『21 Lessons』
恥ずかしながら、未だ『サピエンス全史』を読んでいない私。ですが、このほど、『ホモ・デウス』の次に書かれたという『21 Lessons』を読みました。
ハラリ氏によれば、『サピエンス全史』では人間の過去を、『ホモ・デウス』では未来を探究したのに対し、本作では「今、ここ」にズーム・インしたとのこと。現在の私たちの社会が抱える様々な問題について、端的な切り口で多角的に考察を試みている様に、とても好感が持てました。また、訳者の柴田裕之氏の文章が本当に読みやすく、誠実でまっすぐで柔軟な感じがして、「この方がハラリ氏に直接質問を投げ掛けながら翻訳してくれたことで、日本人の丁寧な仕事ぶりが、きっと印象深くハラリ氏の心に響いたのでは…」と思ってしまいました^^。
ハラリ氏の書いたものを読むのは初めてだったのですが、何事もできるだけ多様な観点から検討しようとする、謙虚な姿勢が際立っていました。これまでの人生経験を経て、禅的な世界観を持つに至っているようにも感じました。私としては、「また一人、“心の友”を得たり!」という気分(笑)。困難で生きづらい現代世界を痛感させられる内容だったにもかかわらず、幸せな読書でした。
まるで、本の内容とシンクロするかのようなロシアとNATO加盟国との駆け引きをニュースで眺めながら、“ナショナリズム”や“戦争”や“世俗主義”や“ポスト・トゥルース”の章を読みました(株ウォッチをしている友人は、ワシントンの誕生日の祝日にウクライナ関連発言してるのは、多分市場配慮してるからだね~と言ってました^^;;)。共通テストの時期に起きたいくつかの事件も、“教育”や“意味”の章で示された情報過多時代の教育方針の変更を考えさせられるものでした(2025年からの共通テストは6教科8科目?!)。
でも、何より私が共感したのは、“SF”や“物語”のハラリ氏の見方。
ーーー私たちにはまっとうな科学も確かに必要だが、政治的な視点からは、SF映画の佳作は、「サイエンス」誌や「ネイチャー」誌の論文よりも、はるかに価値があるーーー
もちろん、科学論文に価値がないわけではないのですが、フツーの人たちがよりよく世界の成り立ちや行く末を考えるための材料として、SFの価値はとても高いと共感します。
物語が、ホモ・サピエンスに対してどんな効果を持つかの解説には、本当に目からウロコが落ちた心持ちでした。長い人類の歴史は、ほぼ“物語”に操られていたかに見えてきました。20世紀前半の日本人の狂ったような拡大主義が、どんな“物語”に起因して広がってしまったのかは、私には大いなる謎のままですが、戦後の良識的な日本人の多くは、とことん“世俗主義者”になったのかもしれないな…と感じます。真実を希求し、思いやり深く、自由と平等を重んじ、無知を認める勇気があり、責任感に溢れている。。。みんながみんなそうであるわけでもないでしょうが、私の知る多くの人は、ハラリ氏の言う“世俗主義者”だと感じます。
ハラリ氏が、瞑想等も駆使して、世界をできるだけ正確に知りたい、と思う気持ちは痛いほど分かるのですが、近頃の私は、観察/観測することに対しては、ややあきらめムード^^;;。意識がこの身体に束縛されている限り、どんなに努力しても観察/観測は片面的で限定的なものにならざるを得ないから…。科学者はそんなことは百も承知で、それでも観察/観測 を続けて事実を積み上げているわけですが。。。そんな状況を多少なりとも補完してくれるのが、たとえフェイク交じりだとしても、“物語”なんじゃないかと…。
まだまだ「今、ここ」だけで手一杯なもので、『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』をいつ手に取れるやらわかりませんが、本書から、他の2冊もきっと面白く読めるに違いないと感じましたので、いずれはトライするつもりです♪
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