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2006年7月の21件の投稿

2006年7月31日 (月)

タイムスリップ1997-45

ママのかわいい子猿ちゃん

 もうほんとにカウントダウンです!

44.カウントダウンの頃の身体

 3月の下旬頃から、お腹はますます重く感じ、歩くのも動くのも億劫になって、ひたすら実家で食べて寝て(安静にしているように注意されたこともあって)ビデオを観て・・・という人生に一度か二度かという実に優雅(?)な暮らしをしていた。何度か、破水したのでは?という状況に遭遇して、病院に電話して指示を仰いだりもしていたが、特に大きな変化のないまま時は過ぎていった。
 カウントダウンの頃というのは、「いつ来るかいつ来るか」と待ち構える体制なので、ちょっとのおりものを破水(卵膜が破れて羊水が流れ出る)と思ったり、お腹が疼く程度でも陣痛が来たかと思ったり、とにかくびくびくしていた気がする。
 前回の検診で安静入院を勧められたのを断わって1週間後の4月8日、朝5時にお下が変な感じがしてトイレに行くと、「おしるし」があった。「おしるし(産徴)」というのは少量の血液が混じった粘液のおりもので、これを見て数日でお産になるケースが多いという。「こりゃー検診で報告せねば!」と、ようやく兆しの現れたことに興奮して、「今日も安静入院を勧められたら、即入院してしまおう!」と母にもその旨告げておいた。
 検診で、羊水は依然少なく胎児は約2400グラムでまだあまり大きくなっていないと言われた。心拍モニターとマイリス注射をして即入院。病室は、妊娠中毒症の人たちと一緒で、初めての病院食を食べることになった。初めてということでメニューはよく覚えている。卵・ネギ・油揚げ・豚肉の具が入ったソフト麺に、りんごとプリン。それだけ。ハッキリ言って不味い! こんな食生活を1週間も強いられたら、げっそりして出産に臨むことになりそうだと心配した。
 とにもかくにも、こうして私の入院生活が始まったのだった。

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2006年7月30日 (日)

タイムスリップ1997-44

ママのかわいい子猿ちゃん

 キミが生まれてくるまでには、いろいろ検査も受けました。

43.正産期のいろんな検査

 4月に入った。今月13日が予定日だから、もう立派な正産期。エイプリールフールの検診では、出産間近ということでいつもより多くの検査をした。恒例の尿検査や血圧・体重測定、お腹周りの測定やむくみの確認を済ませたあと、内診をして血液検査をして赤ちゃんの心拍モニターをして、E3検査という尿検査の追加もした。また、私は少し羊水が少なく子宮内環境が芳しくなかったので、先生は赤ん坊を早めに外に出した方がいいと考えて、マイリス注射というのまでされた。マイリス注射は、産道を熟した柿のように柔らかくする働きがあるのだそうだ。またE3検査というのは、その場で尿を採取して、尿中に出ているホルモンの量を調べ、胎児と胎盤の状態を知ることができるらしい。先生はこの日、私に、もう安静入院してしまった方がいいかもしれないとおっしゃった。強制的にというわけではなかったが、だいぶ私の子宮内環境を心配しているらしい。私は、そんなに切羽詰まった状況とは考えられずに、自分の体に問いただし、結局もう1週間様子をみることにした。
 家に帰って、母にいろんな検査の話しをしたら、昔はそんなものほとんどなかったと言って驚いていた。このほかにもまだ、羊水を採取して胎児の異常を調べる検査などもあり、社会問題化しているが、確かに検査も程度問題だと思う。なんでもかんでも調べて、意に沿わない状況なら産むのをやめるなんて、あんまり自然なこととは思えない。まぁ、子供の一生に関わる問題だから、そう易々とは結論を出せないし、考え方も人それぞれだから難しい。私の場合、どの検査でも特に異常は発見されず、あとはひたすら無事に出てきてくれることだけを願う、ということになったのだった。

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2006年7月29日 (土)

タイムスリップ1997-43

ママのかわいい子猿ちゃん

 カルテって、たいてい意味不明のことが書かれてますよね。

42.カルテの中のハテナマーク?

 3月18日の定期検診。この日、逆子が直っていることが判明した嬉しい検診ではあったのだが、一難去ってまた一難。予定日まで1ヶ月をきったというのに、お腹の子はまだ2100グラム程度で、羊水の量がとても少なくて赤ちゃんが苦しがってしるかも、と先生に言われた。お腹の中の子の体重は、ECHOで頭の直径をはかってそこから概算するらしいのだが、誤差もかなりあるらしく、それほど深刻になる必要はないが、統計的に見て小さめであることは確かなので、慎重に対応しようということになった。私もECHOの画像を見せてもらったが、確かに首の周りくらいにしか羊水の陰がなく、いかにも窮屈な子宮に見えた。先生は私を、40分ほどNSTという心電図検査の機械にかけ、「今のところ元気だけれど、来週も検査しましょう」とおっしゃった。この機械、この日はTOITU(株)というところのものだったのに、次の検診ではベビーアクトという新機種に変わっていた。検査中時折赤ちゃんの心拍が「0」表示になって青くなった私だったので、ただでさえ不安だったが、早速の機械変更にはさらに不安にさせられた(TOITUさんが悪いわけではなく、機械の説明をきちんとしてもらわなかった私がいけないのです)。
 検診のあとの先生との面談中、先生は私のカルテにこっそり「?」マークを記入した。私はそれを見逃さず、かと言って「それはどういう意味ですか?」と尋ねる勇気もないまま、逆子が直ったことだけを好材料として胸に秘め、そろそろと家路についたのだった。(結局この?マークの意味は最後までわからず終いだった。)神経質になっていたのか、その晩私は、その先生がお坊さんになって108つの荘厳なお経を唱えている夢をみた。変な夢だった。

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2006年7月28日 (金)

