2006年8月 3日 (木)

タイムスリップ1997-47

ママのかわいい子猿ちゃん

 さあ、出番ですよ!

46.長い夜が明けて・・・

 予期せぬまま陣痛室に入った夜、外は雨がしとしとと降り続いていた。ベビーアクトを付けて横になったまま、ジェットコースターのように緊張と興奮を交互に味わいながら、部屋の窓に打ちつける雨音に耳をすませて気を紛らわせた。1時半ごろから明け方までの長かったこと長かったこと。宿直の看護婦さんと助産婦さんに交互に背中をさすってもらいながら、フッフッフーの呼吸を何回したろう。全身汗まみれで、うーうーと唸る私をよそに、赤ちゃんの心拍は100と150の間をゆるやかにさまよっていた。明け方近くには、もう、何かにつかまっていないと痛くて痛くて、ベッドの横の機械にしがみついたりしながら、痛みを何とかやり過ごしていた。家族に連絡して来てもらうゆとりもないまま、暗い夜の陣痛室でたった一人で痛みに耐える姿は、今振り返っても哀れである。お腹の子は、出てこようと一生懸命なんだと想像して、「頑張ろうね!」と心の中で声を掛けつつ、同じことをくり返していた。
 ここから先はもう、朦朧とした中でのことで、あまりはっきりとは覚えていない。ただ、朝6時15分頃、子宮口が全開したとのドクターの診断で、分娩室に移動させられた。それから8時30分の人員交代の時刻まで、夜勤の助産婦さんの介助で陣痛を乗り切った(私は痛みに耐えかねて、この人の手を何度握ったことだろう)。ところが、人員交代の時間が迫るころ、私の陣痛はだんだんと間隔が伸びて、弱くなってしまっていた。小林さんという大柄で気さくな助産婦さんと交代になって、また同じことをくり返した。助産婦さんというのは本当にきめ細やかに対応してくれ、神様のように見えてしまう。水を飲ませてくれたり、腰をさすってくれたり、声をかけてくれたり・・・。9時ちょっと過ぎ、弱まってしまった陣痛に檄を入れるため、陣痛促進剤を入れた点滴をすることになった。するとみるみる効果が現れて、痛みの間隔が短くなった。排臨(赤ちゃんの頭が見えてくること)になると、助産婦さんが、「あ~、見えてきましたよ! ●●先生よりずっと毛が濃いよ~!」などと笑わせてくれた。運命の時は近いと思うと、痛いながらも興奮して、俄然元気が出てきた。痛みのやり過ごしかたにも慣れてきたようだった。ただ、私のイキミの力不足のせいか、赤ちゃんの頭は見えたり引っ込んだりをくり返して、なかなかその先に進まないようだった。あまりその過程が長いので、ドクターはついに会陰切開に踏み切ることにした。これ以上赤ちゃんに負担をかけるのは危険との判断だった。痲酔はしてなかったのだろうが、私には切開される痛みはほとんど感じられず、「とにかく早く出てきて~!」という気持ちだった。すると、それから4回ほどのイキミで、一気にきた! 自分でも、出てくる感じがなんとなくわかり、長い便秘についに終止符が打たれるかのように、思いっきりイキんだ。どろろろろん! そんな感じだった。出てきた直後、助産婦さんは赤ちゃんを持ち上げ、私に見えるようにしてくれた。私は、抱え上げられたわが子の、羊水にまみれて白くネバネバした、それでいて真っ赤な顔を、しっかりと目に焼きつけた。1998年4月9日(木)AM10:03、男児2560グラムの誕生である。
 正味14時間ほどの格闘の末生まれた赤ちゃんと、看護婦さんにキレイに洗われ、分娩台の上で対面したとき、彼が、ニッコリと微笑んだような顔をしたことは一生忘れない。まさに太陽のように輝く微笑み! こうして私の長い夜は明け、外は雨模様ながらも、心の中にはしっかりと陽が射し込んできたのだった。

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2006年8月 1日 (火)

タイムスリップ1997-46

ママのかわいい子猿ちゃん

きたーー!

