映画「聲の形」
先週末ついに、映画「聲の形」をEテレ放送で観ました(以下、ネタバレ注意!)。
前評判は聴いていましたが、耳の聞こえない人がイジメに遭う…という時点で、切ないシーンが想像され、なんとなく敬遠していました。私の父は片耳が聞こえないし、私自身もあまり“聞こえ”がいい方ではないので、共感しすぎて哀しくなってしまいそうだったのです。
が、友人の強いススメもあり、夏休み終了前に教育テレビが放送するという教育的配慮に沿った作品なのかを知りたいのもあり、録画してゆっくり観てみることに――。
結局、人と人とが良好な関係を築くには、お互いが相手に関心をもって、「相手の立場に立って考えられるように、相手の境遇を理解しようと努力し続けること」に尽きるのでしょうが、小中高校生はまだ、そんな器用さは身に付けていないし、大人ですら、それをいつも出来る人は少数派。。。だからこそ、イジメはいつの世もどこの世界でも生まれてしまう。。。
本作は、そんな人間相互の無理解を、“耳が聞こえないためにうまく喋れない”という象徴的な設定で、意思疎通の障壁に見立てて展開していますが、イジメの構図としては、別のどんな設定でも成立しうるストーリーでした。これを観た人の感想はさまざまで、誰かを非難したり、誰かに共感したり、学校という閉じた世界での子どもたちの苦悩を開放するにはどうしたらいいのか、悩んでしまう人もいるようです。
私自身は、とにかく担任の先生が許せなかった…。あれほどのイジメがあって、大人が気付かないはずはないのに、何の手も差し伸べなかったのか…?と。単にアニメの作品内に描写がないだけで、原作マンガでは手を変え品を変え、いろんな方策を試しているのかもしれませんが、、、。
今、学校の先生はとても忙しく、本来は教科を教えるのが本分だからと、それ以外の生活指導や部活指導は別の人間を配置しよう、という動きになっていますが、クラスの人間関係が一番よくわかるのは、やはり担任の先生じゃないのかなぁ…と思います。義務教育の先生はやはり、教科以上に人間教育に重きを置き、イジメの萌芽なんてものを感じたら、芽が出たその瞬間に摘み取るべく、最善を尽くさないといけないと感じます。
「聲の形」は、なんとか子どもたちが軌道修正して、良好な関係を少しずつ見つけ出せるようになったから、ある意味ハッピーエンドなのでしょうが、重い作品ではありました。これを、あんな風にキレイに見せてくれた山田尚子監督の手腕に拍手!(これも、アニメーションの良さかもしれません)――今日から本格的に再開する、子どもたちの学校生活、充実して楽しいものでありますように!
【障碍者雇用水増し問題】 昨今報道されている官公庁の障碍者雇用水増し問題。どうして国や地方公共団体は、法定雇用率を達成しなくても罰則がないのに、一般企業は罰則があるのか? 以前は雇用することでインセンティブがある形だったと思うのですが、いつの間に義務の形になったのか? 障碍者手帳の配布にもいろいろ問題があると思っているので、重層的な問題に感じられます。
【著作権法37条の2】 大学院同期の人と、本作について話題になった時、著作権法37条の2にも言及がありました。そこから、「思想又は感情」「表現すること」などの定義や、言語型式の変換とか、福祉とか、字幕の実務にまで話が及び、視野が広がりました。それにしても、聴覚障碍者の福祉の条文が入ったのが平成12年とは、なんとも遅すぎる気がしてビックリ!
(cf. 誰が偉人漱石を蘇らせる権利をもつのか?)
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