2017年12月 4日 (月)

『量子コンピュータが人工知能を加速する』

 むか~し昔、お金の勉強と思って、いっとき投資を試みて痛い目に遭った私。先日、その時に作った口座を管理する銀行から、「マイナンバーの登録」を要請する手紙が届きました。法改正によって、過去に投資経験がある人も、登録が必要になったとのこと。登録方法は2種類あり、証明書類と併せて紙で郵送する方法と、スマホで電子的に登録する方法だそうで。。。
20171127_8  そんな折、読んでいたのが、本書『量子コンピュータが人工知能を加速する』でした。これによれば、量子コンピュータがもうちょっと進化すれば、SSL等の公開鍵暗号の肝である素因数分解なんて、あっという間に解けるようになってしまうそうで――sweat02。上記のマイナンバー登録の件については、郵送も、電子的登録も、どっちもどっちでリスクはあるものですが、私は郵送を選択(笑)。公開鍵暗号方式より、郵便屋さんの良識を信頼した次第coldsweats01

 それはさておき、本書の面白さ、ハンパない!! “量子アニーリング”という、量子コンピュータの目下の2原理のうちの1つを、最初に提唱したと言われる東工大出身の先生によって書かれているのですが、素人にも読みやすく、とても噛み砕かれています。“アニーリング”というのは“焼きなまし”という意味だそうですが、私は読みながら、刀鍛冶が、熱く熱した鉄を鍛えて、徐々に温度を下げ、堅牢な刀を作るかのような様子を想像しました。量子アニーリングにおいては、この“温度”が横磁場に、“鉄”が量子ビットに、“刀鍛冶”が「ビット同士の相互作用を設定する技術者」に対応しているような感じだったからです。
 また、世の中に多数存在する“組み合わせ最適化問題”の、厳密解を求めるために考案された量子アニーリング方式ですが、例えば、山のてっぺんからスキー板を滑らせて、どのようなシュプールを描くか?という問題に対し、従来の計算機や量子ゲート式のマシンでは、シュプール曲線を計算で求めようとしていたのに対し、量子アニーリング方式のマシンでは、実際にスキー板を滑らせてみるかのようなアプローチ!(実際はここに、トンネル効果なんかも入ってくるようで…)。
 まだまだ不完全で、数々の課題が横たわっているようですが、フィンテックだのリーガルテックだのに加え、いずれはメディテックとかフィジテックとかスポーツテックとかアートテックとかケアテックとか、とにかくありとあらゆる分野への応用が可能になりそうな気配には、興奮を隠せません(費用対効果の問題はありますが…)。
 とはいえ、皮肉なことに、本書を読むことで、人間の脳やヒトの成長・可塑性の凄さが痛感され、シンギュラリティ(汎用人工知能の実現)は、まだかなり遠い未来に思えてしまいました。一方、量子アニーリング方式を採用したD-Waveに当初眉唾だった研究者が、GoogleやNASAがそれを採用した途端、掌を返すように信じ始めたのには、「AI (知性) の研究者が、自分の頭で考えなくてどうする~?!」というツッコミも…(苦笑)。
 とはいえ、量子アニーリングにおいて量子ビット同士の“相互作用”の設定が重要なのと同様、量子アニーリングの理論が、分野横断的な相互作用の中から生まれたことは、基礎科学の未知の可能性を示唆するものとして、心愉しく感じられました。当時は怪しげに思われていた理論を、現実化しようと思い立ったD-Waveのローズと、それを後押ししたMITのロイドとファーヒとの、奇跡のような相互作用には、憧憬の念を抱きました。
 ともあれ、とかく慎重・厳密な従来の日本のやり方には、もう少し、“とりあえずやってみる”という衝動的な力強さも必要かな~?という、ド素人的な印象が、読後に強く残ったのでした。。。
(次は、『エクサスケールの衝撃』を読もうかどうしようか…??)

