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2014年4月27日 (日)

別冊Patent

 『別冊Patent』(vol.67)という冊子が、先週届きました。「複数の知的財産法による保護の交錯」というテーマで、13本の研究報告が掲載されていました。特に、著作権と他法との絡みが数多く採り上げられており、全編しっかりと読み込みたいところなのですが、いかんせん時間がなく、ゆるりゆるりと拾い読みしています。
 著作権が難しいのは、その侵害の大部分が親告罪であること、創作者の考え方次第なところだと思っています。(25日には改正著作権法が成立しましたが、)ことマイナー書籍に関しては、侵害を取り締まるより、その労力を使って新しい書籍を刊行した方が利益になるケースも多く、必然、侵害行為のすべてに手が及ぶとは限らない。。。そのため、本来なら許されないことが、許されるものだと誤解されたりする。。。かくして、明文化された著作権法と現実との乖離がひどくなる―――。
 まぁ、そんなことを言っていたら、法的な議論なんてできなくなってしまうでしょうし、歴然とした著作権法がある以上、それを基準に考えるしかないと観念はしています。

 巻頭の「画像デザイン保護に関する問題の所在」は、とても面白く拝読しました。個人的には、あらゆる文明成果がヒトの創作・著作によるところ、意匠法と著作権法の重畳作用はあってもいいように感じつつ、こと適用に関しては、米国の「分離可能性理論」と、著作者・創作者の判断いかんで選択すべきなのではと感じました。
 「キャラクターの保護」という一編にもとても興味があります。当初はある作品に付随していたキャラクターが、人気の高まりとともに独り歩きをはじめるケースというのがとても多いと思うからです。
 なにはともあれ、いまや誰も無縁ではいられない著作権法だからこそ、グレーゾーンを極力減らし、知らず知らず子どもが違反してしまうような構成を避けて、対象やフェアユースの範囲を明確にすることが急務のように感じています。

 過日の「弁理士法」の改正では、弁理士は“知的財産権の専門家”として、より広い仕事範囲を認定されたようです。17年ほどの出版業務以外はほとんど素人同然の私ですが、脳から生まれるアイディアが現実世界に定着する様には、いつも感動しています。無体のアイディアやヒトの思想は、実体的にいろんな形に変質するからこそ、単なるモノよりも“実態”を掴みづらく、ある意味、占有にはそぐわない特質を持つところ、本質を把握する努力が常に必要なんだろうなぁ…と感じました。
 医療業界になぞらえて、各人が、心臓外科医や眼科医、小児科医といった専門家を目指すなら、私は予防医を目指したい気持ちです(仕事がなくなる?!…苦笑)。

 何度も引用しているかもしれませんが、『コモンズ』のp.154で紹介されていた、アメリカ初の特許庁長官、トマス・ジェファソンの言葉を再度噛み締めた上で、最適な保護と利用のバランスを考えていきたいと思います。
―― もし自然がその他すべてのものに比べて排他的財産権の対象となりにくいものを作ったとすれば、それはアイデアと呼ばれる思考力の行いである。これは、その人が自分一人で黙っている限り、独占的に保持できる。でもそれが明かされた瞬間に、それはどうしても万人の所有へと向かってしまう。そして受け手はそれを所有しなくなることはできない。またその特異な性格として、ほかのみんながその全体を持っているからといって、誰一人その保有分が少なくなるわけではないということだ。私からアイデアを受け取ったものは、その考え方を受け取るけれど、それで私の考え方が少なくなったりはしない。それは私のろうそくから自分のろうそくに火をつけた者が、私の明かりを減らすことなく明かりを受け取ることができるようなものだ。人類の道徳と相互の叡智のために、そして人間の条件の改善のために、アイデアが人から人へ世界中に自由に伝わるということは、自然によって特に善意をもって設計されたようで、それは火と同じく、あらゆる空間に広がることができて、しかもどの点でもその密度は衰えることがない。またわれわれが呼吸し、その中を動き回り、物理的存在をその中に置いている空気と同じく、閉ざすことも排他的な占有も不可能になっている。つまり発明は自然の中においては、財産権の対象とはなり得ない。――

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