含羞なき依拠
著作権の侵害判断では、「利用行為」「依拠性」「類似性」の3つの要件判断が必要になります。先週は、このうちの「依拠性」と「類似性」判断の難しさを、改めて痛感しました。
法学的な話でなく、これまで、実務で著者や作家さんの原稿を見て、「こりゃ、マズいな」と思って避けてきたのは、外形的に明らかに著名作品と似ている表現と、悪びれずに著名作品をモジったような表現…。こういうのに出くわすと、書き換え・描き換えをやんわりとお願いしてきたような気がします。無意識のうちに、“含羞なき依拠”を避けていたのかも、、、と思います。作品へのリスペクトを忘れ、自分のもののように使っていたり、他人の作品と認識しながら、安易なアレンジで自作したつもりになっていたり、そういう“含羞なき依拠”に触れると、こりゃぁNG…と、「類似性」のハードルも上げていたような気がします。
そもそもは、人間は“マネぶ”生き物だから、人生で触れたすべての物に依拠してしまうのは致し方ないと思うのですが、それを含み置いて、苦しみながら独自のものを創り出したり、批評的にパロディ化したり、尊敬を込めてオマージュを加えたりするのが創作活動じゃないかな~(遊び感覚でのパロディも、時と場合ではクスッとしちゃいますが…)。
(以下は個人的な疑問メモで、法的なものではありません)
過日の著作権法改正で、「著作物を享受(鑑賞等)する目的で利用しない場合」が権利制限規定に加えられることになったので、AI に学習させること自体は無許諾でもOKになりました。ただ、AI の学習データは“何も考えずにただひたすら読み込ませる”という意味では“含羞もへったくれもない依拠”で、今後「人」の介在なしにAI 生成物が出てきたら、それは果たして著作物なのか?、“含羞なき依拠”から生まれたものを保護してよいのか?…と、芋づる式に「?」が湧いてきます。ただ、人間も、鑑賞のための感覚器の素材自体が先祖に依拠する上、人生で触れたすべての物に依拠して創作活動をしていると考えると、、、???
(「類似性」の予見可能性は、私の中ではさらに混乱していて、何か納得感のある基準が待たれます…)
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