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2017年11月27日 (月)

『弁護士はBARにいる』

20171122_5  昔お世話になった方から、『弁護士はBARにいる ~悩める社長の法律トラブル対策』という本をご紹介いただき、先の週末で一気読み!(Barには、“弁護士”とか“法廷”という意味もありますね!)
 法律知識のあるBARのマスターが、5人の悩める社長の相談にのり、的確なアドバイスを授けて、相談者が苦境を乗り越えていく様が、BARカウンターを舞台にした台詞劇仕立てで、とても読みやすく展開されています。
 一人の相談に1章が割り当てられ、相談者の具体的なプロフィールがリアルで、章末のワンポイントアドバイスも有用。思わず、「こういうBAR、あったらいいな」と思ってしまいます(笑)。メディアミックス展開も模索されているようで、ドラマ化を是非応援したいと思います♪
 それにしても、弁理士と違い、弁護士さんの仕事というのは、M&Aや企業間契約のようなものを除けば、常に生臭い現実のドロドロした事件(嫌がらせ、詐欺、パワハラ、浮気、離婚、相続、凶悪犯罪etc,etc…)にまつわる相談事が大半で、癖のあるクライアントにもクールに対応する必要があり、海千山千を相手に動じない肝っ玉が必要で、平気で悪いことをするような人にもニュートラルな気持ちで相対する包容力がなくてはならず、人としての鍛錬が必要な仕事だなぁ…とつくづく感じます…sweat01
 巻頭からかなり軽いテイストで、数時間で読み終えてしまえる程、とっつきやすい構成ですが、第5章とエピローグには、結構ホロリとさせられます。弁護士の仕事も多岐にわたり、その取り組み方や姿勢も人様々のようですが、芯になる矜持を失くしてはいけないな~と感じました。
 探偵はBARにいる、弁護士もBARにいる、『弁理士はアキバ(コウバ?)にいる』!?coldsweats01

20171126_3  【La Maisonのケーキ♪】 昨日の午後、弟が、両親を車に乗せ、突然我が家を訪問。玄関のチャイムを鳴らして「宅急便で~す」と悪ふざけしてやってきました(笑)。いい天気だったため、両親を明治神宮の散歩に連れ出したとのこと。「おみやげっ!」とケーキの箱だけ手渡すと、「無理しないようにね~」と言ってサッサと帰っていってしまいましたcoldsweats02。私が近頃すっかり義父母にかまけている分、弟がしっかり両親をケアしてくれているようで、感謝感謝。
 洋梨や和栗やフルーツのケーキに、すっかり幸せ気分。どうもありがとう~♪

 

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2017年11月15日 (水)

『インターネットの法と慣習』

20171108_2  先週、ふとamazonで衝動買いした『インターネットの法と慣習』を読了。なんと、古本として1円で買ったのですが、存外面白くて勉強になった上、“もったいない本舗”という販売者の“しおり”まで付いてきて、申し訳なくなってしまいました(笑)。
 個人的には、前半の、「規範や法についてどう考えていくべきか」という話が面白かったのですが、後半は、「基本的人権確保のため、もっと政治参加を!」と発破をかけられた気分。

 印象的なフレーズを3つだけ抜粋。
・(26ページより)
 日本においては「法」はいつも「既製品(ready-made)」として外国からやってきていた。…私たちが現在依拠している法律も、明治時代に欧州から輸入してきたものだ。だから、形式的にはそうでなかったとしても、実質的には、私たち日本人にとって「法」とは、私たちの代表の意見が反映したものでも、私たちの社会契約から成立したものでもなく、常に「誰かよその偉い人」が作り出したものだったわけだ。
・(29ページより)
 だから、法律を学ぶ人は、法律について学ぶ基礎として、社会や、歴史や、経済や、人間の心理について知らなければならないことになる。…法律を学ぶこと自体が目的になったりしてはいないだろうか。
・(32ページより)
 具体的な「正しさ」をつかさどるのが裁判所の仕事。裁判所は、古い歴史の中から抽出された法(law)と人が定めた法律(statute)とを調和し、具体的事件に適用し、妥当で適切な状態(justice/right)をもたらすことを仕事にしている。

