子どものための教育
昨日の午後は、3年生最後の保護者会と、PTA役員の締め会があった。保護者会のとき、先生がおっしゃった。
「ぼくはまだ、この学校は一年目ですし、教員経験も短い。でもいつも、“教育は子どものため”と思ってやってきました。ただ、この学校ではその気持ちがうまく回らないことも多々あって、びっくりすることの多い一年でした」――なんだなんだ?何のことだろう?? 以前息子が、「Y先生は、うちの学校にいろいろ不満があるみたいだ」と言っていたのを思い出した。「親御さんが一番気になるのは、お子さんが学校でどんな風に過ごしているだろうということだと思うので、ぼくは前の学校でずっと学級新聞を作っていました。でも、本校ではそれが許されなかった。“足並みを揃えて”“他の人も皆やってない”ということで、注意を受けたりして、納得いかなかったのですが、我慢しました」――へー、そんな封建的な学校だったんだ、うちの子の通う小学校って。Y先生は、赴任早々教室でギターをかき鳴らして注意されたりもしていたみたいだから、若さ溢れる教育に釘をさされることも多かったのだな、、、と学年の最後になって知った。
しばし教育界にも身を置いた私としては、こういう熱意ある若い先生の意欲を削ぐことは、百害あって一利なしだと思う。自身はなんだか考え方が老成してしまっていて、こんな“熱意”を教育に対して注げなかったという後悔もあるのだけれど、ベテランの先生のする教育と、若い先生のする教育は、違っていていいのだと感じている。生徒一人ひとりが違うように、先生も一人ひとり違う。めぐり合わせの合う合わないといった相性はあるだろうけれど、どちらも子どもにとっては意味のある教育だと思う。幅広い年齢層の先生方が、みんな足並みを揃えた教育をするなんて、大げさに言えばちょっと気持ち悪い。むしろ足並みを揃えるべきは、人間としての基本的な態度――“不正を許さない”とか“差別しない”とか“人の気持ちを思いやる”とか、そんな事柄の方ではないだろうか。
教員不適格と判断されるようなケースは別として、志をもって仕事する人は、周囲がブレーキをかけなくても、いつか自分でダメなことはダメと気付いていくものだろうし、出る杭を打つような助言でなく、切磋琢磨のための助言を惜しまない教員同士の環境作りが、子どもにもよい影響を及ぼすのだと感じる。
教員や医師など、職業柄どうしても“いい人”でいなければならない“エモーショナル・ワーカー”(感情労働者)のストレス過多が、世界的に問題になりつつあるという。ある意味、皆が同質同レベルのサービスを提供できるように足並みを揃えておくことが、職場の“いじめ”防止などにはつながるのかもしれないけれど、ありのままの自分として仕事できない環境は、息苦しいばかりとも言える。“比べる”ことを最もすべきでない教育の現場だが、その環境作りは確かに難しいものがあると思う。
来年度は、「学級新聞」、実現するかなぁ???
「試験当日まで、残り44日」
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