2006年8月 3日 (木)

タイムスリップ1997-47

ママのかわいい子猿ちゃん

 さあ、出番ですよ!

46.長い夜が明けて・・・

 予期せぬまま陣痛室に入った夜、外は雨がしとしとと降り続いていた。ベビーアクトを付けて横になったまま、ジェットコースターのように緊張と興奮を交互に味わいながら、部屋の窓に打ちつける雨音に耳をすませて気を紛らわせた。1時半ごろから明け方までの長かったこと長かったこと。宿直の看護婦さんと助産婦さんに交互に背中をさすってもらいながら、フッフッフーの呼吸を何回したろう。全身汗まみれで、うーうーと唸る私をよそに、赤ちゃんの心拍は100と150の間をゆるやかにさまよっていた。明け方近くには、もう、何かにつかまっていないと痛くて痛くて、ベッドの横の機械にしがみついたりしながら、痛みを何とかやり過ごしていた。家族に連絡して来てもらうゆとりもないまま、暗い夜の陣痛室でたった一人で痛みに耐える姿は、今振り返っても哀れである。お腹の子は、出てこようと一生懸命なんだと想像して、「頑張ろうね!」と心の中で声を掛けつつ、同じことをくり返していた。
 ここから先はもう、朦朧とした中でのことで、あまりはっきりとは覚えていない。ただ、朝6時15分頃、子宮口が全開したとのドクターの診断で、分娩室に移動させられた。それから8時30分の人員交代の時刻まで、夜勤の助産婦さんの介助で陣痛を乗り切った(私は痛みに耐えかねて、この人の手を何度握ったことだろう)。ところが、人員交代の時間が迫るころ、私の陣痛はだんだんと間隔が伸びて、弱くなってしまっていた。小林さんという大柄で気さくな助産婦さんと交代になって、また同じことをくり返した。助産婦さんというのは本当にきめ細やかに対応してくれ、神様のように見えてしまう。水を飲ませてくれたり、腰をさすってくれたり、声をかけてくれたり・・・。9時ちょっと過ぎ、弱まってしまった陣痛に檄を入れるため、陣痛促進剤を入れた点滴をすることになった。するとみるみる効果が現れて、痛みの間隔が短くなった。排臨(赤ちゃんの頭が見えてくること)になると、助産婦さんが、「あ~、見えてきましたよ! ●●先生よりずっと毛が濃いよ~!」などと笑わせてくれた。運命の時は近いと思うと、痛いながらも興奮して、俄然元気が出てきた。痛みのやり過ごしかたにも慣れてきたようだった。ただ、私のイキミの力不足のせいか、赤ちゃんの頭は見えたり引っ込んだりをくり返して、なかなかその先に進まないようだった。あまりその過程が長いので、ドクターはついに会陰切開に踏み切ることにした。これ以上赤ちゃんに負担をかけるのは危険との判断だった。痲酔はしてなかったのだろうが、私には切開される痛みはほとんど感じられず、「とにかく早く出てきて~!」という気持ちだった。すると、それから4回ほどのイキミで、一気にきた! 自分でも、出てくる感じがなんとなくわかり、長い便秘についに終止符が打たれるかのように、思いっきりイキんだ。どろろろろん! そんな感じだった。出てきた直後、助産婦さんは赤ちゃんを持ち上げ、私に見えるようにしてくれた。私は、抱え上げられたわが子の、羊水にまみれて白くネバネバした、それでいて真っ赤な顔を、しっかりと目に焼きつけた。1998年4月9日(木)AM10:03、男児2560グラムの誕生である。
 正味14時間ほどの格闘の末生まれた赤ちゃんと、看護婦さんにキレイに洗われ、分娩台の上で対面したとき、彼が、ニッコリと微笑んだような顔をしたことは一生忘れない。まさに太陽のように輝く微笑み! こうして私の長い夜は明け、外は雨模様ながらも、心の中にはしっかりと陽が射し込んできたのだった。

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2006年8月 1日 (火)

タイムスリップ1997-46

ママのかわいい子猿ちゃん

きたーー!

45.初めての陣痛が来た!

 安静入院させられて、不味い昼食を食べ終えた12時25分、病院のベッドで一人横になっていたせいか、神経が研ぎすまされた感じで、前駆陣痛のような痛みを感じた。そもそも陣痛というのがどんな痛みなのかわからないのだから、身体のどこかがちょっとだるかったり痛かったりすると、それはすべて陣痛ではないかと疑ってかかっていたので、これも怪しいことは怪しい。
 病室は4人部屋だったが、私を含め3人の患者が入っていた。私以外の二人は妊娠中毒症の人で、もう2週間も入院しっぱなしという人もいた。私もここでしばらく安静にして1週間後くらいに生まれるのかなぁ・・・と漠然と思った。今日生まれれば花祭りで仏様と一緒の誕生日になるのに~などと残念がって、午後は鬱々としてベッドに横になっていた。夕方、父と母が来てくれ、ありがたい差し入れを置いていってくれた。夫には夕方電話を入れ「とりあえず安静入院したけど、予定日はまだ1週間先だからねー」と暢気に話しをした。
 ところがその夜、8時を少し回った位の頃、また鈍い痛みが私の腰を襲った。生理痛のようなず~んという感じの重い痛みだった。私はとにかくメモ魔で、暇さえあれば気付いたことをなんでもメモっておく質なので、痛みを覚えた時刻もメモしておこうと思い立った。以下、痛みの間隔である。
20:08、20:28、20:44、21:01、21:44、22:03、
22:12、22:31、22:41、22:57、23:07、23:18、
0:01、0:15、0:29、0:42、0:52、1:01、1:07。と、ここまで来て、時間間隔が短くなっているのに気付き、さすがに心配になってナースステーションへ報告に行った。まだ産まれるわけないとは思いつつも、絵に描いたように見事な陣痛の移り変わりに、かなり動揺していた。ステーションには看護婦さんと助産婦さんの2人しか宿直がおらず、陣痛室で様子を見ることにした(陣痛室はステーションの隣にある)。陣痛とはまこと不思議な現象で、痛いときとなんでもないときとが、交互にやってきて、その間隔がだんだんと短くなり、しかも痛みが増してくる。さも、これから来る激痛に備えさせるかのように、忍者の修行のごとく、じわりじわりと厳しさを増してゆくのだ。私は陣痛室でその経過に身をゆだねながら、痛いことは痛いながらも、陣痛の規則性が面白くて仕方なかった。
 これが私の生まれて初めての長~い長い夜になるとは、想像もしていなかったのだった。

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2006年7月31日 (月)

タイムスリップ1997-45

ママのかわいい子猿ちゃん

 もうほんとにカウントダウンです!

44.カウントダウンの頃の身体

 3月の下旬頃から、お腹はますます重く感じ、歩くのも動くのも億劫になって、ひたすら実家で食べて寝て(安静にしているように注意されたこともあって)ビデオを観て・・・という人生に一度か二度かという実に優雅(?)な暮らしをしていた。何度か、破水したのでは?という状況に遭遇して、病院に電話して指示を仰いだりもしていたが、特に大きな変化のないまま時は過ぎていった。
 カウントダウンの頃というのは、「いつ来るかいつ来るか」と待ち構える体制なので、ちょっとのおりものを破水(卵膜が破れて羊水が流れ出る)と思ったり、お腹が疼く程度でも陣痛が来たかと思ったり、とにかくびくびくしていた気がする。
 前回の検診で安静入院を勧められたのを断わって1週間後の4月8日、朝5時にお下が変な感じがしてトイレに行くと、「おしるし」があった。「おしるし(産徴)」というのは少量の血液が混じった粘液のおりもので、これを見て数日でお産になるケースが多いという。「こりゃー検診で報告せねば!」と、ようやく兆しの現れたことに興奮して、「今日も安静入院を勧められたら、即入院してしまおう!」と母にもその旨告げておいた。
 検診で、羊水は依然少なく胎児は約2400グラムでまだあまり大きくなっていないと言われた。心拍モニターとマイリス注射をして即入院。病室は、妊娠中毒症の人たちと一緒で、初めての病院食を食べることになった。初めてということでメニューはよく覚えている。卵・ネギ・油揚げ・豚肉の具が入ったソフト麺に、りんごとプリン。それだけ。ハッキリ言って不味い! こんな食生活を1週間も強いられたら、げっそりして出産に臨むことになりそうだと心配した。
 とにもかくにも、こうして私の入院生活が始まったのだった。

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2006年7月30日 (日)

タイムスリップ1997-44

ママのかわいい子猿ちゃん

 キミが生まれてくるまでには、いろいろ検査も受けました。

43.正産期のいろんな検査

 4月に入った。今月13日が予定日だから、もう立派な正産期。エイプリールフールの検診では、出産間近ということでいつもより多くの検査をした。恒例の尿検査や血圧・体重測定、お腹周りの測定やむくみの確認を済ませたあと、内診をして血液検査をして赤ちゃんの心拍モニターをして、E3検査という尿検査の追加もした。また、私は少し羊水が少なく子宮内環境が芳しくなかったので、先生は赤ん坊を早めに外に出した方がいいと考えて、マイリス注射というのまでされた。マイリス注射は、産道を熟した柿のように柔らかくする働きがあるのだそうだ。またE3検査というのは、その場で尿を採取して、尿中に出ているホルモンの量を調べ、胎児と胎盤の状態を知ることができるらしい。先生はこの日、私に、もう安静入院してしまった方がいいかもしれないとおっしゃった。強制的にというわけではなかったが、だいぶ私の子宮内環境を心配しているらしい。私は、そんなに切羽詰まった状況とは考えられずに、自分の体に問いただし、結局もう1週間様子をみることにした。
 家に帰って、母にいろんな検査の話しをしたら、昔はそんなものほとんどなかったと言って驚いていた。このほかにもまだ、羊水を採取して胎児の異常を調べる検査などもあり、社会問題化しているが、確かに検査も程度問題だと思う。なんでもかんでも調べて、意に沿わない状況なら産むのをやめるなんて、あんまり自然なこととは思えない。まぁ、子供の一生に関わる問題だから、そう易々とは結論を出せないし、考え方も人それぞれだから難しい。私の場合、どの検査でも特に異常は発見されず、あとはひたすら無事に出てきてくれることだけを願う、ということになったのだった。

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2006年7月29日 (土)

タイムスリップ1997-43

ママのかわいい子猿ちゃん

 カルテって、たいてい意味不明のことが書かれてますよね。

42.カルテの中のハテナマーク?

 3月18日の定期検診。この日、逆子が直っていることが判明した嬉しい検診ではあったのだが、一難去ってまた一難。予定日まで1ヶ月をきったというのに、お腹の子はまだ2100グラム程度で、羊水の量がとても少なくて赤ちゃんが苦しがってしるかも、と先生に言われた。お腹の中の子の体重は、ECHOで頭の直径をはかってそこから概算するらしいのだが、誤差もかなりあるらしく、それほど深刻になる必要はないが、統計的に見て小さめであることは確かなので、慎重に対応しようということになった。私もECHOの画像を見せてもらったが、確かに首の周りくらいにしか羊水の陰がなく、いかにも窮屈な子宮に見えた。先生は私を、40分ほどNSTという心電図検査の機械にかけ、「今のところ元気だけれど、来週も検査しましょう」とおっしゃった。この機械、この日はTOITU(株)というところのものだったのに、次の検診ではベビーアクトという新機種に変わっていた。検査中時折赤ちゃんの心拍が「0」表示になって青くなった私だったので、ただでさえ不安だったが、早速の機械変更にはさらに不安にさせられた(TOITUさんが悪いわけではなく、機械の説明をきちんとしてもらわなかった私がいけないのです)。
 検診のあとの先生との面談中、先生は私のカルテにこっそり「?」マークを記入した。私はそれを見逃さず、かと言って「それはどういう意味ですか?」と尋ねる勇気もないまま、逆子が直ったことだけを好材料として胸に秘め、そろそろと家路についたのだった。(結局この?マークの意味は最後までわからず終いだった。)神経質になっていたのか、その晩私は、その先生がお坊さんになって108つの荘厳なお経を唱えている夢をみた。変な夢だった。

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2006年7月28日 (金)

タイムスリップ1997-42

ママのかわいい子猿ちゃん

 お母さんは、子どもが生まれる前に母親学級というクラスを受けなければなりません。

41.初めての母親学級

 妊婦になると、各病院や地域主催の母親学級なるものに数回参加しなければならない。「母親になるための学級」なのだけれど、母親学級という名前なので、お腹の中の子への責任を痛感させられもする。
 3月16日、私も初めての母親学級に参加した。ぎりぎりの里帰りなので、最初の数回はパスして、後半の2回だけの受講にした。プログラムは、入院の心得や、産褥について、新生児について、妊産婦体操などの予定だった。私はてっきり、教室のようなところで、1時間ほど座りっぱなしで話しを聴くだけかと思っていたのだが、なんといきなり、陣痛室と分娩室に案内されたものだからびっくり。どちらにも、おどろおどろしいベッド(?)があり、そこに自分が間もなく横になるというのが信じがたかった。陣痛室では、ベッドの横にベビーアクトという赤ん坊の心音をモニターする機械が備え付けられていて、ここでかなりの時間、陣痛に耐えながら時が満ちるのを待つのだそうだ。分娩室は、意外に明るかったけれど、分娩台は屈辱的で、ベッドの横の握り棒が、いかにも苦痛に耐えるための道具らしく光っていた。この2室を見学したあと、お腹の大きな妊婦たちはぞろぞろと連れ立って絨毯敷の体操用の部屋に入れられ、そこで今度はビデオを見せられた。それがまぁ、先日見た「Face Off」というアクション映画よりもっとショッキングな映像だったのだ! なにしろ、実際のお産の様子を、途中多少の省略はあるものの、最初から最後まで見せられたのだ。画面の中にはほとんど変わらずうーうーと唸る妊婦がいて、アングル変更はまったくなし。ひたすら同じ光景が流れ、無気味な声だけが部屋に響いていた。一緒に見ていた妊婦の中には気分の悪くなった人もいたようで、途中トイレにたったりしていた。私もなかなか直視できずに、時折窓の外の景色など見ながら、なんとか見ていた。最後に赤ちゃんがつるんと出てきて、やっと皆、そんな状況から解放されたのだが、産まれたシーンへの感動より、ビデオが終わったことへの安堵感の方が大きかった気がする。百聞は一見にしかずとは言うものの、こんな恐いビデオを見せる意味があるのかどうかは、ちょっと疑問だった。私には、「ふっふっふー」の呼吸練習だけで、十分だったように思われて仕方ない。(最近は、母親学級とはいえ、お父さんも一緒に来ているケースが多く、この日も5人ほどの男性が混じってそのビデオも見た。御愁傷様、としか言えなかった)