 次は、あるブログに触発されて、『北川一成の仕事術』というムックを読もうかな?とも思いましたが、それを紹介してくださっていた記事だけ読んで、満足してしまった感じ(笑)。

20171114_220171114_1  【クラウドツリー】 昨日の朝は、スカイツリーがすっかりクラウドツリーになっちゃってましたsweat02

 

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2017年10月26日 (木)

『日の名残り』

20171024_2  火曜日、1週間ちょっとかけてのんびり拝読していた『日の名残り』(The Remains of the Day)を読了(以下、ネタバレ注意です)。
 ノーベル文学賞受賞作の読書は何年ぶりか…? キップリング、メーテンルリンク、タゴール、ショー、トーマス・マン、パール・バック、ヘルマン・ヘッセ、ジッド、T.S.エリオット、ラッセル、ヘミングウェイ、カミュ、パステルナーク、スタインベック、サルトル、川端、ベケット、ソルジェニーツィン、大江…このあたりはさすがに遠い昔に読んだ記憶はあるのですが、最近の人になればなるほど、読んでないような…。
 そもそも近頃は、実用書やファンタジーばかりで、あまり文学的な作品に触れていなかったこともあり、読み始めはすごく構えてしまいました。「どんな文学表現に出逢うのか…」「高尚な哲学についていけるか…」「そもそも楽しめるのか…」――けれど、これらの心配はすべて杞憂でした。

 読みやすいし、おもしろい! ヨーロッパの歴史には疎いので、この小説の舞台であるダーリントン・ホールというお屋敷でなされた数々の政治的会議の重要性や意味はわかりかねましたが、そこの主人に仕えた執事の一生の断片から、仕事、品格、老化、看取り、恋愛、結婚、引退…といった人生にまつわるアレコレについて、いろいろと思いを馳せながら読みました。
 本来は、選考委員会が、現代人に問うた「品格」というものについて考えたところを書くべきなのでしょう。また、昔のような貴族と平民といった階級的格差は消えつつあるとはいえ、それ以上の精神的「分断」についても本書から意識させられはするのですが、そうしたことを論じるのは、私には荷が勝ちすぎていますので、ストーリーの副軸であるロマンスについて書いておきましょう(汗)。
 浅薄な読み方でしょうけれど、熟練の執事スティーブンスと、女中頭のミス・ケントンの、交錯しつつも結ばれることのなかった二人の人生に、信頼と愛情の扱い方の難しさを感じました。
 生真面目で、主人と仕事に忠実で、自分の感情を極力抑え込んで品位を重んじる主人公の執事に、途中、かなりツッコミを入れている自分がいました(笑)。自分の考えはないのか?! そこはそうじゃないだろー?! 女性の気持ちが全然わかってない!! 沈着鈍感にもほどがあるっ! 男ってやつはコレだから…キ~、イライラする!coldsweats01
 読後の印象として、まず浮かぶのは、「時計は決して巻き戻すことはできない…」というフレーズ。言葉では伝えきれない心の機微と、到底はかりしれない他人の心。それでもなんとか理解し合おうと、言葉という頼りないものを媒介にして、瞬間瞬間、考え、行動し、発言することで、否応なしに回っていく人生――。
 結ばれることのなかった二人ではありますが、私は、一日一日の仕事の締めとして、執事と女中頭との間で毎晩行われた“ココア会議”は、さぞかし豊かな時間だったろうなぁ~…と、うらやましく思いました。時間を共有して、物事を善くしていくために知恵をしぼりあう時間――なにものにも代えがたい贅沢な時間だったのでは…?と感じます。
 若い頃のようには働けなくなり、とかく人生を振り返りがちになっていた主人公が、旅の最後に出逢った男性とベンチで語らった際に言われた言葉は、そのまま両親や義父母、そして自分自身にも言っておきたいものだと思います。