45.初めての陣痛が来た!

 安静入院させられて、不味い昼食を食べ終えた12時25分、病院のベッドで一人横になっていたせいか、神経が研ぎすまされた感じで、前駆陣痛のような痛みを感じた。そもそも陣痛というのがどんな痛みなのかわからないのだから、身体のどこかがちょっとだるかったり痛かったりすると、それはすべて陣痛ではないかと疑ってかかっていたので、これも怪しいことは怪しい。
 病室は4人部屋だったが、私を含め3人の患者が入っていた。私以外の二人は妊娠中毒症の人で、もう2週間も入院しっぱなしという人もいた。私もここでしばらく安静にして1週間後くらいに生まれるのかなぁ・・・と漠然と思った。今日生まれれば花祭りで仏様と一緒の誕生日になるのに~などと残念がって、午後は鬱々としてベッドに横になっていた。夕方、父と母が来てくれ、ありがたい差し入れを置いていってくれた。夫には夕方電話を入れ「とりあえず安静入院したけど、予定日はまだ1週間先だからねー」と暢気に話しをした。
 ところがその夜、8時を少し回った位の頃、また鈍い痛みが私の腰を襲った。生理痛のようなず~んという感じの重い痛みだった。私はとにかくメモ魔で、暇さえあれば気付いたことをなんでもメモっておく質なので、痛みを覚えた時刻もメモしておこうと思い立った。以下、痛みの間隔である。
20:08、20:28、20:44、21:01、21:44、22:03、
22:12、22:31、22:41、22:57、23:07、23:18、
0:01、0:15、0:29、0:42、0:52、1:01、1:07。と、ここまで来て、時間間隔が短くなっているのに気付き、さすがに心配になってナースステーションへ報告に行った。まだ産まれるわけないとは思いつつも、絵に描いたように見事な陣痛の移り変わりに、かなり動揺していた。ステーションには看護婦さんと助産婦さんの2人しか宿直がおらず、陣痛室で様子を見ることにした(陣痛室はステーションの隣にある)。陣痛とはまこと不思議な現象で、痛いときとなんでもないときとが、交互にやってきて、その間隔がだんだんと短くなり、しかも痛みが増してくる。さも、これから来る激痛に備えさせるかのように、忍者の修行のごとく、じわりじわりと厳しさを増してゆくのだ。私は陣痛室でその経過に身をゆだねながら、痛いことは痛いながらも、陣痛の規則性が面白くて仕方なかった。
 これが私の生まれて初めての長~い長い夜になるとは、想像もしていなかったのだった。

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2006年7月31日 (月)

タイムスリップ1997-45

ママのかわいい子猿ちゃん

 もうほんとにカウントダウンです!

44.カウントダウンの頃の身体

 3月の下旬頃から、お腹はますます重く感じ、歩くのも動くのも億劫になって、ひたすら実家で食べて寝て(安静にしているように注意されたこともあって)ビデオを観て・・・という人生に一度か二度かという実に優雅(?)な暮らしをしていた。何度か、破水したのでは?という状況に遭遇して、病院に電話して指示を仰いだりもしていたが、特に大きな変化のないまま時は過ぎていった。
 カウントダウンの頃というのは、「いつ来るかいつ来るか」と待ち構える体制なので、ちょっとのおりものを破水(卵膜が破れて羊水が流れ出る)と思ったり、お腹が疼く程度でも陣痛が来たかと思ったり、とにかくびくびくしていた気がする。
 前回の検診で安静入院を勧められたのを断わって1週間後の4月8日、朝5時にお下が変な感じがしてトイレに行くと、「おしるし」があった。「おしるし(産徴)」というのは少量の血液が混じった粘液のおりもので、これを見て数日でお産になるケースが多いという。「こりゃー検診で報告せねば!」と、ようやく兆しの現れたことに興奮して、「今日も安静入院を勧められたら、即入院してしまおう!」と母にもその旨告げておいた。
 検診で、羊水は依然少なく胎児は約2400グラムでまだあまり大きくなっていないと言われた。心拍モニターとマイリス注射をして即入院。病室は、妊娠中毒症の人たちと一緒で、初めての病院食を食べることになった。初めてということでメニューはよく覚えている。卵・ネギ・油揚げ・豚肉の具が入ったソフト麺に、りんごとプリン。それだけ。ハッキリ言って不味い! こんな食生活を1週間も強いられたら、げっそりして出産に臨むことになりそうだと心配した。
 とにもかくにも、こうして私の入院生活が始まったのだった。

