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2014年9月 9日 (火)

月刊Patent vol.67 8月号

 月刊Patentのvol.67の特集は「著作権」でした。本特集をウキウキと読み始めたのは確かなのですが、一番いろいろ想いをめぐらせて楽しんだのは、「大学の研究と職務発明制度」の記事でした。もちろん、昨今の職務発明の取り扱いを巡る関心からというのもありますが、p.87の以下の文章に触発されて……
――「発意」は著作権法の職務著作の規定に既に存在するところ、――
「そういえば、どうして著作権ではあっさりと職務著作制度が導入されたのかな?」

 手続的にはともかく、思想的には、以前のアメリカの先発明主義にシンパシーを感じていた私としては、職務発明を原始的に使用者に帰属させるなんてナンセンスは言語道断。相当の対価を気にしなくてよくなるのは、使用者にとってはものすごく大きなことでしょう。手続上も、譲渡書や職務発明書を作ったり契約したりする手間も省けるでしょう。でも、特許証に発明者の名前が入らないなんて詰まらなすぎる!
 「この発明すごーい!どこの誰が考えたんだろ?」というとき、リスペクトの相手をどう特定したらいいのか…?

 著作権と特許を比べたとき、「クレジット表記」「リスペクト対象」「次の仕事への足掛かり」の3つの切り口で、違いがありそうです。(プログラムの著作物の事情は違うかもしれませんが)著作物は大抵、それがたとえ職務著作であっても、一般の人がすぐに、創作に携わった人を特定できるようにクレジット表記がされていることが多いもの。そして需要者は、職務著作の著作権者もさることながら、その特定した個人をリスペクトの対象とすることが多い。そして、リスペクト対象となった人は、その著作物自体でお金を稼ぐことができなかったとしても、副産物や次回作への足掛かりにすることが容易。(ロボットアニメの著名なメカデザイナーが現実のロボットをデザインしたり、キャラデザイナーが個展を開いてイラスト販売したり等)。
 一方、特許の場合、原始的に発明者に帰属する現在でさえ、一般の人がある製品の発明者を特定するのは難しいし、そもそも誰が発明したかなんてことに興味を持つ人の方が少ないかもしれない。リスペクト対象は製品そのものになりがちだし、たとえクレジットされたとしても、その発明をきっかけに次回発明も…なんて幸運はなかなかない。
 そして最大の違いは、「依拠性」――。著作物は、多かれ少なかれ、必ず先人の生み出した何かに依拠するものだと思いますし(法的な意味合いの“依拠”でなく)、謙虚な創作者ほどそれを自覚しているもの。けれど発明は、「自然法則」に依拠する。だからこそ、本質的で重要な発明ほど、“俺が俺が”の意識は強くなりがち。

 職務発明については、これまでに認められた“相当の対価”の算定方法を知りたいものだと思いました。公認会計士とか監査法人がきちんと入って、土地代やら光熱費やら通信費やら、掃除をしてくれる人等も含めた全従業員の貢献度なども勘案して、仮に発明者が一人で起業して、家族を養いながら、発明を製品化し販売する…という全行程をトレースするようにして算定しているのでしょうか? これまでの算定が発明者に寄りすぎていたのが問題であって、原始的帰属の議論はまったく的外れのような気がしてしまいます。

 本記事は、大学での発明と企業での発明の性質の違いを検討しており、私も、大学補助金や、文科省・厚労省・日本学術振興会からの科研費、JSTからの助成金等を加味して、もっと厳密に考えておかないといけない気がしています。そうでないと、なあなあのまま不適切な譲渡がまかり通ってしまったりする気がしました。

 一番楽しみにしていた“「コミケ」と著作権”の記事は、最後の締めくくりの立ち位置に好感が持てました。同人マークも含め、クリエイティブ・コモンズのような、著作権者の意思表示の仕組みを、法的に取り込むのは難しいことなのでしょうか…?
 いろいろと、好き放題に考えが右往左往した一冊でした!

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