2009年10月17日 (土)

『こども論語塾』

Rongo20091015  数日前の夕刊に、安岡定子さんの「文の京 こども論語塾」というのが盛況で、本も出ていると書かれていた。木曜の午後、久しぶりにOAZOの丸善をブラブラしたので、試しに買ってみた。幼稚園や保育園児向けで、絵本以上に大きな字の本だったが、慣れない人が素読するには丁度よいようだ。
 著名な二十章が収録されており、この年になって読んでみても、なかなか胸に迫るものがある。人間って、孔子の頃から精神的には全然進歩してないような…という気にさえなる。
 孔子様からは、是非「仁」や「恕」(思いやりの心)を学んで欲しい息子に、早速見せてみた。どのへんに食いつくかなぁ…と興味深く待っていたら、
「あのさぁ、どうして孔子のセリフだけ“のたまわく”で、他の人は“いわく”なの? これって差別じゃない?」ときた!!! ぎょえぇ~予想外の反応。
「そりゃぁ孔子に敬意を表してそう読み下してるんだよ~。“おっしゃった”ってこと」と言ってはみたが自信がない。――― 中国では、親族の上下関係にものすごく厳しく、親族呼称もバラエティに富んでおり、年配の人を非常に敬うとは聞いているけれど、言語的な尊敬語みたいのはないんだっけ…?――― まさか息子に論語を読ませて、尊敬語について考えさせられるとは思ってもいなかった(汗)。
「“子曰”のとこはいいからさ、中身読んでよ、中身」と言ってお茶を濁す。
 まぁ、尊敬語やら謙譲語やらの充実している日本語だけれど、心がこもっていなければ「巧言令色、鮮矣仁」(こうげんれいしょく、すくなしじん)かもね~。

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2009年9月19日 (土)

『新参者』

Newface20090918  いやはやお恥ずかしい。金曜日、10時きっかりにブックスPISMOという本屋さんに駆けつけ、東野圭吾さんの新刊『新参者』をいの一番に買い、その日のうちに読みきったのだけれど、この作品、2004年8月から「小説現代」でスローペースで書きためられたものだった。しかも、私がタイトルの『新参者』から予想した“人と人との心のすれ違い”を描いたものどころか、180度正反対の“人と人との心のつながり”が描かれていて舌を巻いた。ネタバレしてはいけないので詳しいことは書けないが、読後感はスッキリと気持ちよい上、人形町という街を知る人にはひときわ楽しいと思う。以前から、散歩しているとフツフツといろいろな物語が湧き出てくる街だと思ってはいたが、明日からはきっと、加賀刑事の眼で眺めなおすことだろう。
 つまらないことだが一箇所だけ、第一章に書かれていた“甘酒横丁の先は都営浅草線の人形町駅”という部分は、“営団日比谷線の人形町駅”の間違いなのだけれど、担当編集者さんが裏取りし損ねたか? 編集者の大事な仕事の一つに“裏取り”がある。著者の書いた内容に間違いがないかを調べる作業だ。もちろん全部が全部調べきれるはずもなく、いつでも漏れの出るものだし、そもそもフィクションたる小説で裏取り作業がどのくらい必要かは不明なのだが、これはある意味、刑事さんの仕事に似ていなくもない。一見本筋には関係なさそうなつまらないことでも、きちんと裏取りされた本というのは信頼性がグンと増すものだ。本書全九章のうち、七章ほどは本筋とはあまり係わりないことなのだが、そんな些細な糸も細かく解きほぐしていった加賀刑事の丁寧な仕事が、作品の最大の面白みになっている。
 腰巻裏面に「こんなことが出来ればと思った。でも出来るとは思わなかった」という東野さんの言葉があったが、私自身「こんな作品も出来るんだぁ!」と新鮮なオムニバス形式に感嘆したのだった。それにつけても、シュリンクを解かれたばかりの新刊本の紙とインクの匂いは、何度嗅いでもいいもんだなぁ~♪

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2009年8月31日 (月)