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2006年7月30日 (日)

タイムスリップ1997-44

ママのかわいい子猿ちゃん

 キミが生まれてくるまでには、いろいろ検査も受けました。

43.正産期のいろんな検査

 4月に入った。今月13日が予定日だから、もう立派な正産期。エイプリールフールの検診では、出産間近ということでいつもより多くの検査をした。恒例の尿検査や血圧・体重測定、お腹周りの測定やむくみの確認を済ませたあと、内診をして血液検査をして赤ちゃんの心拍モニターをして、E3検査という尿検査の追加もした。また、私は少し羊水が少なく子宮内環境が芳しくなかったので、先生は赤ん坊を早めに外に出した方がいいと考えて、マイリス注射というのまでされた。マイリス注射は、産道を熟した柿のように柔らかくする働きがあるのだそうだ。またE3検査というのは、その場で尿を採取して、尿中に出ているホルモンの量を調べ、胎児と胎盤の状態を知ることができるらしい。先生はこの日、私に、もう安静入院してしまった方がいいかもしれないとおっしゃった。強制的にというわけではなかったが、だいぶ私の子宮内環境を心配しているらしい。私は、そんなに切羽詰まった状況とは考えられずに、自分の体に問いただし、結局もう1週間様子をみることにした。
 家に帰って、母にいろんな検査の話しをしたら、昔はそんなものほとんどなかったと言って驚いていた。このほかにもまだ、羊水を採取して胎児の異常を調べる検査などもあり、社会問題化しているが、確かに検査も程度問題だと思う。なんでもかんでも調べて、意に沿わない状況なら産むのをやめるなんて、あんまり自然なこととは思えない。まぁ、子供の一生に関わる問題だから、そう易々とは結論を出せないし、考え方も人それぞれだから難しい。私の場合、どの検査でも特に異常は発見されず、あとはひたすら無事に出てきてくれることだけを願う、ということになったのだった。

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2006年7月29日 (土)

タイムスリップ1997-43

ママのかわいい子猿ちゃん

 カルテって、たいてい意味不明のことが書かれてますよね。

42.カルテの中のハテナマーク?

 3月18日の定期検診。この日、逆子が直っていることが判明した嬉しい検診ではあったのだが、一難去ってまた一難。予定日まで1ヶ月をきったというのに、お腹の子はまだ2100グラム程度で、羊水の量がとても少なくて赤ちゃんが苦しがってしるかも、と先生に言われた。お腹の中の子の体重は、ECHOで頭の直径をはかってそこから概算するらしいのだが、誤差もかなりあるらしく、それほど深刻になる必要はないが、統計的に見て小さめであることは確かなので、慎重に対応しようということになった。私もECHOの画像を見せてもらったが、確かに首の周りくらいにしか羊水の陰がなく、いかにも窮屈な子宮に見えた。先生は私を、40分ほどNSTという心電図検査の機械にかけ、「今のところ元気だけれど、来週も検査しましょう」とおっしゃった。この機械、この日はTOITU(株)というところのものだったのに、次の検診ではベビーアクトという新機種に変わっていた。検査中時折赤ちゃんの心拍が「0」表示になって青くなった私だったので、ただでさえ不安だったが、早速の機械変更にはさらに不安にさせられた(TOITUさんが悪いわけではなく、機械の説明をきちんとしてもらわなかった私がいけないのです)。
 検診のあとの先生との面談中、先生は私のカルテにこっそり「?」マークを記入した。私はそれを見逃さず、かと言って「それはどういう意味ですか?」と尋ねる勇気もないまま、逆子が直ったことだけを好材料として胸に秘め、そろそろと家路についたのだった。(結局この?マークの意味は最後までわからず終いだった。)神経質になっていたのか、その晩私は、その先生がお坊さんになって108つの荘厳なお経を唱えている夢をみた。変な夢だった。