タイムスリップ1997-42

ママのかわいい子猿ちゃん

 お母さんは、子どもが生まれる前に母親学級というクラスを受けなければなりません。

41.初めての母親学級

 妊婦になると、各病院や地域主催の母親学級なるものに数回参加しなければならない。「母親になるための学級」なのだけれど、母親学級という名前なので、お腹の中の子への責任を痛感させられもする。
 3月16日、私も初めての母親学級に参加した。ぎりぎりの里帰りなので、最初の数回はパスして、後半の2回だけの受講にした。プログラムは、入院の心得や、産褥について、新生児について、妊産婦体操などの予定だった。私はてっきり、教室のようなところで、1時間ほど座りっぱなしで話しを聴くだけかと思っていたのだが、なんといきなり、陣痛室と分娩室に案内されたものだからびっくり。どちらにも、おどろおどろしいベッド(?)があり、そこに自分が間もなく横になるというのが信じがたかった。陣痛室では、ベッドの横にベビーアクトという赤ん坊の心音をモニターする機械が備え付けられていて、ここでかなりの時間、陣痛に耐えながら時が満ちるのを待つのだそうだ。分娩室は、意外に明るかったけれど、分娩台は屈辱的で、ベッドの横の握り棒が、いかにも苦痛に耐えるための道具らしく光っていた。この2室を見学したあと、お腹の大きな妊婦たちはぞろぞろと連れ立って絨毯敷の体操用の部屋に入れられ、そこで今度はビデオを見せられた。それがまぁ、先日見た「Face Off」というアクション映画よりもっとショッキングな映像だったのだ! なにしろ、実際のお産の様子を、途中多少の省略はあるものの、最初から最後まで見せられたのだ。画面の中にはほとんど変わらずうーうーと唸る妊婦がいて、アングル変更はまったくなし。ひたすら同じ光景が流れ、無気味な声だけが部屋に響いていた。一緒に見ていた妊婦の中には気分の悪くなった人もいたようで、途中トイレにたったりしていた。私もなかなか直視できずに、時折窓の外の景色など見ながら、なんとか見ていた。最後に赤ちゃんがつるんと出てきて、やっと皆、そんな状況から解放されたのだが、産まれたシーンへの感動より、ビデオが終わったことへの安堵感の方が大きかった気がする。百聞は一見にしかずとは言うものの、こんな恐いビデオを見せる意味があるのかどうかは、ちょっと疑問だった。私には、「ふっふっふー」の呼吸練習だけで、十分だったように思われて仕方ない。(最近は、母親学級とはいえ、お父さんも一緒に来ているケースが多く、この日も5人ほどの男性が混じってそのビデオも見た。御愁傷様、としか言えなかった)

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2006年7月26日 (水)

タイムスリップ1997-41

ママのかわいい子猿ちゃん

 インターネットのない時代とある時代、人生にも大きく影響しています。

40.ありがたいインターネット

 家から実家に持ってきたもので一番重かったのが、 Power Bookというノートパソコンとモデムのセットだ。産前休暇に入ってから、毎日かかさずメールチェックしていた私には、これは必要不可欠な「社会への窓」だった。会社の私のアドレス宛てに来たメールも転送してもらえるようになっているので、社内の細々した情報まで入ってくる。今度の昼礼のこと、伝票の締めきり日のこと、編集部内の連絡、誰某の親戚が亡くなったなど、あらゆる知らせをすべて社内メールとノーティスボードで通知する私の会社ならではのメリットだ。こうして私は、長期の休暇に入っても、あまり疎外間を持たずに済んでいるのだろう。サテライトオフィスを認めてもらえれば、まだまだ仕事もできそうな雰囲気だ。
 さすがに、会社では専用回線でも、家や実家では電話線を通しての接続だから、あまりネットサーフィンなどはできない。それでも、インターネットを使えるという状況がこれほど便利なものとは、今まで想像しなかった。夫が、結婚前ドイツで働いていたときには、まだインターネットが今程普及しておらず、週末になると車で数時間のデュッセルドルフまでわざわざ新聞を買いに行ったと話して、二人で笑ったことがあった(今なら毎日ネットで新聞も読めるのに)が、私も、こういう状況になって、改めてインターネットの恩恵をひしひしと感じることになったわけだ。友人の多くもネット利用者なので、毎日軽いおしゃべり感覚で近況もわかる。それこそ、「元気?」「元気!」だけだっていいわけだ。電話だとなかなか改まってしまって御無沙汰になりがちでも、メールなら手軽にやりとりできる。妊婦には最高のおもちゃと言えよう。たまには手紙のように心のこもった言葉をやりとりしたくもなるが、足早に過ぎ去る日常で、ほんの些細な言葉を掛け合える幸せというのもあるんだなぁと、メールのありがたみも再確認した。まったく、妊娠というやつは、いろいろと目からウロコを落とさせてくれるものだ。

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2006年7月25日 (火)

タイムスリップ1997-40

ママのかわいい子猿ちゃん

 いよいよ会社も休み、実家に帰ることに!!

