『母』(三浦綾子 著)
先日の里帰りで母が貸してくれた一冊の本。
泣けて泣けて……。途中まで読んで用事で家の外に出たら、知り合いの人に「なんか疲れてるね」と言われるほど。ティッシュで鼻をかみながらも読み続けていたら、息子が「そんなに悲しいなら読まなきゃいいのに」と言うくらい。私自身、悲しい本や映画は、その後頭痛に襲われるので敬遠したいのはやまやまなのだが、読み出したら止まらなくなり、日曜日一日で一気に読んだ。
『母』とは、昨今人気が再燃している『蟹工船』の著者 小林多喜二さんのお母さんのこと。このお母さんが自分の人生を三浦さんに語って聴かせるという設定で描かれた本書、いろんな視点で読めるものだった。一人の母親として、市民として、キリスト者として、思想活動家として、多喜二として、多喜二の恋人として、人間として……。どういう立場で読んだとしても、胸打たれる内容だと思う。私はまだ、『蟹工船』も含め小林多喜二氏の本を読んだことがないのだが、本書から窺い知った彼には強く共感する。昭和一桁時代の日本では、政治的弾圧などもあからさまに行われ、多喜二氏のような悲劇もそこここにあったのかと思うと、たとえ混迷を極めるにせよ、今の日本は平和に見える。ただ、悪の根源が目に見えない形で格差が広がるという状態は、あの時代よりむしろ根が深いのでは、とも思えたり。
読み書きなどできず、働き者でただひたすらに人のいい小林セキさんという『母』や、彼女を取り巻く家族や親戚やご近所の当時の暮らしぶりは、大館や小樽といった北国であることも相まって、それはそれは過酷で貧しいものなのだが、お互いを思いやる心の温かさや日々の営みは、とても豊かにも感じられた。このご時世、“家族で支えあう”といっても高が知れたイメージしか湧かないが、この本の中では本当に、名実共に“支えあう”様が如実にわかるのだ。
私にとってとても意外だったのは、多喜二が一時は拓殖銀行の行員という高給取りであったことだが、そんな立場を投げ打っても自分の信念のために活動を続けたことが、彼のゆるぎなさを象徴してもいたのだろうか。「世の中っていうのは、いっときだって同じままでいることはないんだよ。世の中は必ず変わっていくもんだ。悪く変わるか、よく変わるかはわからんけど、変わるもんだよ母さん。そう思うとおれは、よく変わるようにと思って、体張ってでも小説書かにゃあと思うんだ」という多喜二の言葉。全面的に息子を信じて励まし支える母。泣ける泣ける……。私は、自分たちの子どもたちが少しでも今よりいい世界に生きられるように、一体何ができるんだろう……?
総選挙の一日が明け、現代日本にも新しい風―――
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 日本野鳥の会 創立90周年記念誌(2024.07.17)
- 「時間」と「SF」(2024.06.25)
- 『森と氷河と鯨』(2024.04.12)
- 家庭画報3月号(2024.02.28)
- 『還暦不行届』(2024.01.18)
コメント