『ザリガニの鳴くところ』
友人が原書で読んで薦めてくれた本、“Where the Crawdads Sing”。その翻訳本を、今週頭に読み終えました。
「ザリガニって鳴くのか?!」という素朴な疑問はとりあえず脇に置いて、原題の雰囲気を胸に読み進めれば、それがどんな場所なのかはすぐにわかります^^。
本書は、動物学者の女性が、70歳になって初めて書いた小説とのこと! 訳者あとがきにもある通り、本作品のジャンルを特定するのは本当に難しい。。。ミステリーでありロマンス小説でもあり、少女の成長譚であり、差別や環境問題に対する社会派小説であり、自然を讃美する文学でもある。。。端的に言うなら、野生や自然と、理性や知性とを対比しつつ、双方にある優しさと残酷さの汽水域を漂う不安定な人間模様、とでも言えましょうかーーー。一人の女性の人生が詰まった、珠玉の一冊とも思えます。
いろいろな観点での感想が渦巻いて、到底ひとくちでは言えませんが、とりあえず本書内で好きになった人物としては、テイト、ジャンピン、そして編集者のロバート・フォスターの3人。いずれも奥ゆかしく、献身的で、バランスの取れた人たち。この3人がいたことで、過酷な境遇を余儀なくされて文字すら読めなかった“湿地の少女”が、専門家として本を著すまでに成長できたのだから。
果たして、小学校低学年くらいで天涯孤独になった女の子が、小さな小屋と湿地以外は何の財産もなく、学校にも通わずに社会から隔絶されたまま、たった一人で生き抜いていけるものだろうか…孤独に耐えられるものだろうか…というのが、最初に抱く感想。ただカモメや湿地の生き物を友として、浜で拾った貝や魚の燻製を売りながら生計を立てるなんて芸当が、できるものなんだろうか…。
まだ、人種差別や階級格差も色濃い時代にあって、陰ながらささやかに支えてくれた幾人かの村人に、人の善なる心を見ました。
一方で、さまざまな野生生物の雄や雌の生態と、人間の雄や雌の振る舞いを並べたとき、ヒトのDNAにもまだまだ、理性では制御不能な本能がイロイロな形で残っているのを感じずにはおれません。カイヤからもらった貝のペンダントを、肌身離さず付けていたチェイスの心が、当初は征服の興味本位で近づいたにせよ、最後まで人間的な愛より本能が優ったままだったのかは、わからずじまいでした。
個人的には、昨今話題の男女平等や、#MeToo運動にも繋がる一方的横暴などは、この、DNAに刻まれた本能を議論することなしには解決を見ないのでは…と感じています。DVから逃げ続ける女性には、逃げるより他に道はないのか…というようなテーマも、本書を読んで考えさせられます。
このように、いろいろな社会問題に否応なく目を向けさせられる半面、本書に溢れる圧倒的に崇高なイメージの自然描写が素晴らしい! 野生のシーンには善も悪もなく、皆がただ命を懸命に生きている。“湿地の少女”カイヤも、ただ生き続けることに懸命だった…と言わざるを得ない展開に、つがいとなったテイトがどう折り合いを付けたのかーーーそれだけが靄のように意識を曇らせた読後感でした。
たくさん織り交ぜられた詩の数々から、最後の「ホタル」の詩への連なりは、カイヤの知性と野生の共存を象徴するかのようでした。ヒトの中には、いろんな種類の野生が棲まわっていて、馬のような人、蟷螂のような人、ホタルのような人、カモメのような人などなどなど、置かれた境遇や心境の変化に応じて、その中の何かが突如発現するのかもしれない…と思うと、ちょっと怖いような気もしてくるのでした。
いずれ、アルド・レオポルドの『野生のうたが聞こえる』は、読んでみないとな…と思いました。
印象深い本のご紹介、ありがとうございました!!!
【The vanishing half】 友人から今度は、“The vanishing half”という洋書を教えてもらいました。う~む、久々に洋書にチャレンジしてみる??! “passing”という単語の使い方は知らなかったけれど、あらゆる価値観をpassしてゼロベースで考えたい私には、興味深い言葉かも。。。
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