『実力も運のうち』
『これからの「正義」の話をしよう』に続き、久々に先週、マイケル・サンデル教授の『実力も運のうち』(The Tyranny of Merit)を読了。(ウィットの利いた面白いタイトルを考えたものだと、感心してしまいました)
“分断の時代”に関する多岐にわたる考察が繰り広げられた、“共通善”を模索するリバタリアン必読の論考。
トランプ氏の当選以降、middle classの掌握に努める民主党に対して、辛口のコメントがたくさんありました。
個人的には、以下の2つのことを知ることができただけでも収穫。
1つは、マーティン・ルーサー・キング牧師の次の言葉ーーー。
「私たちの社会がもし存続できるなら、いずれ、清掃作業員に敬意を払うようになるでしょう。考えてみれば、私たちが出すごみを集める人は、医者と同じくらい大切です。なぜなら、彼が仕事をしなければ、病気が蔓延するからです。どんな労働にも尊厳があります。」
もう1つは、ジェームズ・トラスロー・アダムズという作家が『米國史』という本の中で掲げた“アメリカン・ドリーム”の本質ーーー。
「誰にとっても人生がよりよく、より豊かで、より充実したものとなるはずの国、誰でも力量や業績に応じて機会に恵まれる国」
ふたりとも、誰にでも分かる言葉で、しかし実に本質的な事柄を、端的に言い切っている気がしました。
要は、社会正義の実現には、誰しもが等しく「評価と承認」を得られることが必要…ということなのだと思います。
その議論のひとつとして挙げられたアメリカの“学歴社会”に関する考察は、日本でもまったく同様に検討の必要があると感じました。
かつては「入るのはラクで出るのは難しい」と言われていたアメリカの有名大学も、今や日本同様、入学できるのはほんの一握りのトップエリートか、はたまた強力なコネや資産のある人に限られるという現実。こうした生まれながらのアドバンテージは“運”によってもたらされたものなのに、あたかも自身の努力と勤勉さだけで獲得したかのように錯覚する人が多い。。。そして、学歴が将来の仕事を決め、違う階層の人たちが水と油のように関わり合いにならない社会。。。学歴を持たない人が自らを卑下したり、高学歴の人がそうでない人を見下すような、偏った人間評価が幅をきかせる歪んだ世界。。。
アリストクラシーの時代は、“生まれ”が人生を決めた。メリトクラシーの時代は、“功績”が人生を決める。。。けれど、いずれの時代も、何らかの評価軸に基づいてヒエラルキーが生じ、一面的な上下関係ができる構図は何ら変わらない・・・それは間違っているーーー。サンデル教授の問題提起は至極もっともです。もちろん、必ずしも常に上の人がマウントを取るわけではなく、社会的に高いステイタスにいても、誰もが公平だと思って生きている人だってたくさんいるし、「社会で成功できたのは、たまたま色々な点で恵まれていただけだ」と謙虚に生きている人もいるはず。。。でも、そういう人が多数派になり、あらゆる階層の人たちがお互いを尊敬しあえるようにならない限り、“分断の時代”は終わらない。。。そう思わされました。
【人新世の「資本論」】 次はこれ。マルクス研究者の現代資本主義観はいかなるものか、に関心があります。“SDGsは「大衆のアヘン」である”という謳い文句を聞きました。SDGsバッチが免罪符のように見えることには直観的に共感します。著者が、原発や核融合炉についても取り上げて議論しているのかを気にしつつ、読みたいと思っています。
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