Shane, Come Back~!
先週、新たな論考紹介がありました。「知財分野の最高裁判決に見る法解釈方法論と政策形成」という、法解釈の方法論に関する特集。
法律を文言通りに解釈するだけで、すぐ問題解決に結びつくなら苦労はないのですが、解釈次第では違った結論になったり、普通に適用したら小学生でも首をかしげるような結論になってしまうような場合、裁判官は各々個性を発揮して、然るべき結論に至るために、様々な法解釈をすることになります。
その一例として最初に紹介されていたのが、映画「シェーン」の著作権保護期間に関する最高裁判例。平成15年改正により、映画の著作権の保護期間が50年から70年に延長されましたが、昭和28年に公開された「シェーン」は、平成15年12月31日に保護期間が終了する予定でした。この時、文化庁著作権課は、昭和28年公開の映画については、保護期間を70年にする解釈論を採用したのですが、最高裁はこれを否定しました。体系的整合性を重視し、立法者意思を法解釈上考慮せず、法を立法者から分離した客観的存在として捉えた末の結論とのこと。(昭和28年公開のアメリカ映画は多々ありますが、“不思議の国のアリス”なんかも。。。)
これ以外にも数々の判例整理がなされるのですが、各々、政策判断を優先していたり、整合性を重視したり、帰結主義的に妥当性を模索したり、事案によって優先度合いが微妙に異なります。いずれも、既存の法理との整合性に配慮はされているものの、かように、現実の事案に法律を適用することは難しい作業なのだと痛感します。行政や立法がどうしても政策論に傾きがちなのは否めないとして、司法こそが、世の中を360度見渡して、ニュートラルでいなければならないと思っていますが、正直、そんなことが可能なのかな?とも。。。(本論考は、法学者に、司法がニュートラルな立ち位置を維持できるような知見を提供する使命を説いているようです)
印象的だった2つのフレーズをメモ。
・ドゥオーキンは法解釈とは連作小説を書く作業と類似するものと理解するが、、、(民商法雑誌2018_P.82)
・法解釈とは、条文の文言や既存法理をピースとするパズルを解く作業にも類似する。法解釈は科学ではなく、ある一面においては、ゲームをプレイする行為と対比できる。(同_P.88)(cf.: 科学としての法律学)
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