――「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ。」――
(今の私は、深夜の前触れの夕方はちょっと恐ろしい、、、というのが本音ですが。。。sweat02

【昨夕の義父】 昨夕はケアマネさんが、義父のもとへ、緊急ボタン導入の説明に来訪。これで、家の中からは緊急通報が可能になり、24時間訪問対応していただけることになります!(月数千円也)

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2017年10月 4日 (水)

『単純な脳、複雑な「私」』

20171003  ずいぶん時間がかかってしまいましたが、先日ようやく、『単純な脳、複雑な「私」』を読了。個人的には、前作の『進化しすぎた脳』のインパクトに引きずられて、本書の後半はややダレて読んでしまいました(汗)。
 こういうのが脳科学なのかな~?という素朴な印象。どちらかと言うと、心理学とか認知科学とか社会学とかコンピュータ・シミュレーションとか哲学の分野にも感じられ、まぁ、脳の話は分野横断的にならざるをえないのかもなぁ…と思ったり。倫理的にも、人間の脳で行える実験には限りがあるでしょうし。。。
 ひと昔前、「1/f のゆらぎ」なんてのが流行ったのをなつかしみつつ、“何かしらの規則性がベキ則として現れる”とか、“機能と構造の相互作用を通じて生物は環境に適応していく”という言葉が、印象的でした。最近流行りのメディテーションは、「1/f のゆらぎ」(ノイズ)の自主的コントロールと言えそうです。また、フィードフォワードとフィードバックの重要性も語られていましたが、フィードバックはいわば、昨今の“見える化”とも言えそう。
 先日のNHKスペシャル「腎臓が寿命を決める」と併せて考えると、“自律神経”の“自律”が、「意志とは無関係に独立して作動している」ことを意味するとしても、腎臓の働きをフィードバックする仕組みが作れれば、ある程度は制御可能になるかも…という期待を抱けます。
 著者によると、「心」は、ニューロンのフィードバック回路によって生じる「創発」の産物だとのこと。そうなると、“豊かな心”のためには、フィードバック回路をたくさん回す方がいいのかな?
 最終部分には、脳科学とは、”脳を脳で考える学問”だから、その論理構造上(入れ子構造≒リカージョン)、そもそも「解けない謎」に挑む学問ではないか、と書かれていました。
 読後感としては、なんというかこう、自分が見ているもの、感じていること、思っていることなどが、かなりの部分、錯覚や幻覚なんじゃないかと思えてしまい、不安な心持ちにさせられました。一方、人類は“言葉”を手にしたことで、リカージョンが可能になり、「無限」や「有限」を意識できるようになったのだとしたら、本当に言葉という発明品は、エデンの園の知恵の実のようだな…とも感じました。
 まだ当面、認知症と対面する中で、“脳”の不思議と対峙する日々が続きそうです。

ノーベル物理学賞】 脳の中で重要な役割を果たす“ノイズ”ですが、重力波観測では慎重に取り除くべき存在。昨日のノーベル物理学賞には、残念ながら日本人は含まれませんでしたが、精密観測でノイズと闘う人は数知れず。素人的には、この世のノイズなんて、除ききれるもんじゃないような気がしてしまいますが、日夜そういう仕事に取り組む人もいるんですねぇ。次なる読書は久々に、重力波関係の初歩の本でも探してみる??

