タイムスリップ1997-28
ママのかわいい子猿ちゃん
キミがお腹にいる間も、日々何かしら事件はあって、そのたびにドキドキしていたママです。
12月に入ってすぐの検診の前の晩の夜中、実家に戻って両親の隣の部屋で寝ていた私は、突然、母の苦しそうな息づかいに叩き起こされた。3時か4時くらいだったろうか。「ゼーゼー、ひゅー」といった感じで母が苦しそうに息をしては、咳き込んで「苦しい苦しい」と嗄れた声で唸る。びっくりした私と父は、どうしていいかわからないまま、母の背をさすったり水をくんできたりしていたが、何をしても苦しさは増すばかりのように見えたので、「救急車、呼ぶよ!」と私は立ち上がった。母はもう七転八倒でぴょんぴょん跳ねながらやっとのことで息をしている。にもかかわらず、自分の身体のことは自分が一番わかると言わんばかりに私を制して、しゃべれないまましばらくゼーゼーと続けていた。ちょっと落ち着いてきた頃、小さな声で「朝一番で日赤に行くから」と言って私達を休ませた。結局そのまま母は起きていたのだが、後でわかったところによると、母は急性咽頭蓋炎というものになったらしく、もしこのとき横になっていたら、咽が腫れて呼吸困難に陥り、そのまま帰らぬ人となっていたかもしれないとのことだった。
朝、まだ受け付けも始まらない日赤に大急ぎで駆け込み、私は一応産婦人科での検診を受けて、母のいる耳鼻咽喉科へ急いだ。待ち合い所に母の姿がなかったので、心配で診療室を覗くと、看護婦さんが「山田さんの娘さん?」と青い顔で声をかけてきた。「はい」と答えると、そのまま医師の所に連れていかれ、いきなり医学書を突き付けられて説明を受けた。「いやー、間に合ってよかったですよ。即入院です。急性咽頭蓋炎といって、もたもたしてる間に命を落とす人が多いんですよ」と、医師はすぐに入院手続きをするよう私を促した。母は、と見ると、既に点滴をされている。昨晩の母の苦しみようは確かに尋常ではなかったので、入院は覚悟していたけれど、まさかこんなに大変なことになっていたなんて・・・、私は自分の身の事はすっかり忘れて、母を病室まで連れていったり、父に連絡したり、入院の荷物を整えたり、忙しく動き回った。
夕方、荷物を持って病院に戻り母と話すと、だいぶ状態は落ち着いた感じだったが、母もこれまで、入院などしたこともなかったので、少々動揺しているようだった。なんでも、疲れがたまっていたところへ風邪をひいたのが原因らしいが、はっきりとは特定できないとのことだった。「胎教によくなかったね」と笑う母を見て、ほっと胸をなで下ろした私だった。
| 固定リンク
「育児」カテゴリの記事
- 森永乳業さんの「わたしの育児日記」(2022.07.11)
- タイムスリップ1997-47(2006.08.03)
- タイムスリップ1997-46(2006.08.01)
- タイムスリップ1997-45(2006.07.31)
- タイムスリップ1997-44(2006.07.30)
コメント