、ということだそうだ。そういうの、いいなぁ~。

| | コメント (0)

2008年10月24日 (金)

『コモンズ――the future of ideas』メモ

Commons ローレンス・レッシグ氏は、サイバー空間とアイディア空間の環境保護活動家のようだ。コントロールすべきものと、コントロールすべきでないもの(正確には、コントロールを最小化すべくコントロールすること)とのデリケートなバランスを模索しつつ、可能な限り、イノベーションにオープンな社会を求めている。
 本来コモンズ(共有地)であるはずの地上が、私有地に切り分けられながらも、公道や公園といった人が自由に行き来できる場を残すことで、私達は散歩ができ、休息でき、イマジネーションを膨らませることができるのと似ている。

 私が最初に“アイディア”について思いを馳せたのはいつだったろう? 自分が頭の中で考えていたことが、ある本にそっくりそのまま書かれているのを眼にしたり、無意識に口ずさんでいたメロディが、突然ラジオから流れてきたのを耳にしたり……「あれ? 私のこのアイディアは、一体誰のものだろう??」――― そんな風に感じたことはないだろうか? “知的財産”なんて堅苦しい言葉でなく、生まれ落ちて成長する過程で、そりゃー数多くの“先人の知恵”に触れる。自分の頭から出てくるアイディアは、こうした先人の知恵の土台の上にチョコンと乗っかったミカンみたいなものだ。でも、時折、ものすごく画期的なアイディアを産む人というのがいる。特許制度というのは、そういう画期的なアイディアに敬意を表して、ある一定期間は独占的に、その人にそのアイディアの起源を保証することだと思っていた。
 けれど、現代の特許制度は、かなり違った形に進化しているとレッシグ氏は言う。特に、ソフトウェア特許とビジネスモデル特許、そして著作権の拡大。せっかく、広大なコモンズを提供できるインターネットというサイバー空間が生まれたのに、時代はどんどん、そのコモンズを狭め、すべてを私有地化する方向に動いているというのだ。サイバー空間を豊かにしてきた人の多くは、ネット空間が私有地化されることを望んでいないのに、権益を守りたい巨大な旧勢力によって、新しい空間ががんじがらめのコントロール下に置かれようとしている。

 私自身、ミッキーマウスのポルノは見たくないし、iPS細胞の国際特許で日本が潤ってくれたらと願いもする。でも、本書を読んでみて、コントロールのしすぎはイノベーションを阻害するということには強く納得した。とても広範で難しい問題なので、私ごときが大した感想も述べられないのだけれど、本書で最も感動した部分を抜粋して、メモとしたい。(アメリカ初の特許庁長官、トマス・ジェファソンの言葉……P.154より)
―― もし自然がその他すべてのものに比べて排他的財産権の対象となりにくいものを作ったとすれば、それはアイデアと呼ばれる思考力の行いである。これは、その人が自分一人で黙っている限り、独占的に保持できる。でもそれが明かされた瞬間に、それはどうしても万人の所有へと向かってしまう。そして受け手はそれを所有しなくなることはできない。またその特異な性格として、ほかのみんながその全体を持っているからといって、誰一人その保有分が少なくなるわけではないということだ。私からアイデアを受け取ったものは、その考え方を受け取るけれど、それで私の考え方が少なくなったりはしない。それは私のろうそくから自分のろうそくに火をつけた者が、私の明かりを減らすことなく明かりを受け取ることができるようなものだ。人類の道徳と相互の叡智のために、そして人間の条件の改善のために、アイデアが人から人へ世界中に自由に伝わるということは、自然によって特に善意をもって設計されたようで、それは火と同じく、あらゆる空間に広がることができて、しかもどの点でもその密度は衰えることがない。またわれわれが呼吸し、その中を動き回り、物理的存在をその中に置いている空気と同じく、閉ざすことも排他的な占有も不可能になっている。つまり発明は自然の中においては、財産権の対象とはなり得ない。――

| | コメント (0)

2008年10月16日 (木)

『容疑者Xの献身』

X20081015  発熱して翌日には元に戻った息子を、あまりはしゃがせないように見張りながら、『容疑者Xの献身』を読了。以下、ネタバレの独断感想なので、未読の方はこのブログはお読みになりませぬよう――。
 読み終えて、私には二つの納得できないことが残った。一つは、石神氏のような人が、そうそう自殺などは考えないのではないか、ということ。もう一つは同じく石神氏のような人が、瞳が美しいからといってただその一瞬で、思いつめた自殺を留まり、しかもそのまま恋に落ちてしまうものだろうか、ということ。この二つの私の疑問に説得力をもたせるには、もう少し花岡親子の心根の美しさを象徴するようなエピソードが欲しかったな、と思った。恋心を至高の愛にまで昇華させたのは、その後の日々の営みの重なりからかもしれないが、それにしても、ここまでの無私の愛情を描くには、ちょっと花岡靖子という人の魅力の表現が足りなかったのではないかと思う。私がもし東野さんの担当編集だったら、きっとこの二点で喧嘩になったろうな、と思った。だってだって、残り三分の一くらいの頃から、「ああ、石神さんはどうして花岡さんのことをここまで好きになったんだろう?」というその一点だけが私の頭をグルグル回っていたというのに、「何という奇麗な目をした母娘だろうと思った。」で片付けられてしまったのだから。私はてっきり、彼が恋に落ちるシーンで終わるものだとばかり思っていた。この愛の深さこそが、この本のテーマなのにぃ~。それに、数学の美しさと芸術の美しさが同等のものだっていうのは、数学を志すような人はとうの昔に感じてることだろうし、それと人間の愛とはちょっと次元が違うような気がするんだけどなぁ……とはいえ、一目惚れというのは確かにあるし、それが劇的な運命であることもあるわけだから、一概に非難もできないけれど……。
 それでも、腰巻のキャッチそのままに「謎解きの戦慄と物語の感動」は大いに味あわせてもらった。今回のガリレオ先生は、物理の何かしらの原理原則にまつわる謎解きは一切せずに、論理というよりはシックスセンスに偏っていたのも、他のガリレオ作品とは毛色が違った。
 もう一つ余計な感想。学生時代、私はよく「刑務所に入れたら、雑事に煩わされずに一つ事に集中できるのになぁ」と考えていた、と夫に話し、「だから、石神さんは高校教師をやめて刑務所に入る方が、仕事に専念できてよかったんじゃ?」と訊いたら、「はぁ~?!」とあきれられ、そんなこと考えるのは私くらいだと言われた。そんなもんかなぁ???(石神氏の本当の真の目的は“純愛”でも“献身”でもなく、実はこっちだったりして…とか思い、これぞ本格ミステリー!!!と舌を巻いたsweat02

| | コメント (0)

2008年9月 3日 (水)