『母』(三浦綾子 著)

Mother20090830  先日の里帰りで母が貸してくれた一冊の本。
 泣けて泣けて……。途中まで読んで用事で家の外に出たら、知り合いの人に「なんか疲れてるね」と言われるほど。ティッシュで鼻をかみながらも読み続けていたら、息子が「そんなに悲しいなら読まなきゃいいのに」と言うくらい。私自身、悲しい本や映画は、その後頭痛に襲われるので敬遠したいのはやまやまなのだが、読み出したら止まらなくなり、日曜日一日で一気に読んだ。
 『母』とは、昨今人気が再燃している『蟹工船』の著者 小林多喜二さんのお母さんのこと。このお母さんが自分の人生を三浦さんに語って聴かせるという設定で描かれた本書、いろんな視点で読めるものだった。一人の母親として、市民として、キリスト者として、思想活動家として、多喜二として、多喜二の恋人として、人間として……。どういう立場で読んだとしても、胸打たれる内容だと思う。私はまだ、『蟹工船』も含め小林多喜二氏の本を読んだことがないのだが、本書から窺い知った彼には強く共感する。昭和一桁時代の日本では、政治的弾圧などもあからさまに行われ、多喜二氏のような悲劇もそこここにあったのかと思うと、たとえ混迷を極めるにせよ、今の日本は平和に見える。ただ、悪の根源が目に見えない形で格差が広がるという状態は、あの時代よりむしろ根が深いのでは、とも思えたり。
 読み書きなどできず、働き者でただひたすらに人のいい小林セキさんという『母』や、彼女を取り巻く家族や親戚やご近所の当時の暮らしぶりは、大館や小樽といった北国であることも相まって、それはそれは過酷で貧しいものなのだが、お互いを思いやる心の温かさや日々の営みは、とても豊かにも感じられた。このご時世、“家族で支えあう”といっても高が知れたイメージしか湧かないが、この本の中では本当に、名実共に“支えあう”様が如実にわかるのだ。
 私にとってとても意外だったのは、多喜二が一時は拓殖銀行の行員という高給取りであったことだが、そんな立場を投げ打っても自分の信念のために活動を続けたことが、彼のゆるぎなさを象徴してもいたのだろうか。「世の中っていうのは、いっときだって同じままでいることはないんだよ。世の中は必ず変わっていくもんだ。悪く変わるか、よく変わるかはわからんけど、変わるもんだよ母さん。そう思うとおれは、よく変わるようにと思って、体張ってでも小説書かにゃあと思うんだ」という多喜二の言葉。全面的に息子を信じて励まし支える母。泣ける泣ける……。私は、自分たちの子どもたちが少しでも今よりいい世界に生きられるように、一体何ができるんだろう……?
 総選挙の一日が明け、現代日本にも新しい風―――

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2009年8月29日 (土)

『日本人の知らない日本語』

Japanese  もうずいぶん前だが、『日本人の知らない日本語』という本を家族で読んで大ウケした。日本語学校の先生が、日本語を学ぶ外国人の人と接する中で遭遇した意外な疑問・質問を紹介している本だ。『ダーリンは外国人』で大ヒットを飛ばしたメディアファクトリーさんが、またしても語学モノで人気を博す形となった。この手のコミックエッセイで、メディアファクトリーさんの右に出るのはなかなか難しい。ネタはどこにでも転がっていそうだけれど、それを万人にウケる形に仕上げる技が素晴らしい。個人的には「“ばつが悪い”の意味は?」との先生の質問への答えやら、アメリカと日本の○×問題の話が印象に残っている。サラリと読めてしまうので、“内容がない”という批判もあるが、単純に笑えるので機会があれば是非ご一読を。
 以前は仕事柄、毎朝毎晩のようにamazonのベストセラーリストをチェックしたものだが、最近は一ヶ月に一度くらい。先日たまたま眺めていたら、高城剛さんの『サバイバル時代の海外旅行術』という新書が目に留まった。本書自体にも興味が出たが、著者の高城さんのブログページを見て嬉しくなった。今見ると「AFRICA」というタイトルの直近記事が見られると思うのだが、その写真が素敵! 野生動物の表情を実に自然におおらかに捕らえていて圧巻。こういう写真が撮れる旅をしたいもんだ、と常々思っているから、『サバイバル時代の海外旅行術』を読めば、そういう旅が出来るようになるかも……と淡い期待を抱いた。いつ読めるかなぁ~?