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2006年7月26日 (水)

タイムスリップ1997-41

ママのかわいい子猿ちゃん

 インターネットのない時代とある時代、人生にも大きく影響しています。

40.ありがたいインターネット

 家から実家に持ってきたもので一番重かったのが、 Power Bookというノートパソコンとモデムのセットだ。産前休暇に入ってから、毎日かかさずメールチェックしていた私には、これは必要不可欠な「社会への窓」だった。会社の私のアドレス宛てに来たメールも転送してもらえるようになっているので、社内の細々した情報まで入ってくる。今度の昼礼のこと、伝票の締めきり日のこと、編集部内の連絡、誰某の親戚が亡くなったなど、あらゆる知らせをすべて社内メールとノーティスボードで通知する私の会社ならではのメリットだ。こうして私は、長期の休暇に入っても、あまり疎外間を持たずに済んでいるのだろう。サテライトオフィスを認めてもらえれば、まだまだ仕事もできそうな雰囲気だ。
 さすがに、会社では専用回線でも、家や実家では電話線を通しての接続だから、あまりネットサーフィンなどはできない。それでも、インターネットを使えるという状況がこれほど便利なものとは、今まで想像しなかった。夫が、結婚前ドイツで働いていたときには、まだインターネットが今程普及しておらず、週末になると車で数時間のデュッセルドルフまでわざわざ新聞を買いに行ったと話して、二人で笑ったことがあった(今なら毎日ネットで新聞も読めるのに)が、私も、こういう状況になって、改めてインターネットの恩恵をひしひしと感じることになったわけだ。友人の多くもネット利用者なので、毎日軽いおしゃべり感覚で近況もわかる。それこそ、「元気?」「元気!」だけだっていいわけだ。電話だとなかなか改まってしまって御無沙汰になりがちでも、メールなら手軽にやりとりできる。妊婦には最高のおもちゃと言えよう。たまには手紙のように心のこもった言葉をやりとりしたくもなるが、足早に過ぎ去る日常で、ほんの些細な言葉を掛け合える幸せというのもあるんだなぁと、メールのありがたみも再確認した。まったく、妊娠というやつは、いろいろと目からウロコを落とさせてくれるものだ。

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2006年7月25日 (火)

タイムスリップ1997-40

ママのかわいい子猿ちゃん

 いよいよ会社も休み、実家に帰ることに!!

39.春一番とともに実家へ

 3月14日、春一番の吹く中、大きな荷物を抱えて車で実家に向かった。途中、学生時代の友人の住むマンションのすぐそばで休憩を取ったのだが、しばらく会っていなかったので懐かしくなって、つい彼女の携帯へ電話を入れてしまった。「今ねー、すぐそばのジョナサンでブランチ取ってるんだ。これから実家に向かうところ。近くに来たからつい電話しちゃった!」と、時間もわきまえず話した。これから先、どうなるかもわからず、当分会えないと思って闇雲にかけた電話だったが、久々に声が聞けてなんだか嬉しかった。実家入りしてしまうと、ますます社会から隔絶されるような気がして、友人とのおしゃべりが何よりの楽しみになりそうだった。
 実家では3食昼寝つきになれたらよかったのだが、私の母は勤め人なので、週末以外はたった一人で留守番という、あまり家にいるのと変わらぬ生活になった。ただ、夕食はグレードアップした。父と母と私の三人分ということもあるし、私の栄養には気をつけてくれていたので、ちょっと豪勢に食べまくった。病院での栄養指導が厳しかったから無茶喰いはしなかったものの、何度か尿たんぱくが出るなどの危うい状況になってしまったくらいだ。夫は、この日私を送ってきてくれてからは、毎週末神奈川と埼玉の間を往復するという憂き目をみることとなった。
 実家入りした日の翌日、久々に親子で映画館へ行った。私の大好きなニコラス・ケイジの「Face Off」という映画が放映中だったので、それを観に行ったのだ。アクション映画だということは知っていたが、前に「スピード2」を家で観たとき、お腹の中のわが子は、喜んで(?)お腹をポコポコと蹴っていたので、そう害はないだろうと思っていた。ところが、予想以上に物凄いアクションの連続で、お腹の中の子は静まり返ってしまっていて、さすがにちょっと心配になった。父と母にはさらにショックが大きかったようで、映画が終わってからしばらく、三人して放心状態だった。両親は、「あんまり過激なのは見ない方がいいんじゃない?」と忠告しつつも、我が儘な娘に付き合って、近所のレンタルビデオ屋の会員になって、これから先の私の娯楽を確保してくれたのだった。
 学生時代はろくに一緒に夕食も取らなかったし、結婚してからはだんだんと遠くに引っ越してしまっていたので、これから一ヶ月以上もずーっと両親と顔を突き合わせていくのが、不思議な感じだった。

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2006年7月24日 (月)

タイムスリップ1997-39

ママのかわいい子猿ちゃん

 仕事には引継ぎってものがつきもので、それはなかなかに面倒なものです。

38.残務処理に引きずられる

 産前休暇に入って数日後、会社から電話が入り、私の直近の本のことでメーカーから追加修正の要望が入ったという知らせを受けた。マルCがらみのことらしく、よくあることではあるのだが、今回の仕事では既に何回も確認していたことだったので、かなりカチンときた。この件で結局その後数回出社したのだが、すっきり仕事を終わらせて休暇に入る予定が、里帰りする直前まであれやこれやと忙しく毎日のように電話でも残務処理に追われるハメになった。ゆっくりとクラシックでも聴きながら、胎教に勤しもうという計画は水泡と帰した。たとえ会社に出なくても、仕事が動いているうちは気分的に落ち着かず、なんだかそわそわといろいろ気にして、休暇という感じではなかった。はたで見ていた夫は、「この期間ってお給料もらった方がいいんじゃないの?」などと言っていた。
 私のような編集の仕事は、本が一冊できてしまえばとりあえずは一段落なので、残務といってもたかが知れているけれど、これが長期の研究プロジェクトの一員だったり、引き継ぎの人がまったく新規の人だったりしたら、さぞ大変だろうなぁと思った。

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2006年7月23日 (日)

タイムスリップ1997-38

ママのかわいい子猿ちゃん

 友だちが無事出産と聞くと、少し安心するものです。

37.友人の無事出産連絡

 3月の頭、学生時代にサークルで一緒だった友人から電話があった。彼女は私より2ヶ月ほど早く妊娠していることがわかり、妊娠中何度か、連絡を取り合って情報交換したりしていた。その友人が、開口一番「産まれたよー!」と軽やかに声を上げたのだった。私もカウントダウンにかかっていた時だったのでとてもひと事とは思えず、「おめでとー!!」と心からお祝を言うと、その後は質問のオンパレード。「どうだった?どうだった?」 妊娠後期のこと、入院前夜のこと、陣痛のこと、分娩の様子、出産直後の感覚、出産後の入院生活のこと、退院後の生活、そして何より赤ちゃんのこと・・・。2月の上旬に出産を済ませた彼女は、既にすっかり落ち着いてはいるものの、やはり出産の興奮はまだ生々しく残っているようで、こと細かに説明してくれた。ただ、母のたくましさとでも言えるものがもう備わってしまっていて、「なぁに、案ずるより産むが易しよ! 終わってみると呆気無かったよー」とゆとりの発言も出た。また、「いや、産むまではそれしか考えられなかったけど、産んでからの方が大変。とにかく寝られないよー」と脅かしてくれる。まだ産んでない者としては、やはり何を言われても「産む」ことが一番の悩みの種だ。
 彼女の家では、子供を健太郎くんと名付けたという。元気な男の子で、親戚からはもてはやされまくっているらしい。寝られなくて大変と言いながらも、その声はどこか弾んで、息子のことを話す彼女の口調の端々に、彼への愛情が溢れているのが感じられた。学生時代からいろいろ一緒に遊んでいた友達がお母さんになったのだと思うと、なんだか不思議な気がした。面倒見のいい人なので、きっといいお母さんをしてるんだろうなぁと想像しながら、栃木と神奈川という距離も考えずに電話し続けたのだった。

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2006年7月21日 (金)

タイムスリップ1997-37

ママのかわいい子猿ちゃん

 仕事に行かないで家にいるって、不思議な感覚です。

36.マメな主婦になる

 産前休暇に入っての初日、何をしようかと思わず悩んでしまったが、やはり会社に行かなくて済むと思うとなぜか家事に力が入る。掃除機をかけて椅子のほこり取りをして洗濯して玄関を掃いてふとんを干してホワイトシチューを作って花をいけて・・・。それから買い物が長くなる。普段ならすっと通り抜けてしまうような売り場でも丹念にチェックしたり、珍しい野菜の名前を一つ一つ確認して覚えたり。私は買い物でストレス発散するようなことはなかったけれど、24時間自分のために使える時間がもてるようになってみると、買い物が俄然楽しくなった。学生時代以来のこの貴重な時間、買い物なんかで費やしてはもったいないという気持ちも働くのだが、身体が重いこともあって、歩くスピードが落ちると、どうしてものんびりと買い物してしまうのだった。収入がなくなって贅沢できなくなる時期なのに、時間はたっぷりあるものだから、ついつい買い過ぎてしまったりする。
 のんびりと街を歩いていると、昼間の町中は実に子連れの主婦が多いことに気が付いた。昼時ともなると、Mr.ドーナッツやマクドナルドやケンタッキーに主婦がたむろして、ぺちゃくちゃとおしゃべりしながら1~2時間もかけてお昼を食べているようだった。髪振り乱して働くお母さんとは懸け離れた贅沢な光景がそこにはあった。こういうゆとりのあるお母さんの子供と、働きながらのお母さんの子供とは、どこか根本的なところが違ってくるだろうなぁと漠然と思った。どちらがいいのかはわからないけれど、仕事と生活に追われて、精神的にゆとりのない母親にはなるまいと思ったりしたのだった。
 休暇に入ったら、ホームページ作りの勉強や英語の勉強や陶芸やピアノのレッスンなど、普段できなかったことをやりたいと考えてはいたものの、すぐには腰があがらず、最初の数日は暇ができるとテレビを付けてしまった。マメに家事をしてテレビでワイドショーやバラエティーなどニュース以外の番組を見て、新聞のチラシをのんびりチェックして雑誌を読んで・・・これぞ主婦って感じののんびり生活に、身重であることをしばし忘れた私だった。

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2006年7月19日 (水)

タイムスリップ1997-36

ママのかわいい子猿ちゃん

 産休に入ると、いよいよキミの登場を待つばかり!

35.産前休暇に入る

 2月27日、いよいよ産前休暇前の最後の出社日となった。別に会社をやめるわけでもなく、かと言って1年間もの間出社しないわけだから、複雑な心境だ。前日までにほとんどのやれることはやっておいたので、この日は夕方の挨拶回りまで、丁寧に身の回りを整理する。机上の片付けは、周囲への気兼ねもあって、翌日土曜日の休日にすることにする。2度の転職経験と3度の引っ越し経験がモノを言って、片付けは比較的スムースだったのだが、やはり問題は挨拶回り。
 夕方、定時の退社時間を少し過ぎた頃(うちの会社では出版関係の人間はほとんど定時退社などしない)、社内の挨拶回りを始めた。別の編集部や販売・総務・局長のところにも回った。皆、温かく送りだしてくれ、「元気な赤ちゃんを産んでくださいね!」と声をかけてくれた。ちょっと緊張して伺った局長も、実に親身に話しをしてくれ、自分の奥さんも編集をやっていて、若い頃子供ができたときの苦労や子育てをどうやって乗り切ったかなど、具体的な打ち明け話までしてくださった。そうした言葉に力付けられて、滞りなく挨拶回りを済ませることができた。編集部には、長期休暇のお詫びといっては何だが、電気ポットを贈った。編集部の皆さんからは、元気づけの花束をいただいてしまった。明日からの家での生活を思うと、何気なく出社していた職場がちょっと名残り惜しかった。
 直近で作っていた本の作業がまだ若干残っていたので、産前休暇に入っても、電話連絡などで作業は続行する予定だったから、それほど休みに入るという感覚はなかったのだが、こうして送りだされてしまうと、なんだか他所の人になったようで変な気分だった。さて、明日から出産までの1ヶ月ほど、どんな生活になるのやら。

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2006年7月18日 (火)

タイムスリップ1997-35

ママのかわいい子猿ちゃん

 逆子だったキミがくりりんと元に戻った瞬間、忘れません。

34.逆子体操

 2月下旬、年明けあたりの検診で発覚した私の逆子はまだ直らずにいた。よつんばいになって頭を低くする逆子体操なるものも教えてもらって、毎晩のようにしていたのだが、一向に直る気配がない。一度、明け方に破水のような感覚があって、早期破水は逆子や双胎のときに起こりやすいと聞いていたので、真面目に焦った。しかし慌てて行った検診で、破水でないことがわかったものの、逆子も直ってないこともわかり、この時期に直っていないと、このまま帝王切開することになるかもしれないと言われた。お腹を切るなんて絶対嫌だったので、なんとしても逆子は直して、正常位で産みたかった私は、検診の後、看護婦さんに逆子体操の別の方法を問いただした。看護婦さんは、「別に目新しい体操はないんですけど、どうしてもだめなら一度、だんなさんに、逆さ吊りにでもしてもらうしかないかもしれないですね」と、半ば冗談のようなことを言った。この助言をわらにもすがるような気持ちで聞いた私は、予定日まであとひと月というころ、ついに決行した。夜、寝る前に、夫に頼んで、足を持ってそっと逆さに吊ってもらったのだ。逆子体操というやつは、3~5分もじっとつらい姿勢のまま耐え忍ばねばならないのに比べ、この逆さ吊りは一瞬で終わったので楽だった。ただ、これで直るわけもないか、と、ほとんどあきらめていたのだけれど、なんと3月18日の検診で、逆子は直っていると言われた! 果たしてこの逆さ吊りのせいだったのかどうかはわからないので、あまり他の妊婦さんにお勧めはできないけれど、私の場合はなんとなく、これが効いたような気がしている。吊られた瞬間、くるん、とお腹の中で赤ちゃんが回転したような気がしたから・・・。なにはともあれ、教わったことはすべてきちんと試してみるものだと思った。

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2006年7月14日 (金)

タイムスリップ1997-34

ママのかわいい子猿ちゃん

 生まれる前からすでに子どもの教育に頭を悩ませるなんて、ナンセンス?

