『ペスト』
今月頭、アルベール・カミュの『ペスト』を読了。20世紀初頭にペストという感染症によって隔離されたオランというアルジェリアの一都市を描いた本書と、21世紀初頭に新型コロナウイルスという感染症によって半隔離された東京という一都市の状況が、かなり重なって見えたことは確かでした。また、“抱き付きおじさん”が出たり、紙やハッカ飴の買い占めが起きるなど、預言的な描写がそこここにあるのも、人間のサガを見定める作家の目に驚きを禁じ得ません。
ただ本書は、本扉裏のダニエル・デフォーの引用言(エピグラフ)にある通り、“ある種の監禁状態を、別の監禁状態によって象徴的に表現”しているだけであって、別に感染症の話がメインテーマではありませんでした。
カミュは、27歳で地方新聞の記者になるまでに、自動車部品販売人、船舶仲買人、市庁吏員、測候所員など、雑多な職業を転々とし、ドイツ軍のフランス侵攻をきっかけにオラン市の私立学校へ赴任して、教鞭を取りつつレジスタンス運動をしていたとのこと。
本編には、医師リウー、大判事の息子タルー、吏員グラン、オトン予審判事、記者ランベール、パヌルー司祭、犯罪人コタール、喘息持ちの老人など、それぞれバックグラウンドの異なる人たちが登場しますが、その大部分に、著者であるカミュの一側面が隠れているようでした。また、語り口が実に淡々として客観的で抑制的で、その全体から、カミュという人の誠実さが立ち上っているような印象でした。
個人的には、中盤と終盤の、タルーとリウーの、神や正義についての会話のシーンが秀逸だったように思っています。また、リウー医師の人柄がただただ素晴らしく、また、彼を陰で支える母親の慎ましさと自然さが善良きわまりなく、魅力的でした。
「あらゆる場合に犠牲者の側に立つことを決めた」タルーという人の痛いほどの“青さ”と、“書斎の人”ではなく“ささやかな努力の人”であろうと努める医師リウーの“堅実さ”の、両方が、作者であるカミュに備わっているのだと思うと、このコロナ禍という状況で、『異邦人』以来改めてカミュと再会できた幸せが、ココロに沁みました。
目下、病院や隔離施設の最前線で、日々重症患者と向き合ってくださっている医師たちの中にも、きっと、リウーのように淡々と黙々と、ただひたすらに新型コロナと向き合い、際限なく繰り返される敗北と、気まぐれな勝利とに翻弄されつつ、粛々と知識を蓄えてくださっている方々がいるのでしょう。。。そんなある種の監禁状態の中でも、友情や信頼や愛情が、誠実な営みの中で育まれていることを願います。
ただ自粛生活を送るだけの自分は、さしずめ本作の中の気楽な大衆の一人ですが、未知の感染症で不本意に亡くなっている人が確実にいることは、忘れずに過ごしたいと思います。
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