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2009年4月 3日 (金)

『不実な美女か 貞淑な醜女か』

Yonehara  ロシア語同時通訳者として、そして優れたエッセイストとして、その有能さを各界に轟かせた米原万里さんの代表作。本書はある意味、ロシア語通訳協会がクライアントに最初に手渡す留意事項を並べた小冊子のデラックス版ともいえるのではなかろうか。これを一冊読んでから通訳を依頼すれば、クライアントは、言葉に対して注意深くならざるをえないだろう。
 それにしても、“エ勝手リーナ”とも呼ばれる米原さんは、大胆不敵な豪傑のイメージが強いけれど、その文章からは、ものすごく慎重で細やかな精神を感じる。そして、通訳業に対する誇りと、弛まない仕事のクオリティアップを追及する彼女の、いわば懺悔録のようにも読めた。どんな仕事でも、OJTで失敗を重ねて成長するものだと思うけれど、それらの失敗を忘れず活かすための、そして世界中の人とのコミュニケーションに関して、あらゆる人たちに配慮を促すための、格好の教科書と言えるかもしれない。
 なかでも、1990年12月のシュワルナゼ外務大臣の辞任演説を訳したときの米原さんの回顧部分と、アンドレイ・サハロフ氏のパレスチナ問題に関する発言を訳したときの回顧部分には、彼女の徹底したプロ意識が如実に表現されていて涙が出た。「おまえの母ちゃんデベソ」考も、おもしろかったなぁ! 処女作的な初期の作品なので、簡潔・明瞭・大胆な米原さんの文章にしては冗長な箇所もあるにはあった気がするが、ともかく、“言葉”について考えてみたい人には、エリツィンもびっくりの素敵な本。是非ご一読を!

 巻末の「あとがき」に、本書を企画したのが、現スタジオジブリ出版部長となられた柳沢因さんだとあって、驚きとともに嬉しくなった。今は“田居”さんとなられているこの方とは、私も一度だけお話させていただいたことがあるけれど、本当に“美女”な上、米原さん同様、ご自身のお仕事に誇りをもって凛として取り組んでおられる素敵な方だった。尊敬する編集者の一人だ。彼女が米原さんに声をかけなければ、素晴らしい書き手が本書をものすることもなかったのかもしれないと思うと、編集者の黒子魂にも誇りをもてるというものだ。

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2009年3月24日 (火)

