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2021年8月 9日 (月)

『原子爆弾 1938~1950年』

20210805  8月5日の正午ごろ、表題の書籍を読了。(ワインバーグが先月23日に亡くなりましたね…)
 学生時代、科学史を勉強しつつ、20世紀初頭に活躍した物理学者の自伝や評伝は何冊か読みましたが、本書を読んで、ハイゼンベルクとオッペンハイマーの印象が、ずいぶん塗り替えられました。。。いい意味でも悪い意味でも、オッペンハイマーは大人で、ハイゼンベルクは少し子どもだった…という印象に。ずっとハイゼンベルクを神聖視してきた私にとっては、ややショックな内容だったことは間違いありません。彼が本当に考えていたことが何だったのかは、依然わからないままですが…。とはいえ、複数情報を照らし合わせることの大切さは痛感しました。

 私の祖父は国鉄マンだったのですが、1945年当時は広島勤務で、たまたま週末に山口に帰省しており、8月6日(月)の早朝に広島に向かう電車の中でピカドンの瞬間を迎え、止まってしまった電車から降りて歩いて広島の街に入り(…と聞いています)、地獄のような光景を目の当たりにしながら、救助活動に奔走しました。当然、被爆者手帳をいただいていました。戦後は、ずっとあの時の地獄絵図を描き続け、人一倍健康に留意して暮らし、なんと98歳まで長生きして天寿を全うしました。
 そんな背景もあり、本書はじっくり読みたいと思って購入しながらも、なかなか腰を据えられずにいたのですが、ついに今夏、読むことができました。
 膨大な資料を紐解いて、科学者や政治家たちの“人となり”まで感じさせながら、原子爆弾の開発経緯や、構造・仕組みまで科学的に分かりやすく解説しているという点で、秀逸でした。付箋を貼りながら読んだら、こんな(↓)ことに…^^;;。
   20210805_5
 感想を書くのは容易なことではありませんが、最も驚いたのは、核分裂の発見以後、多くの科学者が、潜在的な莫大なエネルギーの取り出し方法について考え始めた中で、アメリカが掲げたゴールが、原子炉の研究でなく、原子爆弾の完成だったこと! 今ほどエネルギー問題も切実でなく、特殊な戦時下だったとはいえ、ゴールの設定の仕方と、(実現力とでも言いましょうか)プロジェクトの遂行の仕方には、目を瞠るものがありました。決して原子爆弾を是認しているわけではありませんが、プロジェクト完遂のためなら、人の好き嫌いや相性等は脇に除け、広く情報収集して最善の判断を模索する姿勢、そして事後にはプロジェクトを省みて総括する姿勢…そうしたことが当たり前にされているアメリカと、日本とを比べてしまったわけです…(コロナ禍の現状ともつい比べてしまいます。。)。開発過程で建造された原子炉は、あくまでプルトニウムを得るためだけに使われ、熱エネルギーを電力に変える試みはまったくされなかった(P.330)、という話には唖然としましたが…! さらに、広島型原爆の効率は、ほんの2%ちょっとだった…という事実にも愕然…!!
 もうひとつの驚きは、第二次世界大戦中の各国の暗号の中には、まだきちんと復号出来ていないものが結構ある、ということ。今や量子暗号が模索される時代ですが、電気を使わない昔ながらのお手製暗号でも、まだまだ時間稼ぎくらいには使えるのかもしれない…。また、アメリカの原子爆弾を目の当たりにしたソ連が、すぐに、電子機器に頼らない戦闘機を開発していた、という事実も、福島の原発事故の後始末に苦労している国の国民としては身につまされました。長年蓄積された数々の旧来技術を、どこか一か所に集約しておく、という仕事も、今後必要な気がしてしまいます。
 原子爆弾なんていう、人類にとってお荷物でしかない兵器を大量に保有し続けざるをえないヒトの愚かさを、つくづく考えさせられました。それにしても、ニールス・ボーアって人は本当に、科学者としてももちろん一流だったうえ、人間としても公正な考え方の人だったんだなぁ…と、すっかり惚れ直しました。
 今もどこかで改良製造され、備蓄され続けているこの兵器については、オリンピックをやる以前に、世界全体で討議しないといけないのではないかしらんーーー?

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