33.出産前の幼児教育談義

 2月。私の大学時代の友人が無事出産したとの連絡があった。私より数カ月先の出産ということで、この先、わからないことは彼女に聞けばいい、という安心感が生まれた。彼女には、病院のことや、出産準備のことなど、すでにいろいろと情報提供してもらっており、それだけでも心強かったが、さすがに出産してしまったあとの発言は説得力があった。「なぁに、案ずるより産むが易しよ! はっはっは」・・・出産前は何度か入退院をくり返して、決して楽な出産ではなかったはずなのに、それでもとても溌溂として、産前産後のあれこれを楽しそうに話してくれるのだった。
 電話でいろいろと話すうち、予想外の話題に突入した。「あぁ、そういえば、雑誌とかで資料請求なんてしてる?」「えっ、たとえばどんな?」私はなるべく雑誌や本に振り回されないようにと、ほとんど何も読んでいなかったというのが正直なところだったので、一体どんな資料の請求はがきがついているものかさえ想像もつかなかった。「ほとんどあらゆるものの資料請求できるけど、このあいだ、幼児学習教材の資料を請求してみたんだ」な、な、なにー?!「胎教の教材もずいぶんでてるけど、私は生まれてからでもいいかなと思って」えっ、まだ産まれたてじゃあ・・・?「ワールドファミリーのディズニーの英語教材なんていいらしいんだけど、高い高い! でも3ヶ月くらいから始めるのが効果的なんだってー」はっ?英語?赤ちゃんに?・・・私には何から何まで驚くべき話で、考えてもいなかったことなので、なんと受け答えてよいやら途方に暮れてしまった。
 夜、帰ってきた夫にその話をすると、「そんなのいいよー」の一言で片付けられてしまったが、そのくせ「でも公立の学校へは今どきあんまりやりたくないねぇ」などと言う。ってことは「お受験」でもさせるつもりなのだろうか? 受験戦争なんて遠い昔のことだし、生まれてくる子にはまだまだ、と思っていたが、産まれる前からすでに競争は始まっているのかしらんと、複雑な心境だった。まぁ、元気に好きなことをしてくれればいいやと、開き直るしかなさそうだった。
(後日、友人の言葉に感化されて、いくつかの資料を取り寄せたが、数年使える教材でも50万以上と聞いて、即座に断わった)

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2006年7月12日 (水)

タイムスリップ1997-33

ママのかわいい子猿ちゃん

 会社勤めをしていると、産休・育休の申請などは気を使うものです。

32.人事課の対応

 出産予定日まであと3ヶ月ほどになった1月のある日、人事課の女性から呼び出しを受け、産休・育休の説明を受けることになった。これまでも再三再四、メールでその人とはやり取りしていて、私の方から、産休中の給与のことや社会保険・厚生年金の扱いなど、いろいろと質問していたから、今回のミーティングではそれらを再確認して、書類を取り交わすことになったわけだ。一応事情は把握していたが、いざ様々な手続きを始めるとなると、なんだか、いよいよだなという気分になって緊張した。入社以来、人事の人と話をするのも久しぶりだったし、大きなお腹を抱えて、人事課の横の部屋へ入るのもとても気が引けた。会社によっては、出産が決まるとそれとなく肩たたきされるような所もあるらしいから、ミーティングの前はなんとなく、「負けてなるものか」的なアグレッシブな気分でいた。けれど、担当の人と直接話を始めると、そんな気負いは吹き飛んで、とても親身になって説明してくれる相手の人に好感をもった。
 なんでも、毎年産休の申し出をする女性は多くても3人くらいのもので、今年度はまだ私一人だというから驚いた。手続きに必要な書類は各種様々で、クリアファイルにきれいに整理されていて、要点や注意事項も既に添え書きしてくれてあったので、非常にわかりやすかったが、人事の方にしてみたら、ずいぶんな手間だろうなぁと思うとまた申し訳なくなった。数年前に比べて待遇もずいぶん改善されているらしく、予想していたよりいろいろ補助があるらしくて安心した。育児休暇も終えて復帰するときにすべての収支決算をしてみるつもりでいたが、真っ赤赤というほどでもなさそうな雰囲気だ。
 滞りなくすべての説明を終えると、担当の女性は最後に一言こう言った。「では、最後に再確認させていただきますが、必ず復帰なさってくれますね?」!!! 私はまさか、肩たたきこそされても、こんな確認をされるとは思ってもみなかったので、その言葉をありがたく受け止めて、しっかり返答して頭を下げた。別に私の腕がいいからというわけではなく、単に休暇中の社会保険料を半分ほど会社が負担するから、辞められると損になるというだけのことなのだが、それでもとてもありがたい言葉に変わりなかった(私が産休に入ってから政府は、この会社の負担をなくす旨の方針を打ち出した)。
 こうして、面倒な書類をごっそり受け取って、私は意気揚々と編集部に戻ったのだった。

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2006年7月11日 (火)

タイムスリップ1997-32

ママのかわいい子猿ちゃん

 パパもいろいろ大変です。

31 身にしみる夫の優しさ

 正月明けのある日、街は雪に覆われていた。もうずいぶんお腹も大きくなっていたので、雪の中を仕事に出るのはかなり神経を使いそうだった。こういう日に限って、いろいろと外出の予定が入っていて、ますます気が滅入った。坂の多い駅までの道を恐る恐る歩いて行き、一度出社してから、高田馬場や早稲田に打ち合わせに出た。どの道もまだ一面雪に覆われていて、しかもそれが溶け始めているものだから、一歩一歩を薄氷を踏むような心持ちで歩かなければならなかった。
 お腹が大きくなって初めて驚いたことの一つに、『歩く』という行為の普段の何気なさがあった。普通の身体であれば、歩くことに何ら注意も払わずに、ごく自然に無意識に歩いている。それが、妊娠してからというもの、一歩一歩にとても神経を使い、晴れていて道が滑るなんてこともなさそうなのに、それでも恐る恐る歩くようになったのだった。
 だからこの日などはもう、ただでさえ気を使うところへ雪道ときたものだから、ダブルで神経をピリピリさせて一日中過ごした。いつものように9時半ごろ会社を出たときには、ヘロヘロに疲れ果て、家に帰り着いた途端、具合が悪くなってふとんに横になった。お腹が大きくなってからは、帰宅時間を私に合わせて駅まで車で迎えに来てくれていた夫が、私のそんな様子を見兼ねてか、「晩ごはん作るよ」と言って、そのまま私を休ませてくれた。私は、その言葉を聞いて、(神経が昂っていたせいもあるのだろうが)夫の送り迎えや家事のフォローなど、暖かさがジンっと身にしみて、ふとんの中で泣いてしまった。気弱になっているときは、特にこういうありがたさが身にしみるものらしい。その日の晩御飯で食べるはずだった肉だんごは見事に焦がされてしまったけれど・・・。

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2006年7月10日 (月)

タイムスリップ1997-31

ママのかわいい子猿ちゃん

 名前って一生つきあうものだから、大切に大切に決めたいですね。

30 子供の名前を考える

 年末年始、私達夫婦は暇さえあれば名前談義に明け暮れた。人の名前とは面白いもので、なぜかは知らないが、たいていの場合その人となりは、名前にしっくりと馴染んでいるものだ。多くの人が自分の名前について一度はいろいろ考えているだろうから、自分の子供の名前を考えるのは、たいていの場合かなりのプレッシャーなのではないだろうか?
 私には、名前に関して暗い過去があった。小学校の頃、国語の授業で、「『まゆみ』というのは優しい響き、『たかこ』というのは堅い響きがある」というような言葉の音感の話しが出てきて、それ以来、『たかこ』という自分の名前は堅いものなんだ、と潜在意識に刻み込まれ、性格的にもなんだか堅くなってしまったような気がしていた。だから、子供には、優しくて温かい響きのある名前をつけたいと漠然と思っていた。ただ、今回、名前についていろいろ調べているうちに、尊子の尊という字の上の酋というのは、酒を入れる器を意味すると知って、なんとなく酒に強い自分らしくて、バッカスみたいでいいかな、と思えるようになった。
 夫の方は、自分の名が『誠』で、兄弟が『登』と『稔』だったので、なんとなく、漢字一字にしたい気持ちがあったらしい。で、候補に上がったあれこれを思い出に挙げておくと、『嶺(りょう)』『亮(りょう)』『亮(まこと)』『陽(あきら)』『翔(しょう)』『祥(しょう)』『羅菜(らな)』『陽子(ようこ)』などだった。出産直前には、男の子でも女の子でも『陽(あきら)』にしよう、と二人で言っていたのだが、両親は、「女の子で『陽(あきら)』はないんじゃない?」と反対していた。これらはだいたいが、雰囲気の良さもあるが、アニメのキャラクターからいただいている感じがあって、どうしても、『陽(あきら)』に決める前にもう一度、大友克洋さんの『AKIRA』だけは見直してみないと・・と話していた。
 で、お正月休みに『AKIRA』を観た。当時の技術からすれば、このアニメーションの出来は本当に素晴らしかった。ただ、原作の途中までのアニメ化で、AKIRA君の姿が今一つはっきりしないので、あまり参考にはならないということで、気にしないことにした。この『AKIRA』も『黒沢明』も、世界的に有名なことは間違いないので、それに「太陽のように明るく大きく温かく・・・」というニュアンスを加味して、ばっちり、夫婦ともどもお気に入りの名前となった。夫は、物理学者のはしくれらしく「陽子はすべての物質の根源だから・・・云々」とぶつぶつ言っていたが、私はその辺は適当に聞き流した。それぞれの思惑はどうあれ、こんなに平和的に意見の一致をみるのは珍しいことだったので、私達の子供の名前はもう、この時点でほぼ確定してしまっていたのだった。

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2006年7月 9日 (日)

タイムスリップ1997-30

ママのかわいい子猿ちゃん

 年末年始は、大人はいろいろ忙しいものです。

29 年賀状作成

 年末も押し迫って、伸ばし伸ばしにしていた年賀状作成に手を付けた。毎年ずっと、プリントごっこで済ませていたのだが、今年は新しいMACとカラープリンターの導入で、パソコンでの制作にチャレンジした。「宛名職人」という便利なソフトも入手して、案外早く仕事も進んだ。
 文面に、『この春は、家族が一人増える予定です』と書いて、我ながらこそばゆい感じがした。学生時代の恩師がくれる年賀状が、毎年家族全員(6人家族)で撮った写真入りのもので、お子さんの成長ぶりがはっきりわかってとても面白かったので、私も子供が出来たら、多少割高でも、写真入りの賀状を毎年作りたいものだと思っていた。だから、今回の賀状が、手作り最後になるかもしれないなーと思いながら、あれこれと図案を練った。牛年から寅年へ移行する新年だったので、牛と寅の絵を入れることにした。最初はお絵描きソフトであれこれと自分で絵を描いてみたりしていたのだが、しまいには面倒臭くなって、「宛名職人」の中から拝借することにしてしまった。こういう妥協は毎年のことで、今回もちょっと気合いは入っていたのに、結局同じような具合に落ち着いてしまった。「あんまりパソコンの前に座ってるのも身体によくないし・・・」などと自分に言い訳して、さっさと印刷してしまった。
 普通、出産の予定は、無事に生まれて来るまではあまり人に言うものでもないらしいが、こんなビッグニュースをずっと自分一人の中に留めておくなんてできそうになく、賀状にも「あくまで予定」と開き直って、書いてしまった。それでも、出産後も「生まれました通知」を作らなくてはならないのは、皆、無事に生まれたかどうか心配だけれど、何かあった場合に困るので無闇に確認もできず、連絡を待つしかないからなのだろう。だんだんと年賀状も書かない人が増えてきているが、やはりこうした人生のうつろいをふんわりと伝えるには、年賀状ほど便利なものもないような気がする。

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2006年7月 7日 (金)

タイムスリップ1997-29

ママのかわいい子猿ちゃん

 妊娠中も仕事は普通に降ってきて、場合によっては徹夜もあり!

28 妊婦の無謀な一日

 12月10日。またしても妊婦としては少々無謀な一日を過ごしてしまった。この頃、私は一冊の人気イラストレーターさんの画集を編集していた。監修のメーカーさんがとてもこだわりのある人たちで、普通なら印刷所に任せてしまう最終行程でもチェックを入れたいとの要望を飲んで、私もそれに付き合うことにした。ところが、その印刷工場は埼玉県の本庄というところにあって、特急電車でも上野から1時間あまりかかる。しかもラインが動くのは夜中ときた。
 朝、出社してメールチェックその他雑用をこなし、夕方そのまま大宮の実家へ行き、そこでワゴンカーを借りて本庄へ向かった。渋滞に巻き込まれ、3時間かけてようやく工場へたどり着き、印刷の済んだ2折りのチェックをしたあと、仮眠室でしばし休息してから1時に復活。4時までチェックして、それからまた車で大宮まで帰り、6時に帰り着いて就寝。結局この日は1~2時間しか休めなかった。
 ・・・と、ほとんど愚痴にしか聞こえないけれど、私としては無謀ながらも楽しい仕事だったと感じている。滅多に見られない印刷行程を解説してもらったり、メーカーさんと長時間作業を共にして、不思議な信頼関係が築けた気もした。仕上がりは今一つ納得いかない点もあったのだが、やるだけのことはやったという充足感と、技術的な限界を自分の目で確認したこともあって、その後の作業ではメーカーさんの方もあまりうるさい注文を付けなくなっていた。
 編集作業的にも無謀だったし、妊婦の身体的にもかなり無謀だった。何より、大宮から本庄までワゴンを運転したことが、私を一番不安にさせた。周囲の人は皆心配してくれ、止めたりもしてくれたのだが、ここまで来て最後の仕事を人に任せてしまうのは嫌だった。母子手帳を持っていればシートベルトは絞めなくてもいいという印刷所の人の助言で、お腹を圧迫せずに済んだのは良かったが、その分、事故らないようにと神経を使ったのがこたえた。無謀の連続だった仕事のあとには、しばしの甘い休息と、なかなかの出来の画集が私を待っていてくれた。

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2006年7月 6日 (木)

タイムスリップ1997-28

ママのかわいい子猿ちゃん

 キミがお腹にいる間も、日々何かしら事件はあって、そのたびにドキドキしていたママです。

27 母、突然の入院騒動

 12月に入ってすぐの検診の前の晩の夜中、実家に戻って両親の隣の部屋で寝ていた私は、突然、母の苦しそうな息づかいに叩き起こされた。3時か4時くらいだったろうか。「ゼーゼー、ひゅー」といった感じで母が苦しそうに息をしては、咳き込んで「苦しい苦しい」と嗄れた声で唸る。びっくりした私と父は、どうしていいかわからないまま、母の背をさすったり水をくんできたりしていたが、何をしても苦しさは増すばかりのように見えたので、「救急車、呼ぶよ!」と私は立ち上がった。母はもう七転八倒でぴょんぴょん跳ねながらやっとのことで息をしている。にもかかわらず、自分の身体のことは自分が一番わかると言わんばかりに私を制して、しゃべれないまましばらくゼーゼーと続けていた。ちょっと落ち着いてきた頃、小さな声で「朝一番で日赤に行くから」と言って私達を休ませた。結局そのまま母は起きていたのだが、後でわかったところによると、母は急性咽頭蓋炎というものになったらしく、もしこのとき横になっていたら、咽が腫れて呼吸困難に陥り、そのまま帰らぬ人となっていたかもしれないとのことだった。
 朝、まだ受け付けも始まらない日赤に大急ぎで駆け込み、私は一応産婦人科での検診を受けて、母のいる耳鼻咽喉科へ急いだ。待ち合い所に母の姿がなかったので、心配で診療室を覗くと、看護婦さんが「山田さんの娘さん?」と青い顔で声をかけてきた。「はい」と答えると、そのまま医師の所に連れていかれ、いきなり医学書を突き付けられて説明を受けた。「いやー、間に合ってよかったですよ。即入院です。急性咽頭蓋炎といって、もたもたしてる間に命を落とす人が多いんですよ」と、医師はすぐに入院手続きをするよう私を促した。母は、と見ると、既に点滴をされている。昨晩の母の苦しみようは確かに尋常ではなかったので、入院は覚悟していたけれど、まさかこんなに大変なことになっていたなんて・・・、私は自分の身の事はすっかり忘れて、母を病室まで連れていったり、父に連絡したり、入院の荷物を整えたり、忙しく動き回った。
 夕方、荷物を持って病院に戻り母と話すと、だいぶ状態は落ち着いた感じだったが、母もこれまで、入院などしたこともなかったので、少々動揺しているようだった。なんでも、疲れがたまっていたところへ風邪をひいたのが原因らしいが、はっきりとは特定できないとのことだった。「胎教によくなかったね」と笑う母を見て、ほっと胸をなで下ろした私だった。

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2006年7月 5日 (水)

タイムスリップ1997-27

ママのかわいい子猿ちゃん

 お腹の中にいても、キミが男の子か女の子かは、だいたいわかっちゃうんですよ。

26 男の子?女の子?

