『東大教授が考えるあたらしい教養』
仕事関連で、表題の書籍を読みました。また、職場の人がたまたま貸してくれた『AI社会の歩き方』という本をパラパラと拝見しました。なんとも奇遇なことに、両者とも、「異分野の人が、建設的な話し合いをし、社会貢献に結びつけるには、どうしたらいいか」を検討している本でした。
「学際的な検討が必要」――というのは、昨今の課題解決の過程で、決まり文句のように謳われることですが、これが日本ではいかに難しいことか、近頃つくづく痛感しています。北欧などでは、この点がうまく教育されているゆえか、いろいろ見習うべき点が多いのではなかろうか…とも感じます。
本書では主に、“真の教養とは?”という問いかけのもと、「異なる専門領域間にブリッジをかけられること」を中心にいろいろな例を挙げて解説してくれています。例えば、借地借家法をめぐる経済学者と法学者の捉え方・価値の置き方の違いなど(借家人の保護の観点と、貸家人の財産利用の観点)。この手の議論では、「事実認識」と「価値判断」を分けて考えることが重要、との指摘があり、もっともなことだと感じました。
ただ、「異分野の人同士の議論」という点に関し、本書のような専門領域を異にする学者同士以上に、もっと下世話で深刻な問題が、今の日本にはものすごくはびこっているのを、個人的に強く感じます。主に、以下の2つのことが気になっています。
・異分野の人、階層の違う人を、リスペクトできない(関わりたくないと思う)人が多い
・いわゆるリーダー層が、日常的な下世話な仕事の実態を知らない
要するに、議論の対象がまだまだ「他人ごと」の状況で行われているんじゃないか、ということ。少子化問題を議論するなら、まず男性が家事をして育休をとってみる、とか、介護問題を検討するなら、まず1日くらい、実際に介護してみる、とか、プラスチックごみ問題を検討するなら、まずその処理過程を全部洗いだす、とか、海賊版対策のブロッキングを検討するなら、1つのサイトをブロッキングする実作業を現場で見せてもらう、とか…、ものすごく手間がかかるし、見る方も見られる方も面倒くさい作業なことは間違いないことですが、それなくして、議論なんてできないんじゃないか…というのが率直な感想。
また、世の中、“丸投げ”というのが実に多くて、産廃は中国や東南アジアに丸投げ、とか、面倒な仕事は下請けに丸投げ、とか、余裕のある人達は丸投げできるからこそ、その実態を知りえないにもかかわらず、世の政策等を検討する人達は、たいてい丸投げする側であることも問題かと――。
こう書くと、ひどく歪んだひがみ根性丸出しの見方のようで、実際にはそこまで酷いわけじゃない…とも思いますが、1人の人間には24時間しか1日の時間がなく、なんでもかんでも実際に体験してみるなんて不可能だからこそ、異分野の人や階層の違う人をリスペクトして、意見交換する必要があるんじゃないかと思うわけです。
「学際的な検討」――言うは易し、行うは難し。トライ&エラーで、とにかくチャレンジしていくしかないですねぇ。似たような主張の本が時を同じくして出版されるということは、それだけ時代が、異分野間の協働を必要としているということなのでしょうから…。
【スマホやPCに著作権料?!】 またこんな報道が…(汗)。徴収した著作権料の分配の仕方を説明してくださーい!
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