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2017年9月 3日 (日)

『進化しすぎた脳』

20170902  ブルーバックス版『進化しすぎた脳』読了。
 認知症の症状を間近に見て、その不思議さに触れたり、AI と脳の差や、脳の存在意義について思いを馳せることが増えているため、とても興味深く読みました。
 率直に言って、まだまだ脳や心については、ほとんど何もわかっていないのかもしれないな…と思いました。脳の神経細胞が、シナプスを通してどんな風に情報を伝えているのかの解説は、とても勉強になりました。また、“視る”ということがいかにフィルターのかかったものか、“同時”と思っていることが実はそうでないか、“記憶”があやふやなものか、“ヒトの進化”は“環境の進化”になりつつあるか、“脳”がどれほど身体に規定されているか等々、ある意味、哲学のような問答が続くのが、エキサイティングでした。
 私が圧倒されてしまったのは、「脳神経の回路のシナプス状態の組み合わせ数は2の1000兆乗で、宇宙全体の原子の数をはるかに超えており、それらが絶えず時間と共に変化していくのだから、脳には“再現性”があるとは言えず、そういう意味では“科学”も個々人の解釈に委ねられた“文化”である」というニュアンスの記述。“客観的”とか“エビデンス”とかいう科学的と言われてきたことが、実は大した根拠とはなりえず、単なる一部の相関を表すに過ぎないのかもしれないと考えると、何人もの偉大な科学者が、最終的には「心」や「意識」の思索に耽りゆくのも無理からぬことだなぁ…と感じました。
 学生時代に物理の基礎を学んだ際、「相互作用」の重要性を痛感しましたが、脳科学の話を読んでもやはり、「相互作用」が大事なんだなぁ…と思いました。人生長くやってみても、同じく「相互作用」が大切だと感じています(笑)。
 次は、同じ著者の『単純な脳、複雑な「私」』にシフト~!!!
(池谷先生のおかげで、私の介護ヘルプ生活は、ずいぶん彩深いものになっています、ありがとうございます)

【手を握る】 土曜日、夫が父を連れて、ショートステイ先の母を訪問。食が細っていた母が、その日は、朝食は完食、昼も半分は食べられたと聞いて胸をなでおろしました。母は、長い時間、父の手を握り続けて、その訪問をとても喜んでいたということです。なんだか、心温まる光景が目に浮かぶ、夫からの報告でした。
(それにしても、この前の日に、ほぼ一日がかりで受診した血液検査のことは、もう一切覚えていなかったそうで、短期記憶は相当欠落してしまっています)

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2017年8月22日 (火)

『できない脳ほど自信過剰』

20170814  先週月曜日に、標題の本を読了。まず、コラムをまとめた本にありがちな通り、タイトルと内容はほぼ整合していません。全63個のコラム中の、3番目のコラムの内容から捻りだされたキャッチーなタイトルのようです。というわけで、読み始めた動機の、「我が家で見受けられる自信過剰脳は“どう”できない脳なのか?」という疑問は、なんら解決を見ないままです(苦笑)。
 また、「脳の可塑性を研究」しておられる著者の独自見解や研究内容が開陳されるというコラムでもありませんでした。むしろ、日々のルーチンとして目を通しておられる「ネイチャー」「サイエンス」「セル」その他の学術雑誌から、一般の人が興味を持ちそうで、比較的易しく解説できそうなテーマを拾ってきては、日常のレベルに押し下げて検討し、池谷先生独特の感想を交えて紹介する、というスタイルが踏襲されています。日常の小さな描写→それに関連する最新知見の紹介→著者なりの検討→身に引き寄せた感想…といった感じの流れが、62回繰り返され、最後に「人工知能が活躍する時代に」と題して、これからの時代の、深層学習との付き合い方を指南してくださっています。日々これだけの量の論文に目を通すのは、さぞかし大変なことだろう…と想像しながら拝読しました。

 もはや、自己書換が実装された人工シナプスなんてものまで出来、MITからは「人工芸術はヒトの創作性に疑問を投じる」なんてレビューが出てしまう時代。ヒトの脳って、今後はどんな風に使っていくのが最適なのか? 本書を読んで、これからはそんなことをツラツラと考えながら日々を過ごすことになりそうです。

