予測する時代から操作する時代へ?
先週、最後の“センター試験”が終わりました。数学で、予想外に“統計”の問題が多く出された、という噂話を聞き付け、家族で「それはすごく正しい判断のような気がするけど、出題委員もずいぶん振り切って思い切ったことをしたね」と話し合いました。
20年ほど前は、スパコンの性能向上などを受けて、“予測する時代”に入ったか!?と思うことが多かったのですが、ここ数年のSNS等の浸透を見ていたら、“操作する時代”を意識するようになりました。様々なステークホルダーが水面下で、シンパを増やしたり、流行を作りだしたり、人心操作を試みたりしている印象。もちろん、そんなことは昔から試みられてきたのだとは思いますが、規模が格段に大きくなっている分、その影響が極端に振れるのが危ぶまれます。精緻な予測をするより、操作する方が簡単そうに見えるのも困ったもので。世界にとって正しい方向へ操作されるのならまだしも、“正しい”と思う方向が、人によってマチマチなのも恐ろしく。。。
さすがに、お天気を操作するまでには至りませんが、“教育”も一種の人心操作だと考えると、教育の方向性をしっかり議論することは、国や世界の行く末を左右する大切なことだなぁ…と思います。(ラプラスの悪魔を探すより、自らの意思で働きかける時代、世の中は、大陸法系よりコモン・ローの世界になりつつある、とか?)
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