タイムスリップ1997-47
ママのかわいい子猿ちゃん
さあ、出番ですよ!
予期せぬまま陣痛室に入った夜、外は雨がしとしとと降り続いていた。ベビーアクトを付けて横になったまま、ジェットコースターのように緊張と興奮を交互に味わいながら、部屋の窓に打ちつける雨音に耳をすませて気を紛らわせた。1時半ごろから明け方までの長かったこと長かったこと。宿直の看護婦さんと助産婦さんに交互に背中をさすってもらいながら、フッフッフーの呼吸を何回したろう。全身汗まみれで、うーうーと唸る私をよそに、赤ちゃんの心拍は100と150の間をゆるやかにさまよっていた。明け方近くには、もう、何かにつかまっていないと痛くて痛くて、ベッドの横の機械にしがみついたりしながら、痛みを何とかやり過ごしていた。家族に連絡して来てもらうゆとりもないまま、暗い夜の陣痛室でたった一人で痛みに耐える姿は、今振り返っても哀れである。お腹の子は、出てこようと一生懸命なんだと想像して、「頑張ろうね!」と心の中で声を掛けつつ、同じことをくり返していた。
ここから先はもう、朦朧とした中でのことで、あまりはっきりとは覚えていない。ただ、朝6時15分頃、子宮口が全開したとのドクターの診断で、分娩室に移動させられた。それから8時30分の人員交代の時刻まで、夜勤の助産婦さんの介助で陣痛を乗り切った(私は痛みに耐えかねて、この人の手を何度握ったことだろう)。ところが、人員交代の時間が迫るころ、私の陣痛はだんだんと間隔が伸びて、弱くなってしまっていた。小林さんという大柄で気さくな助産婦さんと交代になって、また同じことをくり返した。助産婦さんというのは本当にきめ細やかに対応してくれ、神様のように見えてしまう。水を飲ませてくれたり、腰をさすってくれたり、声をかけてくれたり・・・。9時ちょっと過ぎ、弱まってしまった陣痛に檄を入れるため、陣痛促進剤を入れた点滴をすることになった。するとみるみる効果が現れて、痛みの間隔が短くなった。排臨(赤ちゃんの頭が見えてくること)になると、助産婦さんが、「あ~、見えてきましたよ! ●●先生よりずっと毛が濃いよ~!」などと笑わせてくれた。運命の時は近いと思うと、痛いながらも興奮して、俄然元気が出てきた。痛みのやり過ごしかたにも慣れてきたようだった。ただ、私のイキミの力不足のせいか、赤ちゃんの頭は見えたり引っ込んだりをくり返して、なかなかその先に進まないようだった。あまりその過程が長いので、ドクターはついに会陰切開に踏み切ることにした。これ以上赤ちゃんに負担をかけるのは危険との判断だった。痲酔はしてなかったのだろうが、私には切開される痛みはほとんど感じられず、「とにかく早く出てきて~!」という気持ちだった。すると、それから4回ほどのイキミで、一気にきた! 自分でも、出てくる感じがなんとなくわかり、長い便秘についに終止符が打たれるかのように、思いっきりイキんだ。どろろろろん! そんな感じだった。出てきた直後、助産婦さんは赤ちゃんを持ち上げ、私に見えるようにしてくれた。私は、抱え上げられたわが子の、羊水にまみれて白くネバネバした、それでいて真っ赤な顔を、しっかりと目に焼きつけた。1998年4月9日(木)AM10:03、男児2560グラムの誕生である。
正味14時間ほどの格闘の末生まれた赤ちゃんと、看護婦さんにキレイに洗われ、分娩台の上で対面したとき、彼が、ニッコリと微笑んだような顔をしたことは一生忘れない。まさに太陽のように輝く微笑み! こうして私の長い夜は明け、外は雨模様ながらも、心の中にはしっかりと陽が射し込んできたのだった。
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