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2020年10月11日 (日)

学術会議の任命除外

 新政府の最初の懸案材料になってしまった、日本学術会議の任命除外問題。いろいろな考え方があろうと思いつつ、デリケートな話なので、 あくまで個人的な感想。
 純粋な理想を言えば、自然科学系の研究とか学問は、お金や組織や政治とは無縁であるべきだと思います。とはいえ、人文科学や社会科学も含めた全分野のこととなると、むしろそうしたものが研究対象だったりして、無縁でいられるはずのない分野もあり。。。しかも、お金がなければ何もできない世の中だし、縁故で様々なことが決まっていたりする現実も無視できず。学者先生としては、学術会議の委員になれることは、名誉なことでしょうし、そういう地位にいた方が、社会への影響力が増し、その後の研究にも有用だろうことも想像されます。
 本件について、Twitter上で様々な方が意見しているのも観ました。天邪鬼な私としては、税金に由来するお金で賄われる仕事を拝命する以上、自分の知的好奇心よりも「国民のため」を優先せざるをえない立場になり、不自由じゃないかなぁ…と思ってしまいます。
 学者ではないので、日本学術会議の価値は正直測りかねますが(名目的には専門的提言、実利的には予算配分関与?)、少なくとも、国際的な物理量の定義(SI単位系)の改訂等に関する周知においては、一般市民として恩恵に預かりました^^;;。学術会議の意義は、こうした学識のシェアにこそあるような。。。
 ポール・ディラックは、ノーベル賞受賞が決まった際、有名になって時間を奪われるのを恐れて受賞を辞退しようとしたという逸話もあるようですが、そういう学究の徒にとっては、学術会議委員なんて、厄介なだけの仕事なんじゃないかな~と思うのでした^^;;。

20201009 【お裾分け】 先日、ご近所さんから梨と栗のお裾分け♪ この栗を使って栗ご飯でも作り、恩返ししようかな^^。
 シェアの精神は、有史以来延々と受け継がれているんでしょうね~。

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