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2006年7月28日 (金)

タイムスリップ1997-42

ママのかわいい子猿ちゃん

 お母さんは、子どもが生まれる前に母親学級というクラスを受けなければなりません。

41.初めての母親学級

 妊婦になると、各病院や地域主催の母親学級なるものに数回参加しなければならない。「母親になるための学級」なのだけれど、母親学級という名前なので、お腹の中の子への責任を痛感させられもする。
 3月16日、私も初めての母親学級に参加した。ぎりぎりの里帰りなので、最初の数回はパスして、後半の2回だけの受講にした。プログラムは、入院の心得や、産褥について、新生児について、妊産婦体操などの予定だった。私はてっきり、教室のようなところで、1時間ほど座りっぱなしで話しを聴くだけかと思っていたのだが、なんといきなり、陣痛室と分娩室に案内されたものだからびっくり。どちらにも、おどろおどろしいベッド(?)があり、そこに自分が間もなく横になるというのが信じがたかった。陣痛室では、ベッドの横にベビーアクトという赤ん坊の心音をモニターする機械が備え付けられていて、ここでかなりの時間、陣痛に耐えながら時が満ちるのを待つのだそうだ。分娩室は、意外に明るかったけれど、分娩台は屈辱的で、ベッドの横の握り棒が、いかにも苦痛に耐えるための道具らしく光っていた。この2室を見学したあと、お腹の大きな妊婦たちはぞろぞろと連れ立って絨毯敷の体操用の部屋に入れられ、そこで今度はビデオを見せられた。それがまぁ、先日見た「Face Off」というアクション映画よりもっとショッキングな映像だったのだ! なにしろ、実際のお産の様子を、途中多少の省略はあるものの、最初から最後まで見せられたのだ。画面の中にはほとんど変わらずうーうーと唸る妊婦がいて、アングル変更はまったくなし。ひたすら同じ光景が流れ、無気味な声だけが部屋に響いていた。一緒に見ていた妊婦の中には気分の悪くなった人もいたようで、途中トイレにたったりしていた。私もなかなか直視できずに、時折窓の外の景色など見ながら、なんとか見ていた。最後に赤ちゃんがつるんと出てきて、やっと皆、そんな状況から解放されたのだが、産まれたシーンへの感動より、ビデオが終わったことへの安堵感の方が大きかった気がする。百聞は一見にしかずとは言うものの、こんな恐いビデオを見せる意味があるのかどうかは、ちょっと疑問だった。私には、「ふっふっふー」の呼吸練習だけで、十分だったように思われて仕方ない。(最近は、母親学級とはいえ、お父さんも一緒に来ているケースが多く、この日も5人ほどの男性が混じってそのビデオも見た。御愁傷様、としか言えなかった)

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2006年7月26日 (水)