39.春一番とともに実家へ

 3月14日、春一番の吹く中、大きな荷物を抱えて車で実家に向かった。途中、学生時代の友人の住むマンションのすぐそばで休憩を取ったのだが、しばらく会っていなかったので懐かしくなって、つい彼女の携帯へ電話を入れてしまった。「今ねー、すぐそばのジョナサンでブランチ取ってるんだ。これから実家に向かうところ。近くに来たからつい電話しちゃった!」と、時間もわきまえず話した。これから先、どうなるかもわからず、当分会えないと思って闇雲にかけた電話だったが、久々に声が聞けてなんだか嬉しかった。実家入りしてしまうと、ますます社会から隔絶されるような気がして、友人とのおしゃべりが何よりの楽しみになりそうだった。
 実家では3食昼寝つきになれたらよかったのだが、私の母は勤め人なので、週末以外はたった一人で留守番という、あまり家にいるのと変わらぬ生活になった。ただ、夕食はグレードアップした。父と母と私の三人分ということもあるし、私の栄養には気をつけてくれていたので、ちょっと豪勢に食べまくった。病院での栄養指導が厳しかったから無茶喰いはしなかったものの、何度か尿たんぱくが出るなどの危うい状況になってしまったくらいだ。夫は、この日私を送ってきてくれてからは、毎週末神奈川と埼玉の間を往復するという憂き目をみることとなった。
 実家入りした日の翌日、久々に親子で映画館へ行った。私の大好きなニコラス・ケイジの「Face Off」という映画が放映中だったので、それを観に行ったのだ。アクション映画だということは知っていたが、前に「スピード2」を家で観たとき、お腹の中のわが子は、喜んで(?)お腹をポコポコと蹴っていたので、そう害はないだろうと思っていた。ところが、予想以上に物凄いアクションの連続で、お腹の中の子は静まり返ってしまっていて、さすがにちょっと心配になった。父と母にはさらにショックが大きかったようで、映画が終わってからしばらく、三人して放心状態だった。両親は、「あんまり過激なのは見ない方がいいんじゃない?」と忠告しつつも、我が儘な娘に付き合って、近所のレンタルビデオ屋の会員になって、これから先の私の娯楽を確保してくれたのだった。
 学生時代はろくに一緒に夕食も取らなかったし、結婚してからはだんだんと遠くに引っ越してしまっていたので、これから一ヶ月以上もずーっと両親と顔を突き合わせていくのが、不思議な感じだった。

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2006年7月24日 (月)

タイムスリップ1997-39

ママのかわいい子猿ちゃん

 仕事には引継ぎってものがつきもので、それはなかなかに面倒なものです。

38.残務処理に引きずられる

 産前休暇に入って数日後、会社から電話が入り、私の直近の本のことでメーカーから追加修正の要望が入ったという知らせを受けた。マルCがらみのことらしく、よくあることではあるのだが、今回の仕事では既に何回も確認していたことだったので、かなりカチンときた。この件で結局その後数回出社したのだが、すっきり仕事を終わらせて休暇に入る予定が、里帰りする直前まであれやこれやと忙しく毎日のように電話でも残務処理に追われるハメになった。ゆっくりとクラシックでも聴きながら、胎教に勤しもうという計画は水泡と帰した。たとえ会社に出なくても、仕事が動いているうちは気分的に落ち着かず、なんだかそわそわといろいろ気にして、休暇という感じではなかった。はたで見ていた夫は、「この期間ってお給料もらった方がいいんじゃないの?」などと言っていた。
 私のような編集の仕事は、本が一冊できてしまえばとりあえずは一段落なので、残務といってもたかが知れているけれど、これが長期の研究プロジェクトの一員だったり、引き継ぎの人がまったく新規の人だったりしたら、さぞ大変だろうなぁと思った。

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2006年7月23日 (日)

タイムスリップ1997-38

ママのかわいい子猿ちゃん

 友だちが無事出産と聞くと、少し安心するものです。

37.友人の無事出産連絡

 3月の頭、学生時代にサークルで一緒だった友人から電話があった。彼女は私より2ヶ月ほど早く妊娠していることがわかり、妊娠中何度か、連絡を取り合って情報交換したりしていた。その友人が、開口一番「産まれたよー!」と軽やかに声を上げたのだった。私もカウントダウンにかかっていた時だったのでとてもひと事とは思えず、「おめでとー!!」と心からお祝を言うと、その後は質問のオンパレード。「どうだった?どうだった?」 妊娠後期のこと、入院前夜のこと、陣痛のこと、分娩の様子、出産直後の感覚、出産後の入院生活のこと、退院後の生活、そして何より赤ちゃんのこと・・・。2月の上旬に出産を済ませた彼女は、既にすっかり落ち着いてはいるものの、やはり出産の興奮はまだ生々しく残っているようで、こと細かに説明してくれた。ただ、母のたくましさとでも言えるものがもう備わってしまっていて、「なぁに、案ずるより産むが易しよ! 終わってみると呆気無かったよー」とゆとりの発言も出た。また、「いや、産むまではそれしか考えられなかったけど、産んでからの方が大変。とにかく寝られないよー」と脅かしてくれる。まだ産んでない者としては、やはり何を言われても「産む」ことが一番の悩みの種だ。
 彼女の家では、子供を健太郎くんと名付けたという。元気な男の子で、親戚からはもてはやされまくっているらしい。寝られなくて大変と言いながらも、その声はどこか弾んで、息子のことを話す彼女の口調の端々に、彼への愛情が溢れているのが感じられた。学生時代からいろいろ一緒に遊んでいた友達がお母さんになったのだと思うと、なんだか不思議な気がした。面倒見のいい人なので、きっといいお母さんをしてるんだろうなぁと想像しながら、栃木と神奈川という距離も考えずに電話し続けたのだった。

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2006年7月21日 (金)

タイムスリップ1997-37

ママのかわいい子猿ちゃん

 仕事に行かないで家にいるって、不思議な感覚です。

36.マメな主婦になる

 産前休暇に入っての初日、何をしようかと思わず悩んでしまったが、やはり会社に行かなくて済むと思うとなぜか家事に力が入る。掃除機をかけて椅子のほこり取りをして洗濯して玄関を掃いてふとんを干してホワイトシチューを作って花をいけて・・・。それから買い物が長くなる。普段ならすっと通り抜けてしまうような売り場でも丹念にチェックしたり、珍しい野菜の名前を一つ一つ確認して覚えたり。私は買い物でストレス発散するようなことはなかったけれど、24時間自分のために使える時間がもてるようになってみると、買い物が俄然楽しくなった。学生時代以来のこの貴重な時間、買い物なんかで費やしてはもったいないという気持ちも働くのだが、身体が重いこともあって、歩くスピードが落ちると、どうしてものんびりと買い物してしまうのだった。収入がなくなって贅沢できなくなる時期なのに、時間はたっぷりあるものだから、ついつい買い過ぎてしまったりする。
 のんびりと街を歩いていると、昼間の町中は実に子連れの主婦が多いことに気が付いた。昼時ともなると、Mr.ドーナッツやマクドナルドやケンタッキーに主婦がたむろして、ぺちゃくちゃとおしゃべりしながら1~2時間もかけてお昼を食べているようだった。髪振り乱して働くお母さんとは懸け離れた贅沢な光景がそこにはあった。こういうゆとりのあるお母さんの子供と、働きながらのお母さんの子供とは、どこか根本的なところが違ってくるだろうなぁと漠然と思った。どちらがいいのかはわからないけれど、仕事と生活に追われて、精神的にゆとりのない母親にはなるまいと思ったりしたのだった。
 休暇に入ったら、ホームページ作りの勉強や英語の勉強や陶芸やピアノのレッスンなど、普段できなかったことをやりたいと考えてはいたものの、すぐには腰があがらず、最初の数日は暇ができるとテレビを付けてしまった。マメに家事をしてテレビでワイドショーやバラエティーなどニュース以外の番組を見て、新聞のチラシをのんびりチェックして雑誌を読んで・・・これぞ主婦って感じののんびり生活に、身重であることをしばし忘れた私だった。

