タイムスリップ1997-9
ママのかわいい子猿ちゃん
身体の中に確固としたキミが現れた証拠かな、つわりって。。。
仕事はできるだけ効率的に!と普段から心掛けてはいるが、それでも編集という不規則な仕事では、やむなく夜遅くなることはままある。妊娠前にも終電を乗り逃すことはよくあって、たびたびタクシーのお世話になっていた。けれど、妊娠後は、車に揺られるのが気持ち悪いせいもあって、できるだけ終電前には帰宅するようにしていた。しかし、仕事の波はやはり谷あり山ありで、つわりがそろそろ終わるかと期待していた矢先、どうしても帰れない状況に陥ってしまった。ライターさんの原稿が来ないー、デザインがあがらないー、と四苦八苦して、会社のトイレで戻しながらも、一段落するところまで頑張った。なんとも美しくない図である。世の妊婦さんにはやはり、こんなことは勧められない。こうまでしてしまうのは多分に私のマゾヒスティックな性格に因るもので、中学・高校・大学とバスケットで身体を酷使することに慣れてしまっていたのだ。お腹の子に「ごめんねー、ミニマコト」(この頃はお腹の子をこう呼んでいた)と声をかけつつ、『だてに関東大会行ってないぞ』と自分を叱咤しながら、仕事を進めていた。3時を回った頃、ようやく一区切りついたので、とりあえず家に帰ることにする(帰れるだけいいのであって、他の編集部員の多くは、二日も三日も泊まり込んだりする)。帰りのタクシーでは案の定、途中で酔ってしまって、家に着くなり、またトイレに駆け込んだ。
こういう働き方に対して、夫は最初、ものすごく抵抗があったらしい。が、いろいろな人とのやり取りで、どうしても夜遅くならざるを得ないという事態を次第次第に理解してもらって、なんとか支障をきたさずやっていた。しかし、妊娠中まで・・・とずいぶん心配もかけたことだろう。ただ、自分の健康状態は案外よく把握できるもので、吐き気以外、私の身体で不調なところは、当時はなかったのだ。また、開放的な編集部だったため、自己管理で好きなように働けたから、具合の悪いときは早々に切り上げ、調子のいいときは長時間働くといった形で、自分なりの帳じりあわせができたのだ。
労働基準法での妊婦の扱いがどうなっているのか正確には知らない。雇用主と本人との話し合いで、無理のないよう働く、というところだろうか。つわりの重い妊婦さんなどは、本当に大変なことだろう。男女の働き方がどんどん近付いていく傾向にあるようだが、体調だけを理由に、一線から退いていく女性達はどれくらいいるのだろう。
個人的にいろいろ考えた。妊娠したら、給料の一部と会社からのわずかな補助で、派遣の人を一人妊婦に付けて、妊婦の身体の状況に応じて相談しながら、手足となってフォローしてもらうことはできないか・・・研究職や専門職ではそうもいかないか・・・妊娠前後の五年間くらいで労働時間の帳じりが合えばよしということにはできないか・・・給与やボーナスの計算がややこしいか・・・。うーん、妊婦や子持ちの女性のフォローというのは、難しいものだ。十人十色の妊娠出産と、十人十色の子供があるからだ。何かいいアイディア、ないでしょうか?
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