 最近では、妊娠中に胎児の性別を医師から聞いてしまう人が多いようで、私も別にそうしたことに否定的なわけではなかったのだが、ただただ生まれた瞬間の楽しみを増やしたい気持ちだけから、ずっと聞いてしまうことを避けていた。生まれる前から「男の子ですか?女の子ですか?」という質問を受けることが多いのが、なんだか変な気がして、遺伝子操作がもっと進歩してそのうち「男の子にしますか? 女の子にしますか?」なんて聞かれるかと思うとちょっとゾッとした。
 夫は最初ずっと、「女の子がいい!」と期待し、私はずっと「男の子がいい!」と希望していた。男の子の方が、自分が遊ぶのに楽しそう・・・という単純な理由もあったし、人生の選択肢もまだまだ男性の方が多いような気がしたからだ。夫の方は、女の子の方が可愛いというわかりやすい理由だ。どちらも勝手にいろいろ想像して、育児シミュレーションしていたらしい。妊婦の顔が険しくなると男の子、とか、妊婦のお腹が横に広がると女の子、とか、妊婦の嗜好によっても性別がわかる、とか、いろいろ言われるが、私の場合、周囲の人からは、顔は険しくなってない・お腹は前に出っぱってる、と、矛盾することを言われて、一体どちらなのか見当も付かなかった。一番身勝手な希望としては、双子で男の子と女の子のペア、というのがあったけれど、それはあまりにも御都合主義的で、我ながら苦笑した。
 結局、出産予定の直前の検診で、堪え切れなくなって聞いてしまうのだけれど、先生もあまり自信はないような口調だったので、やはり確かなことは出てきてみないとわからないのだと思い直して、洋服や道具は最小限にとどめ、性別に関係ないような絵柄や色を選んでおいた。どちらが生まれても結局可愛くて仕方なくなるのだろうけれど、生まれるまでは皆、あれこれと妄想(?)を膨らませてしまうものらしい。

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2006年7月 3日 (月)

タイムスリップ1997-26

ママのかわいい子猿ちゃん

 人数が一人増えるってことは、単純にお金もかかるって事実は、まじめに考えるとずっしりきますね。

25 経済的不安

 11月下旬、三洋証券や北海道拓殖銀行、山一証券などが相次いで倒産や自主廃業の憂き目にあっているニュースを見せつけられて少々ナーバスになり、思わず家計の総額確認などしてしまった。これから産休・育休に入り収入は減る上、子供の養育費にはこの先いくらかかるかわかったものじゃないから、せめて銀行の利率ぐらい良くなってもらわないと・・・という気分なのに、世の中不景気このうえなく、お先真っ暗という状態だ。銀行の利息が3%だった頃、利息の価値などほとんど意識したこともなく、財テクに頭を悩ますこともなかったけれど、ひとたび0.2%なんていうとんでもない利率が常識になってしまうと、少しでも有利な所を・・・と血眼になってしまう。1000円の利息をもらっていたのが100円以下になるというのだから、人間あさましくもなる。
 私はもともとは経済観念など欠落した人間で、土地なども人類全体の資産なのだから、それを切り売りするなんておかしい、と思っていた。いわゆる共産主義に片足を突っ込んだ感じで、必要最低限の衣食住に事欠かなければ、あとは無用の長物、くらいの淡白さだった。しかしそれは、恵まれた環境で何不自由なく暮らしてきたから生まれた考え方で、この年のように不景気感が強まると、さすがにそうも言っていられなくなってきた。柄にもなく、夫を説き伏せて宝くじを買ってみたり、郵便局の定額預金に貯金を移してみたり、あれこれと無力なあがきを試みた。うちの親は子供二人を私立大学まで行かせてくれたし、夫の親も、子供三人を私立大学に行かせた。これから子供ができる私達には、今後どれくらいの教育費・養育費が必要なのだろうかと考えると、親の偉大さをつくづく思い知らされる。
 せめてもの救いは、1995年に育児休業法が改正されて、給付金制度が良くなっていたこと位だろうか。育児休業の期間中でも、厚生年金や健康保険の一部を企業が負担してくれるし、これまでの給与の20%は職業安定所から給付される。また、復職後一年勤務すれば、さらに5%も給付されることになっている。働いてもいないのに給料がもらえるなんて、ちょっとおかしい気もするが、将来国家を支える一員を養育しているという公務員的考え方をすれば、まだもらい足りない気もしてしまう。地域によっては、子供を一人産むと、うん百万円給付してくれる所もあるとか。少子化対策に政府もあれこれ頭を悩ませているようだが、私が思うに、やはり一番効果的なのは、先立つものを与えてくれることではないかと思う。それが無理なら、よほど勤務体系で優遇して法律的に保護してもらわないと、なかなか女性は重い腰をあげないのではなかろうか?
 サッカーでフランスに行けても、土井さんが宇宙遊泳しても、人が生きていくにはやはり、お金が必要なのね、と、夢のない資本主義の厳しい現実が身につまされた。

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2006年7月 1日 (土)

タイムスリップ1997-25

ママのかわいい子猿ちゃん

 安定期に入り、キミのことを会社のみんなに報告! 何をプレゼントされたかというと、、、さすが編集部!

24 空気清浄機のプレゼント

 読書の秋だからということもないが、無性に本が読みたくなる時期というのがある。11月下旬、私も、あまり活発に動き回れないということもあってか、あれこれ読み散らかしていた。まついなつきさんという人の「笑う出産」「笑う出産2」、「赤ちゃんがきた!」などの妊娠がらみの本や、夢枕獏さんの「神々の山嶺」(上・下)、翻訳本「ディープブルー」などなど。
 以前から私は、刑務所に入れば、雑事に煩わされることなく集中して何かできるのになぁと思ったりしたものだが、妊娠して動きが鈍くなることで、活動もずいぶん制約を受けるので、妊娠も、読書するくらいのことになら、集中できるメリットはあるなぁと思った。
 「笑う出産2」というなかなか面白い本の中に、『子育てという仕事は、ある日突然一方的に子供から解雇を言い渡される一時的な仕事だけれど、それだから、一生ものの仕事を持ちたいと思うのは自然ではないか』という記述があった。ウムと唸った。この本の著者は漫画家だから、もう立派に一生モノの仕事をできる技を身につけているけれど、私にはまだ何もないなぁと、少々情けなかった。
 編集という仕事を果たして一生ものの仕事と言うのだろうか・・・と首をかしげながら出社した私を待ち受けていたのは、編集部からのプレゼントだった。大きな箱の中には、空気清浄機。お腹が大きくなってきたので、さすがのヘビースモーカーたちも、大っぴらに煙草をふかすのは気が引けるようになったらしい。ありがたく頂戴して、机のすぐ下に設置した。いただいたモノも嬉しかったけれど、編集部の皆さんの気持ちがとても嬉しかった。仕事量も加減してもらったりしているのに、こんないただきものまでしてしまって、本当にありがたいと感じた。
 そんなこんなで気分が上向きになったのか、一生モノの仕事なんて、本人の捉え方次第だと開き直った。本人が一生懸命やっていれば、それは一生モノの仕事なんだ。仕事に優劣なんてない。要はどれくらいの熱意でその仕事に取り組んでいるかだ。ただ、最近では育児という仕事でなくとも一方的に解雇を言い渡される風潮が広まりつつあるのは、恐いことだ。お腹が重くても、いい加減な仕事はしないようにしようと戒めつつ、おいしい空気を吸いながら仕事に励む私だった。

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2006年6月30日 (金)

タイムスリップ1997-24

ママのかわいい子猿ちゃん

 「動いた、動いた!!」その感動は、女性にしかわからないものなんです。

23 胎動記念日

 11月16日、その夜はワールドカップサッカーのアジア最終予選で日本がイランと対戦するという日、私のお腹でも興奮している人がいたらしい。朝食を食べ終わってのんびりしていたら、ピョヨ~ンという感じで胎動を感じた。どんな感覚かうまく表現できないのだけれど、お腹の中で鯉がはねた感じ、とでも言おうか。以前読んだ本の中に、「金魚が泳いでる感じ」という表現があったけれど、それよりちょっと大きな気がした。これまでは、病院でエコーの診断をしている時くらいしか、お腹に子供がいるという実感を得られなかったけれど、胎動が始まると突如、子供との一体感が生まれる。「あっ、動いた!」と思うたびに、それが、こちらが見たり聴いたり食べたりしたことへの反応のように思えて、ついついいろいろ声をかけてしまう。私の子は、電車の中と、就寝前が最も活発で、お腹の内側をボコボコ蹴ってくれた。電車の中で思わず「ウッ」と声を上げてしまったことも何度かあった。
 胎動記念日ということでその日は一年ぶりくらいでパウンドケーキを焼き、夜はしゃぶしゃぶにした。サッカーは延長後半までもつれ、最後の最後に悲願のVゴール。3対2で手にした勝利の興奮の余韻もさめやらぬまま、パウンドケーキと紅茶で胎動記念&勝利のお祝いをして寝た。

 胎動なんて大して気にしないという人も多いかもしれないけれど、私はこの胎動を、赤ちゃんの様子を知る大切なバロメーターとして活用することをお勧めしたい。赤ちゃんが元気なら胎動も大きく活発だろうし、今寝てるとか起きてるというのもぼんやりわかるし、胎動を感じるたびに赤ちゃんの様子をイメージすることで、出産前から子供と関われる気がする。私は、妊娠後期、まだ心音を聴くだけの定期検診の時に、どうもお腹の下の方(股の方向)を蹴られている気がして、病院の先生に「もしかして逆子じゃないでしょうか?」と尋ねたら、検査の結果本当に逆子だった、ということがあって、それ以来、胎動には益々注意するようにした。胎動を感じるのは嬉しくもあるが、あまり動かれると、「エイリアン」のお腹を喰い破って出てくるシーンを思い出してゾッとしたりもするのだ。いずれにしろ、とても奇妙な感覚であることは確かで、これを感じられない男性を気の毒に思う。

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2006年6月29日 (木)

タイムスリップ1997-23

ママのかわいい子猿ちゃん

 「つわり」――必ず終わりはあるものですね。

22 つわりの終焉ともどし癖

 11月も半ばに差し掛かろうという頃、私のつわりはようやくおさまりを見せた。ただ、つわりの後遺症とでも言おうか、変な吐き癖が残ってしまった。ゲップとは明らかに違うのだが、食事の前や後、空腹時や満腹時に、胃の中からゲロっとすごい音で空気だけが出てくるのだ。その瞬間はつわりの時のように気持ち悪いのだけれど、そのゲップもどきを出してしまうと、ふっと身体が落ち着き吐き気が治まる。つわりが終わったばかりの頃は、あまり食べられなかったから空気が出るだけで済んでいたのが、だんだんと食欲旺盛になってくると、空気だけでなく食べたものまで戻してしまうようになり、結局つわりが戻ってきたような錯覚に陥った。
 この戻し癖は最後の最後まで続くことになるのだが、この頃の私はまるで中世ヨーロッパのグルマンさながら、豪勢に食べては戻し、また食べては戻しをくり返し続けた。好きでグルメをしているわけでもないのに、この頃のエンゲル係数は相当に高かったかもしれない。こんな変な癖だが、出産後はピタリと治まってしまうのだから、不思議なものだ。いったいつわりってどうしてなるんだろう? 身体の中に異物を抱え始めるわけだから、それに適応する間の体内変化なのだろうか? 子供の血液型とつわりの重さに相関関係はないのだろうか? 母親と子供が同じ血液型ならつわりが軽いとか・・・? つわりなんてほとんど経験せずにケロッとしたまま出産を迎える妊婦さんも結構いるらしいし、かと思えば、十月十日苦しみ続ける人もいる。野生の動物にもつわりはあるんだろうか? つわりも出産時の痛みもなければ、もっと気楽に妊娠できるのにとも思うけれど、それがなくなったら、子供を育てる時に、振り返るべき苦難を失い、すぐに挫折してしまうのかもしれない。「あの時、あんな苦しみも我慢できたんだからこれくらい・・・」と思いながら、自分を騙し騙し、数々の苦労を乗り越えていくんだろう。

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2006年6月27日 (火)

タイムスリップ1997-22

ママのかわいい子猿ちゃん

 お腹の中はどんな気分でしたか? ママの方は、保育器になった気分でしたよ(^^)