『シモネッタの 本能三昧 イタリア紀行』

Simonetta20090323  ナポリで「反マフィア」のデモ行進があったというニュースを横目に、新刊の『シモネッタの 本能三昧 イタリア紀行』を読んだ。紀行文の類を読むのはとても久し振りで、泣けたところや笑ったところや自分も行ってみたいところに付箋を貼っていたら、付箋だらけになってしまった。
 本書は、イタリア語通訳歴40年という田丸公美子さんが、70回近く訪問したイタリアの思い出をネタに執筆された「月刊現代」の連載に加筆してまとめられたものだ。私の渡伊経験はというと、中学時代に一度、大学生時代に一度、そして新婚旅行で一度の計3回。目次には、ローマ・ルガーノ・ヴェネツィア・シチリアといったなつかしい地名が並んでいて、ワクワクしながらページを繰った。
 この本には、善人やら悪人やらエロ助やら子どもやら、いろんな人が登場する。そしてまた、おいしいモノや楽しいことや美しい景色だけでなく、薄汚れた生活風景や色恋沙汰や犯罪話にも及ぶ。そんな全部をひっくるめて、田丸さんがイタリアという国を愛していること、そしてこんな田丸さんだからこそ、クセの強いイタリア人相手の通訳が務まるのだなぁ、と感じた。“シモネッタ”の二つ名に恥じない数々の抱腹絶倒話に身をよじりつつ、歴史的な景観を大切に守るお国柄や、人生を楽しむことにかけては天賦の才を見せ付ける小市民のたくましさが、明るい陽光とともにうらやましく感じられた。
 「こういう人との出会いが旅を思い出深くするんだよなぁ」と思わされたのは、ヴェネツィア・ガイドのジョルジョおじさんや、ベネトン社勤務の建築家ヴィエッリ氏、パレルモ貴族の使用人サルバトーレ、マテーラのしたたか少年などなど。自分の住む世界からはかけ離れた遠い空の下でも、何か大切なことに気付かせてくれる温かな存在って、いるよねぇ~。
1988album  私も思わず、なつかしいアルバムを取り出して眺め直してしまった。
「1988年 冬のヨーロッパ旅行――フランス、フォンテーニュブローの森で知り合ったシチリア島出身のアントニオとステファノ。パリの夜は最高にエキサイティングでした」とある。この二人がまさに、パレルモからパリに遊びに来ていたのだが、私と友人はこのイタリア人男性と半日をともに過ごしたのだったsign03 最初にシチリア島出身と聞き、「マフィアがたくさんいるんでしょ?」と尋ねたら、「そんなにいない」と笑っていた。二人は漁師の家の子だったようだが、ホントにイタリア人sign02と思うほどに奥ゆかしく紳士的だったな。「“ブリオッシュ”って知ってる? ほんのり甘いパンなんだけど、これにアイスクリームを挟んで食べると最高だよ」と教えてもらった。その当時は“ブリオッシュ”なんて知りもしなかったが、マリー・アントワネットの「パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない」で有名なフランスのお菓子で、シチリアでもよく食べられているのだと後で知った。田丸さんの本の9章は、この二人が住むパレルモに割かれており、どんな土地柄なのかと夢中で読んだ。
 そしてまた、最終章で紹介されていた田丸さんのご友人、“由緒正しい”清貧の家の娘エリさんとのエピソードを読んで嬉しくなった。私の印象では最初、田丸さんという方はいつもゴージャスな旅ばかりされているのでは…と思っていたのだが、その田丸さんが、若いうちの貧乏旅行もまた楽しいと書いてくれていたからだ。私は年甲斐もなく、いまだにできるものならバックパック一つで宿も決めずにフラリと出かける旅の方が性に合っていると感じるから。(もちろん、いつかはクイーン・エリザベスにも乗ってみたいことはみたいけどsweat01) そして無性に、田丸さんの記録アルバムというのを拝見したくなってしまったのだった。

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2009年3月 5日 (木)

『津波 ~アンダマンの涙』

Tsunami20090305  タイ在住のデザイナーさんからメールをいただいた。以前、彼から紹介してもらって2004年12月のタイの津波に関する本を企画したことがあったのだが、会社の方針に合わずに断念したのだけれど、このたび(株)めこんという出版社から無事刊行される運びとなったというご連絡だった。とても切実な内容のお原稿だったので、書籍として世に出ることになって本当によかったぁ~と思うと同時に、フットワークの軽い出版社の姿勢をうらやましく感じた。
 過日の「エルサレム賞」授賞式での村上春樹さんの講演内容を、毎日新聞紙上で佐藤由紀さんの翻訳で読んだけれど、“卵と壁”の相似形は世の中の至るところに転がってるなぁ…と実感する。私が転職した当時の出版社は、とても弱小な分フットワークも軽く、採算度外視企画にも賭けてみられる冒険心があった。それが次第に大きくなって、実績保証を優先するようになると、マジョリティに売れる企画しか通らないようになってくる。あたかも卵たる個人が壁たる体制側に取り込まれていくように、内部にいると、体制の論理が致し方なく思えてくる。
 先日のニュースで、小さな製薬会社が、数少ない白血病患者のための薬を開発して実績をあげてきていると紹介していたけれど、大手製薬メーカーでは手が出せないニーズの少ない薬でも、「必要としている人がいるのだから意味があるし、まさにニッチな市場に参入できることこそ我々の強み」と言っていた社長さんの言葉が力強かった。
 出版社も、小さいところの方が面白い本を作れるのかもしれないな、と今だから思う。『津波 ~アンダマンの涙』、機会を見つけて拝読させていただきたいです。