タイムスリップ1997-41

ママのかわいい子猿ちゃん

 インターネットのない時代とある時代、人生にも大きく影響しています。

40.ありがたいインターネット

 家から実家に持ってきたもので一番重かったのが、 Power Bookというノートパソコンとモデムのセットだ。産前休暇に入ってから、毎日かかさずメールチェックしていた私には、これは必要不可欠な「社会への窓」だった。会社の私のアドレス宛てに来たメールも転送してもらえるようになっているので、社内の細々した情報まで入ってくる。今度の昼礼のこと、伝票の締めきり日のこと、編集部内の連絡、誰某の親戚が亡くなったなど、あらゆる知らせをすべて社内メールとノーティスボードで通知する私の会社ならではのメリットだ。こうして私は、長期の休暇に入っても、あまり疎外間を持たずに済んでいるのだろう。サテライトオフィスを認めてもらえれば、まだまだ仕事もできそうな雰囲気だ。
 さすがに、会社では専用回線でも、家や実家では電話線を通しての接続だから、あまりネットサーフィンなどはできない。それでも、インターネットを使えるという状況がこれほど便利なものとは、今まで想像しなかった。夫が、結婚前ドイツで働いていたときには、まだインターネットが今程普及しておらず、週末になると車で数時間のデュッセルドルフまでわざわざ新聞を買いに行ったと話して、二人で笑ったことがあった(今なら毎日ネットで新聞も読めるのに)が、私も、こういう状況になって、改めてインターネットの恩恵をひしひしと感じることになったわけだ。友人の多くもネット利用者なので、毎日軽いおしゃべり感覚で近況もわかる。それこそ、「元気?」「元気!」だけだっていいわけだ。電話だとなかなか改まってしまって御無沙汰になりがちでも、メールなら手軽にやりとりできる。妊婦には最高のおもちゃと言えよう。たまには手紙のように心のこもった言葉をやりとりしたくもなるが、足早に過ぎ去る日常で、ほんの些細な言葉を掛け合える幸せというのもあるんだなぁと、メールのありがたみも再確認した。まったく、妊娠というやつは、いろいろと目からウロコを落とさせてくれるものだ。

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2006年7月25日 (火)

タイムスリップ1997-40

ママのかわいい子猿ちゃん

 いよいよ会社も休み、実家に帰ることに!!

39.春一番とともに実家へ

 3月14日、春一番の吹く中、大きな荷物を抱えて車で実家に向かった。途中、学生時代の友人の住むマンションのすぐそばで休憩を取ったのだが、しばらく会っていなかったので懐かしくなって、つい彼女の携帯へ電話を入れてしまった。「今ねー、すぐそばのジョナサンでブランチ取ってるんだ。これから実家に向かうところ。近くに来たからつい電話しちゃった!」と、時間もわきまえず話した。これから先、どうなるかもわからず、当分会えないと思って闇雲にかけた電話だったが、久々に声が聞けてなんだか嬉しかった。実家入りしてしまうと、ますます社会から隔絶されるような気がして、友人とのおしゃべりが何よりの楽しみになりそうだった。
 実家では3食昼寝つきになれたらよかったのだが、私の母は勤め人なので、週末以外はたった一人で留守番という、あまり家にいるのと変わらぬ生活になった。ただ、夕食はグレードアップした。父と母と私の三人分ということもあるし、私の栄養には気をつけてくれていたので、ちょっと豪勢に食べまくった。病院での栄養指導が厳しかったから無茶喰いはしなかったものの、何度か尿たんぱくが出るなどの危うい状況になってしまったくらいだ。夫は、この日私を送ってきてくれてからは、毎週末神奈川と埼玉の間を往復するという憂き目をみることとなった。
 実家入りした日の翌日、久々に親子で映画館へ行った。私の大好きなニコラス・ケイジの「Face Off」という映画が放映中だったので、それを観に行ったのだ。アクション映画だということは知っていたが、前に「スピード2」を家で観たとき、お腹の中のわが子は、喜んで(?)お腹をポコポコと蹴っていたので、そう害はないだろうと思っていた。ところが、予想以上に物凄いアクションの連続で、お腹の中の子は静まり返ってしまっていて、さすがにちょっと心配になった。父と母にはさらにショックが大きかったようで、映画が終わってからしばらく、三人して放心状態だった。両親は、「あんまり過激なのは見ない方がいいんじゃない?」と忠告しつつも、我が儘な娘に付き合って、近所のレンタルビデオ屋の会員になって、これから先の私の娯楽を確保してくれたのだった。
 学生時代はろくに一緒に夕食も取らなかったし、結婚してからはだんだんと遠くに引っ越してしまっていたので、これから一ヶ月以上もずーっと両親と顔を突き合わせていくのが、不思議な感じだった。