21 歩く保育器の自覚

 通常のジャンパースカートがパンパンになり、もはやそれを着つづけるわけにもいかなくなり、マタニティーのスカートへ移行せざるを得なくなった頃から、私は自分のことを、ほとんど「歩く保育器」と自覚するようになった。口は栄養補給口、鼻は空気洗浄機、耳は情報探知機、お腹の脂肪は保温材、胸は後々のミルクタンク・・・という具合。母から、「お前はお腹にいる時、『101匹わんちゃん大行進』の映画を見に行って、喜んでぴょんぴょんはねてた」と言われてから、お腹の中にいても、快不快は敏感に感じてるんだろうな、と思うようになっていた。だから、見るもの聴くものにも多少神経を使って、いつも自分が心地よい環境にいられるように心掛けた。
 それにしても不思議だったのは、これまでだって自分に心地よい環境を整えるに越したことはなかったのに、無理なことをして不快なままで悶々とし続けたりすることも多かった。しかし、こと子供のためと思うと、勤めてそういう状況から脱してしまえる。人間、自分のためと思ってはなかなか常に明るい気分でいる努力はできないものだけれど、人のため、増してや自分のお腹の中にいるわが子のためと思うと、意識的に明るい気持ちでいようとすることも苦にならないものらしい。
 こうした自覚を持ちつつも、私の場合、食べ物に関してはずいぶんいい加減なものばかり口にしていた。ただ、何か異常があってもすぐに原因究明できるようにと、妊娠中に口にしたものはすべて記録していたのは、せめてもの罪滅ぼしのつもりだったのか? 自分が食べたいと思ったものを食べていたわけだから、精神衛生上は良かったのだと勝手に納得するが、今その記録を見ると背筋が寒くなる。私の子はこんなもので大きくなってきたのか、と。全部をここに列挙すれば、世の妊婦さんも気楽な食生活を送れるのだろうけれど、下手をすると妊娠中毒症続出にもなりかねないので、やめておこう。

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タイムスリップ1997-21

ママのかわいい子猿ちゃん

 病院というところ、あまり好きになれないのですが、どうせ行くならいろいろ勉強したいですね。

20 知りたがりにはもどかしい検診

 11月10日、日赤での定期検診。先生に診ていただく前に、自分で、採尿と体重計測・血圧計測をしておくことになっている。そのあと、その結果を書き込んだ母子手帳をカウンターに出しておくと、順番に名前を呼ばれて産科再診の部屋へ移る。
 曜日によって担当の先生が違うのだが、私は日曜日に実家に帰り、月曜日に検診を受けて、そのまま出社というパターンが多かったので、たいていは月曜に再診の担当になっている人に診てもらうことになった。月曜は若い細身の先生が担当で、私は失礼ながら若い先生が苦手。ということで、後半の検診は違う曜日に行くようになった。
 定期検診というのはほとんど安心のための確認程度なのか、簡易ベットに横になると、先生が足のむくみを診るためにちょっと足首を触る。その後、お腹にマイクをあてて赤ちゃんの心音をスピーカーで聴く。あとはお腹回りの長さを測定して終わり。なんとも簡単なものなのだ。最初に「ルテイン嚢胞」がらみでいろいろ診ていただいた時が6500円だったのに、定期検診で4500円というのは、なんだか納得いかなかった。しかも、最初のうちは本当にいろいろわからないことが多くて、「温泉に入ってもいいんですか?」とか「車の運転は?」とかおかしな質問を山のようにしたのだが、先生はどれに対してもはっきりと答えてくれず、私の体調任せのようなことをおっしゃった。今思えば、そうした日常の些細なことに対しては、各個人の体力や妊娠の状況によって、それぞれ対応しなければならないから、はっきり断言できなくても仕方なかったのかもしれないが、妊娠中は「どうして詳しく説明してくれないの?!」と怒っていた。思えば日本の病院で、診察中に先生から、病状や治療法や薬などについて科学的にしっかりと説明を受けたという記憶が全くない。こちらが素人だから、言われてもわからないことの方が多いとは思うけれど、先生がしっかり説明してくれているかどうかという判断くらいはつくものだ。納得いくまで質問を続けても疎まれて余計にいい加減な診察をされるかもしれないから、ある程度のところであきらめるが、それ位のサービスはしてもらわないと、高い保険料を払っていて割に合わない。そんなわけで私は、検診のたびに診療機械のメーカーをメモったり、カルテを覗き見たり、変な質問をして、嫌な患者となったのだった。
 (後日談だが、出産直後に助産婦さんに「胎盤、見せてください」とお願いしたところ、快く見せてくれて、ビニールの手袋をはめて触らせてくれたのには感動した。百聞は一見にしかず、という奴だ。最近はこの、胎児とともに出てくる胎盤を保存して、良質の血液を取るのだそうだ。)

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2006年6月26日 (月)

タイムスリップ1997-20

ママのかわいい子猿ちゃん

 水天宮も戌の日はとっても混みますけど、やっぱりみんな安産を願うものだからね。

19 戌の日のコルセットと妊婦用パンツ

 11月4日は戌の日だった。お腹が目立ち始めた妊婦が戌の日に腹帯を巻くと安産できるという言い伝えに従って、私もこの日、腹帯を巻いた。昔のようなさらしの腹帯ではなく、現代的なコルセットだ。まだ腹帯が必要なほどお腹が出てきたわけでもなかったので、本当に形だけのことだけれど、「安産」と聞くと、ついついそんな言い伝えにも従いたくなってしまうのが人間の弱いところ。何せ陣痛や出産の痛みは、どんな形容もしがたく、これまで経験したどんな痛みとも違うと聞かされているので、少しでも痛くないように願ってしまうのだった。私は、身体を締め付けられるのが嫌いで、着物やガードルといったものとは無縁の生活をしてきたし、世の中の人全部がヌーディストになればいいと密かに思ったり(ホントか?)しているので、コルセットもできればしたくなかった。でも、大きなお腹をあまりタプタプとさせて歩くのはやはり歩きづらいので、妊娠後期はしぶしぶとつけていた。さらしの腹帯は結局一度もしなかったので、未だに巻き方がわからない。コルセットと違って融通がきくので、さらしの方がいいという人もいるようだが、私にはとてもあんな七面倒臭いことはできそうにない。
 腹帯も人生で初体験だったが、それ以上にショッキングな体験は、「妊婦用パンツ」との出会いだった。そのうち必要になるからと買っておいたパンツの袋の封を開けて、目の前に広げてみた。な、な、なんだこれー?? あまりの大きさに唖然となった。これじゃあ横綱じゃないか? こんなのみんなはいてるの? 大きくなり始めた私の出っ腹もすっぽりと包み込んで余り有るゆとりの仕様は、確かに臨月までしっかりフォローしてくれるのだろうけれど、さすがの私も、その恥じらいも何もないデカパンの迫力にはタジタジとしてしまった。まあ、お腹の赤ちゃんを圧迫せず、ゆったりと温かく包み込むのだから、見かけなんか気にしてられないけれど、あのパンツをはいて初めて「ああ、妊婦なんだ・・・」と実感されたような気もする。世のお母さんの中には、あれをはいて以来、出産後も元のパンティーには戻れず、ゆったりパンツのまま過ごすようになる人が多いらしい。私は絶対そうはなるまいと心に誓ったのは最初のうちだけで、お腹が大きくなり邪魔でなかなかパンツをはくのもままならなくなった頃には、このデカパンが何とも愛おしくなっているのだった。

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2006年6月23日 (金)

タイムスリップ1997-19

ママのかわいい子猿ちゃん

 子どもって、本当にかわいくて、何人でも欲しいけど、体力とか時間とかお金とか、それを許さないものが多いのよね。

18 安室奈美絵と出産のタイムリミット

 11月に入り、世間ではサッカーのワールドカップ予選でいつにない興奮の渦が巻き起こりつつあった。こういう興奮は胎教にいいのか悪いのか、ちょっと気にかけつつも、見ればどうしても雄叫びをあげてしまう私だった。
 そんな中でも仕事は相変わらずで、通勤はますますしんどくなるばかり。気を紛らすために、よく吊り広告を読んだ。ある日、AERAの特集で「女の選択~出産のタイムリミット」という記事があるのを目にした。AERAの編集部に、女性の妊娠・出産や少子化に興味を抱く人がいるのか、以前からこの雑誌は、こうした記事を定期的に載せているような気はしていたのだが、今回のタイトルにはつい購買意欲を掻き立てられ、キオスクで買ってしまった。

 内容は今となってはほとんど覚えていない位他愛無いことばかりだった気がするが、その中に安室奈美絵が20歳で出産することについて書いてあって、ちょっと興味をそそられた。今やマル高は35歳で、20代で出産しようなどという女性はとても珍しい存在になりつつある中、超売れっ子の渦中の人が一旦幕を下ろすという決断は、周囲からどういう反応を受けるのだろうかと思ったのだ。一般的に好意的に見られる彼女の出産決断だったが、一番あっけらかんとして幸せを噛み締めているのが彼女自身だったことに、私は少なからずショックを受けた。社会的ステータスの放棄だの、家に引き蘢ることの非生産性だの、つまらない見栄を張っていっぱしのOL然とした悩みを抱えていたつもりが、彼女のように純粋に「好きな人との間に子供を持つ」ということを素直に喜んでいるのを見たら、なんだかうらやましくなってしまった。30歳を過ぎても何一つクリエイティブな仕事をしていないという自己嫌悪は拭い切れないが、普通の仕事は元気でいれば長いスパンでできるけれど、出産には確かに適齢期が存在する。今この経験をしておくことが、後々の仕事にも何らかの意味でいかされる日が必ず来ると信じて、前向きに乗り切っていけばいいことじゃないか。自分よりひとまわりも年下の人の単純明快な出産意志に教えられた感じだった。
 世の中には、子供が欲しくてもどうしてもできない人や、仕事を捨て切れずに泣く泣くあきらめる人、事故で子供を失ってしまった人など、自分の意志に反して子供を持てない人が数多くいる。そんな人たちから見たら、産休も育休ももらって仕事も続けられ、子供も育てられる私に、不平をもらす余地などないはずなのだ。タイムリミットなどと制限を意識せずに、欲しい人は果敢に挑戦を続けるべきだと思う。育児の苦労を考えてしまうのは確かだし、生まれてくる子に無責任な環境を与えるべきではないだろうが、たいていの仕事よりは子供を育てることの方がずっと重要に思えてしまう私は、やっぱり子宮でものを考えているのだろうか?

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2006年6月22日 (木)

タイムスリップ1997-18

ママのかわいい子猿ちゃん

 キミがお腹にいることは、とっても幸せなことなので、ときどき自己嫌悪に陥ったりすることも、正直なくはなかったんですよ。

17 膨らむお腹と自己嫌悪 

 10月半ばのある朝、おや?っと思うくらいお腹が膨らんできたことに気付いた。これまでは妊娠とは名ばかりで、ほとんど自分でもわからないくらい、ちょっと太ったかな?というレベルのお腹だったのが、この日は明らかに「プクっ」といった感じで、「この辺にいるな」というのが実感としてわかった。胎動はさすがにまだだったが、つわりがだいぶ軽くなってき始め、気分的にも余裕が出てきた頃だったので、お腹が大きくなることも、楽しみに感じられていた。まだまだひと事で、お腹が大きくなるってどんな感じなんだろう・・・という興味の方が先行していた平和な時代だった。
 ただ、会社に出るとなんとなく、「会社に妊婦」という構図がとても不自然に感じる自分がいて、妙に遠慮してコソコソしてしまったりした。エントランスホールの来客が多いエリアはささっと通り抜け、編集部の自分の席まで一直線。別に悪いことをしたわけでもないのに、不思議と人目を避けたりする。「堂々としていよう」と意識すればするほど逆効果だったりする。普段は、登山好きなこともあって、重い荷物など苦にせず運ぶが、お腹が目立ってくると周囲の人も気を使って、運んでくれたりしてしまうから、余計に肩身が狭く感じたりする。気持ちが悪くなっても社内ではなかなか横になって休むこともできず、不機嫌なまま席にいなければならない。食欲も湧かないと、他の人とのランチも疎遠になる。
 こうした日常のちょっとしたことの積み重ねで、気分がだんだん後ろ向きになり、自己嫌悪に陥った時期がこのころだった。客観的に見て、だんだん太って醜くなる人間が会社にいるデメリットを直言されても抵抗はできないと感じて、どんどん腰が低くなっていくような気がしたり、そんな自分が嫌で逆に不遜に構えてしまうことがまた腹立たしかったり、と、何を取っても納得できないのだった。
 ところがある日、社内で知り合いの男性に久しぶりに通りすがった時、その人が「あれ、おめでた?」とにこやかに声をかけてくれ、「おめでとー! 大事にしてね」と自然に言ってくれたのを聞いて、とても嬉しかった。その人の雰囲気の中に、子供を産むことがとても自然なことでしかも大切なことなんだという認識があるのを感じ取れて、そういう見方で接してくれる人がいて、心強く思ったのだった。世の闘うビジネスマンやビジネスウーマンの中でどれくらいの割合の人が、こうした姿勢を自然に取ってくれるのかはわからない。以前の私はどちらかと言えば、妊娠するような女性は戦力外、という見方をする人間だったかもしれない。こういう状況に自分が陥って初めて、別の視点が得られたような気がする。

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2006年6月21日 (水)

タイムスリップ1997-17

ママのかわいい子猿ちゃん

 「どこで産むか」っていうのは、結構大問題なんですよね。

16 個人病院と総合病院

 もともと病院不信のところがある上、健康のため、生まれてこのかた病院にはほとんど縁のなかった私にとって、自宅のそばの産婦人科個人病院の印象は極めて悪かった。だから、里帰りしてからの検診と出産をする病院はきちんと納得できる所を選びたいと、いろいろな人に相談した。夫の知り合いの御主人の実家が、私の実家の近くで小児科を開業しているからと、わざわざその地区の病院の評判を教えてもらったり、以前にそこで出産したいとこや友達から、どうだったかを聞かせてもらったり・・・。結局は、知り合いの医師から紹介状をもらって、総合病院に通うことに決めた。その後、自宅近くの個人病院にもそれなりにいい所があったと思い直すことになるのだが、病院の設備や医師の腕など、通ってみないとわからないことがほとんどで、たとえアメリカのように格付けまでされたとしても、はり自分の目で確かめるしかないのが実情のような気がする。
 10月7日の朝、前の晩職場から実家へ帰ってきておいて、そのまま実家近くの総合病院へ行った。まず受け付けに行って驚いた。総合病院だから、整然と患者が並んで、すべてオンラインで処理されていくのはわかるとして、ほとんどが老人で、妊婦など数えるほどしかいなかったのだ。産婦人科だけの個人病院では、待ち合い室は妊婦で溢れ、異様ではあったが活気に満ちていた。ところが、老人がほとんどだと、何やらロビーも元気がなく、私までエネルギーを吸い取られてしまうような錯覚に陥った(お年寄りの皆さん、ごめんなさい)。また中には、単におしゃべりをしに来ているようなお年寄りもいて、医療費負担が増えたとはいっても、まだまだこんなもんだな、とも思った。
 そんな受け付けを済ませ、産婦人科のフロアへ行くと、そこはさすがに妊婦ばかり。お馴染みの風景がそこにあった。採尿して体重と血圧を計って、順番を待つ。ここでも、待たされる時間にそう大差はなかった。世の中結構妊婦って多いんじゃないだろうか。紹介状があったから、多少優遇してもらっているような気になりながら、部長先生に診ていただく。エコーと内診をして、「いやいや、順調ですよ。」との言葉。心配していた「ルテイン嚢胞」も問題ないとのこと。黒縁眼鏡にちょっと薄い頭の先生は、優しく笑って太鼓判を押して下さった。ああ、これこれ、この安心感がなくっちゃ。私はここ数週間の悶々とした気持ちを吹き飛ばしてくれた先生に感謝した。個人病院と総合病院、どちらにも良い所悪い所あるから、とにかく自分で納得した所に通うのがベストなんだろう。