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2006年7月19日 (水)

タイムスリップ1997-36

ママのかわいい子猿ちゃん

 産休に入ると、いよいよキミの登場を待つばかり!

35.産前休暇に入る

 2月27日、いよいよ産前休暇前の最後の出社日となった。別に会社をやめるわけでもなく、かと言って1年間もの間出社しないわけだから、複雑な心境だ。前日までにほとんどのやれることはやっておいたので、この日は夕方の挨拶回りまで、丁寧に身の回りを整理する。机上の片付けは、周囲への気兼ねもあって、翌日土曜日の休日にすることにする。2度の転職経験と3度の引っ越し経験がモノを言って、片付けは比較的スムースだったのだが、やはり問題は挨拶回り。
 夕方、定時の退社時間を少し過ぎた頃(うちの会社では出版関係の人間はほとんど定時退社などしない)、社内の挨拶回りを始めた。別の編集部や販売・総務・局長のところにも回った。皆、温かく送りだしてくれ、「元気な赤ちゃんを産んでくださいね!」と声をかけてくれた。ちょっと緊張して伺った局長も、実に親身に話しをしてくれ、自分の奥さんも編集をやっていて、若い頃子供ができたときの苦労や子育てをどうやって乗り切ったかなど、具体的な打ち明け話までしてくださった。そうした言葉に力付けられて、滞りなく挨拶回りを済ませることができた。編集部には、長期休暇のお詫びといっては何だが、電気ポットを贈った。編集部の皆さんからは、元気づけの花束をいただいてしまった。明日からの家での生活を思うと、何気なく出社していた職場がちょっと名残り惜しかった。
 直近で作っていた本の作業がまだ若干残っていたので、産前休暇に入っても、電話連絡などで作業は続行する予定だったから、それほど休みに入るという感覚はなかったのだが、こうして送りだされてしまうと、なんだか他所の人になったようで変な気分だった。さて、明日から出産までの1ヶ月ほど、どんな生活になるのやら。

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2006年7月18日 (火)

タイムスリップ1997-35

ママのかわいい子猿ちゃん

 逆子だったキミがくりりんと元に戻った瞬間、忘れません。

34.逆子体操

 2月下旬、年明けあたりの検診で発覚した私の逆子はまだ直らずにいた。よつんばいになって頭を低くする逆子体操なるものも教えてもらって、毎晩のようにしていたのだが、一向に直る気配がない。一度、明け方に破水のような感覚があって、早期破水は逆子や双胎のときに起こりやすいと聞いていたので、真面目に焦った。しかし慌てて行った検診で、破水でないことがわかったものの、逆子も直ってないこともわかり、この時期に直っていないと、このまま帝王切開することになるかもしれないと言われた。お腹を切るなんて絶対嫌だったので、なんとしても逆子は直して、正常位で産みたかった私は、検診の後、看護婦さんに逆子体操の別の方法を問いただした。看護婦さんは、「別に目新しい体操はないんですけど、どうしてもだめなら一度、だんなさんに、逆さ吊りにでもしてもらうしかないかもしれないですね」と、半ば冗談のようなことを言った。この助言をわらにもすがるような気持ちで聞いた私は、予定日まであとひと月というころ、ついに決行した。夜、寝る前に、夫に頼んで、足を持ってそっと逆さに吊ってもらったのだ。逆子体操というやつは、3~5分もじっとつらい姿勢のまま耐え忍ばねばならないのに比べ、この逆さ吊りは一瞬で終わったので楽だった。ただ、これで直るわけもないか、と、ほとんどあきらめていたのだけれど、なんと3月18日の検診で、逆子は直っていると言われた! 果たしてこの逆さ吊りのせいだったのかどうかはわからないので、あまり他の妊婦さんにお勧めはできないけれど、私の場合はなんとなく、これが効いたような気がしている。吊られた瞬間、くるん、とお腹の中で赤ちゃんが回転したような気がしたから・・・。なにはともあれ、教わったことはすべてきちんと試してみるものだと思った。

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2006年7月14日 (金)

タイムスリップ1997-34

ママのかわいい子猿ちゃん

 生まれる前からすでに子どもの教育に頭を悩ませるなんて、ナンセンス?

