改変を認識できれば「改変」に当たらない説
長い仕事人生の中で、著作権を生業の礎にしてきた割に、著作権法についてド素人状態の私。目下、体系的なイロハを叩きこんでいただいているところですが…。
そんな中、先月、「日本の著作権法のリフォーム論」という論考を拝読して感銘を受けたばかりなのですが、今度は、GW前の課題で配られた『同一性保持権侵害の要件としての「著作物の改変」』という論考に、また感銘を受けました。
これは、以前参加させていただいた「しなやかな著作権制度に向けて」というシンポジウムの成果として出版された本からの抜粋の論考でした。
著作者人格権のひとつを規定する著作権法20条の「同一性保持権」について、体系全体の整合性を整理することを推奨する一案。パッチワークのような状況の、リフォームを検討することも大事なら、こうしたアプローチもまた大事なんだなぁ…と気づきました。少なくとも、ここで提案されたような捉え方をするだけで、ド素人の私であっても、子どもが(というか私自身も)様々なキャラクターを落書きして遊んでも、安心していられるようになります(神経質すぎ!)。
その捉え方とは、ごくごくシンプル。標題の、『改変を認識できれば「改変」に当たらない説』という、一見矛盾するような言い回しの提案ですが、すごくわかりやすいのです。
とにかく、「改変をされていないとの誤認」を惹起させない限りは、(著作権や他の人格権の問題はさておき)少なくとも同一性保持権は侵害しない、という解釈。これまで、この同一性保持権の侵害の適否をめぐって、複雑な議論がされてきたようですが、誰もが簡単に他人の著作物を改変できるようになった現在、百花繚乱の改変やパロディを萎縮させないためには、このような解釈は是非とも採用して欲しいと感じます。
“同一性”とひとくちに言っても、形式的な同一性も大事なら、本質的な同一性も大事だなぁ…と思わされた脚注があったので、抜粋引用(笑)。
-----(『しなやかな著作権制度に向けて』 P.418の脚注(105))より-----
例えば本稿の執筆に当たり、筆者はいくつかの記述において読者の一笑を得ることを願っているが、それが果たされなかったとしても法がそのようなこだわりを直接に保護することはない。またそのような記述が稚拙な記述として批判されることは、筆者にそれなりの精神的な苦痛を及ぼすかもしれないが、当然甘受すべきものである。
他方で出版に当たり筆者の意に反してそのような記述が無断で削除されていた場合には、「著作物の改変」に該当し、結果として本稿に対する社会的評価が(削除しなかった場合と比べて)向上したとしても、同一性保持権の侵害と認められる可能性がある(そしてその限りで、筆者の上記のこだわりも結果として著作権法により保護される)。
いずれにせよ、条文ごとの“保護法益”は何か?というのを、突き詰めていくことが大事なんですね~(コチラもいずれ読みたい…)。
【CR2477電池の品切れ】 我が家周辺だけのことかもしれませんが、CR2477という規格のボタン電池がどこへ行っても品切れです。一体、どんな用途で引っ張りだこなのか?と不思議。「スマートキー、キッキングプレート、トラッキングデバイス、センサ…」などがあるようですが、うちは単に、リビングの時計に使いたいだけなんですが…。
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