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2006年6月20日 (火)

タイムスリップ1997-16

ママのかわいい子猿ちゃん

 母子手帳は、日本が世界に誇るものです、ずいぶんお世話になりました。

15 母子手帳をもらう

 10月3日、宮前区役所へ母子手帳をもらいに行った。この区役所が、駅からまっすぐに坂を昇っていったところにあるのだが、その坂が半端でない。かなりの勾配で、しかも長い。坂にはすっかり慣れていた私も、身重な身体でその坂を昇るのはかなりしんどかった。途中に小学校があって、「このお腹の子も小学校なんかに通う日が来るのかなぁ」などと思いながら、てくてくと歩いていった。
 妊娠してから読んだ漫画家の妊娠話しの本に、母子手帳は市町村によっていろいろな作りになっていて、センスの良いもの悪いもの様々だ、とあったから、川崎市の母子手帳はどんな風だろうかと気になっていた。行ってみると手続きは簡単で、所定の用紙に必要事項を記入して窓口に提出するだけ。受け取った母子手帳は、B6版くらいの大きさで、表紙は岩崎ちひろさんの、お母さんと子供の絵だった。センスはいい方の部類だな、と内心笑った。最初の数ページに、妊婦検診の補助券(自治体が負担してくれる)がついていたので、もう何回か産婦人科に行ってしまってちょっと損した気分だった。あとは、出産までの妊婦の検診結果が記録できるページや、出産後の子供の成長記録、予防接種記録、歯科検診記録などのページ、その他いろいろな注意事項など、盛り沢山で、充実した一冊だった。以前、母から見せてもらっていた母子手帳は、もっと小形で薄っぺらで(携帯するにはいいかもしれない)紙もわらばん紙のような感じだったのを覚えていたので、母子手帳もグレードアップしてるんだな、と感じた。ただ、内容は昔も今もほとんど差がなく、妊娠出産に時代は無関係なんだと、改めて自然の営みの普遍性(ちょっと大袈裟)をも実感した。
 その後、里帰りして実家のそばの病院へ行くようになってからは、あちこちの市町村から訪れる妊婦さんの、いろいろな母子手帳を目にすることになったわけだが、デザインは実に様々で、川崎市のものより小さいものがほとんどだった。なんとなく、表紙の絵柄の選び方で、その市町村の保育に対しての姿勢や力の入り方がわかるような気がして、ついつい観察してしまった。でも、どんな母子手帳でも中身は2色刷りがせいぜいで、さすがにオール4色というのはなかった。仕事柄、オール4色の楽しい母子手帳を作ってみたいな、などと考えた私だった。

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2006年6月19日 (月)

タイムスリップ1997-15

ママのかわいい子猿ちゃん

 親の偉大さって、自分が子どもを持つまで、本当には実感できないかもしれないね。

14 「ジュニア」と親への感謝

 自分のお腹がだんだんと大きくなるにつれて、普段見慣れているはずの街が、なんとなく違って見えてきた。街が変わったわけではなく、私の興味と視点が移って、今まで視界から無意識にはずしていたモノに、目がいくようになったのだ。道を歩いていて、小さい子供を連れたお母さんや家族を見つけると、その子供の大きさからその子の月齢を想像したり、だっこの仕方、ベビーカーの形状などをチェックしたりする。これまでは、街中の子供なんてほとんど見過ごしていたのに、こんなにもたくさんの子供がいたのかと、びっくりしたりもした。
 まだまだ妊娠生活は始まったばかりだというのに、この不自由な状況や胎児に対する責任の重さを実感するにつけ、子供をもっている人すべてに、尊敬の念を抱いてしまうようにもなった。あのお母さんもこのお母さんも、みんな長い妊娠生活を無事に乗り越え、しっかり子供を育てている・・・自然界で最も当たり前のそんなことに、痛く感動してしまうのだ。以前からNHKの「生き物地球紀行」は好きな番組だったが、以前にも増して熱中して見入り、ごく当たり前の自然の営みに胸を熱くしたりする。

 そして、前は気色悪くてあまり見る気にならなかった、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の「ジュニア」という映画も、ここにきて俄然見たくなってしまったのだ。これは、研究のためということで男性が妊娠・出産を経験する過程をコミカルに描いた作品だが、なかなか面白く見てしまった。夫は結局、最後まで見たくないと言い、私は一人で見た。ただ妊娠・出産の流れを見るのも面白かったが、やはり、男性が妊娠したらどうなるのだろうという想像が、映像となって目に見えるようになっているところが興味深かった。男性の中にも、子供を産んでみたいという人はいるだろうし、女性の中にも、産みたくないと思っている人はいるだろう。これだけ社会的に男女均等に近付きつつある現代にあっても、こと妊娠出産に関してだけは、均等になる見込みはない。クローンの研究もいいが、男性出産の研究もしてくれれば・・・なんて、無理だろうなー。
 こうやって、いろいろと今までにない苦労をしてみると、つくづく、親は偉大だと感じる。親に素直に感謝の言葉なんてかけたこともないけれど、今はまったく頭が上がらない気持ちだ。

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2006年6月17日 (土)

タイムスリップ1997-14

ママのかわいい子猿ちゃん

 仕事もしたい、子どもも欲しいって、やっぱり欲張りなんですよね。

13 戦線離脱と怠惰傲慢 

 八月末から始まったつわりが、ほぼ一ヶ月たっても一向に治まる気配がなく、あいかわらず気持ち悪い状態なので、仕事の方もなんとなく早め早めに切り上げてしまうことが多い。周囲も気遣ってくれるから、ついつい甘えてしまう。けれどこうした状況下、仕事のいろいろな側面で、私はもう既に戦線離脱していると看做されている気がして仕方なかった。ハードな仕事は回ってこない、ちょっとの遅れもどやされない。ハードに働かされても困るのだが、なんとなく寂しくもある。一線から離れると同時に、同じような境遇の人はいないかと慰みに探してしまったりするのだが、社内にはほとんど見当たらなかった。
 妊娠・出産に関心を寄せる人というのが、ある時期に全人口の何%くらいいるのか定かでないが、かなり大雑把に概算すると、女性ということで50%、そのうち20代~30代ということで20%、で妊娠中か出産直後ということで10%(多すぎ?)・・・。50%×20%×10%=1%!! この概算でも多すぎるくらいだろうか? 今どき、20代30代は働き盛りで、仕事やファッションや遊びや結婚などには関心があっても、まだ妊娠出産は水面下でちょぼちょぼ・・・というのが実情なのか?
 思うに、妊娠中の女性というのは一種、身体障害者的状態に陥っていると言えると思う。病気ではないのだけれど、一般的にどうしても人からのフォローを必要とし、多少の負担をかけ、保護を必要とする。身障者の方には失礼かもしれないし、みんながみんなそうだというのではないのだけれど、夫に助けられて当然、職場の人にいたわってもらって当然、と、なんとなく傲慢で怠惰になっている自分をふと意識して焦ったのだった。大多数の人とはちょっと違う境遇に置かれて、卑屈になることはないが、謙虚さ持ちつづけなければ、と自戒したのだった。

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2006年6月16日 (金)

タイムスリップ1997-13

ママのかわいい子猿ちゃん

 いい男といいパパって、やっぱり違うよね?

12 男を見る目とバルーンシティ

 妊娠すると、精神的にいろいろな変化がある。とにかく私のように脳天気な人間でも、かなりデリケートになる。「切迫流産」とか「ねん転」とか「奇形」とかいう言葉を聞くだけで、お腹がキュンとなり、わずかに疼いたりする。受験前の「すべる」なんて目じゃない。料理の最中、おろし金で親指をちょっと削ってしまったときも、その影響が胎児に出るのではないかと、ずっとびくびくしていた。胎教どころか、妊婦自身の心の平穏を保つのさえ、相当な苦労に思えた。
 この日は出張校正で、取引先の印刷所で仕事をした私だが、さすがにお腹が目立ってきたので、担当の人に「おめでたですか?」と気付かれてしまった。いつまでも黙っていられるわけもないので素直に認めると、この人の奥さんが一昨年から大変だったそうで、妊娠して喜んでいたのも束の間、切迫流産しかかって仕事をやめた後は、ずっと寝たきりの生活だったとのこと。その間、この人がずっと家事一切をやってあげていたというのだ。自分の苦労話はそこそこに、私の身体のことをいろいろと気づかってくれ、仕事しやすい環境を整えてくれた。その人の苦労からくる、他人を思いやる一言一言がとても温かくて、苦労を知る人の深みというのをつくづく感じた。

 妊娠すると、食べ物の好みも変わるけれど、「男を見る目」「いい男の判断基準」というのも変わってくるなぁと感じておかしかった。妊娠前は、我が道をゆくクールな仕事人間とか、生活力なんてなくても一芸に秀でた人とか、ちょっと家庭とは縁遠いタイプの男性を魅力的に感じたものだったが、こうなってみると、奥さんを思いやり、家族のためにはどんな犠牲も払ってくれる、愛情深い人に、軍配をあげてしまう。要するに、自分の現状に都合のいい人を感じよく思うだけだったりするのだけれど・・・(汗)。
 仕事帰り、久々に友人と神保町で食事をすることにして、中華料理屋で、焼きビーフンだのカニ豆腐だのとり肉の中華味噌いためだの、食欲の欲するままに食べまくった。食べながら私は、友人の迷惑も顧みず、妊娠中の愚痴をいろいろぶちまけた。「妊娠初期はつらい割りに身体的には普通の人とあまり変わらないので、親切を受けられない」と勝手なことを言ったら、『バルーンシティの~』というファンタジーがあるよ、と教えてくれた。これは、妊婦ばかりの世界が舞台で、そこでは、お腹の小さい人がいたわられるという設定だったとか。著者はもちろん女性。同じようなことを感じてる人はたくさんいるんだろうなぁと思いつつ、それでもあまり優しくならない世間が不思議だった。やっぱり、男性にもこの経験をしてもらわなければ、社会のシステムなんて変わらないのか知らん? 
 遅くなっても駅まで迎えに来てくれた夫に、いつにも増して感謝の念を抱いた晩だった。

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2006年6月15日 (木)

タイムスリップ1997-12

ママのかわいい子猿ちゃん

 通勤電車は、つわり中の妊婦にとっては地獄です。最近では妊婦マークも一般的になってきてますね。

11 通勤電車地獄

 私は、田園都市線と半蔵門線を使って通勤している。都心に向かう電車はどれもそうだろうが、このラインも、朝晩のラッシュアワーの時には、ものすごい混雑ぶりだ。幸い、私の場合、朝は遅めの出勤なので、それほど混んだ電車に乗らなくても済んでいたし、妊娠してからは、極力空いた電車に乗って座って行くようにしていた。電車というのは、ただでさえ妊婦にはつらい。乗るまでの階段の昇り降り、高い網棚、たくさんの人いきれ、・・・。これに、超満員と長時間が加わったら、まさに地獄の苦しみだ。
 この頃、私はすっかり戻し癖がついていて、たいていの食後は戻していたし、ちょっと気分が悪くてもトイレに駆け込む始末だった。この日も朝から気持ちが悪くて、行きの電車でもかなり具合は悪かったのだが、途中から座れたので、なんとか出社した。仕事中だというのに、何かを口にしていないと気持ち悪くて、ひっきりなしにガムだの飴だのを食べ続けた。なんとかその日の仕事を終えて帰途についたのが8時半。この時間の電車はかなり混んでいる。初めのうちはなんともなかったのが、渋谷を過ぎたあたりから猛烈に気持ち悪くなり、ほとんど戻す寸前で無理矢理押し込めたものだから、尚更具合が悪くなった。飛び下りるにも、次の駅までまだ数分はかかるだろう。脂汗をかいて寒気がした。さすがに隣にいた女性が、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれ、少し空間を作ってくれたので息は楽になった。
 なんとか無事に自分の駅まで辿り着いたのだが、このときほど電車をうらめしく思ったことはなかった。私は、この通勤電車地獄を、帰りだけ乗り切ればよかったからまだましなものの、行きも帰りもぎゅうぎゅうの満員状態で通勤している妊婦さんなんているんだろうか? 私なら絶対に出社拒否だ。
 路線にもよるのだろうけれど、JRは、優先席に妊婦や子連れのお母さんも加えていた。それが、東急線も地下鉄も、優先席はハンディキャップをもった人か御老人しか指定していないから、なんとなく優先席にも座りづらかった。普段あまりJRに感心したことはなかったが、妊娠して、あの優先席のロゴマークを見たときは、「ああ、JRってなんて優しいの!」と感じ入った私である。
 ちなみに、妊娠中、私が電車内で席を譲られたのは1回きりだった。それも、まだ妊娠五~六ヶ月でお腹の出っ張りも目立たぬ頃、休日のすいた電車で、4人家族で並んで座っていたお母さんの前に立ったら、「あら、気がつかなくてごめんなさい、どうぞどうぞ」と言ってくれたのだった。まだ妊婦の自覚もない頃だったので、内心『えー、もうそんなに目立つかなぁ』と少々ショックだった。でも、お腹が大きくなったら、こうやって周囲の人が皆親切に席を譲ってくれるものなんだと、タカをくくってしまった。ところが、席を譲られたのはこれが最初で最後という、なんとも悲しい結末だった。出産後、私の前にお腹の大きな人がいたら、まっ先に席を譲ろうと、心に誓っている。

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2006年6月14日 (水)

タイムスリップ1997-11

ママのかわいい子猿ちゃん

 仕事に徹夜はつきものだけど、キミがお腹にいるときまですることになるとは。。。

10 徹夜明けの定期検診(ルテイン嚢胞)