33.出産前の幼児教育談義

 2月。私の大学時代の友人が無事出産したとの連絡があった。私より数カ月先の出産ということで、この先、わからないことは彼女に聞けばいい、という安心感が生まれた。彼女には、病院のことや、出産準備のことなど、すでにいろいろと情報提供してもらっており、それだけでも心強かったが、さすがに出産してしまったあとの発言は説得力があった。「なぁに、案ずるより産むが易しよ! はっはっは」・・・出産前は何度か入退院をくり返して、決して楽な出産ではなかったはずなのに、それでもとても溌溂として、産前産後のあれこれを楽しそうに話してくれるのだった。
 電話でいろいろと話すうち、予想外の話題に突入した。「あぁ、そういえば、雑誌とかで資料請求なんてしてる?」「えっ、たとえばどんな?」私はなるべく雑誌や本に振り回されないようにと、ほとんど何も読んでいなかったというのが正直なところだったので、一体どんな資料の請求はがきがついているものかさえ想像もつかなかった。「ほとんどあらゆるものの資料請求できるけど、このあいだ、幼児学習教材の資料を請求してみたんだ」な、な、なにー?!「胎教の教材もずいぶんでてるけど、私は生まれてからでもいいかなと思って」えっ、まだ産まれたてじゃあ・・・?「ワールドファミリーのディズニーの英語教材なんていいらしいんだけど、高い高い! でも3ヶ月くらいから始めるのが効果的なんだってー」はっ?英語?赤ちゃんに?・・・私には何から何まで驚くべき話で、考えてもいなかったことなので、なんと受け答えてよいやら途方に暮れてしまった。
 夜、帰ってきた夫にその話をすると、「そんなのいいよー」の一言で片付けられてしまったが、そのくせ「でも公立の学校へは今どきあんまりやりたくないねぇ」などと言う。ってことは「お受験」でもさせるつもりなのだろうか? 受験戦争なんて遠い昔のことだし、生まれてくる子にはまだまだ、と思っていたが、産まれる前からすでに競争は始まっているのかしらんと、複雑な心境だった。まぁ、元気に好きなことをしてくれればいいやと、開き直るしかなさそうだった。
(後日、友人の言葉に感化されて、いくつかの資料を取り寄せたが、数年使える教材でも50万以上と聞いて、即座に断わった)

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2006年7月12日 (水)

タイムスリップ1997-33

ママのかわいい子猿ちゃん

 会社勤めをしていると、産休・育休の申請などは気を使うものです。

32.人事課の対応

 出産予定日まであと3ヶ月ほどになった1月のある日、人事課の女性から呼び出しを受け、産休・育休の説明を受けることになった。これまでも再三再四、メールでその人とはやり取りしていて、私の方から、産休中の給与のことや社会保険・厚生年金の扱いなど、いろいろと質問していたから、今回のミーティングではそれらを再確認して、書類を取り交わすことになったわけだ。一応事情は把握していたが、いざ様々な手続きを始めるとなると、なんだか、いよいよだなという気分になって緊張した。入社以来、人事の人と話をするのも久しぶりだったし、大きなお腹を抱えて、人事課の横の部屋へ入るのもとても気が引けた。会社によっては、出産が決まるとそれとなく肩たたきされるような所もあるらしいから、ミーティングの前はなんとなく、「負けてなるものか」的なアグレッシブな気分でいた。けれど、担当の人と直接話を始めると、そんな気負いは吹き飛んで、とても親身になって説明してくれる相手の人に好感をもった。
 なんでも、毎年産休の申し出をする女性は多くても3人くらいのもので、今年度はまだ私一人だというから驚いた。手続きに必要な書類は各種様々で、クリアファイルにきれいに整理されていて、要点や注意事項も既に添え書きしてくれてあったので、非常にわかりやすかったが、人事の方にしてみたら、ずいぶんな手間だろうなぁと思うとまた申し訳なくなった。数年前に比べて待遇もずいぶん改善されているらしく、予想していたよりいろいろ補助があるらしくて安心した。育児休暇も終えて復帰するときにすべての収支決算をしてみるつもりでいたが、真っ赤赤というほどでもなさそうな雰囲気だ。
 滞りなくすべての説明を終えると、担当の女性は最後に一言こう言った。「では、最後に再確認させていただきますが、必ず復帰なさってくれますね?」!!! 私はまさか、肩たたきこそされても、こんな確認をされるとは思ってもみなかったので、その言葉をありがたく受け止めて、しっかり返答して頭を下げた。別に私の腕がいいからというわけではなく、単に休暇中の社会保険料を半分ほど会社が負担するから、辞められると損になるというだけのことなのだが、それでもとてもありがたい言葉に変わりなかった(私が産休に入ってから政府は、この会社の負担をなくす旨の方針を打ち出した)。
 こうして、面倒な書類をごっそり受け取って、私は意気揚々と編集部に戻ったのだった。

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2006年7月11日 (火)

タイムスリップ1997-32

ママのかわいい子猿ちゃん

 パパもいろいろ大変です。

31 身にしみる夫の優しさ

 正月明けのある日、街は雪に覆われていた。もうずいぶんお腹も大きくなっていたので、雪の中を仕事に出るのはかなり神経を使いそうだった。こういう日に限って、いろいろと外出の予定が入っていて、ますます気が滅入った。坂の多い駅までの道を恐る恐る歩いて行き、一度出社してから、高田馬場や早稲田に打ち合わせに出た。どの道もまだ一面雪に覆われていて、しかもそれが溶け始めているものだから、一歩一歩を薄氷を踏むような心持ちで歩かなければならなかった。
 お腹が大きくなって初めて驚いたことの一つに、『歩く』という行為の普段の何気なさがあった。普通の身体であれば、歩くことに何ら注意も払わずに、ごく自然に無意識に歩いている。それが、妊娠してからというもの、一歩一歩にとても神経を使い、晴れていて道が滑るなんてこともなさそうなのに、それでも恐る恐る歩くようになったのだった。
 だからこの日などはもう、ただでさえ気を使うところへ雪道ときたものだから、ダブルで神経をピリピリさせて一日中過ごした。いつものように9時半ごろ会社を出たときには、ヘロヘロに疲れ果て、家に帰り着いた途端、具合が悪くなってふとんに横になった。お腹が大きくなってからは、帰宅時間を私に合わせて駅まで車で迎えに来てくれていた夫が、私のそんな様子を見兼ねてか、「晩ごはん作るよ」と言って、そのまま私を休ませてくれた。私は、その言葉を聞いて、(神経が昂っていたせいもあるのだろうが)夫の送り迎えや家事のフォローなど、暖かさがジンっと身にしみて、ふとんの中で泣いてしまった。気弱になっているときは、特にこういうありがたさが身にしみるものらしい。その日の晩御飯で食べるはずだった肉だんごは見事に焦がされてしまったけれど・・・。