『中学受験 合格パスポート』

Passport20080902  数ヶ月に一度、ミキプルーンを送ってもらっている友人から、プルーンの健康資料と一緒に『中学受験 合格パスポート』という本を送ってもらった。さいたま市の南区に住むこの友人は、3人の男の子のお母さんだが、そのうちの一人がこの本の著者が運営する「花まる学習会」という塾に入っており、もうすぐ受験なのだそうだ。
 本には、中学受験に臨む際の親の心構えや、ケースバイケースとしての事例紹介などが書かれており、興味深く読んだ。「志望校選びは100%親の仕事」とか、「母親の『のんびり』に最悪なし」とか、「『受かればいい』では本当の実力が伸びず」など、目次立てを見ただけでも関心をそそられる項目が並ぶ。ゲームやテレビ・マンガに対するスタンスの解説はちょっとショックだった。――テレビゲームで息抜きしながら難関校に合格した子もいますが、私自身は禁止した方がいいと思います。一般的には、合格まではゲームはお預けにするのが成功した人たちのスタイルです。最初から買い与えない家庭も多いですね。マンガもいりません。そもそも上位を狙う子たちは、そういうものに興味を持ちません。――とは。。。とほほ。。。私自身は、活字だけの本もマンガも、それぞれの価値があると思っているから、この点は、著者の高濱先生とは意見を異にしていた。去年まで登校班でお世話になっていたお兄ちゃんは、この4月から早稲田実業中に元気に通っているが、そのお母さんはとても鷹揚な人で、「ゲームで息抜きできれば、いいじゃな~い」と以前話していた。何事も親の考え方次第、向き不向きもあるから、こうした本は適度に参考にするしかないわけだが、“受験までに学ぶ量は膨大で、普通なら溺れてしまうほど”という表現どおり、この著者も家庭学習は必須と書いていた。ここまで家庭学習ほぼゼロ時間の息子の意識改革、5年生の春か、6年生の春か、はたまた改革せずに公立に進むか、、、悠長に構える親を尻目に、時は進む。。。

| | コメント (0)

2008年8月15日 (金)

『死神の精度』(Accuracy of Death)

Accura20080811  先の本屋さん大賞を『ゴールデンスランバー』で受賞し、直木賞を辞退した、話題の伊坂幸太郎さんの『死神の精度』を読んだ。夫が読み終えて積んであった文庫本の中からつまみ上げて、という失礼な出会いだったのだが。。。とても面白く拝読した。
 初めて読むこの著者が、法学部出身で、システムエンジニアの仕事から小説家になったということに、まず驚いた。法律文ともプログラムともおよそかけ離れた、印象的な比喩の多い文体。ミステリーともファンタジーとも純文学ともつかない、国籍不明な村上春樹系譜のノーボーダーな雰囲気。テレビで見た伊坂さんは、頑固だけれど誠実で、はにかみ屋でもある印象だったが、ストーリーや文章にも、そんな彼の人となりの匂いがあった。時空超越版「パルプフィクション」のような、見事なオムニバスだった。
 最近の息子の口癖「誰でもみんな、いつかは死ぬんだよ」が、こんなところでこんな作品になってたぁ~!というシンクロニシティ。「“どうぶつの森”って永遠に終わりがなくて、いつかは飽きちゃう」という息子周辺の子どもたちのつぶやきにも納得の一作。人生にはいろんな死があるけれど、人生がちょっとだけ“眩しく嬉しく”感じられる一冊だった。(英文タイトルの方がしっくりくるのが不思議……)

秋期試験まであと65日

| | コメント (0)

2008年7月26日 (土)

『手紙』

Letter20080725  東野圭吾さんの『手紙』を読んだ。これを原作にした映画が製作された直後、その映画を刑務所の受刑者達に見せたというニュースを見た。スクリーンに向かう後姿が映されていたが、むせび泣いている人もいたように記憶している。
 重い話だった。弟の進学費用を工面しきれず、不幸にも強盗殺人を犯してしまう兄。そんな兄の罪の前に人生のあらゆる機会を奪われていく弟。罪を犯した人と被害者、その親族、そして彼らを取り巻く世間――― どの立場にせよ、当事者意識をもって考えるのが非常に難しく、どう処していくのが正しいのかもわからない問題。
 井上夢人氏の解説にもあるように、全編にわたってジョン・レノンの「イマジン」が通奏低音のように響き、東野さんの“本当に、差別や偏見のない世界なんて実現できるんだろうか?”という悲しい溜息が聞こえてくるようだった。
 毎朝毎朝、テレビをつけると流れてくる数々の事件報道。その一つ一つに、何かしらの背景があり、取り巻く世界がある。現実は、小説よりももっともっと重苦しいものだろう。
 本書と並行して読んでいたマンガ「NARUTO」にも“つながり”というキーワードがあったのだけれど、『手紙』では別の視点で“つながり”というものの意味を考えさせられてしまった。

秋期試験まであと85日

| | コメント (0)

2008年7月 9日 (水)

『地球と一緒に頭も冷やせ!』

Coolit20080708 Romborg20080708  友人のK氏から『地球と一緒に頭も冷やせ! 温暖化問題を問い直す』を送っていただいた。デンマークの政治経済学者ビョルン・ロンボルグ氏の著作第二弾の翻訳本だ。洞爺湖サミット開催に合わせたグッドタイミングにて。
 私がロンボルグ氏を知ったのはいつだったろう? レイチェル・カーソンとか立花隆氏とかが時をずらして環境問題を世に問うていた頃は、当然知らなかった。二十一世紀に入ってから、ごく最近改めて環境問題が切実に気になってきた頃、『環境問題をあおってはいけない』という本が出た。おそらく、その著者として知ったのが初めてだろう。
 これは、読書人としてあるまじきことかもしれないが、初めてロンボルグ氏のモノクロ写真を見たとき、とっさに「あ、ハイゼンベルグに似てる!」と思った。なにせその当時は、ハイゼンベルグとアインシュタインの写真を常に手帳に挟み込んでいるくらい心酔していたのだ。ある時、それを人に見られて大笑いされて以来、挟み込みはやめてしまったが(苦笑)。今思えば、ハイゼンベルグの方がずっと男前なのだけれど、“コペンハーゲンにいる”ということと、“世界をできるだけ冷静に正確に見ようとしている”ということから、なんとなくハイゼンベルグとの共通点が多い気がして、いつしかロンボルグ贔屓になっていた。
 彼の一作目『環境問題をあおってはいけない』は、そりゃーもう、ものすごいデータ量で、精読するには相当骨が折れる(というか、精読できている人はほとんどいないのではないかと推測する、かくいう私も含め)。それに比べて今回の『地球と一緒に頭も冷やせ!』(原題Cool It !)はかなり読みやすそう。訳者は一作目同様山形浩生氏で、私は彼の桁外れのバイタリティにも傾倒しているのだけど、「論座」の7月号で本書に触れた文章は、ご自身の本業と温暖化騒ぎとを引き比べて、等身大で検討している様子に好感が持てた。山形氏の「訳者あとがき」が楽しみで、つい先に読んでしまったのだが、ロンボルグが経済学者であることを、環境問題議論の当事者としてふさわしくないという非難を一蹴する部分に同感した。また、ホッキョクグマの個体数に関するグラフについて書かれた箇所にも、大きくうなづいた。私は基本的に、“まだまだ実のある議論をするにはデータ不足”という立場なのだけれど、ロンボルグ氏は、“今ある専門家からのデータを信頼した上で、効果的な対策を議論したい”という立場なので、そういう意味でのデータの見方には隔たりがあるのかもしれない。ただ、いくらデータ不足でも、今あるものをある程度信じて議論しなければ何も始まらないのも確かなわけで、サミット・ウォッチと並行して、じっくり読ませていただきたいと思う。
 そういえば先日、ネットサーフィンしていたら、文部科学省がここ数年「地球観測システム構築推進プラン」というのを提唱して、研究プロジェクトを公募しているのを知った。その応募案をざっと見るだけでも、まだ地球観測は端緒についた段階なのだと推測できる。そういう中での温暖化対策議論であることを、しっかり踏まえるべきだと思う。

