フェイクニュース
NHKで二週連続放送された、野木亜紀子さん作の「フェイクニュース」というドラマ、面白く拝見しました。問題が根深過ぎて、ちょっと2回で収めるには尺が足りなかった印象ではありましたが、メディア関係者には耳の痛い話も多かったのでは…。「事実なんてどーでもいい」っていうセリフが何度となく繰り返されていたのが耳に残りました。世の中、立場が違えば見方も変わるものとは思いつつ、ウソからマコトが生まれかねない昨今のネット情報の取り扱いには、本当に考えさせられるものがあります。。。
先週は夫が出張だったため、朝刊をひとり占めできたのですが、久々にゆっくり紙面を眺めたら、怖いニュースがイロイロ目に飛び込んできました。
木曜の朝刊にあったのは、「遺伝子組み換え種子紛失」とか「人体にもマイクロプラスチックが…」とかいう小さな記事。なんだかもう、自分自身が身を置く“時代”が、SFチックに感じられるほど、「は?」という感じのニュースの取り扱い。もっと大きく取り扱うべきでは?と思うのだけれど、日常茶飯事かのような小さな囲み記事。。。
ネットでニュースを読むようになると、どんな記事もあまり大差ない取り扱いで、かつての“一面トップ”とか、“家庭欄のほのぼの系”とか、重みづけがはっきりわかる構成ではなくなり、新聞社ごとの報道に対する姿勢や思想みたいなものが見えづらくなってるなぁ~…と感じますが、紙の新聞における重みづけも、「?」なモノが増えたような気がします。
先週の著作権法の講義で、「時事の事件の報道と著作権」というテーマで、「報道とは何か?」ということを検討させられましたが、ニュースの重みづけが、Twitterのリツイート数などで測られるようになると、大局観がゴシップに偏るようにも思えます。フツーの一般市民にしてみたら、先週のトルコ発信の諸々の情報なんかも遠い世界のことに感じられますが、それが原因で世界が大きく動いている気がするのが怖い。。。
一般ブロガーの発信情報は報道か?という問題については、気象庁発表の天気予報と、個人がウェザー・ニュースに情報提供するピンポイントの地元のお天気情報を比べるようで、個人発信であっても有益な情報は確実にあるように思えます。(火事の動画をたまたま撮影した人が、TV局各局から情報提供の依頼を受けた時の話がネットにアップされていますが、報道局と個人の共同も日常的になってきているようです。。。)
情報との向き合い方が問われる時代ですね~。
【言霊】 こんな時代だからこそ、言葉を大切にしたいものです…
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