『エジソン 20世紀を発明した男』
先週末、標題の本を読了。
印象的な箇所に付箋を貼りながら読んだら、かなりの数になってしまいました。
本書は、エジソンの先祖が、オランダからアメリカ大陸に渡ってくる所から始まり、彼の二人目の妻マイナとの間に生まれた3人目の末っ子シオドアが鬼籍に入るところで終わります。かなりのボリュームではありますが、それでもやはり、一人の人間の人生を振り返るには、全く紙幅が足りません。本の中の断片的な情報から、登場人物の人となりを推測するのは、どうしても語り手の偏向を含んでしまいます(彼の伝記は千冊を超えるので、千通り以上の解釈があるのかも?!)。それでも、エジソンの勤勉さと稀有な実行力に関しては、誰がどう語ろうと、珠玉の才能であったと確信できました。
あまりに濃密な人生を生きた人なので、何を書いても物足りなく感じてしまいそうですが、2つ、私が「忘れたくない」ことを記しておこうと思います。
1つは、エジソンが44~45歳の頃、『Progress(進歩)』というSF小説のような33ページの草稿を書いていたこと(多忙の中で片手間に書いたので、3年間で33ページ!)。Innovationではなく、Progressにしたところが、エジソンらしいな~と思いました。(本書P.266あたり)
とかく、技術の実用化や千件を超える特許の話ばかりが取り上げられがちですが、この草稿の概要を読むと、エジソンがいかに、それらを実現する裏で、多岐にわたる思索を重ねていたかが想像されます。戦争や犯罪を撲滅した世界や、地殻の大変動・宇宙の彼方とのコミュニケーションなど、今現在でもホットなテーマを検討していたようです。アカデミックな学問体系に沿った訓練からはドロップアウトしながらも、必要に応じて、臨機応変に様々なジャンルを、書籍や人から学び続けた博識さは、まさにPh.D。ある評論家は彼をゲーテになぞらえたのだとか。(それでも、アインシュタインの相対性理論への感想を求められた際には、「自分には理解できないので、感想は言えない」と忌憚なくおっしゃったそうな。一方でアインシュタインも、エジソン制作の事実暗記的なクイズは、学者が取り組むべき問題じゃない、みたいなことを言ったらしいので、タイプの違う偉人同士ですね。)
本書には、たくさんの写真も収められていますが、少年時代の明るい表情から、青年・壮年期のちょっと神経質な面持ち、そして、老年期のなんとも言えない滋味に富んだ魅力的なお顔へと、心の熟成がそのまま現れたかのような変化も感動的です。デスマスクを作ったジェームズ・アール・フレーザーの言――「力のみなぎる、すばらしいお顔でした。広い額、鼻、口、顎と、顔のどの部分も美しいうえに、あふれんばかりの力強さを感じさせるお顔です。」―― 臨終の章は、ティッシュBOXを抱えて読まざるを得ませんでした。。。
エジソンが生涯に遺した研究ノートは530冊余り。相当なメモ魔で、なんでもかんでも書き付けていたようですが、きっと頭の中には、その何倍もの詩が溢れていたのだと思えます。
2つ目は、二人目の妻マイナの夫の支えぶり。一人目の妻メアリーは、あまりに仕事一辺倒の夫に耐えかねたのか(子どもは3人もうけましたが)、ノイローゼになり早くに亡くなってしまいます。対してマイナはと言えば、父親が創設したシャトーカ大学(キリスト教布教の一環の夏の文化教育集会)をはじめ、数々の慈善・福祉事業に関わりながら、夫のエジソンと、新たに生まれた3人の子を加えた6人の子どもたちに、献身的に尽くし続けました。幼い頃から耳が聞こえづらかったエジソンのため、モールスを覚え、パーティーの際などで夫が聞き逃したことを、膝をつついてモールスで伝えるなんてこともしたそうです! 仕事に没頭すると、何日もお風呂にも入らず、ヨレヨレのシャツを着たまま仮眠だけで数日過ごすような夫だったので、たまに子どもが顔を合わせると、「え? こんな人が私のお父さん?」と怪訝に思うような風体だったようですが、そんな夫にも理解と敬意をはらい、尊重し続けた彼女がいたからこそ、エジソンは思うままに研究開発に集中できたのだろうなぁ…と思えました。(現代では、なかなか受け入れられ難い仕事ぶりかとは思いますが…)
前妻との子どもたちは、エジソンからはほとんど顧みられることなく、悲痛な人生を送ったようですし、マイナとの間の子も含め、あまりに偉大な父を持つのは、子どもたちには相当大変なことだったようです。
マイナは、「主婦」という言い方を「誤った名称の最たるもの」としてひどく嫌っており、自分の仕事に誇りをもって「ホーム・エグゼクティブ」と称していたそうです。「家庭経済という科学」を理解することが真のアメリカ女性の義務だと信じ、職業人としての威厳を保っていたとのこと(P.488あたり)。
ほかにも、書き置きたいことは山のようにありますが、折に触れ、思い起こしながら自分なりに噛み締めていきたいと思います。それにつけても、エジソンの晩年の頃と、相対性理論発表が同時代だったというのが嘘のようだし、その数年後にはENIACが開発されたり暗号解読合戦が行われるというのが信じられず、この頃から、人間の普通の生活感覚と科学技術の進歩との乖離が激しくなったのかなぁ…と感じました。
本書を上梓してくれたニール・ボールドウィンと、訳者の椿さん、どうもありがとうございました!!
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