秋期試験まであと102日

| | コメント (0)

2008年6月29日 (日)

『TCP/IPの絵本』

Tcp20080627  ここ二、三日で『TCP/IPの絵本』という本を読んだ。活字ばかりでネットワークの説明を読んでも、どうにも感覚的によくわからず、“絵で見てわかる”的な本に手が伸びたのだ。実際、文字よりも絵の方が多いくらいの、ごくごく初心者向けのネットワーク解説本だったが、物理層からアプリケーション層に至るデータの受け渡しの様子は直感的によくわかった。各章の章末にコラムがあるのだが、その一つに「世界初のWebページ」というコラムがあった。1989年にCERN研究所のTim Berners-Lee博士らによってWWWサービスが提唱され、1990年に世界初のブラウザが開発されたと書いてあった。当時はまだ白黒で、文字のみのシンプルなものだったそうだ。…「えっ?1990年?…ほんの18年前?」――― ネットワーク技術の進歩って、ほんとにすごいんだぁ! 今や、携帯電話でインターネットを見るのも当たり前、家電も続々ネットワークにつながれつつある。補正したり増幅したりしながら、網目のように分岐したネットワークの中で、効率的なルートを探しながら進むパケット……このブログが誰かのブラウザ上に表示されていることとか、メールが一瞬で友達に送れることとか、そんな今では当たり前のことが、数々の地道な手続きの上に成り立っていることを実感した。

秋期試験まであと112日

| | コメント (1)

2008年6月13日 (金)

『さいえんす?』

 東野圭吾さんの『さいえんす?』というエッセイ集を読んだ。“ダイヤモンドLOOP”や“本の旅人”といった雑誌に連載されていたものをまとめた文庫だ。世間の様々な事象を理系目線で綴ったものが多くて、サラリと面白く読んだのだが、その中に一つ、私にとって感動的な話があった。
Victor20080612  ビクターのトレードマークが、図のような犬と蓄音機の絵であることは周知のことだろう。私が小さかった頃、父がビクターの音響機器を買ったときだと思うが、この犬の陶器製のミニチュアを特典か何かでもらった。そのとき、私はそれが痛く気に入ってしまい、ついには父から譲り受け、それ以来大切にしている。何度かの引越しで、今は右足の先が欠けてしまっているのだが、依然として私の大切なものの一つだ。
 数年前、アニメーターの佐野浩敏さんのお宅にお邪魔した際、何体もの“ビクター犬”(私は勝手にそう呼んでいた)が部屋に飾られていたので、「あ、私もこの犬、好きなんですよ」と言ったら、佐野さんは「ああ、ニッパーね。僕も大好き」と言っていた。そのとき、(へ~、ニッパーっていうんだ…)と内心思ったが、そのままそれっきりになっていた。
 で、東野さんの本の中に、「四十二年前の記憶」という一つのエッセイがあったのだが、それがまさに、このニッパーにまつわるものだったのだ。東野さんが五歳の頃、白黒テレビでたまたま観たアニメがあり、それがずっと忘れられずにいたという。そのアニメは、ビクターのトレードマークになっている犬が、かつてのご主人の声が流れてくる蓄音機に耳を傾けるようになるまでの顛末をショートストーリーで紹介したものだったらしい。なかなか素敵な小品だったので、東野さんは誰彼となくその話をするのだが、誰もそのアニメのことを知らないので、そのうち忘れてしまっていたという。それを、ひょんなことから改めてある編集者に話したところ、彼の知り合いがビクターに勤めているので調べてみてくれることになったのだそうだ。で、出てきた! その四十二年前に放送された白黒アニメが! その映像は、東野さんの記憶とはずいぶん違っていたそうだが、ようやくこれで、もやもやとした単なる思い出ではなくなったわけだ。
Nipper20080612  私はこの話を読んで、五歳の頃の記憶を大切にする東野さんがますます好きになったし、同じニッパーにどことなく惹かれ続けていたという点でも親近感を持った。単細胞の私は、ビクター犬の由来などに思いを馳せることもなく、ただ“なんとなく愛着が湧く”というだけの理由で身近に置いていたのだが、この犬の絵のタイトルが“His Master's Voice”というものであり、そこには忠犬八公のようなエピソードも隠れていたということを知り、私の宝物が一層輝きを増したような気がしている。
 ちなみに、「HMV」というCDショップの名前は、この“His Master's Voice”の省略形だそうだ。どういうわけか手放せない記憶とか品物って、誰にでもあるよね。

「成績照会公開日まで、あと4日」

| | コメント (0)

2008年6月12日 (木)

『ほんとうの環境問題』

Eco20080610  『ほんとうの環境問題』を読了。といっても、書き下ろしはII章だけで、I章は雑誌からの流用、III章は対談をテキスト起こししたものなので、さらりと読めてしまった。書店で見かけた『iPS細胞ができた!―ひろがる人類の夢 』の文字の大きさにもびっくりしたが、最近は本当に、サクッと読めてしまう本が増えたなぁ。
 で、池田&養老両氏の本だが……まぁ可もなく不可もなく。すでに養老さんの考え方は私なりに把握しているつもりだし、池田さんという方の本は読んだことがなかったけれど、『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の武田邦彦氏の意見を引用している部分が多いことから、およその方向性は掴めた。そんな折、息子の塾から「ecoんくーる」という温暖化防止アイディア募集のパンフが配られた。以下、私の個人的なアイディアを一つ(^^;;;。

