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2013年10月31日 (木)

『100万分の1の恋人』

 前々から読んでみたかった本にようやく着手(10/30読了)。
 以前本書を読んだ友人が、「教育的配慮を感じる作品だった」と言うのを聞いていたため、少し構え気味に読み始めた。中盤あたりまでは何となく襟を正して読んでしまったけれど、後半は一気だった。
 本書は、第2回新潮エンターテインメント大賞受賞作なのだが、読後感は、エンターテインメントという印象ではなかった。たいていのエンタメ作品は、ジェットコースターに乗っているかのような主観的な臨場感か、映画を観ているかのような客観的な野次馬根性で楽しむけれど、本作はそのどちらでもなかったから。
 今の自分とは遠い世界の他人事なのだけれど、いつ誰が似たような境遇になってもおかしくないという点で、客観的に見ながらも主観的に考えずにはおれない、そんな物語だった。
 100万人に1人、いるかいないかという、不治の病である“ハンチントン病”という病気の因子を持つ家系に生まれた女性“ミサキ”。その幼なじみの“僕”。病気のことをまったく知らずに付き合っていたところ、大学院を卒業して就職もきまり、あとは結婚を前提に…という矢先の彼女からの告白。発症確率は五分五分で、遺伝子検査の方法は確立されているものの治療法はなく、彼女は検査を受けないまま、灰色の人生を歩くと決めている。。。
 最初のうち、かなり他人事として読んでいたときには、抒情のかけらもなく、「どうして検査、受けないの?」と単純に思った。けれど、小さな日常の場面が重ねられ、お互いを思いやりながら関わりあっている登場人物たちを眺めているうちに、「私がミサキだったら…」「私が“僕”だったら…」「私が祖母だったら…」「私が母だったら…」「私がヨメだったら…」「私が兄だったら…」「私が父だったら…」と、あらゆる登場人物に自分を置き換えて、一場面一場面を考えさせられた。
 少し前のTV番組で、カネミ油症事件の被害者の女性と結婚した男性が、インタビュアーから「結婚に迷いはなかったか?」というニュアンスの質問を受け、優しくおだやかな調子でこう言っていた。―― 「人間誰だって、病気にならない人はいないですから…」―― そのシーンが妙に頭に焼き付いていたのか、本書を読みながらずっと、その人のイメージが頭をかすめていた。ハンチントン病のように悲劇的で、周囲の負担も大きい病気に限らず、世の中にはいろんな病があって、遺伝によって継承されるものも数多い。今もどこかに、病気と闘っていたり、悩み苦しんでいる人がいるかと思うと、今を大切に生きないと…と思わされる。自分がどういう決断をするかは、そのときになってみないとわからないけれど、“僕”と同じく、その“存在”を基準に考えるだろうな…と結論して本を閉じた。

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