Netflix版「新聞記者」
昨年の春に見た「新聞記者」という映画が、Netflixでドラマとしてリメイクされたと聞き、先々週末に一気見しました。
そうそうそう、こういうのが観たかった! 僭越ながら、今回の方が前作よりも、「新聞記者」というタイトルに即してる!と感じました。
「個人と組織」という視点の狭間で苦しむ様々な人の立場が絡み合って、本当に見応えがありました。現実の事件の裏側を想像しながら見たのは当然ながら、本作で印象的だったのは“メディアへの信頼感”。就活で東都新聞の役員面接に臨んだ大学生の亮君に対して発せられた「これからの新聞はどうなっていくべきだと思いますか?」という質問が、本作の肝だったように思います。彼がどう答えたのかの描写は敢えてカットされていたため、視聴者がそれを考えざるを得なくなる演出も秀逸。また、松田記者の自宅の本棚に『原子爆弾』があったことにも、スタッフの方々の本気度を感じました。
作中には、いろいろなメディアが登場しました。新聞はもちろんのこと、テレビ、SNS、インターネット、書籍、雑誌、噂話、定例会見、公文書ーーー。伝達方法も、伝わるスピードもタイミングも頻度も、それぞれ異なるわけですが、一昔前と比べて一様に共通しているのは、“信頼感の低下”。どれもが多少なりともパフォーマンス化してしまっている感じ。その場しのぎだったり、売れ行き優先だったり、真相究明より忖度だったり、当たり障りなく無責任だったり…。そんな中、内部告発を試みた後に過労で倒れて植物状態になった兄の周辺事実が闇の中になった経験から、記者使命に目覚めた松田という女性記者と、国有地売却を巡る公文書改竄に手を染めて伯父が自死した事件の真相究明を願う木下亮という大学生とが出会う。そして、お互い私的な動機を多分に持ちつつも、社会正義というより大きなものを求め、歯車を嚙み合わせて動き始めるーーー。
世の中の多くの人が、生活のため、お金のために働いているのも事実ながら、「どうして官僚になろうと思ったのか」「どうして記者になろうと思ったのか」「どうして弁護士になろうと思ったのか」「どうして広告を創ろうと思ったのか」…といった初心とともに、仕事への誇りを大なり小なり持っているはず。前作にはいなかった就活生たちを登場させることで、仕事というものへのフレッシュな視点が導入されて、とても奥行が出たなぁ~と感じました。これからの若者は、「いかにインディペンデントでいられるか」という価値観にも重きを置くようになるんじゃないかな~…、と感じます。
意欲作を世に送り出してくださったスタッフ・キャストの皆さま、ありがとうございました! 制作途上での仁義の通し方には紆余曲折あるようですが、映画やドラマも素晴らしいメディアであることは確かで、時には人の心を変える力もあるということを、改めて思い出させていただきました。
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