『フェルマーの最終定理』
買い置いてあった『フェルマーの最終定理』を一気に読んだ(今頃!?)。ちょうど昨年、「ポアンカレ予想」解決にまつわる翻訳本のラッシュがあり、『博士の愛した数式』のヒットなどもあって、巷には軽い“数学”ブームもあるようだ。本書が、これらのブームに一役も二役もかっていることは確かだと思う。
きわめて長大難解な数学の歴史と発展を、アンドリュー・ワイルズの「フェルマーの最終定理」証明を軸に、よくぞまとめてくれた!と拍手喝采である。素粒子物理を研究していたという著者のサイモン・シンが、どれくらいの資料やインタビューと格闘したのかはわからない。しかし、彼自身がワイルズの試行錯誤の思考経路を疑似体験し、はるかギリシャ時代から、現代のコンピュータ時代までの数学をたどる旅を、大いに楽しんだことが窺われる。ワイルズの証明には、谷山豊と志村五郎という日本人数学者も大きな役割を果たしているが、私は志村氏が語った「“良さ(goodness)の哲学”から生まれた数学」という言葉に打たれた。また、「数学界が依存する“自主管理制度”」にも、真なる数学者を象徴する“潔癖・高潔”な精神をみた。
多くの読者は、巻末近くの「ケプラーの球体充填問題」や「四色問題」は蛇足だったと感じているようだが、私はむしろ、これらが加えられていることで、数学の“証明”の厳密さや美しさが際立ったのではないかと感じている。最近はどんな学問分野でもコンピュータの利用は当たり前になっており、数学界でもその流れはあるという。ただ、本来は紙と鉛筆で論理の流れを追うべき数学で、コンピュータによる力技や、ブラックボックス的な飛躍を抱えたままの証明が主流になることに懸念を示す声も紹介されていた。紙と鉛筆の世界でさえ、その論理を間違いなく追える才能は限られているのに、そこにコンピュータが加わったのでは、今後の数学の検証というのは並大抵のことではないなぁ、、と感じた。
それにしても、ディオファントスの『算術』という書籍の“継承”が、ここまでのドラマを産んでいるわけで、時代も地理も言葉も超えた書籍の力の“継承力”に、人類の英知の蓄積のものすごさを実感せざるをえない。
サイモン・シンの『暗号解読』は、本書から派生して書かれたものに違いなく、次なる読書が楽しみで仕方ないが、、、勉強が進まないなぁ。。。(汗)
「成績照会公開日まで、あと35日」
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