Eco20080611  虫好きのお二人の放談、面白く拝読しました。環境問題がきわめて政治的な背景を持つことは痛いほどよくわかりますが、今後、地球規模のこの問題をきっちりと考えるためには、まだ圧倒的にデータ不足、というのが私の見方です。温暖化もIPCCの予測も、何かをシミュレートできるだけのデータがないまま、ザルのようなメッシュで地球を単純化しているのではないかと思うのです。そこで一つ提案! SETI@homeの環境観測版とでもいうようなシステムを、世界中の有志で作る、というのはどうでしょう? miniSDやUSBメモリに装着できるような環境観測キットを作り、それを携帯やPCにつないで、日々各所の気温や湿度や気圧、空気成分分析などのデータを蓄積するんです。GoogleEARTHと地球シミュレータを合体させたような感じで、せめて1Kmメッシュ、6時間単位くらいでデータを蓄積していく。これを100年くらい続けたら、かなり面白い分析も可能になってくるのではないかと思うのですが……レコーディング・ダイエットではないけれど、毎日毎日こうしたデータ収集に精を出せば、自ずと環境に配慮した暮らしをするように意識改革されるのではないかとも思います。まぁ、音頭を取ってシステムを作りあげるのは至難の技かと思いますが、純粋に地球のことを考えるなら、国益とか損得とかで人の懐を忖度する前に、過去の地球がどうこうではなく、“今現在の地球”を正確に観測することが大切なのではないかと思います。

――― ところで、二酸化炭素排出量の算出方法すら知らなかったので、Web検索してみたら、おもしろいページを見つけた。計算機のカシオのページらしい。このページの、「環境の計算→地球温暖化」のところに、自動算出のフォームがある。排出量は単純に、燃料を燃やした際の炭酸ガスの量なのだろうが、排出量取引って、どのくらい厳密にできるもんなんだろう?

「成績照会公開日まで、あと5日」

| | コメント (0)

2008年5月26日 (月)

『暗号解読』

Code20080525  サイモン・シンの『暗号解読』を読み終えた。いくつかの暗号の仕組み解説には冗長な部分もあったものの、面白さは『フェルマーの最終定理』に引けを取らなかった。BBCの十八番かもしれない“時系列順の俯瞰”は完璧だ。今回も、古くからのさまざまな暗号と、それに関わった人たちをドラマティックに紹介し、暗号作成者と暗号解読者のイタチごっこの歴史が興味深く描き出されている。何より、戦争の陰で活躍した、功績を称えられることなく世を去った多くの関係者の存在が胸を打った。
 そして秀逸だったのは、アリス&ボブとイブによる暗号文のやりとりで考察する、二十世紀になってからの共通鍵暗号方式と公開鍵暗号方式のVI章!! この章を読むだけで、インターネット時代の現在、いかに公開鍵が貴重な存在であるかが、身にしみてわかるだろう。情報処理試験でもたびたび登場するDESやRSA暗号だが、こんなドラマから生み出されたことを知っていれば、もう少しは楽しんで問題に臨めたかもしれないなぁ、と思った。何気なくamazonで本を買い、銀行口座の情報をブラウザのフォームに入力してしまう昨今、その裏では必ず暗号が働いてくれている。大きな桁数の素数が掛け合わされ、私の個人情報を守ってくれていると思うと、不思議な気持ちになる。
 それにつけてもショックなのは、学生時代、まだワークシェアリングとかでコンピュータを使い、インターネットなど知るよしもなかった頃に、すでにアメリカの大学では、優秀な何人もの人たちが、いずれくるe-Tradeの日常を見越して、暗号作成の方法を考え続けていたということだ。今でこそ、アメリカと日本の差はそう大きくないと思う(思いたい)が、ほんの2,30年前には、ものすごい時差があったのかなぁ? 残念なことに、今回の本では日本人の活躍は何も紹介されておらず、唯一、オウム真理教がRSA暗号を使って秘密情報をやりとりしていたことに触れられていた。犯罪組織の暗号使用は日常茶飯事のことらしく、盗聴や解読が困難になる暗号技術の発展は、警察組織にとっては迷惑なことのようだ。けれど、ここまでインターネットが発達した今、個人情報の保護はごく普通の人たちにも必須なことは確かだろう。
 最後の、量子暗号の解説では、私のヒーロー、ハイゼンベルクにも触れられていたが、紙幅が足りなかったせいか、やや物足りない感じがした。最新の話題を終章で紹介するには、量子力学の世界はあまりにも現実離れしているのかもしれない。個人的には、暗号にとって根本的な弱点だった鍵配送問題が、非対称な一方向関数という純粋数学の助けを借りて公開鍵の発明につながり、RSAやPGPの実用化に至った過程を知ることができただけでも十二分に面白く価値ある読書だったと言える。

「成績照会公開日まで、あと22日」

| | コメント (2)

2008年5月22日 (木)

『草手帖』

Zassou20080521 本屋で、なにやら素敵な本を見つけた。かわしまよう子さんという方が書いた『草手帖』という本。Catalogue of Wild Flowersという副題の通り、オオイヌノフグリとかナズナとか、どこにでもある普通の雑草40種について、癒し系写真とともに独特のエッセイが綴られている。昨日の午前中は、この本をパラパラとめくりながらハーブティーなぞ飲んで、なんともコジャレタ雰囲気を醸しつつリラックスした。
 著者のかわしまよう子さんとは、どんな人だろう?と思ってホームページを探したら、これまたいかしたページを見つけた。ここまでシンプルなホームページは、見たことないぞ(奥の方にはたくさん文章があるんだけどね)。おしゃれなんだけどワイルドでもあり、いい感じだ。このホームページみたいなつつましやかな暮らしをすることが、私の老後の希望かな(笑)。何物も囲まず囲まれず、“自然の中にただ在る”ような暮らし。あこがれの自給自足暮らしに、スタイルという新たな要素を加えてくれる一冊だ。

Bug20080521  が、しかーし、自然や草花に虫はつきもの! 今、我が家の椿は、ガの幼虫らしき毛虫の大群で大変なことになっている。。。自然に囲まれるってことは、虫にも囲まれるってことなんだよな~(泣)

「成績照会公開日まで、あと26日」

| | コメント (1)

2008年5月13日 (火)

