のどかな話と、シャープじゃない話
先日、夫が出張で筑波の高エネルギー加速器研究所に行ったときの話。駅からバスに乗らなければ行けない場所にあるため、夫もバスに乗ったのだそうだ。乗ってから、お財布の中に1万円札と小銭70円しかないことに気付いた夫。運転手さんに両替を頼んだのだが、あいにく崩せるお金を持ち合わせていなかったのだそうな。困った顔をしていたら、運転手さん曰く「帰りもバスに乗るんですよね? そしたら、その時に倍払ってくれればいいですよ」――― ということで、往路は運転手さん同意の上で無賃乗車したのだとか。
研究所でお昼を食べた際に1万円札は崩れたので、復路は当然倍額の運賃を支払って帰ってきたのだが、その話を聞いた息子は「へ~、そんなことできるんだ」と感心していた。そのバスは旧式だったので、SuicaやPasmoも使えない古い型だったとかで、確かに今どきちょっと珍しいのどかな話だな、と私も思った。
何につけても、人の良識とか善意を全面的に信じた設計というのをしづらくなっている昨今、セキュリティ管理の高さをウリにする傾向は高まるばかりだけれど、それにつれて、こういうちょっとのどかでいい話というのは少なくなるのかもしれないなぁ…とぼんやり思った。
一方、ユーザーフレンドリーな見地から、時代とともにマニュアル要らずの設計が心がけられるべきと思っているのに、それに逆行するかのようなものを発見した話。来週からハワイ出張の夫が、アメリカでも使える携帯に換えたのだが、Sharp製のその携帯のマニュアルを見て驚いた。小さな字でびっしりと書かれた分厚いマニュアルがついていたからだ。極めて多機能化している携帯だから、マニュアル要らずというわけにはいかないとは理解しつつも、もうちょっとマニュアルの編集を工夫して、「絶対読むべき部分」と「読まなくてもいい部分」をはっきり分けるなど、ユーザーの精神的負担を軽くするべきじゃなかろうか?と思った。加湿器兼空気清浄機で大ヒットを飛ばしたシャープだが、携帯のマニュアルに関しては、ちょっと“目のつけどころがシャープ”じゃなかったような気がした。
| 固定リンク
コメント