「ブレードランナー2049」
SONY復活の狼煙か?!という感じがしなくもない「ブレードランナー2049」を、先の三連休の中日に観てきました。(以下、ネタばれ注意です!)
本作で提示された最大の謎は、2020年にブレードランナー“デッカード”と恋に落ちた(らしき)レイチェルの“愛情”が、果たしてプログラムされたものであったのか否か…ということ…! 果ては、ヒトとヒトの“性”や“愛”も、生殖の営みとして遺伝子にプログラムされたもの?なんてシュールな感慨も――。
夫とは前夜に、リドリー・スコット監督の「ブレードランナー」をBlurayで予習しましたが、彼はそれ以外にも、渡辺信一郎監督の「ブレードランナー ブラックアウト2022」を視聴し、さらに本作の前日譚である「2036:ネクサスドーン」まで観ておいたそうです!
個人的な印象だけ言えば、前作のインパクトにはちょっと及ばなかったかな~?という感じ。何より、ウォレス社の社長秘書的な女性レプリカントが利己的すぎて、「新型、ダメじゃん…」と思わざるを得なかったところが一番の理由。前作も本作も、レプリカント開発の最大意義は、人間が従事し難い宇宙開発要員を製造するという名目でしたが、「要するに人って、言うなりになる献身的“奴隷”が欲しいんだろうか…?」と思えてしまい、もしそうなら、そこに感情の萌芽まで期待するのは、残酷すぎる気がします。
また、レプリカントの“従順性”というのは、所有者との二体関係においては定義しやすいけれど、社会という集団の中に投げ込まれた途端、“命令に従う”ということの解析が、ひどく難しくなるものかもなぁ~とも感じました。
今後も、数々のロボットものやAIものの作品が創作されていくことでしょうが、結局のところそれらは、“奴隷解放”物語に行きついてしまうような気もして、複雑な気分でした(cf.:『権利のための闘争』)。。。自分や他のものや時間を、自分自身の意思でコントロールする力を、より多く手に入れることが、“人間らしさ”につながるような感触――。
いずれにせよ、タイレル博士が生み出した、生殖機能までも持つレプリカント・レイチェルと、専任捜査官デッカード(←彼もレプリカントなの?!)の間に、(免疫不全ではあるものの)娘が生まれ、感情を備えて成長しているという時点で、“人間”と“レプリカント”との生体的境界は、ほぼ崩れた(曖昧になった?)ように、傍目には見えます。ヒトが“心”と感じているモノの正体は何か…という謎は、依然として観客の考え方に委ねられたままですが。。。果たして続編があるのかないのか、人間の“感情”とか“記憶”とか“公平”って、何なんだろう…?という反芻とともに、心待ちにしたいと思います。
【cf.】 『人工知能と経済の未来』書評(by 「希望は天上にあり」ブログさん)
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