個人が電子化する世界
2008年に、ローレンス・レッシグ先生の『CODE ver.2.0』を読み、“ネット社会における規制”について考えるようになって約10年。昨今のネット社会と量子力学的世界観のアナロジーに思いを馳せたことがありましたが、近頃のデータを巡る数々の問題(個人情報保護や電子経済課税など)はまさに、“個人が電子のような存在になった”こと(個人知と集合知の境があやふやになったこと)に起因しているように感じます。電子は、普通の人にとって最も近しい“量子”ですが、我々が中高生の頃に教わった、不連続な電子軌道に粒や点のように存在するのではなく、実際には、電子雲と呼ばれ不確実な雲のように確率密度として存在すると考えられています。今や、インターネットを通して世界のサーバにアクセスする個々人は、こちらがあるサイトを観測したとき、そのサイトもこちらを観測することで、1つの相互作用が起こってデータに収束するーー。このような相互作用の結果生じるデータは、一体誰のものか? これも、上記の数々の問題の解決を難しくする要因と考えられます。ひと昔前は、“電脳”と言って、意識的なものの電子化といったイメージだったものが、モバイル機器の進展や伝送容量の増大で、存在そのものの電子化といったイメージになっており、いわば“電体”のようだなぁ、、、と、つらつら思っていたら、こんな論文(「電体主義のメディア史」)がありました。もう人間そのものがメディアになりつつある、とも言えるのかな?(遺伝子構造とか分子構造を読む、みたいな…。最近の若者向けアニメも、ほとんどがバーチャル世界が絡んでる感じですしねぇ^^;;;;)
こうなってくると、21世紀は、“境界”というものについて考えるのが必然、となるのでしょうが、これまた私のSFチックに考える悪い癖。
・・・ということで、「現代思想」(青土社)の2020年2月号が面白そう!、という話です(笑)。全卓樹先生の記事を楽しみにしています。
【ウォーキング三昧】 年始の仕事始め前の数日は、夫とふたりでウォーキング三昧。先行き不安な世界情勢の話から、下世話な我が家の未来の話など、つらつらとあれこれと…^^;;;;。1月5日の日曜日、月島方面から勝鬨、築地へと歩いた折、築地で大行列を目撃しましたが、どうやら「すしざんまい本店」で振舞われた3.3億円の大間のマグロの大行列だったようですね~!
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