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2020年11月30日 (月)

「放蕩一代息子」と「こもりびと」(& The Accountant)

20201123_1 20201123_2 近頃、フツーじゃない生き方についてツラツラと考えることが増え、「放蕩一代息子」とか、先週のNHKスペシャルドラマ「こもりびと」なんかについても考えさせられてしまいました。私なんかよりずっとセンシティヴな人の感受性には、ある意味敬意を抱きますが、生きづらいんじゃなかろうかとも思います。フツーのレールの上を歩くのが社会人というものなら、「放蕩」や「ひきこもり」というのは、両極端な振れ幅。それが幸せじゃないとは言い切れないものの、やっぱりしんどいんじゃなかろうか…。
 「HSP」なんて言葉も聞かれる昨今ですが、私がこれまで生きて来られたのは、ただただ“忘れて”きたから(苦笑)。世の中を見回すと、不条理や不公正や理不尽は山のようにあるし、人を傷つける言葉が不用意に飛び交うことも多い。まっとうな神経なら到底身が持たない。だから“忘れる”。またはそういう社会とは関わらない。けれど、これを“忘れる”ことができない人、“関わらざるをえない”人もいる。少なくとも、フツーの社会から距離を置けば、醜いものを見なくて済む。。。そういう気持ちは、理解できる気がします。。。
 「放蕩一代息子」は(あらすじを読んだだけで観たことはないのですが)、世の中や親からすら、道を外れた“放蕩者”と思われて、勘当されてしまっても、本人は大事な人を見つけ、幸せに生きたようです。不幸より、幸福に敏感であればいいのですが、いかんせん人はだいたいにおいて、幸福に鈍感で不幸に敏感なんですよねぇーーー。

The Accountant 】 アスペルガー・チームの活躍という意味では、「ザ・コンサルタント」なんて映画も観ました。ヘソの緒に繋がってこの世に生まれ落ちた限り、社会とまったく隔絶している人なんていないんだよなぁ。

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