『さいえんす?』
東野圭吾さんの『さいえんす?』というエッセイ集を読んだ。“ダイヤモンドLOOP”や“本の旅人”といった雑誌に連載されていたものをまとめた文庫だ。世間の様々な事象を理系目線で綴ったものが多くて、サラリと面白く読んだのだが、その中に一つ、私にとって感動的な話があった。 ビクターのトレードマークが、図のような犬と蓄音機の絵であることは周知のことだろう。私が小さかった頃、父がビクターの音響機器を買ったときだと思うが、この犬の陶器製のミニチュアを特典か何かでもらった。そのとき、私はそれが痛く気に入ってしまい、ついには父から譲り受け、それ以来大切にしている。何度かの引越しで、今は右足の先が欠けてしまっているのだが、依然として私の大切なものの一つだ。
数年前、アニメーターの佐野浩敏さんのお宅にお邪魔した際、何体もの“ビクター犬”(私は勝手にそう呼んでいた)が部屋に飾られていたので、「あ、私もこの犬、好きなんですよ」と言ったら、佐野さんは「ああ、ニッパーね。僕も大好き」と言っていた。そのとき、(へ~、ニッパーっていうんだ…)と内心思ったが、そのままそれっきりになっていた。
で、東野さんの本の中に、「四十二年前の記憶」という一つのエッセイがあったのだが、それがまさに、このニッパーにまつわるものだったのだ。東野さんが五歳の頃、白黒テレビでたまたま観たアニメがあり、それがずっと忘れられずにいたという。そのアニメは、ビクターのトレードマークになっている犬が、かつてのご主人の声が流れてくる蓄音機に耳を傾けるようになるまでの顛末をショートストーリーで紹介したものだったらしい。なかなか素敵な小品だったので、東野さんは誰彼となくその話をするのだが、誰もそのアニメのことを知らないので、そのうち忘れてしまっていたという。それを、ひょんなことから改めてある編集者に話したところ、彼の知り合いがビクターに勤めているので調べてみてくれることになったのだそうだ。で、出てきた! その四十二年前に放送された白黒アニメが! その映像は、東野さんの記憶とはずいぶん違っていたそうだが、ようやくこれで、もやもやとした単なる思い出ではなくなったわけだ。 私はこの話を読んで、五歳の頃の記憶を大切にする東野さんがますます好きになったし、同じニッパーにどことなく惹かれ続けていたという点でも親近感を持った。単細胞の私は、ビクター犬の由来などに思いを馳せることもなく、ただ“なんとなく愛着が湧く”というだけの理由で身近に置いていたのだが、この犬の絵のタイトルが“His Master's Voice”というものであり、そこには忠犬八公のようなエピソードも隠れていたということを知り、私の宝物が一層輝きを増したような気がしている。
ちなみに、「HMV」というCDショップの名前は、この“His Master's Voice”の省略形だそうだ。どういうわけか手放せない記憶とか品物って、誰にでもあるよね。
「成績照会公開日まで、あと4日」
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