「認知症の第一人者が認知症になった」
録画しておいた表題のNHKスペシャルを、先週末視聴。認知症の第一人者だった長谷川和夫医師が、自ら認知症になった日々のドキュメンタリー。
妻の瑞子さんと、娘のまりさんが、長谷川さんを支えて暮らす毎日。全編通して、奥様が弾かれるベートーベンのピアノソナタ「悲愴」が流れていました。ベートーベンが「悲愴」を作曲し始めたのは、ちょうど難聴を自覚し始めた頃らしく、制作者はこれを、「認知症」を本人が自覚し始めた頃と掛けているのかな?…と思いながら見始めました。が、番組を見終えた頃には、この調べはビリー・ジョエルの“This night”に聴こえるようになっていました。生涯、いろんな意味で妻の瑞子さんを必要とした、和夫さんの、切ないラブソングに。
長谷川先生は言いました。「認知症は、神様が用意してくれた一つの救い」だと。「笑っていることが大事」だと。「体も心も妻と一緒にいる感覚で、幸せ」だと。
妻の瑞子さんは言いました。「嫌な思い出をつくらないようにしたい」と。
だんだんと横になっている時間が増え、記憶が薄れ、会話が覚束なくなる様は、一昨年私がよく目にした義母の姿と重なり、哀しくなりました。
長谷川先生が、娘のまりさんに、「僕が死ぬ時、どういう気持ちで死ぬかしら?」と訊ね、「なんでそんなこと訊くの?」という質問に、「あなたは喜ぶかな、と思って。周りはホッとするかな、と思って」と応えた時は、キレイな心だけではいられない認知症や介護の現場の現実を思い起こさせられ、ぐぅの音も出ませんでした。娘さんや奥様に苦労をかけていることをしっかり自覚して、「迷惑かけてるのはわかってるから」との突き刺すようなストレートなコメントに、まりさんは「おたがいさまでしょ」、と、気丈に応えていましたが。
自らが、医師として勧めてきたデイ・ケアも、自分が認知症患者となって行ってみると、とても孤独な場所だった。。。有料老人ホームにお試し入居してみても、「早く戦場に帰りたい、僕の仕事場に帰りたい」と、心安らぐことはなかった。。。まるで、晩年の義父を見ているかのようでした。
ーー「認知症になっても、見える景色は変わらない」・・・長谷川先生の言葉が本当なら、今からでもうんと、審美眼を養って、死ぬ間際まで、せめて世界の美しさを感じられるようになりたいな、と思ったのでした。
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