高齢社会における資産形成・管理 ~年金制度は持続可能なのか?
先週しばらくの間、「老後の蓄えとして2000万円が必要」との金融審議会の報告書の取り扱いに関し、すったもんだの報道が続いていました。
政府内での今回のドタバタ(ジタバタ?)はさておき、当初2000万と聴いた私の反応は、「そんなもんじゃ済まないだろう…」というものでした。“夫婦揃って元気でいるなら”という添え書きなくして、この金額は納得できるものではありません。選挙に響くから、こんな発表はけしからん!で済まされる問題でもないと思っています。
そもそもの一般市民の関心事は、「現在の年金制度は、果たして持続可能なのか?」ということ。まだ働いてもいない息子が早くも、年間数十万もの負担を強いられ、親である我々もいつまで元気で働けるかわからず、年金だけではQOLを維持できそうになく、、、。義父母の最後の数年間を間近で見た身としては、夫婦揃って病院や福祉施設のお世話になりながらだと、1か月あたり大卒初任給の3.5倍くらいの費用が必要…という認識が形成されており(我が家は義父母ほどのQOLを求めるつもりはないけれど^^;;;)、「何を甘っちょろい将来予測をしているのか…?」とすら思ってしまいます。そもそも、資産運用しなければ老後を暮らせない時点で、すでに年金制度は崩壊しているのではなかろうか…??? だいたいが、国の借金は増えるばかりで、マイナス金利、貯金しても利息はつかず、たとえ2000万円の蓄えがあっても、切り崩すばかりのあぶく銭。夢も希望もない感じ。。。^^;;;。
さらなるそもそも論で言えば、「自助」が出来なくなるのが「老人」なのであって、「自助努力が必要」と言われても、働けない、認知症で預金管理できず、運用なんて論外となれば、子や孫や親戚など、周囲が支えるということにならざるをえず。。。誰も、赤ちゃんが生きて行くのに対して「自助努力が必要」と言わないのと同じスタンスで考えないと、超高齢化社会の老後は議論できないのでは、と思います。まぁ、そこまでの未来なんて予想したくない、というのが人情ですが、、、(汗)。
一番の難点は、タフな年金制度改革を指示すべき人の多くが、年金なぞに頼らずとも暮らしていける金銭感覚の世界にいるのかもしれない…ということでしょうか。。。
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