 例によって付箋だらけになったページの中でも、特に印象深かった記載をいくつかメモ。
・「自分の思考について、その参照元を示せるのが一流。二流は借用であることを忘れている」(p.28)
・「食欲がないのに食べると健康を損なうように、興味がないのに勉強しても記憶にとどまらない」(p.74)
・二足歩行を実行する精巧な神経メカニズムは未だ未解明。ただ、答えは脳でなく、脚にあった(p.87)
・ヒトだけが持っている大切なもの。それは笑顔(p.135)
・ヒトは遺伝子と文化という二つの情報を後世に「二重継承」する(p.137)
・美食とは、さしずめ「舌の性感マッサージ」といって語弊はない(p.151)
・脳は「プロアクティブ(先を読んで行動すること)な組織」(p.167)
・後悔は落胆よりも高度な感情(p.178)
・ミクロビオーム(腸内にどんな細菌が住んでいるか)研究が、自閉症や肥満や嗜好解明にも貢献(p.193)
・iPS由来の再生脳に「心」は宿るか?(p.214)
・デザイナーベビーの特許がアメリカで登録に(p.216)
・「京」は1千万ワットの電力を消費するが、「脳」はわずか20ワット(p.226)

【シンクロ?!】 本書を読み終え、次の『進化しすぎた脳』を読み始めた日の晩、たまたま付けたTBSの番組「人間とは何だ…!?」を見ていたら、なんと、本書著者の池谷先生が出演されていました!!

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2017年8月 9日 (水)

『九十歳。何がめでたい』

20170807_6  一昨日、佐藤愛子さんの『九十歳。何がめでたい』を速読。去年の8月刊行の本ですが、今年の6月で18刷になっていました。多くの人の口の端にのぼり、共感が広がっているのかもしれません。それにしても、1200円を2~3時間で読んでしまうのは、ちょっともったいなかったなぁ~coldsweats01
 まず、何はさておき、90歳を過ぎても、文章を書く仕事ができる佐藤さんの幸せを想像するだけで、何ともうらやましくて、そんな老後をウットリと想像してしまいました。内容は、まるで実家の母の主観満載の言い草を聴いているようでしたが、だからこそ親密感も説得力もあって、どれも正論に感じてしまうのでした。
 題材の多くを、新聞に掲載された「人生相談」から拾い、“私ならこう考える”と斬ってくれていますが、そういう頭の体操もアリだなぁ~と、私も老後の楽しみが1つ増えました(笑)。
 読み始める前は、老後の生活がどんなに滑稽で悲惨で、周囲を巻き込んで苦労しているか…という話に終始するのだと想像していたのですが、とんでもない! 介護者の参考になるような話は、何一つありませんでした!! 同居する娘さん一家とすら一定の距離を置き、週2回のヘルパーさん頼みで自律して生活しているご様子には、ただただ「アッパレ!」と叫ぶしかありません。
 先日亡くなった日野原先生を、NHKのクローズアップ現代が特集していた際、晩年お世話をしていたのが、“次男嫁”として紹介されており、ショックを覚えた自分が蘇りました。あの超人のような日野原先生ですら、最期の日々は誰かの手を借りざるを得ない……当然と言えば当然なのに、妙にガックリ来てしまったのです。佐藤さんには、そんな気配すらなく、どうしたらそのようにいられるのか、生活リズムとか食生活とか通院状況とか、そういった諸々を伺ってみたい気持ちでいっぱいです。
 1923年生まれの佐藤さんは、あと6年で百寿。どうかどうか、その時にまた、『百歳。何とめでたい』を拝読させていただきたいです!