『フェルマーの最終定理』

Fermat20080513

 買い置いてあった『フェルマーの最終定理』を一気に読んだ(今頃!?)。ちょうど昨年、「ポアンカレ予想」解決にまつわる翻訳本のラッシュがあり、『博士の愛した数式』のヒットなどもあって、巷には軽い“数学”ブームもあるようだ。本書が、これらのブームに一役も二役もかっていることは確かだと思う。
 きわめて長大難解な数学の歴史と発展を、アンドリュー・ワイルズの「フェルマーの最終定理」証明を軸に、よくぞまとめてくれた!と拍手喝采である。素粒子物理を研究していたという著者のサイモン・シンが、どれくらいの資料やインタビューと格闘したのかはわからない。しかし、彼自身がワイルズの試行錯誤の思考経路を疑似体験し、はるかギリシャ時代から、現代のコンピュータ時代までの数学をたどる旅を、大いに楽しんだことが窺われる。ワイルズの証明には、谷山豊と志村五郎という日本人数学者も大きな役割を果たしているが、私は志村氏が語った「“良さ(goodness)の哲学”から生まれた数学」という言葉に打たれた。また、「数学界が依存する“自主管理制度”」にも、真なる数学者を象徴する“潔癖・高潔”な精神をみた。
 多くの読者は、巻末近くの「ケプラーの球体充填問題」や「四色問題」は蛇足だったと感じているようだが、私はむしろ、これらが加えられていることで、数学の“証明”の厳密さや美しさが際立ったのではないかと感じている。最近はどんな学問分野でもコンピュータの利用は当たり前になっており、数学界でもその流れはあるという。ただ、本来は紙と鉛筆で論理の流れを追うべき数学で、コンピュータによる力技や、ブラックボックス的な飛躍を抱えたままの証明が主流になることに懸念を示す声も紹介されていた。紙と鉛筆の世界でさえ、その論理を間違いなく追える才能は限られているのに、そこにコンピュータが加わったのでは、今後の数学の検証というのは並大抵のことではないなぁ、、と感じた。
 それにしても、ディオファントスの『算術』という書籍の“継承”が、ここまでのドラマを産んでいるわけで、時代も地理も言葉も超えた書籍の力の“継承力”に、人類の英知の蓄積のものすごさを実感せざるをえない。

 サイモン・シンの『暗号解読』は、本書から派生して書かれたものに違いなく、次なる読書が楽しみで仕方ないが、、、勉強が進まないなぁ。。。(汗)
「成績照会公開日まで、あと35日」

| | コメント (0)

2008年4月17日 (木)

『塾不要 親子で挑んだ公立中高一貫校受験』

Book20080417

 ママ友から『塾不要 親子で挑んだ公立中高一貫校受験』という本を借りた。日経の記者を務めるお父さんが、年子の息子二人を、千代田区立の九段中等学校へ入学させた体験記。以前読んだ『親子で遊ぶ中学受験』では、著者は早稲田大中退の放送作家さん・奥様は上智大卒のTV局勤務ということだったが、今回の本もなんと、著者は早稲田卒で新聞記者・奥様は上智大卒ということで、不思議な共通点があった。そしてまた、どちらの家族も、最初は「中学は公立でいい」というところから出発している点が一緒だ。もしかして、早稲田&上智ペアは受験に強い子を作るのか?!
 私は今とにもかくにも、地元にどんな学校があるかを知るために、また息子に中学受験させるのが本当にいいことなのかどうかの確信が得られないために、こういった本を読んでいる。今回の本では、塾にもいかせず、中学は公立で、なおかつ質のよい教育環境を得る、ということで新設の区立中学を選んだ家族の話だが、お父さんがかなり入れ込んで、子どもの教育環境確保に尽力している点では前回の本と同様脱帽させられた。ちょうど、今日の午前中がSAPIXの保護者会で、またも「家庭学習を言われたとおりにやった場合、一日3時間は必要だ……」と頭を抱えさせられ、親のかかわりについて考えてしまう。前回の本でも今回の本でも、“本気”になってからの親の取り組みがスゴイ。必ずしも中学年から長時間勉強させていたわけではないが、直前期の取り組みには目を瞠るものがある。自身を振り返ると、親に勉強をみてもらったことなど一度もないし、勉強らしい勉強もしてこなかった。そんな私が、小学生の息子に、一日3時間の家庭学習なんてとてもやらせられそうにない。
 唯一、「これイイ!」と思ったのは、「天声人語」を毎日切り取って読ませ、それにタイトルと要約をつけさせるという家庭学習。こういうものなら、私も一緒に楽しんでやれそう!と感じた。
 心のどこかで、「小学校時代はひたすら遊び、中学高校でもひたすら部活動に励み、勉強は授業だけを真剣に受け、特に受験勉強もせずにそれなりの大学に入り、卒業後は好きな仕事に就いて第一線で活躍している」というような体験記を期待している。私にとっての息子の教育のゴールは、“好きで好きで寝食を忘れられるような仕事”を得る、というところで、その前段階は正直どうでもいいのかもしれない。ただ、今この時代の過ごし方が、“好きなこと”をも左右することは確かで、ブロック遊びとゲーム以外はこれといってのめりこむものも持たない今の息子には、塾くらい続けてもらわんと……という気持ちなのだ。だから「いーよ、いーよ、塾の宿題は」……という気になってしまうのだが、世の教育ママさんたちに言わせれば、「そんなの甘い!」ってことになっちゃうのかなぁ???

「試験当日まで、残り2日」

| | コメント (0)

2008年4月13日 (日)

『極端な未来』

 知り合いの翻訳家の方が、新たに手がけた本を送ってくださった。『極端な未来』という、主にイノベーションと経済が融合される未来について説いた本。昨日の新聞に、iPS細胞の山中先生の幹細胞技術の特許申請が、ヒトに関しては製薬会社のバイエルMirai20080412に先んじられた、という記事があったけれど、これなどはまさに、イノベーションと経済の融合する未来を予感させる事件かもしれない。通常、科学者にとってはお金の話などはあまり関心のないことだし、ビジネス家にとっては科学技術の進展は頭が痛くなる種のものかもしれないけれど、これからはむしろ、他分野の情報にもしっかり気を配っておかないと、自分の最も関心あることすらうまく回らなくなるのだろう。それにしても、私がインタビューしたことのある科学者の数人は、「補助金をもらうためには、世間に気配りしたり、名目をコントロールしないとダメな場合があってね」などと、研究費獲得のため処世術的に立ち回る人が多くいることを匂わせていたけれど、その点、アメリカで真に時代を牽引している人の姿勢は素晴らしい!この本の中でも、スティーブ・ジョブスがApple初のコンピュータを作っていた当時のことが書かれていたけれど、将来PCが人類のあらゆる分野の人にどんな効能をもたらすかを、専任の研究者に調べさせていたとか。PCを開発することだけにとらわれず、当初からその社会的影響をあらゆる側面から検証しようとしていたという。。。。ん?そんなの当たり前? でも、意外にそういうことをきちんと考えて開発している人って少ないんじゃないかな?