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2006年7月24日 (月)

タイムスリップ1997-39

ママのかわいい子猿ちゃん

 仕事には引継ぎってものがつきもので、それはなかなかに面倒なものです。

38.残務処理に引きずられる

 産前休暇に入って数日後、会社から電話が入り、私の直近の本のことでメーカーから追加修正の要望が入ったという知らせを受けた。マルCがらみのことらしく、よくあることではあるのだが、今回の仕事では既に何回も確認していたことだったので、かなりカチンときた。この件で結局その後数回出社したのだが、すっきり仕事を終わらせて休暇に入る予定が、里帰りする直前まであれやこれやと忙しく毎日のように電話でも残務処理に追われるハメになった。ゆっくりとクラシックでも聴きながら、胎教に勤しもうという計画は水泡と帰した。たとえ会社に出なくても、仕事が動いているうちは気分的に落ち着かず、なんだかそわそわといろいろ気にして、休暇という感じではなかった。はたで見ていた夫は、「この期間ってお給料もらった方がいいんじゃないの?」などと言っていた。
 私のような編集の仕事は、本が一冊できてしまえばとりあえずは一段落なので、残務といってもたかが知れているけれど、これが長期の研究プロジェクトの一員だったり、引き継ぎの人がまったく新規の人だったりしたら、さぞ大変だろうなぁと思った。

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2006年7月23日 (日)

タイムスリップ1997-38

ママのかわいい子猿ちゃん

 友だちが無事出産と聞くと、少し安心するものです。

37.友人の無事出産連絡

 3月の頭、学生時代にサークルで一緒だった友人から電話があった。彼女は私より2ヶ月ほど早く妊娠していることがわかり、妊娠中何度か、連絡を取り合って情報交換したりしていた。その友人が、開口一番「産まれたよー!」と軽やかに声を上げたのだった。私もカウントダウンにかかっていた時だったのでとてもひと事とは思えず、「おめでとー!!」と心からお祝を言うと、その後は質問のオンパレード。「どうだった?どうだった?」 妊娠後期のこと、入院前夜のこと、陣痛のこと、分娩の様子、出産直後の感覚、出産後の入院生活のこと、退院後の生活、そして何より赤ちゃんのこと・・・。2月の上旬に出産を済ませた彼女は、既にすっかり落ち着いてはいるものの、やはり出産の興奮はまだ生々しく残っているようで、こと細かに説明してくれた。ただ、母のたくましさとでも言えるものがもう備わってしまっていて、「なぁに、案ずるより産むが易しよ! 終わってみると呆気無かったよー」とゆとりの発言も出た。また、「いや、産むまではそれしか考えられなかったけど、産んでからの方が大変。とにかく寝られないよー」と脅かしてくれる。まだ産んでない者としては、やはり何を言われても「産む」ことが一番の悩みの種だ。
 彼女の家では、子供を健太郎くんと名付けたという。元気な男の子で、親戚からはもてはやされまくっているらしい。寝られなくて大変と言いながらも、その声はどこか弾んで、息子のことを話す彼女の口調の端々に、彼への愛情が溢れているのが感じられた。学生時代からいろいろ一緒に遊んでいた友達がお母さんになったのだと思うと、なんだか不思議な気がした。面倒見のいい人なので、きっといいお母さんをしてるんだろうなぁと想像しながら、栃木と神奈川という距離も考えずに電話し続けたのだった。

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