出願書類の検討
※昨日、改正著作権法可決・成立! 来年1月1日に施行されます。
(すみません、一部、教育の情報化については、公布の日から起算して3年を超えない範囲において政令で定める日、とのことです)
講義で、明細書を読み、特許請求の範囲の私案を考えたりする作業を、ささやかながらやったりします。つくづく、「迂闊な明細書は書けないんだな…」と、発明の外延を決め込む手続きの重責を痛感しつつ、日々これに尽力されている先生方に頭が下がります。さらに、知財分野の弁護士さんたちが、万が一にも、予定していた範囲をカバーしきれない明細書に対処しなければならなくなった時のために、どの程度リカバリできるのか、どんな対応をすべきかに、あれこれ知恵を絞っておられる様にも、“最初が肝心”の思いを強くします。おそろしく戦略的な作業なんだなぁ…と思いつつ、以前、「修行には20年」と言われたのを思い出しましたが、補正の是非や均等の解釈など、専門家でも意見が割れる様を見るにつけ、安全策を取りたい第三者としては、慎重・萎縮せざるをえない繊細さだと感じます。
【特許制度は、誰の何を守る制度?】 師匠による先日の課題は……“均等”。これまたイロイロと八方ふさがりな状況を、各人がどう解釈するかディスカッション…。
特許制度は“保護と利用のバランス”が重要と言うけれど、侵害事件においては、保護を重視すれば権利者寄りになり、利用を重視すれば被疑侵害者寄りになり、第三者の予測可能性にも配慮が必要で、、、「社会を進歩させた発明を讃え守る」制度なのか、「自己申告された外延を書誌的に公示する」制度なのか…、よくわからなくなってしまいました。あまりに広く均等を認めすぎると、審査段階での補正要件が有名無実化するような気もするし、あまりにクレームの記載を重視すると、先発明主義的な周辺限定の責任が重くなる気もして、頭が混乱します。個々の発明の社会的なインパクトや、産業分野や各々の技術特性の差異にもよるのでしょうが、当事者系の裁判において「発明の本質を守る」っていう意識はどの程度必要なんだろう??…と、考えさせられた課題でした。
アメリカにも、コンプリートバーとフレキシブルバーという考え方があるそうで、フレキシブルな対応を望みたい気もしつつ、いまだ先発明主義へのノスタルジーを捨てきれない私としては、やはり筆界確定的な役割をもつ出願書類は、過不足なく書き切る努力のもと、極力補正せずに済むようにすべきとも感じました。(なんだか、日本は一昔前のアメリカのようになり、アメリカは一昔前の日本のようになってきているような気がするのは、気のせい??…cf.:dedication)
この講義を受けたあとは、4~5時間放心状態になってしまいます~。
【Lunaの地上絵?】 月面上のアルファベット探しに、天文ファンが夢中なのだとか(笑)。何かメッセージが浮かび上がったら面白いなぁ~♪
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