『アンドロメダ病原体』
新型コロナウイルス騒ぎに起因して、カミュの『ペスト』や、ダン・ブラウンの『インフェルノ』、野木亜希子さんの「アンナチュラル」第1,2話などを思い起こしつつ、真っ先に手に取って読み返したのは、マイクル・クライトンの『アンドロメダ病原体』でした。作者が医学部出身という理由もありますが、学生の頃に興奮して読んだ記憶がいまだに色濃く、未知の病原体の科学的分析の経過を想像するという観点からも、今まさに、各国の感染症研究所で進んでいるであろう新型コロナの「理解」の舞台裏を覗くつもりでーーー。
読み始めてまず仰天したのは、コンピュータ技術の進展の速さ! 本作は、当時の最先端のその先を活写しているはずだったのですが、メインフレームをタイムシェアリングで使っていたり、ユーザインタフェースも稚拙で、ロール紙に味気ないデータが出力されるなど、隔世の感でした(笑)。
また、今回の新型コロナに、“花崗岩が効く”というフェイクニュースが流れたようですが、本作中に、三つの品物「黒い小さな布切れ、腕時計、花崗岩のかけら」が生きていないと証明できるか、というくだりがありました。岩石には三十億年の寿命があり、人間の生きるスピードとは桁が違うことを認識するなら、「ある種の生物については分析不可能」ということもありうることを認めねばならない、という、ある作中科学者の主張。もしかしたら、このくだりに起因したフェイクニュースだったのかしらん??(ネットによれば、花崗岩がテロメア長を伸ばす、というmixi日記が発端との説も^^;;;;;)
本作の恐ろしい病原体は、早々に変異して、無害化するのですが、とはいえ、未知の病原体への恐怖は、今も昔も変わらず。今、対応を迫られている新型コロナウイルスに対し、“戦う”という表現が用いられたり、“恐怖を煽るようなデマ”が拡散したりしていますが、こうした現象に関して、以下に、本作から2つの論説を引用しておきたいと思います。
(旧版第25刷、P.247より)
人間は細菌の海の中で暮らしているともいえる。細菌はどこにも存在するーー皮膚表面、耳や口の中、そして肺臓や胃の中にまで。人間が所有するもの、手を触れるもの、呼吸する空気ーーそれらはすべて細菌でいっぱいである。細菌はあまねく満ちあふれている。そしてたいていの場合、だれもがそれを意識していない。
それには理由がある。ヒトと細菌の両方がおたがいになじんで、一種の相互免疫を作りだしたのだ。それぞれが相手に適応したのだ。
そして、これにもまたりっぱな理由がある。進化が潜在的生殖能力の増加を目ざしていることは、生物学の一つの原則なのだ。~(※)~
(旧版第25刷、P.303より)
人間の知能は役に立つときよりも不都合なときのほうが多い。…人間の知能は創造的であるよりもむしろ破壊的であり、啓示よりもむしろ混乱を、満足よりもむしろ失望を、愛情よりもむしろ憎しみを、もたらすことのほうが多い。
・・・既知の宇宙でもっとも複雑な構造物であり、栄養と血液に関して肉体にとほうもない要求をしている人脳が恐竜に似ているとは、だれも考えたことがない。ひょっとすると、人間の脳は、人間にとって一種の恐竜となっており、最後にはその滅亡をもたらすのかもしれない。
すでに、脳は人体の血液供給の四分の一を消費している。全血液の四分の一が肉体の質量のわずかなパーセンテージしか占めない脳という器官に、心臓から送りこまれる。もし、脳がより大きく、よりすぐれたものになれば、おそらくそれはより多くの血液ーーひょっとすると伝染病のようにその宿主を消耗させて、かんじんの肉体を滅ぼすほど大量の血液ーーを消費するかもしれない。
ヒトのスケールに見合った適度な知能を保つ脳、ゲーム理論的にみる生物各種の共存と変異、そんなものを真面目に考えさせられるエンタテインメント本、なかなかないと思います! 再読してよかった~♪
【次は?!】 まだ読み終えてない本があるのですが、次はコレを読みた~い! 『なぜ科学はストーリーを必要としているのか ~ハリウッドに学んだ伝える技術』!
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