タイムスリップ1997-1
ママのかわいい子猿ちゃん
今日から、愛する君の応援ブログを始めることにしました。
そこでまずは、君がまだ私のお腹にいる間、私がどんなふうに過ごしていたか、その記録の再録から始めることにします。全47回の記録をぜんぶ再録し終えたら、8歳になった君との、日々の暮らしをゆっくりと紡いでゆきますね。……ということで、まずは「まえがき」です。
0.まえがき
生まれた時から人の子であった私だけれど、その私が人の親になる日が来ようとは、三十路を過ぎてもあまり想像したことがなかった。そもそも親になるってことは、妊娠して出産しなくちゃいけないわけで、それには1年近くの時間を要するのだ。無事生まれても、その先には長ーい子育ての日々が待ち受けている・・・。果たして仕事に明け暮れているこの日々から、そんな生活へうまく移行できるものなのだろうか? こんな私に、まっとうな子育てができるのだろうか? そして、何の問題もなく仕事に復帰できるのだろうか? 妊娠出産を考えるとき、私の頭は必ず、疑問符でいっぱいになっていた。
「女は子宮でものを考える」・・・以前どこかでそんなフレーズを目にした。そして、「ヒステリー」という言葉が「子宮」に由来すると知って、なるほどと妙に納得した。私はあまり、ヒステリーを起こす質ではないが、子宮でものを考えていることは、あるような気もした。理論的に何の裏付けがなくても「ピピピッ」と決断できてしまうようなとき・・・つまり、本能の赴くまま・・・というやつだ。そしていつしかついに、私自身の妊娠出産は、まさにこの、本能を意味するところの子宮に全面的に頼らざるを得ないと、開き直ることにしたのだ。まともにモノを考えたら、今のご時世、誰も出産なんてしたいとは思わない。なるようになる・・・ケセラセラだ。
無事元気な男の子を出産して、今、妊娠中のあれこれを振り返ると、ずいぶん無茶もしたし、不安だらけの毎日だったけれど、たぶん一生に一度であろうこの妊娠生活を、私なりに楽しんでいたような気がする。これから先は、たぶん一生に一度であろう子育てを楽しみながら、日々新しい発見で、人生という壮大な物語を大事に紡いでいきたいと思う。
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