【進歩とは?】 知財人視点で印象的だったのは、本書の随所に、「進歩とは何ぞや?」という疑問が散りばめられていたこと。ここ90年の技術進歩を目の当たりにしてきた人だからこその感慨でもあるのでしょうが、目新しくさえあれば進歩なのか?という佐藤さんの疑念からは、(まぁスマホとかトイレの進歩はともかく)“進歩性”ってもっと多面的に見ないといけないのかも…と思わされました。。。

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2017年6月22日 (木)

『デジタル著作権』

20170616  2002年に刊行された書籍。なのに、すごく面白かった! 一般書の体裁ではありながら、かなりハイエンドな内容。たぶん、刊行当時の私では、今ほどには読みこなせなかったんじゃないかと思います。この当時、よくこれだけの著者に、これだけの事を書いてもらえたなぁ…と感心しきりだったもので、本書の版元の知り合いの編集者さんに、企画した担当者を調べてもらったら…。私も少~しだけ知っている人でした! 当時から、すごく知的な雰囲気を醸す緻密な感じの方でしたが、なんと今は、成蹊大学の教授になられているとのこと! 仕事しながら、大学院に通われてたんですね~!! あっぱれ!

 で、中身はと言うと…、11人の各方面の専門家が、情報技術とインターネットの発展下での著作権制度について物申しておられるのですが、中でも、名和小太郎先生のパートには、ウンウンとひたすら頷いてしまいました。なんというか、軽妙かつ論理的な語り口が、モロに私の好みで、ツボにハマりました(笑)♪ 名和氏の関心や問題意識にすごく共感したわけですが、特に、「ユーザー不在の議論」を問題視されている姿勢にシンパシーを感じました。名和氏が、ある審議会に参加した際、「議論がユーザー不在ではないか?」と質問したそうですが、そのとき事務局は名和氏を指して、「あなたがユーザーである」と言ったのだとか(p.115)。以来、名和先生は、ユーザーの勝手連を通すことにしたそうです。
 誰しもが、著作権法と無関係では生きられない今、“法の不知は守られない”なんて原則に恐れをなさずとも、普通の人が普通にのびのびと、創作や発信が行える世の中がイイな~、、、取り扱い説明書なんて読まずとも、UI に触れるうちに自然と正道を歩めるような世の中がイイな~、、、というのが、法律をかじった私の率直な思い。今後ますます、現今の著作権法について議論されることになると思いますが、私も、この先生の姿勢を忘れずにウォッチしたいものだと思います。

 後半に、当時日本ペンクラブ理事だった秦恒平さんの寄稿もあるのですが、コレがなかなか、旧来の著作者の率直な“著作権考察”として面白かったです。
 そしてまた、“鋼錬”の実写化で気になる映画監督の曽利文彦さんの考察は、前記の秦さんのものとはまた次元の違う、ボーダレス・マーケットを模索するチャレンジングな印象でした。特に、以下の文章は、私の初心を思い出させてくれるものでもあり、読んだ甲斐がありました!
――(p.317-318より) 日本のアニメーターというのは、あれだけ優秀なものを作っているにもかかわらず、非常に低賃金である。たとえば、ある知人のデザイナーは、アニメのメカ系で優秀なデザインをたくさん制作していて、その出版物などがどんどん世に出ている。彼が本を見せてくれたときに、「この本に君のデザインが出ているけれど、印税はいくらもらっているの?」と聞くと、「いや、知らない」と言う。もちろん最初に作品を作った際に、買い取りというかたちなのだろうが、それ以降はお金など一切入ってこないのだ。本になっていることさえ知らなかったり、あるいは本人が自分で本屋で買っていたりするくらいだ。――

 いやぁ~、本書は、もう15年も前の本ではありますが、これから著作権を勉強しようかという人には、是非読んで欲しいなぁ~!

