『はじめてのアメリカ法』
今週月曜日、のんびりと読み進めていた『はじめてのアメリカ法』を読了。週末は、ウイスキー片手に読んだりして、かなりアバウトな読みっぷりではありますが、法律書とは思えない面白さでした!
構成は以下の通り。
第1部:アメリカの契約法
第2部:アメリカの不法行為法
第3部:アメリカの司法制度
第4部:アメリカの憲法
主としてドイツやフランスの制度を参考にして成った大陸法系の日本と、イギリス法を継受して成ったコモン・ローのアメリカ。その違いを意識しながら、アメリカ法のイロハを解説してくれる本書は、“リーガル・マインド”と言っても方向性がまるきり逆とすら思えるような両国の哲学の違いのようなものを感じさせてくれ、とても勉強になりました。例によって、付箋だらけになりましたが、以下、印象的な部分をメモメモ。
・P.15:契約はプランニング(計画・企画)の手段
・P.41:法律の知識はすでに人の理解できる以上の量であり、しかも常に新しくなり増加するので、今の知識を覚えることには意味がない
・P.43:アメリカでは契約違反に対し、精神的損害の賠償は認められないのが原則
・P.48:成文法主義の下でも判例法主義の下でも法というものはわかりにくい
・P.48:英米法的な思考は、帰納法になり、条文からスタートするのは演繹的な方法
・P.78:英米法上、契約を結ぶということは、契約を履行するか損害賠償を支払って履行をやめるかの選択権を持つことを意味するにすぎない
(by Oliver Wendell Holmes, Jr.)
・P.79:法の生命は論理ではない、それは経験である
・P.86:法と道徳の関係は永遠の課題
・P.95:アメリカ法の原則は自由と正義に基づき焦点は行為者、日本の不法行為法の目的は「損害の公平な填補」で焦点は被害者
・P.113:アメリカでは故意による不法行為と過失による不法行為との間に大きな相違点がある
・P.156:アメリカ法では、at law(コモン・ローでは)とin equity(エクイティでは)が同等の道具であるのに対し、日本法では「法的安定性」の方が「具体的妥当性」より重視される傾向が…
・P.182:(乱暴に言うなら)大陸法の一事不再理は上から目線の概念で、アメリカ法の二重の危険は被告人や容疑者から見た観念
・P.193:(両方向性の大陪審制度と、一方通行の検察審査会)
・P.196:アメリカの法曹一元では、裁判官、検察官、弁護士、法学者すべてが、弁護士から始まる(縦割り制度ではない)
・P.252:契約の自由こそ原則で規制は例外であり、制約が正当化されるのはきわめて例外的な場合だけ(Adair v. US,1908)
・P.266:アメリカでは法を語ることが自由を語ること/わが国では法を語ることは規制を語ることでは…
…とまぁ、とにかく数多くの具体的判例をあげて、その判断について解説することで、アメリカ法の精神を説明してくださり、日本との違いを意識させてくれる構成で、実に刺激的でした。アメリカの判決文を読んだときの不思議なスッキリ感は、こういうところから来るのかなぁ…と感じつつ、日本のように匿名や伏字で公開されることの多い判決文と、実名で当事者同士が公明正大に考え方の違いをぶつけあうアメリカの判決文、それらを受け止める社会の寛容さ等についても考えさせられるのでした。
最終章の締めの言葉が、何より胸に迫り、法の見方や使い方への大きなアドバイスになっているように思えました。
ーーー法があるからそれを守らなければならないのではなく、法が社会をよくするための道具であるという点こそ、アメリカ法の最大の特色。。。
是非手に取って、法律の初学者の方々に広く読んで考えていただきたい一冊だと思えました。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 『野の鳥の四季』(2023.05.30)
- 『いい子症候群の若者たち』(2023.05.08)
- 『ロシア点描』(2023.04.17)
- 『日本アニメの革新』(2023.04.14)
- 『楽園のカンヴァス』(2023.04.02)
コメント