「試験当日まで、残り6日」――プレッシャーからか、昨晩は夢に試験問題が出てきた。。。(汗)

| | コメント (0)

2008年4月11日 (金)

『花はなぜ咲くの?』

Cover20080411  昔勤めていた出版社での友人が、このほど初の単著を上梓したとのことで、一冊いただいた。化学同人という専門出版社からの本なので、やや専門家寄りなのだけれど、「花」という身近な存在についての内容でとても読みやすかった。近年発見された「フロリゲン」という植物ホルモンのことや、花の色の話、熱帯多雨林の一斉開花の話、稲の品種改良の話、昆虫と植物の共進化の話などなど、「花」についてのさまざまな研究のアプローチが紹介されていた。およそ一年がかりで仕上げたとのことだったが、ものすごく勉強して書かれているのがよくわかる。ただ、驚いたのは、遺伝子組み換え等による品種改良が、最近では日常茶飯事で、研究手法としてはごくごくスタンダードになっていることだ。環境保全の観点から、人為的に外来種が運び込まれることによる在来種の駆逐なとが問題になっているが、園芸の栽培植物や、研究の遺伝子組み換えなどと、あまり差異を感じられなかった。人間は科学の力で、次々に新しい能力をもつ生物を誕生させるが、その誕生が環境に及ぼす影響をはかるのは難しいだろう。研究開発に、倫理はいつもつきまとうけれど、その線引きはますます困難になってくるだろうことが感じられた。

「試験当日まで、残り8日」

| | コメント (0)

2008年3月23日 (日)

『中学受験で子供と遊ぼう』

Chugaku_book  知人に紹介されて読み始めた『中学受験で子供と遊ぼう』という本。あまりに面白くて、今の我が家にとって切実な内容で、一気に読んでしまった。もう十年近く昔の話だから、きっと昨今の中学受験事情とはちょっと違う面もあるのだろうが、著者夫婦が放送作家さんとTV局勤務の記者さんということもあり、ウィットに富んでサービス精神旺盛な内容に、ぐいぐい引き込まれてしまった。ご主人はいつもジャージで打ち合わせに出かけるような大学中退の放送作家さんで、奥様は新聞学科卒でTBS社会部の記者さんという共働きの取り合わせがまた面白い。文章も、ご主人の方は嫌味なく楽しい人柄を感じさせ、奥様の方は正義感溢れるもののちょっと近寄りがたい厳格さを漂わせており、その風情の違いがまたよかった。二人とも、「子どもは公立の学校で雑草のようにたくましく育てたい」という考えで一致していたにもかかわらず、いろいろ考えた末に決意した中学受験。我が家と似た経緯から始まり、受験勉強で一緒に遊ぶ時間を削られる分、親は遊ぶつもりで子供の受験勉強に付き合う様がほほえましい。
 何より感心したのは、ご主人のただならぬのめりこみ方。こういう人だから、放送作家としてもコンスタントにいい仕事を続けているのだろうなぁ、、と思わされた。また、最近私も見直したばかりだけれど、中学受験の問題というのは、なかなかどうして、つまらない暗記やパターン問題とは違って、出題者の人格や考え方・思想、学校の校風なども表すような奥深さがあることを、わかりやすく説明してくれていた。私が今勉強している情報処理試験などよりよほど人間くさく、味がある。私が長らく試験勉強というのが嫌いだったのは、試験問題の無機質的なところが耐えがたかったからかもしれない。現場の方が面白いし勉強になる、といつも思っていた。が、中学受験の問題は、それこそ学校や年度にもよるのだけれど、オトナが解いても十分に面白い。自分が子供の頃にこうした問題群に出会っていたら、もう少し洒落た人間になっていたかも、と思わされる。
 秀逸だったのは、塾の勉強風景で、「開成コース」の子供は皆一様に塾配布のハチマキをして勉強に勤しんでいるのに対し、「武蔵コース」の子供は、ハチマキはせずに踏んづけたり首に巻いたり、思い思いに取り扱っていた、という場面。本書の中での著者の主張は、「受験勉強も中学選びも、子供それぞれの個性に合わせて考えるべき」というものなのだが、入学する前から、すでに子供のカラーがここまでハッキリと分かれているものなのか、と唸らされた。果たしてうちの息子には、どんな受験勉強体制と、どんな学校が、彼の個性にピッタリフィットするのだろう?? これから数年、思い煩わされる大きな問題である。

 夕方、この本を読んでいる最中、先日ハローワークでたまたま会ったK君からメールが入った。
「4月からメディアファクトリーで仕事することになりました!」――彼は、上記の本の著者と同じ大学出身で、同じく自分の欲望に正直なタイプだ。きっと楽しい仕事ができるだろう! 彼のいとこは、脱OLして5年かけて司法試験に合格したそうだ。私も是非あやかりたいものである。
 今日から一泊二日で鬼怒川温泉旅行。だんだんと家族旅行もままならなくなってくるのだろうから、大いに楽しんで来たいと思う。

「試験当日まで、残り27日」

| | コメント (0)

2008年3月17日 (月)

ダーリンは外国人withBaby

Toninyo  昨日秋葉原の書店ブックタワー前を歩いていたら、ショーケースの中に「ダーリン」シリーズ最新刊の告知があって、息子と二人、「これは買わねば!」ということで、早速購入。
 トニーさんと小栗さんの間に男の子が生まれていたことは聞いていたけれど、詳しいことは何も知らなかったので、興味津々。最初に手に取った息子は、ケタケタと笑いながら一気読み。息子さんの名前は、トニーさんと同じトニーで、家族の中では“トニーニョ”と呼んでいるのだそう。もうすっかり赤ちゃんの子育ての記憶は飛んで行ってしまっているので、「なつかし~」と昔を振り返る。出産モノは誰にとってもドラマティックな分、これまでの小栗さんの独特のセンスの作品よりも、“どこにでもある”感があった。やはり面白かったのは、外国語教育に関する話。語学オタクのトニーさんならではの子育て観で、今後どんな教育がなされていくのだろー?? 国際結婚の当人同士の関わりから一歩進んで、ハーフの子どもと当人達というトロイカ体制になった今後、トニーニョがしゃべれるようになってからの作品がまたまた楽しみだ!

「試験当日まで、残り33日」

| | コメント (0)

2008年2月22日 (金)

『怪人二十面相』

Nijyumensou 『ダレン・シャン』のあと、子どもが何を読むかなぁ、、と思っていたら、最近CMでよく出てくる『モンスター・クエスト』とかいうのをご所望になったので(^^;;本屋に見に行った。中を見たら、ずいぶんと文字が大きくて小学1年生向けという印象だったので、親の独断と偏見で『怪人二十面相』を買っていった。ポプラ社が一巻630円の文庫版(とはいえB5版くらいのサイズ)で出してくれていたので、とりあえず一二巻を買って帰って息子に渡した。すると、面白い面白いといって、続きも読むという。全26巻だから、これまでで最長のシリーズになる。どこまで読めるか不明だが、読みたいという限りは続きを買ってやろうと思う。

 amazonで買い足しているのだが、息子用の本選びをしていたら、私も何かまっとうな本が読みたくなってきた。最近は勉強用の実用書とか、観光ガイドみたいなものばかりで、あまり読み応えのあるものを手にしていなかったから。で、だいぶ以前に本屋で立ち読みして手応えを感じていたサイモン・シンという人の本を3冊まとめ買い。『フェルマーの最終定理』と『暗号解読(上)(下)』だ。あまり色気のある読書ではないけれど、地道な努力に興奮できそうで楽しみ楽しみ。
 そういえば、これらの本を翻訳している青木薫さん、一昨年お話ししたときに、「今、書き下ろしの仕事をしてまして」とおっしゃっていたけれど、amazonで見る限りはまだ書き下ろし本は出てないなぁ。翻訳優先で後回しになってしまっているのかな? 青木さんの翻訳は「本物だぁ~!!」といつも感動してしまうのだが、書き下ろしも楽しみだ。

| | コメント (0)