イマジン】 想像してみて、、、著作権の保護期間が5年になった世界を…^^;;;

応用美術の著作権保護】 TRIPP TRAPP事件の判決に共感した後、ふと読んだ「応用美術の著作権保護 ―「段階理論」を越えて ―」という論文に感銘を受けていた私ですが、明後日、その著者である上野先生の公開講座が!
演奏権】 7/14午後の公開講座で“演奏権”について、橋本・福井両先生の講演…聴きたいけどどうしよう。
確認訴訟提起】 JASRACに対する演奏権をめぐる請求権不存在確認訴訟がついに提起されました。。。音楽教室に限らず、公立学校関係者の方々にも、JASRACの利用規程に一度お目通しいただきたいところ(冷や汗が出るケース、結構あるんじゃないでしょうか…?)。

 

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2017年6月13日 (火)

『アキラとあきら』

20170608_220170608_1  池井戸潤さんの『アキラとあきら』を、先週末に読了。
 バンカーの存在意義を、ストーリー仕立てで教えられたような読後感。一度でいいから、バンカーがしたためた渾身の稟議書というのを読んでみたいと思いました。損益計算書や貸借対照表の数字から、企業の来し方・行く末までを全方位的に読み取る術、できるものなら身に付けたい…(笑)。
 また、「人の目を曇らせるのは、無意味な“劣等感”や“自己顕示欲”なんだなぁ…」というのが、しみじみ痛感される一冊でもありました。ダブル主人公の「アキラとあきら」は、いずれ劣らぬ優秀な二人。優秀だから目が曇らないのか、目が澄んでいるから優秀なのか、そこは“鶏と卵”のようですが、事に当たる場合に、いかに余計な雑念を交えずに熟慮できるかの大切さを教えられます。(普通に考えたら、このタイトルで、同期の超優秀なこの二人の間に、何かしら確執めいたものを想像しますが、嫉妬らしきものすら微塵の描写もないところが不思議なほどでした)

 WOWOWオンラインで7月9日からドラマが始まるようですが、上述の“数字を読む”面白さを、ドラマではどうやって再現するんだろう…? 同じテーマでも、書く編集者により全然様相を異にする企画書になるように、同じストーリー展開でも、書く作家によって全然様相を異にする小説になるように、同じ発明でも、書く特許技術者によって全然様相を異にする明細書になるように、同じ罪状でも、書く弁護士によって全然様相を異にする訴状になるように、同じ融資額でも、書くバンカーによって全然様相を異にする稟議書になるらしい。。。その醍醐味こそが、本当は本書の最大の見せ場なんだと思うんですが、素人にはその違いがわからないのがなんとも残念!
 “粉飾”という言葉も何度か登場し、そのたびに、目下行われているであろう某電機メーカーの決算処理に思いを馳せました。世間のそこここで、“チョイと鉛筆をなめる”程度のことは見過ごされているのでは…と感じてしまいますが、巧妙な粉飾も、見る人が見て、然るべく追及すれば、案外見抜けるような印象を本書からは受けました。監査の能力もピンキリなんだろうか…と感じつつ、金策の綱渡り感もまた、ある種のドラマなんだなぁ…と痛感。
 今や、多くの人が会社勤めをし、サラリーをもらって生活しているわけですが、その陰では、社員やその家族の生活を担う経営者と銀行との、丁々発止の資金繰りが必ずや行われている――そういう意味では、様々な人の人生の縮図を見るようで、途中、繁華街の交差点にある喫茶店でマン・ウォッチングしながら読み進めたりしました。お金の問題は、日々の暮らしと切っても切れない現代人の日常――銀行にドラマあり!…と、つくづく感じます。
 人のお金で商売する銀行や証券会社等に対して、なんとなく割り切れないものを感じることも多いのですが、本書に出てくるような「お金を“人”に貸す」人たちになら、手数料や利子を払っても惜しくないかも…と思いました(笑)。池井戸作品を読むといつも、現役時代にきっと、いろいろ悩み苦しみあがいてきたであろう池井戸さんご本人の仕事ぶりが感じられ、等身大の迫真・切迫感を味わいます。今回も、一気に2日で読ませていただきました。力作を、ありがとうございました!

PS:p.623と624に、「彬」であるべきところが「瑛」になってしまっている誤植を2か所発見。あとは前半に1か所、文字抜けがあったかな…?

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