 あいかわらず仕事は忙しく、ついに完徹して朝の電車で帰路につくハメになってしまった。しかもその日は産科で定期検診の日。家に帰らず、そのまま8時半に産科に駆け込んだ。それでも、診察室に呼ばれたのはまたしても12時。私は待ち合い室で船を漕ぎながら、周囲の視線をよそに休息していた。
 前回の診察で、先生に、「ちょっと子宮に水がたまってるけど、腰、痛くない?」と聞かれていたので、そのことが気にはなっていたのだが、今回も、依然7センチほどの大きさで水がたまっているという。「このままだと、そのうち急にお腹が痛くなって、救急病院へ運ばれて、開腹手術になるかも」などと言う。まったくなんて言い草だろう。里帰り出産する患者は歓迎されないとは聞いていたが、こうも露骨に脅かされると、さっさと実家のそばの産婦人科へ移ろうかという気になる。まあ、お腹の胎児は着実に大きくなっており、心臓が力強く脈打っているのが見えたから、あまり気に病まないようにしようと思った。もう、頭や手足といった部位が形成されているのもわかり、双子でないのも確実なようだった。何を隠そう、うちの夫は一卵生双生児だったので、私も双子を出産するのではないかと、密かに考えていたのだ。

 こうして、胎児の成長は確認できたが、私の子宮内の状況に不安の残る検診だったため、翌日、神保町の書店のメディカルブックコーナーへ行って、真面目に調べた。医学書など、手に取ったこともなかったので、要領を得なかったが、ようやくそれらしい項目を見つけた。『ルテイン嚢胞』。・・・「妊娠初期にみられ、hcgの刺激により、子宮に隣接して、分泌物などが貯留する現象。hcgが弱まる12~15週に自然に縮小・消滅するのが普通で、特別の処置を要しない。時に茎挫転を起こすことがある。」とのこと。hcgというのが何なのかよくわからなかったが、あの医師の話しもなまじ嘘ではなかった。このときが9週くらいだったから、あと1~2ヶ月我慢しないと、この黒いかげの縮小は期待できないらしかった。この『ルテイン嚢胞』というのは、妊娠初期異常の「その他の項目」の中にあったので、それほど深刻な現象ではないらしいことがわかって、かなりホッとした。
 私は、普段病気をしない分、打たれ弱いというか、ちょっと異常があると、精神的にとても不安になってしまう。これから先も、特に大きな問題もなく、無事に出産できるといいのだけれど・・・.仕事も大事だけど、身体を第一に考えよう、と心に決めた私だった。

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2006年6月13日 (火)

タイムスリップ1997-10

ママのかわいい子猿ちゃん

 ママが尊敬する人のお話です。

9 マザーテレサ逝去

 これは妊娠とは何の関係もない話なのだけれど、もしかしたら、妊娠によって勘が鋭くなっていたせいかもしれないので、ちょっと書いておきたいと思う。
 私は、以前から、マザーテレサのことを大変尊敬していて、学生の頃、大学を訪れた彼女の話しを聞いたり、修道女になりたいと言って両親を驚かせたりしていた。ずいぶん身勝手で、多くの人を傷付けている割に、自己犠牲の精神も一応合わせ持っていたのだ。修道女になる夢は、さすがに親の説得や本人の心のうつろいで、むなしく果ててしまったが、それでも、彼女を尊敬する気持ちに変わりはなかった。
 全然話しは変わって、私が昔から興味を持っていた「シンクロニシティ」という現象がある。遠藤周作氏が確か本を書いておられたと思うが、私には、このシンクロニシティという現象が頻繁に起こる。自分が誰かのことを考えると、その人に偶然会うとか、夢でみると、その人から手紙が来るとか・・・そういった、ちょっと不思議な現象だ。
 さて、話しは現実に戻って、妊娠中でなおかつ仕事が忙しかったある夜、私はまた残業でタクシーに乗って帰宅することになった。たいていは静かに乗っているのだが、たまにおしゃべり好きな運転手さんのタクシーに乗り合わせると、少しはおしゃべりに付き合うことになる。その夜も、とりとめなくいろいろな話しをして、12時50分頃だろうか、ダイアナ妃の葬儀の話しになった。「いやあ、なんか疑惑ありげだけど、今年はずいぶんいろんな有名人が亡くなるねえ」と、運転手さんが言った。私はその言葉を聞いた瞬間、なぜだかよくわからないけれど、ぴぴっと、マザーテレサの顔が頭をよぎった。どこかで、ダイアナ妃とマザーの会見の様子を見ていたせいかもしれない。「そういえば、マザーテレサってまだ生きてますよねえ?」、私は脈絡もなく運転手さんにそう質問していた。「うん、たしか御健在じゃないですか?」、運転手さんもそう答えて、話しはまた別の方向へと流れていった。その晩は、そんなこんなで家に着いて、タクシーでの会話はすっかり忘れてしまった。
 ところが、翌日、会社でインターネット新聞を読んでいたら、彼女が昨晩1時に亡くなったとの報道がされていたのだ! 私はその記事を見た途端、「あっ、まただ!」と思った。しかもかなり正確なシンクロ! 心の中で、御冥福をお祈りした。
 私は、マザーのように誰にでも限り無い愛情を無償で注げるような人間ではないけれど、せめて自分の子供には、いつでも温かい気持ちで接したいと思ったのだった。

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2006年6月12日 (月)

タイムスリップ1997-9

ママのかわいい子猿ちゃん

 身体の中に確固としたキミが現れた証拠かな、つわりって。。。

8 つわりの中での残業仕事

 仕事はできるだけ効率的に!と普段から心掛けてはいるが、それでも編集という不規則な仕事では、やむなく夜遅くなることはままある。妊娠前にも終電を乗り逃すことはよくあって、たびたびタクシーのお世話になっていた。けれど、妊娠後は、車に揺られるのが気持ち悪いせいもあって、できるだけ終電前には帰宅するようにしていた。しかし、仕事の波はやはり谷あり山ありで、つわりがそろそろ終わるかと期待していた矢先、どうしても帰れない状況に陥ってしまった。ライターさんの原稿が来ないー、デザインがあがらないー、と四苦八苦して、会社のトイレで戻しながらも、一段落するところまで頑張った。なんとも美しくない図である。世の妊婦さんにはやはり、こんなことは勧められない。こうまでしてしまうのは多分に私のマゾヒスティックな性格に因るもので、中学・高校・大学とバスケットで身体を酷使することに慣れてしまっていたのだ。お腹の子に「ごめんねー、ミニマコト」(この頃はお腹の子をこう呼んでいた)と声をかけつつ、『だてに関東大会行ってないぞ』と自分を叱咤しながら、仕事を進めていた。3時を回った頃、ようやく一区切りついたので、とりあえず家に帰ることにする(帰れるだけいいのであって、他の編集部員の多くは、二日も三日も泊まり込んだりする)。帰りのタクシーでは案の定、途中で酔ってしまって、家に着くなり、またトイレに駆け込んだ。
 こういう働き方に対して、夫は最初、ものすごく抵抗があったらしい。が、いろいろな人とのやり取りで、どうしても夜遅くならざるを得ないという事態を次第次第に理解してもらって、なんとか支障をきたさずやっていた。しかし、妊娠中まで・・・とずいぶん心配もかけたことだろう。ただ、自分の健康状態は案外よく把握できるもので、吐き気以外、私の身体で不調なところは、当時はなかったのだ。また、開放的な編集部だったため、自己管理で好きなように働けたから、具合の悪いときは早々に切り上げ、調子のいいときは長時間働くといった形で、自分なりの帳じりあわせができたのだ。

 労働基準法での妊婦の扱いがどうなっているのか正確には知らない。雇用主と本人との話し合いで、無理のないよう働く、というところだろうか。つわりの重い妊婦さんなどは、本当に大変なことだろう。男女の働き方がどんどん近付いていく傾向にあるようだが、体調だけを理由に、一線から退いていく女性達はどれくらいいるのだろう。
 個人的にいろいろ考えた。妊娠したら、給料の一部と会社からのわずかな補助で、派遣の人を一人妊婦に付けて、妊婦の身体の状況に応じて相談しながら、手足となってフォローしてもらうことはできないか・・・研究職や専門職ではそうもいかないか・・・妊娠前後の五年間くらいで労働時間の帳じりが合えばよしということにはできないか・・・給与やボーナスの計算がややこしいか・・・。うーん、妊婦や子持ちの女性のフォローというのは、難しいものだ。十人十色の妊娠出産と、十人十色の子供があるからだ。何かいいアイディア、ないでしょうか?

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2006年6月11日 (日)

タイムスリップ1997-8

ママのかわいい子猿ちゃん

 妊娠中はアルコールはご法度? ママはどうだったかな?

7 飲みたい話

 タバコがお腹の赤ちゃんに悪いなら、アルコールだって悪いんだろうとは思う。多くの、飲酒愛好家だった女性が、妊娠してからはお酒を飲みたいと思わなくなった、と語っている。私も、タバコの煙りにこんなに敏感になったのだから、お酒だって、飲みたいとは思わなくなるのだろうと期待していた。飲みたいのに我慢するのはつらいに違いないから。けれど私の場合、つわりの最中もそれからも、妊娠中ずっと、お酒が嫌だと思うことは一度もなかった。中には、匂いをかぐのさえ嫌になる人もいるというのに、私は、むしろ周囲から「やめた方がいい」と言われるたびに、どんどん飲みたくなっていった。きっとお腹の子もお酒が好きで、立派な(?)うわばみになるのだろう・・・などと都合良く考えて、飲んでしまおうと何度も思ったが、理性でなんとか思いとどまった。胎児に対するアルコールの影響は、まだはっきりとわかっているわけではないらしいし、量によってもずいぶん異なるのだと思う。ただ、五体満足に生まれてきて欲しいというそれだけの気持ちから、私の抑制はなんとか効いていた。ちょっとでも口にすると、一挙に飲みたくなると思ったので、まったく飲まなかった。ワイン一杯くらい・・・と、勧めてくれる人も多かったが、一杯が二杯になり三杯になり・・・となるのが恐くて、ぐっと我慢したのだった。
 出産後飲めるようになったときに楽しめるように、「日本酒」という本を買って酒造りのことを勉強したり、ワインの本でいろんな名前を覚えたり、結局、まったくお酒と縁を切ることはできなかった私である。アロマテイスティングなんて言葉はないと思うが、私はずいぶん匂いだけでお酒を味わった。夜、夫が飲んでいるビールやワインやブランデーを横からちょっと取り上げて、「スーっ」と鼻から息を吸い込んで、その匂いに酔いしれ、悦に入った顔をする。夫は何度もこれをやる私に呆れ果てて、「そんなに飲みたいんなら飲んじゃえば?」と無責任発言をしたりもしたが、それでも頑固に我慢し続けた私だった。幸い、禁酒することでストレスがたまる、というところまではいかなかったから、私もそれほど「飲んべえ」ではなかったのだろう。ただ、女のくせに、いくら飲んでもほとんど顔色が変わらなかったので、もし生まれてくる子が女の子だったら、アルコールを摂取したら、「ポッ」と頬を紅潮させるような清楚な感じの子になって欲しいなぁ・・・などと思ったりしていた。

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2006年6月 9日 (金)

タイムスリップ1997-7

ママのかわいい子猿ちゃん

 最近ではだいぶ禁煙が進んでいますが、キミがママのお腹にいるころは、回りに結構喫煙者がいました。

6 煙たい話

 たいてい、編集部といえば煙たいものだ。最近のアメリカなどでは、喫煙者は軽蔑されるものだと思うが、日本の、特に編集部という場所では、まだまだ非喫煙者の方が肩身が狭かったりする。一応まっとうな私の会社でも、名目的には館内禁煙で通っていたのだが、編集のフロアではかなりの部分、有名無実と化していた。
 私は喫煙はしないが、喫煙者を激しく糾弾するような非喫煙者ではなかったから、編集部でも、同じ非喫煙者同士で机を並べるような形で、煙をしのいでいた。「禁煙!」と声高に叫んで、部員がイライラをつのらせても、こちらも迷惑というものだ。

 中学生の頃、実験でタバコの煙りを顕微鏡で見たことがあったが、そのおぞましさは忘れられない。黒い粒(「となりのトトロ」のまっくろくろすけみたいなもの)がフワフワと浮遊して、いかにも毒々しい感じだった。あれが自分の肺の中に付着すると考えたら、絶対にタバコなんて吸えない(と、私は思う)。自虐的・能率優先者は、それでもタバコを吸うのだろうから、こちらに被害が及ばなければ、それを止める権利はない。が、こと妊娠した場合には少し態度が変わってくる。被害の程度が予測できないから、ほんのちょっとのことでも慎重にならざるをえないのだ。我が身でなく、新しい命に対しては、まっさらな形で産み落としてやりたいと思うのが人情というものではなかろうか。
 今どき、食べ物にだって大気にだって、有害なものは数多くあるだろうから、タバコ一つを悪者にはできないことは、頭ではよーくわかっていた。しかし、身体がそれを許さないのだった。とにかく煙りを少しでも吸おうものなら、頭がズキズキして吐き気を催し、気持ち悪くなる。思わず息を止めて、煙たくない所まで避難した。妊娠中だけは、喫煙者のことを本当にうらめしく思った(喫煙者の皆さん、ごめんなさい)。一体全体、身体のどこがどう変化して、こんなにも敏感になってしまったのか? 鼻か、肺か、ホルモンのバランスか?子宮内の赤ちゃんに煙たさが探知できるはずもないから、母性本能がそうさせたのか?それにしても人体というのは不思議なもので、タバコの煙りを毛嫌いし始めてからというもの、けむい場所では鼻づまりがひどくなった。自然に自己防衛本能が発動していたのかもしれない。空気の汚いところでは鼻毛の伸びが早いというのは、本人の感じ方に大きく依存しているのだろうか? 
 こうした経験からまたしても私は、自分の身体や感情に心地よいことは自然と促進され、心地良くないことは自然と防衛されるように、人体はできているのだ、と思うようになった。

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2006年6月 7日 (水)

タイムスリップ1997-6

ママのかわいい子猿ちゃん

 妊娠中ってとっても眠たいものなんです。今日は眠たいお話。

5 眠たい話

 眠い眠い眠い・・・眠たいよー!! 春の朝というわけではない。妊娠経験者はたいていうなずいてくれるだろうが、妊娠中はとにかく眠い。私は、父の血を受け継いで、朝には滅法強かった。うちの父は、数十年というもの、床に着けば3秒後には寝息をたてて、朝は5時半には起き出す人だ。しかもその起き方が普通じゃない。目覚ましもなしに、定時になるとパチリと目を開け、余韻を楽しむこともなくガバッとふとんから飛び起きるのだ。私はここまですごくはないにしても、朝の目覚めはいい方だった。ところが、妊娠してからというもの、就寝時間のみならず、電車の中でも会社でも、暇さえあれば眠かった。お腹の子にエネルギーを吸い取られているのだから多少は仕方ないと思いつつも、本当にいつでも眠いので、お天道様に顔向けできない感じだった。
 既に子持ちの友人に、「子供が生まれたら眠れなくなるんだから、今はその分、たっぷり寝ておけばいいのよー」と目からウロコのアドバイスをもらい、そうかそうかと安心しつつも、根が真面目な私(?)は、しょうもない計算をした。これから出産まで約200日あまり、一日10時間寝たとして、通常時の平均睡眠時間7時間より600時間のプラスアルファ。出産後一日5時間を120日ほど続けると、平均睡眠時間より240時間のマイナス。寝だめしすぎじゃないかー? まぁ、実際のところ、妊娠中眠くても結局そんなに眠れなかったし、出産の直後は1~2時間という日もあったので、プラスとマイナスがちゃらになったのかどうかは定かでない。でも、友人のアドバイスは説得力があった。産後、眠れない夜があっても、「あの頃あんなに寝てたんだから、今はがんばらねば!」と思えるのである。
 私がこの頃一番睡眠を補給したのは、なんといっても通勤の電車の中。往復2時間をフルに活用した。当時、大口開いて寝ていた私を目撃した人はどうか黙認してください、妊婦だったんです。しかし、安全な日本だからそんなことできるわけで、物騒な国の働く妊婦さんたちは、決して電車の中でなんて眠れないんだろうなぁ。

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2006年6月 6日 (火)

タイムスリップ1997-5

ママのかわいい子猿ちゃん

 お腹にキミがやってくると、やっぱり二人分食べたくなってくるみたいですね。

4 欲望という名の食欲?