2008年2月10日 (日)

『ダレン・シャン』

子どもが、ここ数週間読んでいた全12巻の『ダレン・シャン』を読了したらしい。私は最初の1巻の出だしだけチラリと見ただけで、内容はまったく知らないけれど、なんだかオドロオドロしいバンパイアの話で、人を殺したりする場面などもあるらしく、ちょっと心配しながら見ていた。けれど、これを読んだことのある大人の人でも「なかなか面白いよ」というコメントをしていたので、まぁ読み進められるなら読ませてみるか、という気持ちだった。最終巻は一気に読んだようで、本を閉じるとき、晴れ晴れとした顔をして「あ~、もう1回1巻から読み直したくなっちゃったヨ!!」とつぶやいた。こんな風に読者に言ってもらえる本なんて、そうそうない。きっと何かしら、子どもを興奮させる意味深いものがあったのだろう。息子は意外と本が好きで、「怪傑ゾロリ」や「デルトラ・クエスト」など、複数巻にまたがるような本も平気で読む(まだ『ハリー・ポッター』は難しいみたいだが)。私が子どもの頃は、「赤毛のアン」くらいが長編の部類で、星新一のショートショートみたいなのばかり読んでいたから、長いお話を自分で勝手に読み進めている様は、なかなかスゴイな、などと感心してしまう。今度は『バッテリー』なんか、どうかなぁ??

| | コメント (0)

2008年2月 5日 (火)

『サブプライム問題とは何か』

Subprime 昨晩、宝島新書の『サブプライム問題とは何か』読了。20世紀末からじわじわと問題化してきたアメリカのサブプライム向けの住宅ローンにまつわる経済問題が、世界規模の金融恐慌にまで発展してしまうまでの過程が、とてもわかりやすく書いてあった。
 問題の根幹は、昨今の様々な問題と根を同じくする、モラルハザードと複雑化した経済。著者は、ローンを証券化する技術について、“金融技術の発展”と書いているけれど、私個人としてはこれを“発展”と呼ぶべきかどうか、悩ましく感じた。また、銀行がローンの権利を売却して“オフバランス化”することにより、貸借対照表の“見かけの資産”を減らし、資本を増やさずに新たなローンを生み出していく様は、簿記の仕組みが本当に妥当なものなのかという今の私の疑問に新たな輪をかけることになった。簿記のイロハを若干齧ってみると、現代の会社の大半は自転車操業になっているのでは、、、という疑念を抱かざるを得ない。私が今最も恐れているのがこの言葉「自転車操業」。これについてはこれからもっと考えていきたいと思っているのだけれど、今や政府規模でも「自転車操業」が行われているように見え、アメリカの財政赤字は過去最大規模。日本時間の今晩からは、スーパーチューズデーに突入し、大統領選も山場にさしかかる。果たしてアメリカ国民は、クリントン氏を選ぶのか、オバマ氏を選ぶのか。どちらにせよ、自転車のペダルをこぎ続けなければならない。
 今の我が家の究極の夢は、“自給自足の生活”ができる下地作りをすること(笑)。少なくとも、麦と野菜くらい自給できる状態にあれば、世界経済の自転車のペダルが多少ギクシャクしても、そう動じずに済むはず(大笑)。……と、読んだ本の内容があまりにスケールが大きい問題だったために、大風呂敷を広げてしまった!

| | コメント (0)

2008年2月 2日 (土)

『虫眼とアニ眼』

今日は、息子の友だちを誘って三人で、「大豆まき大会」に参加するために表参道の「こどもの城」に行った。行きがけ、本屋さんに寄って、息子は『うちの三姉妹6』を、私は『虫眼とアニ眼』(養老孟司&宮崎駿)を買って地下鉄に乗った。私は、宮崎さんの作るアニメはおおむね大好きだし、養老さんの文章は本当に心から同感して読むクチだ。以前、会社の同僚から「本気で養老さんの本をいいと思っている人なんて、いるんですかね?」と言われたとき、心底驚いた記憶がある。クセがあることは確かだけれど、私にとって養老さんの考え方というのは、ひどく安心感の持てるまっとうなものなのだけれど。。。ともあれ、この養老さんと宮崎さんを対談させようという新潮社の編集者さんの肝っ玉はすごいと思う。私なら恐ろしくてとてもお願いできそうにない。両者ともクセ者で、とても対談にはならないのでは、、、(腹を割って話す、という意味で)と思ってしまうから。でも、なかなかどうして、さすが二人とも伊達にお年を召してはいないようで、お互いを気遣いながらの対談は、とてもいつものお二人とは思えない(笑)。まだ、読書半ばだけれど、吐き出すような対談ではないにせよ、面白いことは面白い!

で、「こどもの城」では、目的の豆まきを楽しむ前、「二コマアニメ制作」というのをやった。PCで、“アニメーターJr”というソフトを使い、2枚の絵を描いてBGMをつけて動かすというもの。息子は、ドラゴンが竜巻に囲まれて火を吐く図を描いていた。うまいものだ!子どもの感性っていうのは、本当に時に度肝を抜かれるくらい素晴らしい。そんな感性を、還暦を過ぎても持ち続けている宮崎さんや養老さんは、もっと素晴らしい!!

Anime1 Anime2

| | コメント (0)

2008年1月24日 (木)

村上春樹『東京奇譚集』

Tokyo_kitann このところ、宮部みゆきや東野圭吾にはまっていた夫が、久々に村上春樹の短編集を買ってきて読んでいた。読み終えたところで、「最初と最後の2編だけでも読んでみて」というので、昨日、移動中の電車の中で最初の一編「偶然の旅人」を読んだ。
 「シンクロニシティ」について、村上春樹自身に起こった2つの偶然を紹介したあと、あるピアノ調律師の日常に実際に起こったことが、物語として語られていた。
 まず嬉しかったのは、村上春樹も「シンクロニシティ」経験が豊富だと知ったこと。うちの夫などは「たまーに奇遇!ってことはあるけど、シンクロニシティ的な、意識が伝播するような経験はない」と断言するし、周囲の人に訊いても、あまりそういう体験をしている人がいないのが不思議でならなかったのだ。私には、ほぼ日常的に起こるのに。。。??? 別に、物事をオカルティックに見ているってことはないし、そもそも占いとか前世とかも信じない方だし、何についても懐疑的な私だけれど、こと「シンクロニシティ」に関しては、「意識の場ってものが、常に伝播し揺らぎ、人々の深層心理に影響を及ぼしているんじゃないか」と本気で思い始めているくらい、実体験として数々の事例に遭遇している。

