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2009年2月19日 (木)

『一日一生』

Onedayonelife  元の会社の先輩編集者から、「今度作る本の資料本なんだけど、ちょっと読んでみて」と一冊の新書を渡された。天台宗大阿闍梨(あじゃり)の酒井雄哉(ゆうさい)さんの『一日一生』という本だった。大阿闍梨というのは、天台宗では「千日回峰行」という荒行を遂げた高僧に与えられる称号だそうで、およそ地球一周分ほども歩くのだそうだ。酒井さんはこの荒行を2回も満行したとのこと。
 今はやりの聞き書きによる構成で、インタビュアーは友澤和子さんという方だった。酒井さんの語り口は知らないが、本文はざっくばらんで、すごい事も悲惨なことも淡々と短い言葉で記してあり、酒井さんの人生と、修行から得たさまざまな知恵が、押し付けがましくなく受け止められるようにまとめられていた。全5章に各7~10ほどの節があるが、各節3~4ページというリズムも小気味よかった。
 43節のうちで私が感じ入ったタイトルは「仏はいったいどこにいるのか」。拝察するに、これがある種、酒井さんの悟りの瞬間だったのかもしれないけれど、別の意味ではこういう人は、日々開眼しているのかもしれない。大正時代に生まれ、10人きょうだいの長男という立場で戦争をくぐり抜けた人生は、今の若い人が読んでもピンとくるものではないだろう。それでも、何かに心を痛めたりしている人にとっては、宇宙の悠久を感じさせてくれる清涼剤になる。ただただ、人間の卑小さ、時の流れの悠大さを感じ、なおかつ一個人の奥深さや可能性に眼をむく気付きの連続なのだった。宗教って、そういうものかもな。随所に挿入された酒井さんの写真の人相が、味があってありがたかった。
 村上春樹さんが先日、エルサレムでイスラエル文学賞の受賞講演をしている様子をニュースで見た。かつて私が知っていた村上さんとは別人が、そこにいるような気がして不思議だった。敢えてガザ攻撃を批判しに乗り込んだ心意気に敬意を表しつつも「なんか、インテリになっちゃったな」という淡い失望を抱える自分を笑った。宗教者も小説家も、所詮は未踏の人生の修行途中。かつての村上さんなら、小説という手段で、個々人の心の根っこを揺さぶる方法を選んだんじゃなかろうか。その点、酒井さんは大阿闍梨になった今でも「大したもんじゃございませんが…」という立ち位置を貫いておられるところ、好感をもって読み終えた次第だ。

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