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2006年7月10日 (月)

タイムスリップ1997-31

ママのかわいい子猿ちゃん

 名前って一生つきあうものだから、大切に大切に決めたいですね。

30 子供の名前を考える

 年末年始、私達夫婦は暇さえあれば名前談義に明け暮れた。人の名前とは面白いもので、なぜかは知らないが、たいていの場合その人となりは、名前にしっくりと馴染んでいるものだ。多くの人が自分の名前について一度はいろいろ考えているだろうから、自分の子供の名前を考えるのは、たいていの場合かなりのプレッシャーなのではないだろうか?
 私には、名前に関して暗い過去があった。小学校の頃、国語の授業で、「『まゆみ』というのは優しい響き、『たかこ』というのは堅い響きがある」というような言葉の音感の話しが出てきて、それ以来、『たかこ』という自分の名前は堅いものなんだ、と潜在意識に刻み込まれ、性格的にもなんだか堅くなってしまったような気がしていた。だから、子供には、優しくて温かい響きのある名前をつけたいと漠然と思っていた。ただ、今回、名前についていろいろ調べているうちに、尊子の尊という字の上の酋というのは、酒を入れる器を意味すると知って、なんとなく酒に強い自分らしくて、バッカスみたいでいいかな、と思えるようになった。
 夫の方は、自分の名が『誠』で、兄弟が『登』と『稔』だったので、なんとなく、漢字一字にしたい気持ちがあったらしい。で、候補に上がったあれこれを思い出に挙げておくと、『嶺(りょう)』『亮(りょう)』『亮(まこと)』『陽(あきら)』『翔(しょう)』『祥(しょう)』『羅菜(らな)』『陽子(ようこ)』などだった。出産直前には、男の子でも女の子でも『陽(あきら)』にしよう、と二人で言っていたのだが、両親は、「女の子で『陽(あきら)』はないんじゃない?」と反対していた。これらはだいたいが、雰囲気の良さもあるが、アニメのキャラクターからいただいている感じがあって、どうしても、『陽(あきら)』に決める前にもう一度、大友克洋さんの『AKIRA』だけは見直してみないと・・と話していた。
 で、お正月休みに『AKIRA』を観た。当時の技術からすれば、このアニメーションの出来は本当に素晴らしかった。ただ、原作の途中までのアニメ化で、AKIRA君の姿が今一つはっきりしないので、あまり参考にはならないということで、気にしないことにした。この『AKIRA』も『黒沢明』も、世界的に有名なことは間違いないので、それに「太陽のように明るく大きく温かく・・・」というニュアンスを加味して、ばっちり、夫婦ともどもお気に入りの名前となった。夫は、物理学者のはしくれらしく「陽子はすべての物質の根源だから・・・云々」とぶつぶつ言っていたが、私はその辺は適当に聞き流した。それぞれの思惑はどうあれ、こんなに平和的に意見の一致をみるのは珍しいことだったので、私達の子供の名前はもう、この時点でほぼ確定してしまっていたのだった。

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2006年7月 9日 (日)

タイムスリップ1997-30

ママのかわいい子猿ちゃん

 年末年始は、大人はいろいろ忙しいものです。

29 年賀状作成

 年末も押し迫って、伸ばし伸ばしにしていた年賀状作成に手を付けた。毎年ずっと、プリントごっこで済ませていたのだが、今年は新しいMACとカラープリンターの導入で、パソコンでの制作にチャレンジした。「宛名職人」という便利なソフトも入手して、案外早く仕事も進んだ。
 文面に、『この春は、家族が一人増える予定です』と書いて、我ながらこそばゆい感じがした。学生時代の恩師がくれる年賀状が、毎年家族全員(6人家族)で撮った写真入りのもので、お子さんの成長ぶりがはっきりわかってとても面白かったので、私も子供が出来たら、多少割高でも、写真入りの賀状を毎年作りたいものだと思っていた。だから、今回の賀状が、手作り最後になるかもしれないなーと思いながら、あれこれと図案を練った。牛年から寅年へ移行する新年だったので、牛と寅の絵を入れることにした。最初はお絵描きソフトであれこれと自分で絵を描いてみたりしていたのだが、しまいには面倒臭くなって、「宛名職人」の中から拝借することにしてしまった。こういう妥協は毎年のことで、今回もちょっと気合いは入っていたのに、結局同じような具合に落ち着いてしまった。「あんまりパソコンの前に座ってるのも身体によくないし・・・」などと自分に言い訳して、さっさと印刷してしまった。
 普通、出産の予定は、無事に生まれて来るまではあまり人に言うものでもないらしいが、こんなビッグニュースをずっと自分一人の中に留めておくなんてできそうになく、賀状にも「あくまで予定」と開き直って、書いてしまった。それでも、出産後も「生まれました通知」を作らなくてはならないのは、皆、無事に生まれたかどうか心配だけれど、何かあった場合に困るので無闇に確認もできず、連絡を待つしかないからなのだろう。だんだんと年賀状も書かない人が増えてきているが、やはりこうした人生のうつろいをふんわりと伝えるには、年賀状ほど便利なものもないような気がする。

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2006年7月 7日 (金)

タイムスリップ1997-29

ママのかわいい子猿ちゃん

 妊娠中も仕事は普通に降ってきて、場合によっては徹夜もあり!

