先日の立花隆さんの訃報はショックでした。ちょうど私が、『南方熊楠』と『猫楠』という本を並行読みしている最中のこと。
“知の巨人”と形容される人は古今東西数多く存在しますが、立花さんも南方さんも、世界をまたにかけて自分の目と耳で現実に立ち向かい、資料を渉猟して学び続けた人、という意味で、まったき“知の巨人”だったのだと思います。
南方熊楠の若かりし日の写真を一度でも目にしたことがある人なら、その射貫くような眼光に、一瞬のうちに囚われてしまうのではないでしょうか。そして、100年以上昔に、『Nature』や『Notes and Queries』といった雑誌に投稿しまくっていた日本人の功績を知りたくなるのは必然ーーー。
…ということで、まず鶴見和子さんの『南方熊楠』の1,2章を読み、それから水木しげるさんの『猫楠』を読み、再び『南方熊楠』の3章に戻る…という読み方で、2冊の本を読んだのです。鶴見さんは社会学者として、主に熊楠の仕事の学問的価値を端的にまとめ、水木さんは妖怪漫画家として、熊楠の類いまれな脳力と人間的魅力や人生について描いていました。同じ人間を表現しているにもかかわらず、その印象は大きく異なりましたが、根本的な彼の思想の掘り起こしは、同じだったように思います。
彼が、豪商の生まれでなかったら、一体どんな人生だったんだろう…というのは、素朴な疑問。なぜなら、人生のほぼすべての期間、きちんとした職について働く、ということをしなかった人だから。実家からの仕送りを頼りに、アメリカとイギリスに留学し、和歌山に戻ってからも、生活費の大部分は親の遺産頼みだったように見受けます。こう書くと、社会人としてはダメダメ人間のようですが、彼はある意味、イギリス貴族のような“Literate(文士)”たらんとし、「人となれば自在ならず、自在なれば人とならず」と迷いつつも、常に“自在”でしかいられない人でした。
“学際”なんてカッコいい言葉で括れるような好奇心でなく、在野のまま、まさにありとあらゆる全てのものの関連性を突き詰めて、“性”や“生”の不思議にも真っ向から取り組むという節操のなさ(笑)。『猫楠』の赤裸々な表現は、人によっては拒否反応を起こすくらい、奇人変態の熊楠の片鱗を見せてくれました。十数か国語を操り、驚異的な記憶力と集中力を持ちながら、癇癪も持つという不安定な精神は、弛みない粘菌研究で辛うじてバランスを保っていたのかもしれません。
世間的な地位や名誉とは無縁の人生だし、子どもが精神疾患を患い苦労するなど、ある意味過酷な人生を送ったと言えますが、晩年に天皇陛下へのご進講役を賜ったことは、彼にとって何より報われた時間だったと思われます。
そして、自らを“維摩居士”(ゆいまこじ)になぞらえていたように、釈迦の在家の弟子さながら真言密教の教えのもと宇宙の真実に近づこうとしたのも、いかにも熊楠らしいと感じました。
思想家として、対話しながら普遍を探し、エコロジー的な観点で地球上のすべてのものの繋がりを感得していた、まったく稀有な人物です。
ーーー人はらい、楝(おうち)の花の咲くところ、ただ祈るのみ 子の行く末をーーー(熊楠今わの際)
前述の立花さんは『臨死体験』という本も書かれてますが、熊楠もたびたび幽体離脱のような体験をしていた、という逸話にはびっくり。そういえば、ニコラ・テスラも幼少時によく幻覚を見たんだっけ。。。世の中、まだまだわからないことだらけですねーーー。そこここの巨星に、合掌。。
(熊楠自ら記したという履歴書が面白い。。。来年の春先にでも是非、南方熊楠顕彰館に行ってみたくなりました!…そして、『維摩経』と『オーバーストーリー』も読んでみたい!)
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