『自転しながら公転する』
もう、去年のクリスマス前には読み終えていた『自転しながら公転する』ーーー。今さらですが、ネタバレ注意にて感想メモ^^;;。
エピローグのカタルシスでホッとした。。。というか、エピローグに至るまでは、ずっとヤキモキさせられたままの不安定な読書でした。そして、プロローグのミスリーディングに、「やられたぁ~」と天を仰ぐ。。。
親子孫三代にわたる女性の“結婚”模様をじんわりと鑑賞して、21世紀の女性は大変かもなぁ…と思わされました。昔は、“良妻賢母”という言葉に象徴される通り、とりあえず世間は女性に対し、“良き妻であり良き母である”ことを期待していたと思いますが、現代は多様性が認められつつも、“自立した良妻賢母”が期待されているような。。。つまり、社会での仕事もがんばり、家庭も整え、子どもも教育せよと。。。すべてをハイレベルで達成するのは難しいながらも、適当に妥協しながらなら三足の草鞋も実現不可能ではないからこそ、「そんなアレもコレもちゃんとはできないよぉ…」と苦しくなる女性が多いんじゃなかろうか…? 庇護されるばかりの女性像から、個としてパートナーと連帯し合える自律した女性への転換…みたいな。そして、そんな社会状況だからこそ、いわゆる三高/四低/三生のような、相性よりも条件ありきのパートナー探しが、なんとなく打算的で安易に感じられてしまったり。。。
物語の中盤で、アラサー女性3人が、結婚について議論するシーンがあるのですが、メインキャラクターの都には、明確な結婚観というものがなく、自分がどうしたいのかわからず、相性だけでパートナーを選んでも幸福にはなれない…という“恐れ”を持て余している様が、多くの女性の心理を象徴しているような印象でした。
個人的には、都の恋人の貫一の設定に関し、読書家の男性が自分達恋人同士のことを“貫一とおみや”に喩えたりはしないんじゃ?と訝ったり、人のために尽力できる彼が無免許運転はしないんじゃ?と感じたり、イロイロ人格的不整合感に苛まれました。まぁ、不整合だからこその人間かもしれないけれど(苦笑)。文面からは把握しづらく、もっと知りたかったのは、“貫一”という男性の人生観と人間性。酒癖の悪い父と、家を出て行ってしまった母という、選択の余地のない不幸な境遇を、どんな風に受け止めて受け入れて、それでも腐らずに前を向いてきたのか。。。結婚とか家庭ってものに、どんな思いを持っていたのか。。。
本書では、女性が男性を選ぶという視点ばかりが取沙汰されましたが、当然、男性だって女性を選んでいるはず。でも、それは女性よりもずっと淡白で場当たり的なのか…? 女性が自立する時代には、男性だって仕事に邁進するだけでは家庭を維持できないだろうと考えれば、パートナーに求める要素も変わってくるんだろうなぁ。。。出逢いの機会もなかなかない中、最近はマッチングアプリで結婚相手を探す人も多いと聞きますが、男性視点での『自転しながら公転する』も読みたいな~と思ってしまったのでした(男性にとっても女性にとっても、“結婚”するかしないかは、人生の一大決心のひとつでしょうけれど、選択肢が多い時代な分、いろいろと悩んでしまうんでしょうねぇ…^^;;)。
【私の家政夫ナギサさん】 昨年末の一挙放送で、ドラマ「私の家政夫ナギサさん」を観賞。仕事も家事もできるパートナーなら最高ですけど、そんなスーパーマンぶりを、現代の男女は双方で求めてるんですよね~(汗)。私だって、ナギサさんみたいなダンナさんが欲しい!!
(当ドラマにまでMIUのメロンパン・カーが出ていたのにはウケました~「なぜ警視庁の車が横浜に?!」と反応した自分…^0^;;;;)
【逃げ恥スペシャル】 そして新年の逃げ恥スペシャル。さすがの平匡さんも、家事と仕事の両立だけで音を上げていたのを見て、やっぱり家事と仕事と育児を全部やるって、相当しんどいよね…と、遠い目になってしまったのでした(タフな方だと思う私も、フルタイム勤務で子育てしていた一番大変な頃は、子どもをオンブしながら階段を下りる時、「あぁ、今ここから落ちれば、楽になれるかな…」なんて思ったことがあったのです^^;;)。
そしてまた、上記の通り現代女性の結婚出産には問題が山積しすぎて、観る人の価値観や状況によって、感想がずいぶんと異なり、全方位のドラマ作成の難しさも痛感しました。
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