28 妊婦の無謀な一日

 12月10日。またしても妊婦としては少々無謀な一日を過ごしてしまった。この頃、私は一冊の人気イラストレーターさんの画集を編集していた。監修のメーカーさんがとてもこだわりのある人たちで、普通なら印刷所に任せてしまう最終行程でもチェックを入れたいとの要望を飲んで、私もそれに付き合うことにした。ところが、その印刷工場は埼玉県の本庄というところにあって、特急電車でも上野から1時間あまりかかる。しかもラインが動くのは夜中ときた。
 朝、出社してメールチェックその他雑用をこなし、夕方そのまま大宮の実家へ行き、そこでワゴンカーを借りて本庄へ向かった。渋滞に巻き込まれ、3時間かけてようやく工場へたどり着き、印刷の済んだ2折りのチェックをしたあと、仮眠室でしばし休息してから1時に復活。4時までチェックして、それからまた車で大宮まで帰り、6時に帰り着いて就寝。結局この日は1~2時間しか休めなかった。
 ・・・と、ほとんど愚痴にしか聞こえないけれど、私としては無謀ながらも楽しい仕事だったと感じている。滅多に見られない印刷行程を解説してもらったり、メーカーさんと長時間作業を共にして、不思議な信頼関係が築けた気もした。仕上がりは今一つ納得いかない点もあったのだが、やるだけのことはやったという充足感と、技術的な限界を自分の目で確認したこともあって、その後の作業ではメーカーさんの方もあまりうるさい注文を付けなくなっていた。
 編集作業的にも無謀だったし、妊婦の身体的にもかなり無謀だった。何より、大宮から本庄までワゴンを運転したことが、私を一番不安にさせた。周囲の人は皆心配してくれ、止めたりもしてくれたのだが、ここまで来て最後の仕事を人に任せてしまうのは嫌だった。母子手帳を持っていればシートベルトは絞めなくてもいいという印刷所の人の助言で、お腹を圧迫せずに済んだのは良かったが、その分、事故らないようにと神経を使ったのがこたえた。無謀の連続だった仕事のあとには、しばしの甘い休息と、なかなかの出来の画集が私を待っていてくれた。

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2006年7月 6日 (木)

タイムスリップ1997-28

ママのかわいい子猿ちゃん

 キミがお腹にいる間も、日々何かしら事件はあって、そのたびにドキドキしていたママです。

27 母、突然の入院騒動

 12月に入ってすぐの検診の前の晩の夜中、実家に戻って両親の隣の部屋で寝ていた私は、突然、母の苦しそうな息づかいに叩き起こされた。3時か4時くらいだったろうか。「ゼーゼー、ひゅー」といった感じで母が苦しそうに息をしては、咳き込んで「苦しい苦しい」と嗄れた声で唸る。びっくりした私と父は、どうしていいかわからないまま、母の背をさすったり水をくんできたりしていたが、何をしても苦しさは増すばかりのように見えたので、「救急車、呼ぶよ!」と私は立ち上がった。母はもう七転八倒でぴょんぴょん跳ねながらやっとのことで息をしている。にもかかわらず、自分の身体のことは自分が一番わかると言わんばかりに私を制して、しゃべれないまましばらくゼーゼーと続けていた。ちょっと落ち着いてきた頃、小さな声で「朝一番で日赤に行くから」と言って私達を休ませた。結局そのまま母は起きていたのだが、後でわかったところによると、母は急性咽頭蓋炎というものになったらしく、もしこのとき横になっていたら、咽が腫れて呼吸困難に陥り、そのまま帰らぬ人となっていたかもしれないとのことだった。
 朝、まだ受け付けも始まらない日赤に大急ぎで駆け込み、私は一応産婦人科での検診を受けて、母のいる耳鼻咽喉科へ急いだ。待ち合い所に母の姿がなかったので、心配で診療室を覗くと、看護婦さんが「山田さんの娘さん?」と青い顔で声をかけてきた。「はい」と答えると、そのまま医師の所に連れていかれ、いきなり医学書を突き付けられて説明を受けた。「いやー、間に合ってよかったですよ。即入院です。急性咽頭蓋炎といって、もたもたしてる間に命を落とす人が多いんですよ」と、医師はすぐに入院手続きをするよう私を促した。母は、と見ると、既に点滴をされている。昨晩の母の苦しみようは確かに尋常ではなかったので、入院は覚悟していたけれど、まさかこんなに大変なことになっていたなんて・・・、私は自分の身の事はすっかり忘れて、母を病室まで連れていったり、父に連絡したり、入院の荷物を整えたり、忙しく動き回った。
 夕方、荷物を持って病院に戻り母と話すと、だいぶ状態は落ち着いた感じだったが、母もこれまで、入院などしたこともなかったので、少々動揺しているようだった。なんでも、疲れがたまっていたところへ風邪をひいたのが原因らしいが、はっきりとは特定できないとのことだった。「胎教によくなかったね」と笑う母を見て、ほっと胸をなで下ろした私だった。

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2006年7月 5日 (水)

タイムスリップ1997-27

ママのかわいい子猿ちゃん

 お腹の中にいても、キミが男の子か女の子かは、だいたいわかっちゃうんですよ。

26 男の子?女の子?

 最近では、妊娠中に胎児の性別を医師から聞いてしまう人が多いようで、私も別にそうしたことに否定的なわけではなかったのだが、ただただ生まれた瞬間の楽しみを増やしたい気持ちだけから、ずっと聞いてしまうことを避けていた。生まれる前から「男の子ですか?女の子ですか?」という質問を受けることが多いのが、なんだか変な気がして、遺伝子操作がもっと進歩してそのうち「男の子にしますか? 女の子にしますか?」なんて聞かれるかと思うとちょっとゾッとした。
 夫は最初ずっと、「女の子がいい!」と期待し、私はずっと「男の子がいい!」と希望していた。男の子の方が、自分が遊ぶのに楽しそう・・・という単純な理由もあったし、人生の選択肢もまだまだ男性の方が多いような気がしたからだ。夫の方は、女の子の方が可愛いというわかりやすい理由だ。どちらも勝手にいろいろ想像して、育児シミュレーションしていたらしい。妊婦の顔が険しくなると男の子、とか、妊婦のお腹が横に広がると女の子、とか、妊婦の嗜好によっても性別がわかる、とか、いろいろ言われるが、私の場合、周囲の人からは、顔は険しくなってない・お腹は前に出っぱってる、と、矛盾することを言われて、一体どちらなのか見当も付かなかった。一番身勝手な希望としては、双子で男の子と女の子のペア、というのがあったけれど、それはあまりにも御都合主義的で、我ながら苦笑した。
 結局、出産予定の直前の検診で、堪え切れなくなって聞いてしまうのだけれど、先生もあまり自信はないような口調だったので、やはり確かなことは出てきてみないとわからないのだと思い直して、洋服や道具は最小限にとどめ、性別に関係ないような絵柄や色を選んでおいた。どちらが生まれても結局可愛くて仕方なくなるのだろうけれど、生まれるまでは皆、あれこれと妄想(?)を膨らませてしまうものらしい。

