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2018年7月 3日 (火)

応用美術 四面楚歌

 “著作物性”について、延々と、悶々としつづけている中、先週の講義で、遠回しにそれを再考する機会がありました。応用美術に、意匠権や不競法での保護以外にも、著作権法による保護を認めてもいいんじゃないか――。
 目下、判断基準は大きく3類型に分かれており、「①段階理論」「②分離鑑賞可能性理論」「③美の一体性理論」があると言われています。①は、純粋美術と同視しうる程度の審美性・創作性を有する応用美術だけに著作物性を認めようというもの。②は、実用部分との分離が可能で、実用部分以外に創作性が認められれば
著作物性を認めようというもの。③は、通常の著作物と同様に、応用美術にも著作物性の判断を認めようというもの。

 他の方々は、どの考え寄りなんだろう…?と興味深く様々な意見を拝聴してきましたが、どうやら②寄りの人が多いような感触です。私も、法秩序的な所を優先するなら②と考えざるを得ない気がするのですが、結論ありきの感情的な部分では、どう考えても③にならざるを得ません。

 理由の1つ目は、この議論だとまるで、言語の著作物においては、純文学や小説のようなものだけが著作物性があって、学術書や実用本には著作物性がないかのような感触になってしまう、ということ。
 2つ目は、著作物性について中高生などに説明しようとするとき、「小学生が気まぐれに描いたような絵にも、著作物性があります、一方、インダストリアル・デザイナーさんが精魂込めて創り出した製品には著作物性は認められません」ということになってしまい、どうにも平仄が合わない気がすること。
 以前、グッド・デザイン賞の審査委員長を務めた方にお世話になったことがあり、工業デザインにも並々ならぬ“思想や感情”が注ぎ込まれているのをまざまざと感じたせいもあるでしょうが…。要するに、よほど“ありふれた”ものでない限り、作り手が気持ちを込めて創ったものには、どんなものにも著作物性はあり、そのデッド・コピーをするような行為は戒められるべき…という考えです。
 また、言語・音楽など他の著作物に比べ、美術の著作物のデジタル化が極端に遅れているのも、こうした議論百出の状況の一因かもしれない、とも感じます。もはや、“一品制作的”というのは、ごく特殊な状況であり、“原作品”というものの特定が難しくなっている中、美術の世界だけが、旧態依然と“生身の手”から生み出されているからです。

 そもそも、“美”という漢字にひきずられて、あまりに“審美”とか“鑑賞”に囚われすぎているような気も…。ヒトが思想や感情を発露させたからといって、必ずしも鑑賞に耐えるものが創作されるとは限らず、むしろ世の中の大部分の著作物は、鑑賞に耐えられないからこそ、ほんの一握りの選ばれし人が何らかのデビューを果たしているわけだし…。だからこそ、“ありふれた”もの以外には、著作物性を認め、デッド・コピーの類いは信義にもとるという扱いにした方がいいんじゃないのかなぁ~。
 ただ、これを実務で採用してもらうには、やはり著作権の保護期間を、もっと短くしないと難しいですねぇ

 まぁ、そんなこんなでまたまた凹んでいたわけですが、なんと、後期の講義で、是非直接お話を聴いてみたいと思っていた方が登場するという情報を小耳にはさみ、気持ちは一気に上向きに!(単純) 楽しみです!

【VIVO】 ところで、Wカップのスポンサーの「VIVO」という会社の、会場内デジタルサイネージ・ロゴが、やたらと「VAIO」に見えてしまうのは私だけ? 早朝のベルギー戦、本当に惜敗でした! サムライブルーの皆々様、お疲れ様でした!!(あぁ、ネイマールとの対戦を観たかったけれど、また是非次の機会に!!)

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