『カッコウの卵は誰のもの』
先の日曜日、間もなく行われる東京マラソンの予行演習で走っている人を横目に、「あ~、この寒空の下、偉いなぁ…」とボーッとしながら自転車をこいでいたら、横風にあおられて転倒した。左足をしたたか地面に打ち付けて、服は汚れるわ手はすりむくわで、ひどい目にあった。横風、あなどりがたし! こんな北風の日はやはり外になんか出るもんじゃない、と、その後は家の中で読書。『カッコウの卵は誰のもの』を一気読みした。あいかわらずの素晴らしい筆運びに、ついつい読まされてしまったという感じ。家人は泣きながら読んでいたけれど、私は特に大きな感慨もなく、「あ~、また読まされちゃった」という読後感(ヒドイ言いようだな
)。犯人は誰だろう?という思いでグイグイ引きこまれるのは確かなのだけれど、いろんなことが判明してみると、ちょっと腑に落ちないことがポロポロ。2箇所ほど誤植もあったな…
。
ストーリーとは別の興味として、“スポーツ遺伝子”というのが本当にあるのか?というのが気になった。その遺伝子を持つ人は、たとえ自分ではその才能に気付いていなくても、鍛錬すればすぐに人並み以上の成果を出せるようになる様子が描かれていたのだけれど、果たして、そうしてやることがその人にとって幸せなことなのか?という問いも一緒に提示されていた。生まれ持った“才能”を“カッコウの卵”になぞらえたところは面白いと思いつつ、正確に“カッコウの托卵”のことを知らない私としては、ちょっと消化不良。卵を託された別の親鳥は、生涯カッコウを自分の子と思って巣立ちまでをフォローするんだっけ? ホントの卵より先に生まれるカッコウの子は他の卵を全部排除しちゃうんだっけ? その育てられたカッコウは、その親鳥を親と思って慕うものなんだっけ? でもカッコウはまたカッコウ同士で夫婦になるんだよね? …などとあれこれ考えていたら、ちょっと“才能”と“カッコウの卵”を並べて語るのはおかしいような気もしてきた。まぁ、メインストーリーには沿ったタイトルだからいいんだけど(笑)。
ミステリーっていうのはどうも、突風横風のように、普通ならありえない偶然や出来事が突如として起こり、それらが複雑に絡み合うことでおもしろくなるようだ。でも、そのありえない偶然に、どの程度説得力を持たせられるか、そしてそれに遭遇した人間に、どの程度自然な反応をさせられるかが、肝なのかな~? そういう意味で、今回の東野さんの作り出した登場人物たちは、ちょっと私とは違う反応をする人たちだったような気がした。
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