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2006年7月 3日 (月)

タイムスリップ1997-26

ママのかわいい子猿ちゃん

 人数が一人増えるってことは、単純にお金もかかるって事実は、まじめに考えるとずっしりきますね。

25 経済的不安

 11月下旬、三洋証券や北海道拓殖銀行、山一証券などが相次いで倒産や自主廃業の憂き目にあっているニュースを見せつけられて少々ナーバスになり、思わず家計の総額確認などしてしまった。これから産休・育休に入り収入は減る上、子供の養育費にはこの先いくらかかるかわかったものじゃないから、せめて銀行の利率ぐらい良くなってもらわないと・・・という気分なのに、世の中不景気このうえなく、お先真っ暗という状態だ。銀行の利息が3%だった頃、利息の価値などほとんど意識したこともなく、財テクに頭を悩ますこともなかったけれど、ひとたび0.2%なんていうとんでもない利率が常識になってしまうと、少しでも有利な所を・・・と血眼になってしまう。1000円の利息をもらっていたのが100円以下になるというのだから、人間あさましくもなる。
 私はもともとは経済観念など欠落した人間で、土地なども人類全体の資産なのだから、それを切り売りするなんておかしい、と思っていた。いわゆる共産主義に片足を突っ込んだ感じで、必要最低限の衣食住に事欠かなければ、あとは無用の長物、くらいの淡白さだった。しかしそれは、恵まれた環境で何不自由なく暮らしてきたから生まれた考え方で、この年のように不景気感が強まると、さすがにそうも言っていられなくなってきた。柄にもなく、夫を説き伏せて宝くじを買ってみたり、郵便局の定額預金に貯金を移してみたり、あれこれと無力なあがきを試みた。うちの親は子供二人を私立大学まで行かせてくれたし、夫の親も、子供三人を私立大学に行かせた。これから子供ができる私達には、今後どれくらいの教育費・養育費が必要なのだろうかと考えると、親の偉大さをつくづく思い知らされる。
 せめてもの救いは、1995年に育児休業法が改正されて、給付金制度が良くなっていたこと位だろうか。育児休業の期間中でも、厚生年金や健康保険の一部を企業が負担してくれるし、これまでの給与の20%は職業安定所から給付される。また、復職後一年勤務すれば、さらに5%も給付されることになっている。働いてもいないのに給料がもらえるなんて、ちょっとおかしい気もするが、将来国家を支える一員を養育しているという公務員的考え方をすれば、まだもらい足りない気もしてしまう。地域によっては、子供を一人産むと、うん百万円給付してくれる所もあるとか。少子化対策に政府もあれこれ頭を悩ませているようだが、私が思うに、やはり一番効果的なのは、先立つものを与えてくれることではないかと思う。それが無理なら、よほど勤務体系で優遇して法律的に保護してもらわないと、なかなか女性は重い腰をあげないのではなかろうか?
 サッカーでフランスに行けても、土井さんが宇宙遊泳しても、人が生きていくにはやはり、お金が必要なのね、と、夢のない資本主義の厳しい現実が身につまされた。

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2006年7月 1日 (土)

タイムスリップ1997-25

ママのかわいい子猿ちゃん

 安定期に入り、キミのことを会社のみんなに報告! 何をプレゼントされたかというと、、、さすが編集部!

24 空気清浄機のプレゼント

 読書の秋だからということもないが、無性に本が読みたくなる時期というのがある。11月下旬、私も、あまり活発に動き回れないということもあってか、あれこれ読み散らかしていた。まついなつきさんという人の「笑う出産」「笑う出産2」、「赤ちゃんがきた!」などの妊娠がらみの本や、夢枕獏さんの「神々の山嶺」(上・下)、翻訳本「ディープブルー」などなど。
 以前から私は、刑務所に入れば、雑事に煩わされることなく集中して何かできるのになぁと思ったりしたものだが、妊娠して動きが鈍くなることで、活動もずいぶん制約を受けるので、妊娠も、読書するくらいのことになら、集中できるメリットはあるなぁと思った。
 「笑う出産2」というなかなか面白い本の中に、『子育てという仕事は、ある日突然一方的に子供から解雇を言い渡される一時的な仕事だけれど、それだから、一生ものの仕事を持ちたいと思うのは自然ではないか』という記述があった。ウムと唸った。この本の著者は漫画家だから、もう立派に一生モノの仕事をできる技を身につけているけれど、私にはまだ何もないなぁと、少々情けなかった。
 編集という仕事を果たして一生ものの仕事と言うのだろうか・・・と首をかしげながら出社した私を待ち受けていたのは、編集部からのプレゼントだった。大きな箱の中には、空気清浄機。お腹が大きくなってきたので、さすがのヘビースモーカーたちも、大っぴらに煙草をふかすのは気が引けるようになったらしい。ありがたく頂戴して、机のすぐ下に設置した。いただいたモノも嬉しかったけれど、編集部の皆さんの気持ちがとても嬉しかった。仕事量も加減してもらったりしているのに、こんないただきものまでしてしまって、本当にありがたいと感じた。
 そんなこんなで気分が上向きになったのか、一生モノの仕事なんて、本人の捉え方次第だと開き直った。本人が一生懸命やっていれば、それは一生モノの仕事なんだ。仕事に優劣なんてない。要はどれくらいの熱意でその仕事に取り組んでいるかだ。ただ、最近では育児という仕事でなくとも一方的に解雇を言い渡される風潮が広まりつつあるのは、恐いことだ。お腹が重くても、いい加減な仕事はしないようにしようと戒めつつ、おいしい空気を吸いながら仕事に励む私だった。

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