発明該当性…
先日、ゼミで「特許法上の発明とは」というテーマで軽い議論が行われました。多くの人が、政策論的な捉え方や、大人な対応で考えるのに比べ、私のなんとプリミティヴ…というより、ナイーヴなことか…、と、我ながら呆れてしまいましたが、それでも、“自分の頭で考えると”、そう思えるのだから仕方ない。
まぁ、多勢に無勢はいつものことだし、仕方ないな…と思っていたら、先生がこうおっしゃいました。
「この問題に、正解はありません。審判決例を知っていることより、自分の頭で考えることが大事です」―――
そして、いろんな人のいろんな意見に対し、先生ご自身も様々に反応して、誰かの意見を封じ込めたりすることなく、歴史的な視点や、政策論的な視点で、捉え方が七変化するようコメントしてくださったのです。
実務においてなら、多勢に回るとか多勢を味方に付けるように立ち回ることも時には大事でしょうが、「自由に考えていいって、なんてスッキリすることだろう!」と、感動してしまいました(笑)。
それでも結局、私と意見を同じくする人は一人も現われなかったのですが、授業が終わって帰る際、何人かでエレベーターに乗ったら、その中のひとりの方が、「裁判官の中にも、Taracoさんと同じ考え方で捉えてる人、いますよ」と、声をかけてくれました。おぉぉ~!! 声をかけてもらったことも嬉しかったけれど、私の意見をちゃんと受け止めて、理解して、コメントくださったことが、すごく嬉しかった!
多勢に無勢でも、自分の考え方を理解して認めてくれる人がいるというのは、心強いものだなぁ…と、いい歳をして感じました。条文やルールを覚え、権威ある判例を読み込み、小難しい講釈のもとで規範定立やあてはめを行う法学が、現実世界への適用においては必要なのだと思いつつ、自分なりの見解をゼロベースで検討してみることも、定義とか趣旨を考える上では、意外に大切な作業なんじゃなかろうか…、と思った夜でした。
【装置】 個人的に、“紙”も立派なハードウェアだと思っている私ですが、この日の議論で、知的アイディアの実現において、ヒトの身体も可撓性のある素晴らしい入出力装置なんじゃなかろうか…という、より突飛な考えが浮かびました(笑)。
また、昔は非常におおらかだったアメリカにおける“発明”の定義が、近年どんどんシビアになっているという現実が、アメリカ人の発明精神を萎縮させて、十数年後に影響が出てくるんじゃないかな~、、、なんて空想も(苦笑)。
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