じぃやとばぁやのいる暮らし
先週、両親と話していて、びっくりしたことがひとつ。
以前から父は、「女性は、子どもが生まれても家業の仕事を手伝ったり、仕事を続けるべきだ」という考えだったのですが、母は、「自分の子どもは、仕事よりも優先して自分が手塩にかけて育てるべきだ」という考え方で、私が息子の鍵っ子時間削減のために仕事を辞めた時も、母の方は何一つ言いませんでした。
「どうして、こんなに考え方が違うんだろうねぇ…」
と話していたら、母が唐突に言いました。
「だって、お父さんの家には、じぃやとばぁやがいたんだもんね」
「?!」
それを聞いて私は、夫が小さい頃も家に通いのお手伝いさんが来ていた、という話や、友人が小さい頃も住み込みの家政婦さんがいた、という話を思い出しました。
「え~っ?! ホントに?? 通い? 住み込み?」
「住み込み」
「なにそれ? 貴族みたいじゃない?!」
(じぃやって、一体何をしていたんでしょう??)
「だからお父さんは、家計管理や家事や育児は他人がやってくれると思ってたの」
「うへ?! なにそれ? お父さんってお坊ちゃまだったんだぁ~!!」
そりゃぁ、食事の準備と後片付けを引き受けてくれる人がいれば、主婦の負担は半減ですよねぇ~?!
「価値観違うわけだね」
いろいろな人の話を聞くに、戦前戦中の日本では、住み込みや通いのお手伝いさんがいるのが当たり前の家も散在していたのでしょうか…。両親は、結婚直後は父の実家で舅姑と一緒に暮らしていたのですが、家業を継ぐことに母がどうしても適応できそうになく、生まれたての私を姑に委ねて働きに出る(東京都の教員をしていた)ことに対する抵抗感にも耐えられず、新婚2年ほどで二人で家を出てしまったとのこと。その後はつましく暮らしながら私や弟を育てたので、私の幼い頃の記憶では、お手伝いさんなんて存在すら知らず、六畳一間で家族が肩寄せ合って暮らしていたような印象しかありませんでした。
義父母の介護が大変な頃、住み込みの家政婦さんを探してみたりはしましたが、到底一般市民に支払えるような費用でなく、瞬時に諦めた経験はありますが…^^;;;。
「まぁお父さんも、退職して家事やるようになったら、その大変さはわかったみたいだけどね」
と笑う母。父が退職するまで、仕事と家事と育児の3つの大仕事を全部抱えて来た母に唖然としつつ、舅姑やじぃやばぁやと一つ屋根の下で暮らし、“常時家庭も社会”という状態では、気が休まらないかもしれないな~、とも思ったのでした。
多様な暮らしぶりがあり、多様な価値観が醸成されるーーー。価値観の刷り合わせは、そりゃぁ一筋縄ではいきませんね。
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