 妊娠すると嗜好が変わるというのは、よく聞く話だが、私もこれを身をもって体験した。つわりもおさまりかけたある日のこと、ムラムラムラーっと、ある欲望が私の身体を突き抜けた。それはごく単純明快な欲望だった。「石焼ビビンバが食べたい!!」。これである。レモンでも梅干しでもなかった。幻の石焼ビビンバが宙を舞い、口の中ではその幻によだれしている。まだ暑い最中なのに、どうして石焼ビビンバだったのかは、今もってわからない。三十数年も人間をやっていると、青春時代ほどアグレッシブな欲求というのはあまり感じなくなるものだ。ところが、この日の私は、まるで飢えた野獣のように、とにかくビビンバを口にするまでは街中を徘徊しかねない勢いだった。さすがの夫も、私の尋常でない様子に恐れをなしたのか、近所の炭火焼き肉のお店で晩御飯を食べることを承諾した。私は何の迷いもなく「石焼ビビンバ!」とそれだけを注文して、やっと口にできる喜びに、天にも昇る気持ちだった。夫はシンプルに焼肉とビール。しばしの待ち時間はメニューのビビンバを眺めて過ごし、ようやく来ました! 念願の石焼ビビンバだった! そのおいしいこと、おいしいこと。今思うと、あの頃は幸せだったかもしれない。単純な食欲に突き動かされ、それを食べられたときは素直に天に感謝する、なんともわかりやすい感情の高ぶり。 嗜好の変わり方は本当にひと様々らしく、その方向性によって、お腹の中の子供の性別がわかるなんてことも言われている。知人の知り合いで、焼肉だけしか食べられなくなって、挙げ句の果てに20kg太り、妊娠中毒症にかかって入院した人がいるそうな。私はこの人の轍だけは踏むまいと心に誓っていたが、幸い、石焼ビビンバが食べたかったのはその日だけだった。その後時折こういった食欲に襲われたが、たいていはマックのフライドポテトだのミスタードーナツのフレンチクルーラーだの、ジャンクフードばかりだった。いったい、私のお腹の子は、こんなもんばかり食べていて無事に育っているのだろうかと不安に思ったりもしたが、基本的に、「人間は、食べたいと思うものを食べていれば健康なのだ!」という信念のようなものを持ってこれまで生きてきて、すこぶる健康だった私は、栄養バランスなどあまり気にかけず、欲望の赴くままに長い妊娠生活を過ごしたのだった。

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2006年6月 5日 (月)

タイムスリップ1997-4

ママのかわいい子猿ちゃん

 お母さんになる人は、「つわり」という関門をくぐらねばなりません。今日は「つわり」のお話です。

3 つわりと旧日本式生活習慣

 まだ暑さの残る8月下旬、ひどい貧血とともに私のつわりは始まった。 生汗で全身びっしょりになって倒れ込むように横になるが、奥歯が痛んだり、下半身に力が入らなかったり、とにかく気持ちが悪くて、自分の身体じゃないような違和感に包まれた。さすがに、テレビドラマでよくあるような、『うっ』っと吐き気を催して台所の流しに駆け寄る・・・というような状況には遭遇しなかったが、「これがつわりってやつかぁ」とは思った。まだお腹が大きくなったわけではないが、この先のことを考えると、生活習慣全般がいろいろと気になった。
 ただ、冷静に考えると、現代はずいぶん、妊婦や産婦には優しくなっているように思えた。まず、屈み込むのが苦痛な妊婦にとって、昔の和式トイレやシャワーのない風呂場、玄関や縁側の段差、椅子のない生活なんて、もう最悪な感じだ。それを思えば多少の苦労もなんのその。駅のエスカレーターに感謝し、洋式トイレに敬礼し、シャワーを拝み、椅子には頭を下げて座る(なんてことはしませんでしたが)。ブルーになりがちな気持ちを前向きに前向きにしようと、その頃の私の心の中での口癖は「昔に比べれば・・」になった。出産後も、この気持ちは続いている。ミルク用保温ポット、紙おむつ、洗濯機に乾燥器、電子レンジ、ガス湯沸かし器、身の回りのすべてのものに後光がさしている。昔の人は大変だったろうなぁ・・・これまであまり、科学技術の進歩に感謝したことなどなかったけれど、妊娠出産というある意味不自由な身体になって、初めて得たポジティブシンキングの技だ。
 まあ、私のつわりはたぶん相当軽かったのではないだろうか。その頃私がお世話になっていた印刷所の方の奥さんは、つわりが、出産まで続いたという話しだ。そこまで酷くなくても、1~2週間仕事を休む人はざらにいるという話しを聞いた。私の場合、つわりに耐えかねて会社を休んだのは、たったの1日だった。(ただ、私の職場はヒジョーに融通の効く所なので、あまり参考にはならないと思います。)とにもかくにも、「つわり」というのは英語では”morning sickness”というそうだから、私の妊娠生活はこれでようやく朝を迎えたということだ。

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2006年6月 4日 (日)

タイムスリップ1997-3

ママのかわいい子猿ちゃん

 今日の一文は、キミの存在を職場の人たちにお知らせしたときのことです。

2 職場への通達

 世の働く妊婦さんたちは、果たして、どのように最初、懐妊を職場に告げているのだろうか? 産婦人科で懐妊が判明して、その足で職場に向かう道すがら、私は頭の中でいろいろとシミュレーションしてみた。私の勤務する編集部はその当時総勢8名で、男性5名女性3名(自分含む)。お子さんのいるのは編集長と副編の2人、既婚は4人(自分含む)。平均的には、子供とは縁のない人間の方が断然多いわけだ。こういう人員構成で、いきなり「子供できましたー」と言うのもバツが悪い。誰かおしゃべりな人にそっと話して、あとは噂で広まるのをじっと見守る・・・というのも何だか無責任な感じ。一人ひとりに事情を説明するのも、ちょっと大袈裟。ただ、これからどういう体調で、いつどういう仕事を他の人にお願いすることになるかもわからないから、一応、状況は知っておいてもらった方が得策だろう・・・。あれこれ考えているうちに編集部に着いてしまい、これは臨機応変に対応しようということで気持ちを静めた。
 その日、編集長は外出で編集部には来ないことが判明。それで思い付いたのがメールだった。本当は直接報告するのが筋というものだけれど、こういう時、メールというのは実に便利な代物なのだ。『直接お話するべきことですが、取急ぎ御報告ということで・・・』と前置きして、その日のうちに編集長にだけメールで報告した。これであとは、少しずつ部員全員に話していけばいいや、ということで一件落着。
 それにしても、親族や女友達に報告するのは問題ないとして、職場の人間に懐妊を報告するというのは、何とも小恥ずかしい感じで、心苦しくもある。嬉しいことには違いないが、仕事の同僚や雇用主にしてみれば、「とんだお荷物」と思われても仕方ない部分もある。みんなに子供がいて、男性女性問わず育児休暇も取るような状況なら、「ああ、今度はあなたの番ね」という感覚で持ちつ持たれつやっていけるのだろうけれど、まだまだ女性が働きながら子供を産むというのは、「お荷物」意識を拭い切れないものなのだなぁと実感した。
 幸い、我が編集長はユーモアのわかる人で、後日、「私も妊娠経験はないので・・・お医者さんの意見を聞きながら、働き方は相談しよう・・・云々」という返事を、これまたメールでいただいた(注:編集長は男性)。妊娠中は、職場の人の理解のあるなしで、精神状態もずいぶん違うことだろう。私の場合、このメールの往復を始まりにして、この上なくいい職場環境を与えられた気がしている。

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2006年6月 3日 (土)

タイムスリップ1997-2

ママのかわいい子猿ちゃん

 キミがママのお腹に出現したとわかった日のこと。こんなふうだったんだよ。。。

1 懐妊判明!

 1997年8月18日、朝8時半に鷺沼産婦人科で受け付けを済ませた。 先週末、検査薬で陽性だったため、いよいよかな・・・と緊張しながら待ち合い室で時を過ごす。そこには既に20人ほどの人たちがうようよとしていて、当然ながらほとんどがお腹の大きな妊婦さん。それぞれ思い思いに、本を読んだりウトウトしたりおしゃべりしたりしている。初めての産婦人科の待ち合い室のそうした光景に、私は少なからず驚いた。少子化少子化と言われながらも、世の中にはこんなにもたくさんの妊婦がいるものなのか! 女ばかりのその異様な光景にあてられてか、再尿を待つ私は列の途中でくらくらと目眩を覚え、そのまま貧血で倒れた。すぐに回復はしたものの、看護婦さんには朝食を抜いたことを怒られ、周りからは同情だか哀れみだかの混じった眼差しで注目され、単なる検査だけのつもりの病院で、いきなり忘れがたい経験をしてしまった。
 そんなストレスフルな状況下、待たされる待たされる! なんと私が名前を呼ばれたのはお昼ちょっと前の11時45分。私だけじゃなく、ほとんどの妊婦さんがそれくらいの時間待たされていた。まだまったくの通常体の私でさえ、イライラして気持ち悪くなったのだから、身重の妊婦さんはさぞや・・・と思って周囲を見回したが、妊婦さんは元気! 慣れっこになってしまったのだろうけれど、これはちょっとなぁ・・・と考えさせられてしまった。予約制の産婦人科もあるのだろうけれど、強制的に全部の病院で予約制にした方がいいのではないかと思った。 さて、こうしてなんとか診察室まで辿り着いた私は、やっとこさで診察台に上り、坦当の漆原先生という年輩の男の人に子宮の様子を見せてもらった。やはり! いるいるいる!何やら小さな物体が鎮座ましましており、その周囲に羊水や、栄養を送る管が見えた。「おめでとうございます! おめでたですね」先生がそう言うと、周りにいた看護婦さんたちがパチパチと拍手してくれた。なんだか、何がおめでたいのかよく実感できないまま診察室を出て、それでも、モゾモゾと動いて見えた私のお腹の中の子供に、心の中で、『よろしくねー』とつぶやいた私であった。
 懐妊が判明して、早くいろんな人に報告しようとそわそわしながら会計を待っていた私だが、呼ばれてその診察代を聞いてびっくり! 3時間以上待たされて、ほんの数分の診察だったにもかかわらず、なんと17230円! そうかー、保険きかないんだー!! しばし、雷に打たれたように立ち尽くした私だが、すぐに立ち直り、「すみません、ちょっと駅前でお金おろしてきます」と言って、その場を離れた。会計の人も、そういう患者に慣れているのか「はいはい」と笑っていた。
 いやはや、てんやわんやで病院を出た私は、それでもまっ先に夫の職場に電話を入れたのだった。夫からもいたわりの言葉を受けて、なんだか放心状態のまま、職場に向かった。

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2006年6月 2日 (金)

タイムスリップ1997-1

ママのかわいい子猿ちゃん

 今日から、愛する君の応援ブログを始めることにしました。

そこでまずは、君がまだ私のお腹にいる間、私がどんなふうに過ごしていたか、その記録の再録から始めることにします。全47回の記録をぜんぶ再録し終えたら、8歳になった君との、日々の暮らしをゆっくりと紡いでゆきますね。……ということで、まずは「まえがき」です。

0.まえがき

 生まれた時から人の子であった私だけれど、その私が人の親になる日が来ようとは、三十路を過ぎてもあまり想像したことがなかった。そもそも親になるってことは、妊娠して出産しなくちゃいけないわけで、それには1年近くの時間を要するのだ。無事生まれても、その先には長ーい子育ての日々が待ち受けている・・・。果たして仕事に明け暮れているこの日々から、そんな生活へうまく移行できるものなのだろうか? こんな私に、まっとうな子育てができるのだろうか? そして、何の問題もなく仕事に復帰できるのだろうか? 妊娠出産を考えるとき、私の頭は必ず、疑問符でいっぱいになっていた。
 「女は子宮でものを考える」・・・以前どこかでそんなフレーズを目にした。そして、「ヒステリー」という言葉が「子宮」に由来すると知って、なるほどと妙に納得した。私はあまり、ヒステリーを起こす質ではないが、子宮でものを考えていることは、あるような気もした。理論的に何の裏付けがなくても「ピピピッ」と決断できてしまうようなとき・・・つまり、本能の赴くまま・・・というやつだ。そしていつしかついに、私自身の妊娠出産は、まさにこの、本能を意味するところの子宮に全面的に頼らざるを得ないと、開き直ることにしたのだ。まともにモノを考えたら、今のご時世、誰も出産なんてしたいとは思わない。なるようになる・・・ケセラセラだ。
 無事元気な男の子を出産して、今、妊娠中のあれこれを振り返ると、ずいぶん無茶もしたし、不安だらけの毎日だったけれど、たぶん一生に一度であろうこの妊娠生活を、私なりに楽しんでいたような気がする。これから先は、たぶん一生に一度であろう子育てを楽しみながら、日々新しい発見で、人生という壮大な物語を大事に紡いでいきたいと思う。

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