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2011年9月12日 (月)

あれから10年、あれから半年

 昨日のサンデーモーニングでは「9.11から10年、3.11から半年」という節目での特集をやっていた。なんだかしんみりとさせられる朝。2つの衝撃的な事件以降の世界の動向について、有識者の皆さんがあれこれとコメントしていた。毎回示唆に富むご意見があるが、言うは易し行うは難し。生命科学者の中村桂子さんが、「わたしはおそらくこの中で最年長かと思いますが、未来にツケを残してしまいそうな現状を、本当に心苦しく思っています」とおっしゃっていたのが印象的。寺島さんは「根拠のある楽観に基づいてグランドデザインを」と、涌井さんは「根拠のある悲観からスタートしたい」と。私はどちらかというと、涌井さんの言う悲観から考え始めるクチだ。
 中村さんは「“グローバリズム”というけれど、本来“グローブ”は“地球”であることを思い返すべき」「ワンキャッチフレーズがもてはやされたりもしましたが、もっと“複雑性”を許容して考えるべき」とも。
 どうしても抽象論になってしまうので、具体的な施策に落とし込むところまで想像が及ばず言葉を失ってしまうけれど、個人的に今、個々人にやれることは、“足るを知る”ことくらいかなぁ…と貧弱な発想。
 この前の晩は、マイケル・サンデル教授の「究極の選択」という番組で、東京・ボストン・上海の学生を結んで白熱教室が繰り広げられていた。いつものことながら、“皆で議論を続けていくことが大事”という締めくくりなのだが、世界的な原発の是非の議論だけとっても、その難しさを象徴するような意見の分かれようだった。
 どちらの番組にせよ、この手の問題を大人数で議論してもラチがあかないのは明らかで、だからこその民主主義なわけなんだが、どうも、信頼に足る人物を選ぶプロセスというのが欠如しているように思える。選挙区というもので選択の余地を制限することがよいことなのかもよくわからない。“地域に根付く”という意味では必要なのだろうけれど、そういう視点だけで物事を決めていく時代なのかどうか……? それこそ原発の是非なんて、国の枠組みを超えて議論すべき話じゃないのか……? などなどなど…疑問は湧き続けるばかり。
 おかげさまでごく身近なところでは、なんとか平穏な日々を送っているものの、何かしらの“転換点”にいることは確かな気がする今日この頃。“時代のうねり”ってやつを漠然と感じさせられる21世紀初頭である

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