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2009年2月19日 (木)

『一日一生』

Onedayonelife  元の会社の先輩編集者から、「今度作る本の資料本なんだけど、ちょっと読んでみて」と一冊の新書を渡された。天台宗大阿闍梨(あじゃり)の酒井雄哉(ゆうさい)さんの『一日一生』という本だった。大阿闍梨というのは、天台宗では「千日回峰行」という荒行を遂げた高僧に与えられる称号だそうで、およそ地球一周分ほども歩くのだそうだ。酒井さんはこの荒行を2回も満行したとのこと。
 今はやりの聞き書きによる構成で、インタビュアーは友澤和子さんという方だった。酒井さんの語り口は知らないが、本文はざっくばらんで、すごい事も悲惨なことも淡々と短い言葉で記してあり、酒井さんの人生と、修行から得たさまざまな知恵が、押し付けがましくなく受け止められるようにまとめられていた。全5章に各7~10ほどの節があるが、各節3~4ページというリズムも小気味よかった。
 43節のうちで私が感じ入ったタイトルは「仏はいったいどこにいるのか」。拝察するに、これがある種、酒井さんの悟りの瞬間だったのかもしれないけれど、別の意味ではこういう人は、日々開眼しているのかもしれない。大正時代に生まれ、10人きょうだいの長男という立場で戦争をくぐり抜けた人生は、今の若い人が読んでもピンとくるものではないだろう。それでも、何かに心を痛めたりしている人にとっては、宇宙の悠久を感じさせてくれる清涼剤になる。ただただ、人間の卑小さ、時の流れの悠大さを感じ、なおかつ一個人の奥深さや可能性に眼をむく気付きの連続なのだった。宗教って、そういうものかもな。随所に挿入された酒井さんの写真の人相が、味があってありがたかった。
 村上春樹さんが先日、エルサレムでイスラエル文学賞の受賞講演をしている様子をニュースで見た。かつて私が知っていた村上さんとは別人が、そこにいるような気がして不思議だった。敢えてガザ攻撃を批判しに乗り込んだ心意気に敬意を表しつつも「なんか、インテリになっちゃったな」という淡い失望を抱える自分を笑った。宗教者も小説家も、所詮は未踏の人生の修行途中。かつての村上さんなら、小説という手段で、個々人の心の根っこを揺さぶる方法を選んだんじゃなかろうか。その点、酒井さんは大阿闍梨になった今でも「大したもんじゃございませんが…」という立ち位置を貫いておられるところ、好感をもって読み終えた次第だ。

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2009年1月28日 (水)