ただ、以前は好きだった村上春樹の作品、久々に読んだ感想としては、“洒落すぎ”って感じがした。いわゆる格差社会の、上流の人たちのなんとなくけだるい贅沢な時間の流れを見せつけられているようで、汗とか熱い涙みたいな血潮感がない、ツルンと小奇麗なセルロイドみたいな人間がそこにいた。「人生のそこここで、感銘を受ける作品っていうのがこうも変わってくるものか」というのは、最近の実感。学生時代あれほどハマったドストエフスキーも、カッコいいと思ってみていたガンダムのシャー・アズナブルも、家庭を持ち子どもを持ってから読み返し見返してみたら、なんだかとても独善的だったり情けなく見えたりして、その自分自身の変化が、面白くもあり感慨深くもあった。今の私にフィットするのは、いったいどこの誰の作品だろう??

| | コメント (2)

2008年1月16日 (水)

『親の品格』『女性の品格』

Oya 20080105 200801141407000

昨年、『女性の品格』で大ブレイクした坂東真理子さんの次なる作品『親の品格』の中に、「これだから女性は…と言われないように仕事してきた」と書いてあった。それにひきかえ、私はまさに今、きっと仕事関係のいろいろな人に「これだから女性は…」と思わせまくっているに違いない。本を作るということは、著者に著作権を設定し、その財産を著者の死後50年までしっかりと守ることとも言い換えられる。これまで80冊以上の本を作ってきたわけだから、退職するということは、80人以上の著者と、その制作スタッフを放り出してしまうことだ。そこまで大げさに考える必要はないのだけれど、坂東さんのような方がいくらがんばっても、私のような女性は後をたたないはずで、社会の中での仕事に関わる女性の立ち位置について、もっと根本的な設定変更が必要ではないかな、と思う。やはりどうがんばっても、夜中まで働きづめの男性と同等に仕事しながら、子どもを生んで育てるってことは、過度のひずみを生むのではないかと思うから。

ありがたいことに、仕事を途中で放り出す私に対して、これまでの感謝を込めて花をくれる人や、「今の私があるのはあなたのおかげ」と優しい言葉をかけてくださる人など、元気づけてくれる人たちがいる。この年まで生きていると、人生の中での一つ一つの出会いに感謝しながら生活できることが基本だと思えてくる。

先週末、自宅に導入した「ENELOPE」という充電式電池を充電していたら、かすかにウィーンウィーンと音をたてているのに気付いた。家族で「充電するのに何でこんな音がするんだろう??」とひとしきり聞き入ってしまったけれど、私にはこの電池が、一所懸命電気を吸い取っているように見えた。漫然と静かに電気が溜まるのを待つのでなく、積極的に吸い取っていくような充電―――、私もそんな充電期間を持たなくちゃ、と思ったりもした。

| | コメント (0)

2008年1月10日 (木)

SLENDER HOUSE

Sh_logojpg 仕事を辞めてから、どんな生活になるのか、まったく想像がつかない。
これまでも、在宅勤務を認めてもらっていたから、家にいても常に仕事モードがONだったこともあり、生活リズムに変化が起こるとは考えにくいからだ。
そこで、自宅で何かしら、細々とでも仕事を請け負ったときのために、ロゴを作ってみた。
その名も「SLENDER HOUSE」!!
別に、自分のスタイルがSLENDERだということではなくて、ネコの額のような土地に細長く建っている自宅を模して、「細長い家」というコンセプトで作ってみただけのこと。ささやかな願いとしては、「仕事を細く長く続けていけるように」という会社を辞めた自分への戒めも込めて。ちっちゃな双葉ちゃんは、何事も駆け出しのつもりで、きちんと丁寧にできるように、という思いの表れ。
こんなことばかりに時間を使って、資格試験の勉強にはまったく手がついていないので困ったものだけれど、「個人として立つ」ための枠組み作りみたいなものですね。試験勉強の妨げにならない程度に、何か“書く”仕事をしていけたらいいな、と思う。

| | コメント (0)

2008年1月 9日 (水)

『お金は銀行に預けるな』

Okaneha 昨年暮れに読んだ、勝間和代さんの『お金は銀行に預けるな』がベストセラーになっている。年明け早々のクローズアップ現代では、1時間半の特集で、マネーの新潮流を特集していた。確かにここのところ、マネーの流れが尋常でないような気がしている。お金を稼いでいる会社や国が、かならずしも高い理念に基づいているとも言い切れないことは、「資本が力関係の構図をつくる」という資本主義の根幹に、茫漠とした疑念を抱かせる。

今年は、退職することもあって、新年早々銀行を飛び回り、余裕資金の運用について勉強すべく、3つの新規口座を開いてヨーイドンでトライアル運用を始めてみることにした。そんなことができる身分ではないのかもしれないけれど、勉強と思って、これまでの蓄えを勉強資金にした。
さてはて、「お金に働いてもらう」という意味が実感できるかどうか、、、不穏な政情やオイルマネーの席巻に振り回されることなく、マイペースでマネーフローを考えたいところだが。。。
それにつけても、養老さんの「自分が儲かると、どこかの誰かが損をしている」という健全な考え方は、現代のマネーフローでは忘れ去られているのか、誰もが持続可能な成長を望むことの幻想性というのは、ほとんど語られることがないのが不思議でもある。サブプライム問題などは、まさに勝間さんの言う、「賢い人が賢くない人から搾取する」仕組みそのものではないかと思われ、そうした仕組みを作り出した人たちに非難の声が上がらないのがさらに不思議なのだけれど――。

| | コメント (0)

2007年11月30日 (金)

『ウェブ時代をゆく ―いかに働き、いかに学ぶか』

Photo

梅田望夫さんの『ウェブ時代をゆく』読了。
『ウェブ進化論』に続く2冊目の読書。
今まさに、私が読むべき本だったような気がしている。

前回本よりも、梅田氏自身の生い立ちや苦労などにも触れられていて、彼を身近に感じながら読むことができた。
そして、人生の折り返し地点で、この本にめぐりあって、決意したことが一つ―――。

今後は、人や物事の“よい面”を表現していこう!
心ならずも批判せざるをえない場合には、必ず“建設的”な意見を加えよう!

利他性・自発性をもって、前向きに人生をサバイブするための、有益なアドバイスに溢れた本だった。
ビル・ゲイツも2008年7月にはMSをリタイアし、ゲイツ財団の運営に専念して慈善事業に邁進するとのこと。私はゲイツに半年先立って、出版界をリタイアするわけだ。
笑っちゃうくらいスケールの差のある話だけれど、元気をもらえるエピソード。

我が子が“学ぶこと、働くこと”に悩んだときにも、そっと渡してやりたいと思う。

| | コメント (0)