NHKの存在意義
先週、最高裁で、NHKの受信料徴収は「合憲」との判断がなされました。世の中には、思いのほか多くの不払いの人がいることは、ちょくちょく報道されている通り。今回、最高裁の判断が出たことで、改めて“NHK(技研含む)の存在意義”について考える機会となりました。
先週の“あさイチ”で、ディーン・フジオカさんがゲスト出演した際、「最近のマイブームは“ルービック・キューブ”です」とコメントしたのを受けた有働アナウンサーが、「ホントは、“立体パズル”とかって言わなきゃいけなかったかな…」というようなニュアンスの言葉を発していました。そういえば、昔なら、ブランド名はすべて隠して、極力中立性を重んじていたNHKですが、最近はずいぶんとラフになっています。不可抗力で、特定のブランドの広報を担ってしまうことは、意外に多いのではないでしょうか。
公共放送という位置づけで、TVを持つ世帯から一律に受信料を徴収するというのは、このインターネット時代にあって、どんな意味があるのか…?
我が家は、朝のニュースと、夜のお気に入り番組くらいしか見ないにもかかわらず、それでも、同じ映像がかなり使い回されているのに遭遇するため、受信料は「ちょっと高すぎるな…」という印象ではあります。ただ、NHKの2,3の番組は大好きだし、BBCと同じく、番組制作をプロデュースする人達の“良識”に、ある程度の信頼を置いています(TOPへの信頼が揺らぐ事態はありましたが…)。
NHKの存在意義が、ひとえに中立性にあるとすれば、人間が制作に関わる限り、“完全中立”というのは有り得ないし、国会中継や大相撲中継をするから公共だとも言えない。むしろ、民放が趣向を凝らして、国会中継したっていいと思うし。。。スポンサーが付かないけれど、放送の価値があるというものを一手に担うなら、それだけに特化した国営放送があってもいいんじゃないか…(それは別に、TVでなく、専用のストリーミング・チャンネル開設でもいいような)。。。スポンサーが付かないのは、見せ方に工夫が足りない企画力不足じゃないかとも思えたり。。。
こう考えると、やはり、NHKに求められるのは“良識”に裏打ちされたコンセプトじゃないかと。「地球保全」とか「戦争回避」とか「人権確保」とか「相互扶助」とか、ある意味、大仰に聞こえるような“基本”を、人として当たり前のこととして、思い起こさせてくれる存在。それ以外に、民放と区別する要素があるでしょうか…? 紅白歌合戦の視聴率を云々している時点で、民放と区別する要素って何なんだろう…?と思ってしまうのも事実。
考えても、なかなか本来の意義を見い出しづらくなっている中、我が家が忠実に受信料を払うのは、ひとえに、NHKのプロデューサーが作る番組が好きだから、スポンサーになっているだけ…というスタンスになりそうな感じ。(逆に言えば、「なんじゃこりゃ?」な番組ばかりになったら、払いたくなくなるということですね
)
【British-hills】 TVを観るのは、ひとときの異世界感覚を味わいたいため、という場合も多いですが、福島に、こんな施設があるそうですね! その名も、“British-hills”。とりあえず、「ニュートン」という名前の棟に泊まってみたい♪!
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