『シモネッタの ドラゴン姥桜』

Ubazakura  火曜日の午前中は、2時間ほどのパソコンボランティアがあって、どうせ集中的に勉強できないな、と諦観していたため、月曜夜、息子を寝かしつけた10時半過ぎから2時までの3時間半で、田丸公美子さんの『シモネッタの ドラゴン姥桜』を一気読みした。
 田丸さんの性格も、その息子さんの性格も、我が家とは180度異なると思っていたのだが、田丸さんが故・米原万理さんのご友人であったことと、一人息子を育て上げたお母さんの実録エッセイということで手に取ったのだった。帯のキャッチには「息子は開成→東大→弁護士 オモローな母の子育て満載」とあった。
 読後感は爽快。別に、開成・東大・弁護士なんてブランドがなくても、十分面白い内容だったのではないかと思う。全編、ちょっと斜に構えてウィットを効かせた調子で書かれているけれど、初めて読む田丸さんという女性の文章に触れ、何とキメ細やかに肝心な部分で愛情を注いでいるお母さんだろう!と頭が下がった。そもそも、すでに独立した息子のことを書くのに、誕生から保育園時代・小学校時代など、とうの昔に忘れ去っていてもおかしくないコマゴマとした事柄を、なんと詳細に覚えていて、瑞々しく書いていることか。私も相当なメモ魔で、息子が生まれてからしばらくのミルク量やら食事内容やら事件などは記録してあるけれど、今その当時のことを書こうと思っても、ここまで緻密に感情豊かに振り返ることは難しい。16章以降の大学生より先の部分では、ずいぶんアバウトな感じになっているが、それさえ、徐々に上手に子離れしている田丸さん自身を見るようで、私の子離れもかくありたい、と思わされた。
 私が拍手喝采したのは、開成での授業中、他の生徒が私語をしてうるさい中、ユウタ君が「静かにしてくれ!オレは塾に行ってないんだから、集中して授業を聴きたいんだ!」と訴えたシーン! そうだそうだ!やんややんや! 入学と同時に東大に向けた塾に行くのが当たり前のようになっているらしいが、学校の授業も集中して聞けないで、何が塾だ!! また、ユウタ君が、学校での自治活動やアルバイトでの経験から、多くのことを学んでいる様子も微笑ましく読んだ。人間はどんな場面からも何かを学び取ることができる生き物だ。朝から晩まで勉強漬けになるより、少なくとも色彩豊かな世界を楽しめる人間になってほしいと、私も思っている。

 開成時代に見知ったお母様方の中には、常識的に見てトンデモな方々も多々登場するけれど、本書を読んで、開成中高のイメージは私の中でずいぶん脈動するようになった。結局、田丸さんご自身が息子さんの中学受験を決意したそうだが、ある種、経歴のブランド獲得合戦のようにもなってしまう教育方針決定の最中でも、常に客観的でいられる様子に好感を持った。繰り返し、“子育ては百人百様”と書かれているのも、二十数年の育児実人生からの実感なのだろう。試行錯誤の真っ最中の私は、まだそこまで開き直ることもできないが、自分なりによくよく考えて暗中模索していくしかないんだな、と腹が据わった感じがする。
 ユウタ君は実によくできたお子さんなので、実際の場面で役立つことはあまりない気がするが、放任しつつ締めるところは締める見事な手綱さばきには、あやかりたいなぁ~と思った。参考にしたいのは、“あとがき”にあった一文。
―――「いつもお前のことを見ているよ」「お前のことを大事に思っているよ」というメッセージだけは、折にふれ、伝えるよう努力してきたつもりだ。―――
私も、この2点だけはいつでも自信をもって言えるように、おおらかに構えていたい。

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2008年12月18日 (木)

『彼女について』

Banana20081215  夫が珍しく吉本ばななさんの本を買ってきたので、私も拝借して読んだ。前半半分くらいまでは「どうしてこんな悲しい話を書くの~??」と思いながら読んでいたけれど、後半は離すに離せずに一気読み。彼女の本は『キッチン』以来かもしれないのだが、切なくて気味悪いながらも、不思議な読後感。死後の魂の漂いとか、魔性の取扱いとか、成仏することとか、そんなオドロオドロしい非日常的な世界を前に、現実を淡々と丁寧に生き、何かを大切にしながら慈しみ続けることの幸福感が強調され、人の弱さとか強さとか混沌とした内面に対峙させられる感覚。最近こういう小説は読んでなかったなぁ。揺れる青春時代なら、もっと感じるところがあるのだろうけれど、現実どっぷりの今、吉本ばななさんの物語は私には幻想的に過ぎる。むしろ「こんな話をよくここまでキレイに書けたな」というのが率直なところだ。きっと、世の中をとても優しい眼差しで見つめている人なんだろう。批判とか非難ばかりが頭をもたげがちな最近の自分を反省させられもする。
 おいしい珈琲が飲みたくなった。

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