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2019年5月 6日 (月)

『ユニバーサル・サービス ~マルチメディア時代の「公正」理念』

20190502_4  GW中の課題にしていた表題の新書をようやく読了。
 20世紀終わり頃のアメリカの電気通信事業の変遷を分析することで、ユニバーサル・サービスの在り方を検討した本ですが、現在の日本の電気通信事業界に照らしても考えさせられる、古くて新しい内容でした。
 まず興味深かったのは、P.63周辺の、AT&Tの創業直後に鉄道郵便局長から引き抜いて来られたセオドル・ヴェイルと、当時の実質的オーナーであったJ・P・モルガン商会の対照的な哲学と、両者の合目的的な意見の一致。モルガンが、限りなく利益と市場支配力を追求する独占主義者であったのに対し、ヴェイルは、郵便・電信・電話の分野を経験することで、公共サービスの供給源は一つであることが最良の形態であると信じるようになっていたとのこと。この両者が手を組み、“One System, One Policy, Universal Service”というスローガンが生まれたのだとか。相互接続が普通になった現在でも、各々のシステムの性能や接続の仕組み・精算の手間、二重投資の弊害などを考えると、果たして独占状態が消費者にとって悪いことなのかどうか、考えさせられてしまいました。
 また、P.108周辺で、データによる財務分析を観ながら、内部相互補助(あるサービスの黒字が、他のサービスの赤字を補うこと)の実相を解明しようと試みている部分では、あまりに複雑な会計や料金設定のため、どこがどこをどう補っているのかの実態が正確にわからない…と結論されていました。これもまた、これからの情報通信(すべてを光ファイバー化するなど)のUniversal Serviceを考えるとき、重要な論点のように思えました。
 自由競争が健全に行われる場合、サービスごとにコストに基づいた料金設定になっていくことになるわけだけれど、大口顧客を呼び込みたい料金設定と、個人顧客を呼び込みたい料金設定は異なるだろうし、そうした思惑の違いからUniversal Serviceから乖離していくことを考えると、内部相互補助の仕組みは絶対に必要とも思え。。。
 P.146に掲載されていた「ネットワークの展開と変質」というグラフは、ネットワークの費用と効用の相関図でしたが、ユーザーが増えたら増えただけ利益が増えるという単純な構図ではなく、一定以上の規模になると、必ずユニバーサル・サービスについての検討が必要になることは、目からウロコでした。著者は、公益事業の民営化に際して、経済学的な議論がしっかり行われる必要性を説いていますが、これからの情報インフラの充実と(品質の)維持についても、同様のことが言えるだろうことが痛感されました。

 先日、nuro光の我が家に、機械の設置を家の中から屋外に移さないか?という勧誘電話がありました。安くなるとはいえ、質の低下を懸念してお断りしましたが、どのくらいの質が確保されればユニバーサル・サービスの実現と言えるのか、時代によっても基準がずいぶん変わりそうだなぁ…と思ったのでした。

 「公正」「公平」の検討の次は、「平均」とか「中庸」とか「正規」ってことで、『マンガ 統計学入門』を読み始めています(笑)。データと付き合うには、バラつきをきちんと意識しないと…と思いつつ。
(『うちの子が結婚しないので』に辿り着くのはいつになるやら…^^;;)

【通信キャリアの歴史】 上記書籍と併せ、日本の通信キャリアの歴史を振り返ると、とても興味深いです。

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