« エッシャー・タイル | トップページ | KOBO,the Li'l Rascal »

2008年10月30日 (木)

『経済ってそういうことだったのか会議』

Oikonomikos  単行本の刊行時から面白そうだと思っていたのだけれど、このほどその文庫本が平積みになっていたので早速手に取ってみた。アメリカ経済がこんなことになって、ポール・クルーグマンがノーベル経済学賞を受賞した今読むと、なんとも考えさせられる。このタイミングで大増刷したらしき日本経済新聞社に拍手!
 私は基本的に、本書の著者の一人である佐藤雅彦氏と同じく、“経済”なんてものはどこか胡散臭い…という思いで眺めているド素人だけれど、economics(経済学)という言葉がギリシャ語のoikonomikos(共同体のあり方)という言葉から来ていると聴いて、フム、と思った。全10章からなるこの本、どの章を取っても、それだけで十分いろいろ勉強になる。竹中平蔵氏はこれまで、私の中ではどうも小泉政権と一緒くたになって、経済至上主義の世の中を作った悪しき政策者のように映っていたのだけれど、佐藤氏の素朴な質問に丁寧にわかりやすく応えている紙面からは、そんな思いを払拭させる研究者魂を感じた。大学生の頃、こんな先生に経済について説いてもらっていたら、ちょっと世界を見る眼が違っていたような気がしたし、終章で竹中氏がどうして経済学者になったかというエピソードを読んだら、単純に彼が好きになった。
 とはいえ、やはり不確実性に色濃く支配された経済の動きは、私にとってはわからないことだらけ。各章ごとに、質問山積みだったが、中でも一番気になったのは、“グローバル化された社会で、通貨主権はきちんと温存されているのか?”ということ。一国が通貨を持つ最大の意義は、政府が市場に介入してコントロールを利かせられるからだ、と書いてあったけれど、これだけ経済取引が電子化・グローバル化された昨今、その意義はちゃんと機能しているのかが疑問だ。
 今現在のグローバリゼーションについて、佐藤氏はやや悲観的、竹中氏は前向きに見ているように読めたが、私も最近は、人が世界を知ってしまった以上、もうこの動きを逆に動かすのは無理なんだろうな、とは思っている。ただ、だからこそ、それこそ世界中で「共同体のあり方」についてきちんと議論しなくちゃならないんだろうな。世界に出ていって議論できる政治家や官僚って、どのくらいいるんだろう?
 竹中氏の老後の楽しみの一つが、今回の本のような易しさで、小学生や主婦に対して“世の中”について語っていきたい、ということだそうだ。そういうの、いいなぁ~。

|

« エッシャー・タイル | トップページ | KOBO,the Li'l Rascal »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« エッシャー・タイル | トップページ | KOBO,the Li'l Rascal »