「AI と著作権」
過日、「AI と著作権」というウェビナーを聴講。知財界の顕学たる上野先生と奥邨先生の論考を伺える貴重な機会でした。
弁理士会の研修プログラムにも、AI がらみの講座が多数ありますが、ウォーターフォール開発とアジャイル開発が混在し、手戻りのあることが前提の中、ビジネス上の契約では、性能保証や検収や瑕疵担保責任といった取り決めがしづらいせいもあって、なんとなく煮え切らない様相があります。AI著作権の議論も同様に、かなり長いスパンで検討が続けられているものの、近年はやや停滞気味というのが現状。
本講義は、そのようなAI著作権の現状を、他国の状況も併せていったん整理整頓してくださるような形式でした。
整理整頓の論点は大きく2つ。1つは、著作権のある作品を機械学習に使ってもよいか?という問題。もう1つは、AI生成物にも著作権を認めるべきか?という問題。
【論点1】
2001年当時、自然言語処理コーパスや、顔認証システムの技術に絡んでやや政策的に登場した著作権法47条の7は、ある種奇跡のような条文です。なにせ、電子計算機による情報解析を行うことを目的とする場合には、かなり自由に著作物を利用することができる、と規定していたからです。
2010年には、この条文からさらに、「電子計算機」とか「統計的」という言葉が削除され、より広範な非享受利用という概念が導入されて、30条の4②という、日本を「機械学習パラダイス」と称せしめるまでに利用可能範囲を拡大した条文が誕生しました。
一方、イギリス・ドイツ・フランスでは、適法アクセスによる研究機関での非営利利用に限る等、日本より狭い利用範囲に限定しているとのこと。多少広めのスイスや欧州指令に引きずられつつも、日本の状況に対しては課題が突き付けられてもいるようです(権利者の反対、EU加盟国の裁量の範囲、条約適合性)。
【論点2】
1972年3月頃から、ほぼ20年ごとに、computer generatedな絵画・音楽・小説などに関する作品の創作性について議論が続いているとのこと。日本国内では概ね、自然物に創作性がないのと同様にAI生成物にも創作性はない、とか、動物の制作物に思想・感情がないと解されるのと同様にAI生成物にも思想・感情はない、とされているのが現状です。
一方、イギリスでは、そのような作品にも著作権はある、とする意見や、特別の権利(sui generis)を与えるべき、とか、競争法的保護を与えるべき、という論考も見られるのだとか。
これに関しては“僭称コンテンツ問題”として、日本でも何らかの限定的な権利を認めてもよいのでは…という意見もあるそうです。
これは詰まるところ、「知的財産権はどのようなものに付与されるべきか?」(自然権論/インセンティブ論)という、国際的にもハーモナイゼーションが求められる根源的な問題にも思えます。「ヒトとは何か」「思想・感情とは何か」ということを、AIやロボットとの対比で、またそれらの進歩の度合いによって、随時考え直す必要を感じます。
日本には、鉄腕アトムや猫型ロボットのドラえもん、コロ助やアラレちゃん等、“友達”としてのAIキャラクターが数多く存在し、“道具”として割り切れないほどの存在感が付与されてきた歴史があり、機械でも「人間と同じように世界から学び」、「人間と同じように考える」というところが、上記「論点1」「論点2」と相通ずるような気がして、今後の動向が興味深いです。
(6月上旬には、「Google vs. Oracle」の整理についてのウェビナーも開催予定だそうです!)
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